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題名の通りなんですけど、エジプトの太陽暦とメソポタミアの太陰暦のように違いが出たのはなぜだと考えられるのでしょうか。どちらも乾燥地域で大河の氾濫の時期を知るために暦が生まれたということだとすると、同じものが生まれる気がするのですが。エジプトではラーの信仰のように太陽への信仰が強かったことなどが影響したりしているのでしょうか。詳しい方よろしくお願いします!

A 回答 (2件)

詳しい人ではありませんが、知っている範囲でお答えします。


エジプト、メソポタミアとも農業耕作のため、暦がつくられました。
月日の移り変わりを知るには月の満ち欠けが、判りやすくこれで一ヶ月を決めましたが、太陽との運行とはずれがあり、農耕にあうよう3年に一度閏月(当時は連大月という)を作り大体あわせました。
太陰太陽暦(今は俗に太陰暦という)といいます。
真の太陰暦は閏月を置かず、そんままで大幅な狂いが生じますが、それを使った国もあるとか。  農業の必要がない国なので。
エジプトも始はメソポタミア同様太陰太陽暦に近い暦法でした。
ナイル川の洪水を予測するため、太陽の代わりにシリウス(ギリシャ語でソティス)星を使うので、太陰ソティス暦といいます。
王朝が出来た頃からこれを廃し、太陽暦に近いものを採用したといいます。
理由は明確ではありませんが、王の治世や在位年月を記録するようになり、より正確なものを求めたとも考えられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!参考になりました!

お礼日時:2009/02/21 22:00

エジプトでは、ナイル川が毎年定期的に氾濫する。


これが農業において最大のイベントなので、太陽暦が発達した。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2009/02/21 22:01

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