プロが教えるわが家の防犯対策術!

人はどうして悪に基づいた行動が取れないのでしょうか。

例えば、どんな悪人と言われる人もその人なりにはその行為を正しいと思っていたり、正当化したりします。
正当化するという意味で当人にとって正当な行為を行っているのです。
悪をなそうと悪事を働く人を自分も含めてみたことがありません。

悪の反対を善とするなら、なぜ人は他人の評価はどうであれ「良い」、「善」、「正しい」という行為しか選択できないのでしょうか。

A 回答 (27件中1~10件)

感想です



このQAのおかげで、
人間が人間でいる意味がわかった気がします。

「私は正しい」「あなたも正しい」
これを真に理解したなら
人間が人間で居る意味がありません。
皆、これを理解し行動できるようになるためだけに
存在するのだと思います。

悪とされるものもこの理論で説明できる。
私、またはあなたが「間違ってる」としてしまった場合に
"そうしてはいけないのですよ。"と
私たちに教えてくれる…

本当に、私たちは勉強するためだけに居るような気がしました。


喜びや嬉しさは、"正しい"を表し、
怒りや悲しみは、"間違ってる"を表している。

いつも喜びと感謝でいるために、賢者が様々な知恵を与えてくださる。

真に幸せに、お互いを認め合ったなら、人間卒業ですね。

早く、卒業したいものです。


※この理論を世界に広めたい。知っていたら、もっと世界は良くなると思いました。でも、経験がないと理解してもらえないかな…


所感でした。
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この回答へのお礼

私もこのQ&Aでいろいろ勉強させてもらいました。
また変な質問をするかと思いますが気が向いたらお付き合いください。
そろそろお開きにいたしましょう。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/06 23:05

長年警察官を勤めた人にこんな話しを聞いた事がありました。


悪人を取り調べてみると
誰一人として、自分は悪いことをしたつもりは無い
と思っているというのです。
こんな事ぐらいとか、これぐらいとか
悪い事では無いと思っているらしいのです。

確かに、悪いという気持ちが強ければ悪い事はできないでしょう。
善悪の判断が人によって違うのだと思います。
少し拡大解釈かもしれませんが
普段何気なくしている事でも、見方をかえれば悪なのかもしれませんし
或いは良い事なのかもしれません。
気を付けなければいけないかもしれませんね。

また、世の中にはどうにもならない悪党もいます。
これなんかは、生まれながらに持っているものがあるとしか思えませんね。
いわゆる悪趣というやつです。
悪に染まった心が治らない
治らないだけじゃなくて人に危害を及ぼす
悪を楽しむ鬼です。
これが一番困る
でも居なくならないんですね。
どうしようもないので、とにかく近づかない事です。

いつのまにか、自分が悪人になってしまっていたら・・・
怖いですね
でも世の中の悪人は皆なそうらしいのです
悪人になりたくて悪人になった人はいないのかもしれません
そう思うとちょっぴり同情したくもなりますが
やっぱり悪は悪で許されないのでしょう。

許されない悪と許される悪があるとか
必要悪とか
言葉がありますが
心の中の、ちょっとした判断で変わってくるのでしょう。


勝手なつぶやきになってしまいました。
ご参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>悪い事では無いと思っているらしいのです。

この最たるものが戦争ですね。
私たちはもっと自分自身に向けてアンテナを張る必要がのだと思います。

お礼日時:2009/03/05 23:00

shiftさん。

こんにちわ。


>悪となる対象があるのだろうか
:あはは。本当に禅問答のようですね。おもしろいです。



ちょっと確認したいのですが、これは、

どこかに【悪】というのが【あ・る!】として、
それを【これですよ】と提示し、
それが間違いなく【悪】であることを証明することができ、
それは【悪】で【しか】【あり得ない】という【何か】ですか?

それは【結果的に】【悪】と【名づけられる】ものとは、
区別されている【何か】ですか?



>悪の意味、つまり悪は私たちに何かを教えているような気がする
:そうですね。同じようなことを思います。

人は【悪】を、わりと切実に求めているような気がしています。
つねに、【悪】を、想像し、創造しているようです。
それですから、
自分の(心や知識や癖や技術を含めた)持ち物に、
【悪】と【名づけられる】ことから、解放されることも、できないようです。


この、「【悪】と【名づけられる】ことから、解放」されようと望む、
これは、【悪】のように見えるかもしれません。



>例えるなら他人の考えを認めないということですね。
:ん~。

わたしは「認める」とか「ゆるす」とか「ゆずる」とか「理解」とか、ではなく、
あたらしい「実感」を「得る」「いただく」ことから「逃げている」状態、
ということをお伝えしたかったです。
これは「まちがい」に「気付く」ことから「逃げている」状態、とも言えそうです。



ん゛~。(-_-;)
ご質問は「>悪意に基づいて行動できないのはなぜでしょう」でしたね。」
禅問答から、なかなか抜けられません。
遊んでくださってありがとうございます。
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この回答へのお礼

禅問答にお付き合いいただきありがとうございました。

だいぶ最初のお題とずれてしまいました。

そろそろ、質問も終盤ですがしばらく一人Q&Aを楽しみたいと思います。

お礼日時:2009/03/05 21:22

追記



またたぶん間違ってましたね。

自分の存在を脅かすもの…

「私の存在は間違っている」と自分を責めてはいけませんね。

「あなたの存在も間違っている」もいけませんね。

これが、絶対的な悪?

自分の思考からすると、こうなりました。

私は、悪を行ってました(笑)あはは(汗)


無知は罪ですね。
早く、義務教育で哲学・心理学を入れてほしいものです。


余談
みなさんの意見を読み返していると、みなさんある意味当たっていて、楽しかったです。
また、no.1に立ち返っても、やっぱりどこかで、自分の存在があるからとわかってたのだと思いました。

また今回、初めてshift-2007さんを知ったのですが、大ファンになってしまいました。
とあるお礼に「ぬ?」とだけ書いてらっしゃって笑ってしまったし、色々勉強になりました。

ありがとうございます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「人生に失敗はない」これは江原さんの受け売りです。
だから間違いなんてなくて全て勉強なのかもです。

「ぬ?」、あぁ彼女の回答は難解でしていつもお礼に困るのです。
でも私は彼女のファンなのです。

お礼日時:2009/03/05 12:45

shiftさん。

ふたたび、こんにちわ。22番です。
たびたび失礼します。追記です。

「自分は【正しい】ことしか【で・き・な・い】
 また【し・て・い・な・い・は・ず】」
という幻想を守って生きている状態は【悪】に見えるかもです。

【まちがわざるをえない】と認めることを放棄した状態でもあります。
タダでいただいて、対価を支払わない状態でもあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私はどうも悪となる対象があるのだろうかと思うのです。
人を傷つけること、戦争、搾取・・・・・
結果的にはそれぞれ確かに悪ではあるのですが。

悪の意味、つまり悪は私たちに何かを教えているような気がするのです。

お礼日時:2009/03/05 12:16

shiftさん。

おはようございます。19番です。
ご返信ありがとうございます。


おもしろいですね本当に。

>悪とは何を意味するのでしょうね。
:自分がすでに知っている「わかりかた」以外の、
あたらしい「わかりかた」を得ることを棄権した状態、
思考の「止」「死」のようなものではないですか。



人間は呼吸をして生きています。
「吸って」「吐く」です。
「吐く」だけやって「吸わない」のも、無理で
「吸う」だけやって「吐かない」のも、無理なのですが、
無理なことをやっている不自然さは「悪」に見えるかもです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あたらしい「わかりかた」を得ることを棄権した状態、

例えるなら他人の考えを認めないということですね。
しかし、それにも理由があり、その理由が何であれその人の「良い選択」によるものではないでしょうか。
不自然さもまた理由があってのことだとすれば・・・・

常に良い選択をしている我々にとって悪とは何を『意味』しているのかと思うのです。

お礼日時:2009/03/05 11:36

一つ訂正します。



相手が攻撃してきても、「私は正しい」「あなたも正しい」が健全ですから、争わずに話をするなどで折り合いをつけるか、放っておくなどが良いですね。
争いは「私は正しい」「あなたは間違っている」ですから。


それから、
「なぜ正しいのか」と
「なぜ私たちは存在するのか」が通ずると思いましたから、

存在する以上、正しいと思うことしかできないのだと思います。

よって、悪意に基づいて行動できません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

哲学的な所まで来ちゃいました。
皆さんの回答を読んでいるうちに絶対的な悪を見つけました。
私の存在を脅かす行為それは・・・・・・
・・・・人間って面白いですね。

お礼日時:2009/03/05 10:40

知っていたのに、忘れていて、今更、気づきました。


気づいちゃったので、質問の回答とは、かけ離れますが投稿します。


『「私は正しい」これが争いのもとである。』

は、言葉が足りないことに気づきました。

これだけでは、「私は正しい」が悪いかのようです。
しかし、「私は正しい」は正しいのです。

何が争いの元なのかというと、
『「私は正しい」「あなたは間違っている」』
で、
争わずに、健全でいるためには
『「私は正しい」「あなたも正しい」』
なのでした。

たぶん、ここに書き込みされる皆さんもshift-2007さんも、すでにご存知のことと察します。

特に心理学なら、OK牧場として知られていると思います。

だから、『なぜ「正しい」のか』に着目されたのかもしれません。


日頃の私のスタンスが
「私は間違っている」「あなたは正しい」
で苦しむことが多いので、また、争いのもとだと聞いて、また責めていました。
ですが、苦しんでいること自体、私は正しいと思いたい、私は正しいのだという表れです。

「私は正しい」と認めることは、自分の存在を認め喜ぶこと、
自分を喜べば、自分と同じようにできた魂、人を喜べるので、他人の存在を認めることにつながる。
ですが、認めた相手が反旗をかかげ攻撃してくるとなれば、身を守るために争わざるをえません。

「なぜ正しいのか」からは、話がそれましたが、
正しいとすることで、どういうわけか、喜びを感じる。自分の存在が嬉しい。


「なぜ正しいのか」という問いと、
「なぜ私たちは存在するのか」という問いは
通ずるものがあると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「私は正しい」これが争いのもとである。
これはたぶんお寺の掲示板だと思いますが、言葉足らずなのは読み手に考えさせるためじゃないでしょうか。
私はまんまとそれに乗ったわけです。
これを読んだ人、それぞれ感じ方が違うようでそれもまたおもしろいです。

お礼日時:2009/03/05 10:31

shiftさん。

こんばんわ。
これは【心理学】のご質問なのですか?



そうですね。
人は「自分が【正しい】と思ってること」しか話せませんね。
「言いたいことを言っている」つもりでも、
それは「自分が【正しい】と思ってること」なのでしょうね。
「言いたいことを言っている」つもりで、
「自分が【間違っている】と思ってること」を話す人はいませんね。
AさんとBさんが口論している場合において、
どちらも「言いたいことを言っている」ようでいて、
所詮どちらも「自分が【正しい】と思ってること」
しか言ってないでしょうね。
そもそも自分が思ってる【正しい】というのも、
自分の「分かり方」でしか「分かる」ことはできませんし、
「このような分かり方しかできない」もの同士が、
「【分かっている】と思ってること」を話すしかないから口論なのですね。


ウソを作るのにはパワーがいりますし、
一旦送信したウソを撤収するのにはもっとパワーがいりますし、
なんとかしてそのウソを中和するために
新しいウソを作るのにもパワーがいりますし、
そのウソの始末をするのには最初のよりたくさんパワーいりますし。



たぶん「自分」というのが「あ・る!」というふうに覚えたからだと思います。
ものには名前があるらしい、わたしにも名前があるらしい、
この名前で呼ばれているのが「わたし」であるらしい、
で、その「わたし」とか「ぼく」というのが「あ・る!」らしい。
それが「他のもの」とはちがう「自分」であるらしい。
ずいぶん幼い頃に、このように学習するのではないかと思うのですが、


その「自分」という入れ物に入っているものは、
細かい差はあると思うのですが、
どの入れ物にも共通して入っているものがあって、
そのことをどの入れ物も、よく知っていて、

何かを送信する場合は、その入れ物に対して、ということになりますが、
受信側の「入れ物の中身」に関しては、
送信側と共通するものが多く、
そうすると、送信側にとって、受信側の一部もまた、送信側の一部であり、
送信側と受信側の区別っていうのは、あるようなないような気がして、
「あいつ」の中に「自分」が見えてきて、
「あいつ」は「自分」であるような気もしてきませんか。


これではなかなか悪をバラまくことは難しいです。
戦争のように悪をバラまいているように見える場合も、
それは「自分」というのが「あ・る!」と考えている、その人が、
自分の平和を切実に求めているゆえの行為ですから、
やはり「悪に基づいた行動」とは言えません。


しかし「悪に基づいた行動」ではないとしても、
そのことで、誰かが社会参加ができにくくなるような行為に関しては、
規制が必要で、法律があるんじゃないかなあと思います。
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この回答へのお礼

neutralさん、ご回答ありがとうございます。

人間って面白いですよね、
善悪をこれほどまでに問題にするくせに、自分自身では良い(これを善とするなら)と思えるものしか選択できないのです。
世界中の人間は良い選択をしているのに、他人にとっては良い結果にはならない。
不謹慎ですが面白すぎます。

さて、良い選択しかできない人間ばかりのこの世界で悪とは何を意味するのでしょうね。

お礼日時:2009/03/05 01:37

言葉が足りなかったのかも知れません。



>> そもそも、絶対的な善悪というのはあるのでしょうか?

> あっても無くてもどっちでもいいと思いませんか?

いいえ、この私の回答の論拠の原点は、「絶対的な善悪などない」と
いうところの立っておりますので、
どちらでも良いと言う訳には行きません。

悪、悪意は、自分のポジション(=善)に対するカウンター(対抗するもの)として
現れてくるもので、実態のない幻ではないか?と考えているということです。

自分の位置が「善」という前提(善提?)に立っているのが我々ですから、
そのカウンターとして、しか現れない幻の「悪」の立場に立つことは
不可能ではないかと、言うのが、先の答えです。

もしも、絶対的な悪が存在するなら、その場所にも立てるかも知れません

心理学的に余計なことを書くと、
生きていく為に、人間は、常に、自分自身を正当化して置きたい生き物ですし、
脳は、自分の正当化の為には、自分自身さえ騙し、記憶を書き換えることなど
朝飯前の生き物ですから、誰しも、自分でないもの(=幻の悪意)に立脚することは
不可能ではないかと、私は考えています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、自分のポジションに対するカウンターですか。
確かにそれは言えていますね。

ただそうなるとまた質問に戻ってしまうのですが、

>自分の位置が「善」という前提(善提?)に立っているのが我々ですから

なぜ、この前提が必要なのでしょうか。

お礼日時:2009/03/05 01:23

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