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某局の24時間テレビのタイトルどおり「愛は地球を救う」のでしょうか?

 「地球が危ない」などと唱える人もいます。もしそれが本当なら一刻を争います。地球を救えるほどの愛はあるのでしょうか?愛はどこまで通じるのでしょうか?

 皆様のお知恵を拝借します。よろしくお願いします。

A 回答 (46件中31~40件)

 回答番号:No.12 シニカルねぇ、はい。


 私も極悪だとは言っていないですよ。単なる無条件にはすばらしいと、いうことを躊躇する類(たぐい)だといっているに過ぎないですよ。
 この地上のいろんなことばでのことも、そして大衆受け(私も大衆ではりますが)する名分でも、一概に真実なる実在に連なるとは、いえむしろ、気持ちが悪いことがたくさんあるな、ということです。
 いいこともたくさんやっているようですから、結構なんでしょう。
  「地球が危ない」ことばも一定の人には、とてもアッピール効果がありますが、それは人類が国家と統治を発生させたり、ローマあたりでキリスト教国家と十字軍を出したり、大航海をしたり、西欧の近代文明ができたりしたとき、その前からのその都度の危機感でしてね。
 地球を救う?地球は人類の基盤ですから、お世話になっていても、掬うのは人類でもないし、人類のそんな限界的な、しかもエゴと利己主義の愛ではありません。
 何何主義も救えません。人類の愛は仮想です。目指す価値であって、人類は自己としてでなく、愛の側が人類を摑んで、人類の行動をさせるのです。人類の愛はなく、愛はそのずぅっと前からあって、人類がその結果であり、愛の側が必要なら、人類を摑んで、行為します。愛自身が。そういう意味では愛の側の必要なことまで完全に通じる。
 人間は愛をもてません。愛が人間を持つのです。 回答のですが、私の意見としての参考として投稿します。
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この回答へのお礼

決してシニカルなお考えではないとお見受けしました。文字化けしている箇所もあり完全には理解できずに残念です。果たして人間は愛を持てないのでしょうか?少し考えさせてください。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 10:31

愛は地球を救う・・・・確かに「愛は地球を救う」と言える視点があります。



愛がどこにあるかというと、各個人の心の中にありますね。
それぞれが共感し合う事は出来ますが、愛が個人から分離して
独立することはありません。あくまで人の心の中に存在します。

では、地球はどこにあるかです。地球は、各個人の外側に
物理的に存在して我々を育んでいますね。
しかし、その地球を地球としているのは、やはり各個人ですね。
各個人が、自分の中に自分の地球を存在させています。
地球環境保護のボランテイアをするロハスなAさんの地球と
金儲けのために破壊的な森林の伐採を行うBさんの地球は、
全く同じ地球を対象にしていながら、捉え方により全く異なる地球
を作り出していると言えますね。

「愛は地球を救う」は、自分の中にある地球を、心の中の地球が救っているということですね。これを起点として、そこから生まれる行動、思想、共感の連鎖によって、自分の外側にある地球が物理的に大きく変化する可能性はあるでしょうね。

この回答への補足

主観としての地球はわかりました。では客観としての、あるいは現実の地球はどう救えばよいのでしょうか?

補足日時:2009/03/28 10:21
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この回答へのお礼

各々で「愛」「地球」「救済」に対する捉え方はマチマチでしょうね。お寄せいただいた回答だけでも明らかです。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 10:24

身の回りの偏狭な愛の世界ならまだ有効な方向性はあるかもね。


地球を救って
という大きなマスに機能させるとなると
人類だけじゃなくなるからなぁ。
人類の危機そのものにかかわるんじゃないかな。
それって今と同じ状態ですよね。
だから
祈っても祈らなくても同じということなんじゃないの?

王様だけ生き残ろうなんて滑稽だわ
ってね。
13様に一票

この回答への補足

寄附を募ることも焼け石に水と思われますか?

補足日時:2009/03/28 16:09
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この回答へのお礼

同じなら祈っても問題はないでしょう。おそらく自己満足も含まれるでしょうから。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 16:11

地球を救うなんておこがましい。


人類は最古の化石で数百万年前と言われていますが、
地球誕生は46億年前だそうです。
地球は危なくありません。
人類が滅亡しても相当の期間地球は存続するでしょう。

もっと正直に、人類が生き延びるためには何をすべきかという視点が必要です。
自然環境を保護することが人類存続につながるとしても
それは地球を救うためでなく人類が生き延びるためです。

この回答への補足

そのおこがましいセリフが四半世紀に渡って叫ばれているのはなぜでしょうか?人類が生き延びるためには何をすればいいのでしょうか?

補足日時:2009/03/28 09:36
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この回答へのお礼

では来年から「人類に告ぐ、生き延びよ」にしましょう。視聴率下がりそうですけど。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 09:40

 単なる題名に使っている、ことばつながりでしょう。


 題名でも、哲学と理論があるべきですが、この場合はセンセーショナルな単なる表現ですよね。
 偶々受けて、大きな影響と活動になっていけばまた、いろいろなことが付随してくるでしょうが、どうも背筋を毛虫が歩いているような感じがするのですが。
 変な人が愛だとか、神だとか。神は愛だとかいうのを聞くと、ガラスをガラスで引っかくような響きですね。

この回答への補足

確かに空々しい響きがします。しかし単なる言葉つながりと捉えるのはシニカルすぎやしませんか?あるいは思考停止なのでは?ではどうすれば地球を救えるのでしょうか?または救えなくてもかまわないのでしょうか?

補足日時:2009/03/28 08:38
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この回答へのお礼

実をいうと思ったより肯定的に捉えている方が多くて驚いています。私もそれに意義を感じなければ否定的に捉えることも吝かではありません。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 08:41

No.7,9です。



書き忘れました。
全くわからない。と言ったのは、
それを考える意味を見いださないからです。

いつでも、今を生きて、
いつでも、最善を願うだけ
だからです。

この回答への補足

おっしゃる意味合いはわかります。しかしそれは逃げではありませんか?あなたは何を何にたいしていかにして祈るのですか?祈りが志半ばで途絶えてもかまわないのですか?

補足日時:2009/03/28 08:53
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この回答へのお礼

厳しい質問をしましたがとりあえず祈ることも大切だと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 08:55

愛は盲目ともいうからなぁ。


どうなんだろう?

その愛が地球を救ってくださいって祈ったら
地球から人類が消滅したりして
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この回答へのお礼

なるほどそれはいえてますね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 08:49

No.7です。

追記です。

スピンドリフトという、「祈り」の力を専門に研究している組織では、ライ麦や大豆を使って発芽率の実験した結果、
「祈ってもらう主体が厳しい状況に置かれている時ほど、祈りの効果は大きい(発芽率が増した)」
ことを証明したそうです。

これから、人以外にも「祈り」は効果があるようです。
また、重い症状ほど「祈り」の効果は大きくなるそうです。


>今まで祈りがどれほど地球に貢献したと思われますか?どれほど祈れば地球は救われるのでしょうか?

それは全くわかりません。

しかし、「祈り」という「念」は影響を与えるそうですから、
「地球が危ない」という「念」にとどまれば、悪影響が表れ、
「地球にとって最善の結果となるように」と前向きな「念」を持っていれば、好影響が期待されるのではないでしょうか?
また、地球が今、重症であるなら、「祈り」の効果は大きいようです。

もちろん、「祈る」以外に具体的な行動を起こすことの方が大事だとは思います。
その人がどこを救いたいのか。
何もできないと思っている人であっても、何かできるはずですね。
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この回答へのお礼

具体的な行動はもちろん、祈るにしても対象や方向性を明確にすべきでしょう。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 08:47

>成果が表れたかの判断基準をどこに置くのでしょうか?


これは何を目標としたか、人によるでしょう。
CO2何%削減とかね。
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この回答へのお礼

目的と目標を設定しなければ大きな効果は期待できませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 08:44

どの部分が危ないのかにもよりますが、愛を実践することは誰にでもできます。



例えば、
愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意志と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。
と飯田史彦氏は位置付けています。

そして、
愛は、能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「自ら踏み込む」ものである。愛は何よりも与えることであり、もらうものではない。
とフロムは語っているそうです。

ところで、
元カリフォルニア大学の心臓学教授であったランドルフ・ビルドは、サンフランシスコ総合病院で次のような実験を行ったそうです。

心臓治療ユニットに入院した393人の患者をコンピュータを使ってランダムに二つのグループに分けた。
A:「祈ってもらうグループ(192人)」、B:「祈ってもらわないグループ(201人)」
※振り分けは、臨床実験で用いられる厳密な基準を適用。また、患者本人にはもちろん、医師や看護師にもどの患者がどちらのグループかは知らせていない。

A群が祈ってもらった結果、
・A群はB群に比べて、抗生物質を必要とした患者が、5分の1の人数にとどまった(3人:18人)
・A群ではB群に比べて、心臓疾患により肺気腫になった患者が、3分の1の人数にとどまった(6人:18人)
・A群では、喉に人工気道を確保する気管内挿管を必要とする患者はいなかったが、B群では12人の患者が必要とした。
となったそうです。

また、祈った人達は、全国のカトリックとプロテスタントの教会の人達で、
「心」は、遠くの出来事に影響を及ぼすことができる、つまり「祈る」という行為は、
何百マイルも離れた心臓治療ユニットにいる患者の症状の経過に、大きな影響を及ぼすことが明らかになったそうです。
また、祈りに距離の相関性は発見できなかったそうです。

ですので、例えば、祈るだけでも誰かは救われるのではないでしょうか?

この回答への補足

祈りの効果はあるようです。今まで祈りがどれほど地球に貢献したと思われますか?どれほど祈れば地球は救われるのでしょうか?

補足日時:2009/03/28 05:55
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この回答へのお礼

(『愛するということ』 エーリッヒ・フロム)を読み返してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 05:58

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