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疑問があります。

なぜナチスは大戦中にユダヤ人を徹底的に迫害、虐殺するようなことをしたのでしょうか?総力戦のさなか、ユダヤ人を管理し、計画的に虐殺することはそれらに対する反抗も含めて大きな負担になったはずです。それなら例えば大戦中はアメリカの日系人部隊のように、ユダヤ人部隊なるものを作ってもよかったはずです。
ヒトラーの野望であるユダヤ人絶滅は、ヨーロッパを征服し、戦争に勝利するという本来のプランを達成した後で行えばよかったのではないでしょうか?
少なくとも戦争中はアメをちらつかせて、戦争に協力させるという手段もあると思います。

また、アインザックルッペンに代表される東部戦線のポーランド人やロシア人に対する大規模な虐殺も、大きな反抗を招いただけでしたし、そうなることも予想できなかったのでしょうか?

タブーに触れる話題かもしれませんが、率直に疑問に思いました。お願いします。

A 回答 (4件)

ヒトラーの政治目的が、全ヨーロッパにおける、ユダヤ人と共産主義者の根絶で、戦争はそのための手段だったようです。

ヒトラーは独ソ戦の当初、スラヴ人部隊の設立すら、国防軍に禁じていました(実際には100~300万人がドイツ軍に協力したらしい)から、ユダヤ人部隊はありえないでしょう。
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ナチスの行った民族大虐殺(ホロコースト)は今までの人間の創造をはるかに越える狂気で、多くのインテリゲンチアでもアウシュビッツ収容所の現実をみて初めて、実際に行われたことを知ったわけで、知った後でもこれが人間の犯したことと信じるまでに時間がかかったとのことです。


「ビルマの竪琴」を書いた哲学者 竹山道雄氏は沢山の調査・考察を遺しています。
 「人間について」新潮社
 「見て・感じて・考える」(新潮文庫)
 「ヨーロッパの旅」(新潮文庫)
多分、ドイツにはもっと悩んだインテリが沢山いて、沢山の調査・考察を加えているはずです。わたしを含め、質問者のような普通の思考方法では追いつかない肌が粟立つような人間の狂気でした。
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ご質問にキチンと回答すると一冊以上の本になってしまうので、断片だけ。



ナチのユダヤ人虐殺には非常に多くの背景と技術が存在します。
まずはなぜユダヤ人か。歴史的にはイエスを殺したユダヤ人とイエスのキリスト性を認めないこと、選民思想などが絡み合って、ユダヤ人に対しては差別が強く残っていました。それに加え、第一次大戦後のドイツでは、ユダヤ人=革命を起こして勝っていたドイツを敗残国にした元凶(体制崩壊、獏大な賠償金など)と位置づけられました。当時のドイツ社会において、大きな金融資本や出版社はユダヤ系であったこと、こうしたことからいわゆる頽廃文化と呼ばれたヴァイマル期の文化の元凶をユダヤ人に帰す動きもありました。その一方で、当時学問的にも生物学・遺伝学などが大きく発展し、これまで宗教的に意味付けられていたユダヤ人の脅威が、人種衛生学、人種学などを通じて科学的に証明された、と考える人が増えていきました。ヒトラー自身は大学を出ていませんが、ナチ党の首脳部に博士号を持つ人が多かったのには、こうした科学的な背景も影響しています。

こうした中ナチズムはドイツ民族の復興を掲げ、大国としてのドイツを目指したわけです。ドイツ民族の復興のためには、まず「人種力」を向上させる必要があります。ユダヤ人に限らず、アーリア系以外の人を大学や公職から追放し、ユダヤ人商店のボイコットが政権獲得直後から実施されていきました。1935年にはいわゆるニュルンベルク諸法が制定され、ユダヤ人との結婚・性交渉が禁止され、ユダヤ人の基本権が法的に剥奪されました。ここで基本権が剥奪されたことは、後の虐殺段階で大きな意味を持ってくることになります。

ただ、『わが闘争』にユダヤ人を不倶戴天の敵として記載したヒトラーも、この時点から最後の全面虐殺を具体的に計画していたわけではないようです。実際にはシオニストと協力して、ドイツからイスラエルへの移住は財産を残していく形で認められていましたし、推奨すらされていました。また、戦争勃発後最初に考えられていたのはホロコーストではなく、マダガスカル計画と呼ばれる大規模移住計画でした。ただ、ドイツ社会にユダヤ人が多数野放図に存在することはもはや許されず、ゲットー化ということでポーランド地域に大規模強制収容所を組織して、強制労働にあたらせていました。映画「シンドラーのリスト」でも見られるように安い人件費として当時の企業家の中にはユダヤ人を使うことで成功することを考えたのも多くありました。(実際にはVW、ダイムラー、IGファルベン(BASF、アグファ、ヘキスト、バイエルなどの巨大化学産業トラスト)などもこれらの強制労働力を利用)しかし、この段階でも労働力としてのユダヤ人の「性能」が合理的に判断され、労働力として使えない老人や子供は食い扶持を与える必要なしとして虐殺される、またはゲットーで見殺しにされることになりました。ポーランド地域に大規模強制収容所や絶滅収容所が設けられたのは、当時ユダヤ人人口の圧倒的多数がポーランドに住んでいたことに拠ります。しかし、ナチの強制収容所体制は小さな収容所も入れれば数千の単位でヨーロッパ中に広がっていました。

しかし、戦争の拡大と長期化によって戦線の維持が難しくなってくると、第一次大戦時のトラウマである「ユダヤ人の革命」が脳裏に浮かんできました。それだけは絶対に阻止しなければならないというのが、ヒトラーをはじめ多くのナチ首脳の考えでした。鉄道による輸送力の増大、排ガスを荷台に引き込むトラック、青酸ガスを利用した効率化が虐殺の規模とスピードを拡大させていきました。また、小さな規模で行なわれる虐殺には銃殺やシナゴーグに集めて放火するなどの手段も変わらずに採られました。こうした場合には、加担する兵士やアインザッツグルッペン、警察大隊の隊員たちも虐殺の平常化の中でノーマルなこととして、考えるようになっていったと心理学的に検証されています。また、ユダヤ人が法的に基本権を剥奪されていたことも、虐殺の正当化、合法化に拍車を掛けました。

ごく簡単に、こんなところでしょうか。
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No.2です。


「なんじらユダヤ人たちよ!
なんじらは悪魔の子であり、悪魔の欲望を遂行しようとしている。
なんじの父ははじめから人殺しである。いかなる真実ももっていない。つねに自発的に嘘をいう。彼は虚偽者であり、虚偽者の父である!」

 竹山道雄氏の「人間について」に紹介された新約聖書ヨハネ伝に記されたイエスの言葉です。
 こんなふうに堂々と書いてあれば、ホロコーストの必然も考えて不思議はありません。ヨーロッパの人々はホロコーストへの償いを示すと同時にユダヤ人との共生ができないとして、シオニズムへの妥協を図るためにイスラエル建設を進めていったのです。
 
 イエスの言葉を悪魔の拡大鏡にかければ、第一次世界大戦後のドイツの貧困の中でユダヤ人の迫害へ走る民族主義者ヒトラーが影響力をもって、ユダヤ人への憎しみを核にドイツ人をまとめ上げて行ったのです。ユダヤ人部隊を構成すること自体想像不可能なことです。
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