これ何て呼びますか Part2

ドイツでは1963年にアウシュヴィッツ裁判と言うナチスの犯罪行為を追究する裁判が開かれていますが、何故戦後20年も経ったこの時期に、このような裁判が開かれたのですか?

A 回答 (2件)

当然ながら理由は一つではありません。



・ナチス崩壊後、十数年を経てようやく当時の不法行為に対する、批判がドイツ国内でも行われるようになったこと。
・1961年にイスラエルで行われたアイヒマン裁判が東側の「西ドイツ悪魔化」の材料に利用されたこと。
(なおアイヒマン裁判にドイツ政府・司法は関与しておらず、当時ドイツで行われた世論調査でも過半数が「個人の犯罪であって自分たちには関係ない」と答えています)
このとき西ドイツの首相府長官を務め、事実上官僚のトップであったハンス・グロプケを東ドイツがアイヒマンになぞらえて批判し「裁判」で有罪を宣告(これについて西ドイツ政府は無視)するなどしていました。
・上記ともかぶりますが1950年代、西ドイツにおけるナチスの復権(例えばドイツ外務省発足時、職員の2/3が元ナチ党員)に対する批判が強かった事。
50年代後半には「血の裁判官」と呼ばれるキャンペーンが行われ、当時の西ドイツでは裁判官や検事など司法官僚に1000人を越える元ナチ(元党員または協力者)が含まれているとして、国際的にドイツ司法界への不信感が高まっています。

ただし65年に行われた世論調査でも過半数が「ナチス時代の犯罪の追求は終わりにすべきである」と述べるなど、特にナチス追求の世論が高まったと言うわけではありません。
また1960年に故殺罪などの時効が成立していたため、罪に問えるのは謀殺罪(計画的殺人)か謀殺幇助罪だけでしたが、既に20年を経て計画的殺人を立証することは困難を極めました。
結局のところアウシュビッツ裁判で裁かれたのはあくまでも現場の人間だけで「スケープゴートに過ぎない」との批判は当時からありました。
その批判に応える形で60年代後半には強制収容所にユダヤ人達を送り込んだ当時の官僚達を謀殺幇助罪で追求する動きが出ましたが、69年に「個人的動機に寄らない謀殺幇助罪の時効は15年とする」と法律が改正され、これらは全て「個人的動機がない」と言うことで時効成立により追求は打ち切られています。
(なお一部に「ナチス犯罪に時効はない」などと言われることがありますが、実際には謀殺罪の時効が無いだけで法律上ナチスとは関係なく、それ以外のナチス時代の犯罪は全て時効が成立しています)
これら一連の動きを見れば、アウシュビッツ裁判は冷戦後に行われた「ベルリンの壁越境者銃撃裁判」と同様「現場の人間をスケープゴートにしたもの」といえます。
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1960年以前、第二次世界大戦後すぐに始まった冷戦において


アメリカの敵はソ連となっており、西ドイツはアメリカの同盟国と
なっていました。この時流によりドイツの戦争犯罪を追及する事が
控えられていた事も長く裁判が途絶えていた原因となっています。

しかし60年代以降、西ドイツではナチス時代に対する克服・反省の
気運が高まっていました。これは同時期に、長らく逃亡を続けていた
ナチス高官のアドルフ・オットー・アイヒマンが拘束され、翌61年には
彼への裁判が行われた事が少なからず起因・影響をしているものと
思われます。

アウシュヴィッツ裁判では、ニュルンベルク裁判で行われなかった
ナチスに対する裁きを再燃させるもので、上にあげた世論の気運から
巻き起こったものとも考えられます。尚、同裁判においての判決では
「ナチス犯罪に対しては時効を認めない」 との結果が出ています。

戦争終結から十数年後にあたる61年にアイヒマンもその判決において
死刑を処されていますし、アウシュヴィッツ裁判の判決もまた、20年が
立って尚も戦争犯罪は許されるものではないという判断を突きつけて
いる形になっています。
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