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共産主義は一党独裁のようですが、どうしてでしょうか?

A 回答 (8件)

 “一党独裁”とかいうのを長年やっている社会は、共産主義でもなんでもないんじゃないでしょうか-----


 ほんとうの共産主義社会であれば、政治的な「党」なんかは、なくなっているんじゃないでしょうか-----
 資本主義社会を根底からくつがえす過程においては、「党」も必要でしょうが、資本主義社会転覆の革命に成功すれば、あとはいかにして「党」そして「軍隊」を消滅させていくか……それがだいじなのに、逆に、いかにして「党」そして「軍隊」を、特権階級として存続させ、肥大させるか-----そこにエネルギーをついやしたために、理想的な共産主義社会は遠い夢となったのでは-----
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 共産主義は、生産手段を国有化します。

また、それを推進するのが共産党であるので、国家と共産党は一体化します。したがって、国家の根源が共産党になってくるので、他の政党はそれを脅かす存在ということになり、その結果、一党独裁が共産主義にとってはごく自然な政治体制になるのです。
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「人類の歴史は階級闘争の歴史である」というのが共産主義の歴史観です。


資本主義社会においては、資本家階級と労働者階級が対立し,闘争することになっています。
この社会を倒して共産主義社会を樹立するためには、その過程において、労働者階級が
政治権力を掌握し、資本家階級に対立する政策を施行しなくてはなりません。これを
「プロレタリアート独裁」と言います。建前上は「階級」による独裁です。しかし、
何万・何千万という労働者階級の人々がすべて政治に携わるわけにもいきませんから、
この階級を代表して政治に携わる存在が必要になります。それが労働者階級の「前衛」
としての共産党です。かくして、階級による独裁は党による独裁となります。

理論的に言えばこんなところでしょうか。階級対立がすべてと考えてしまったために、
党と一般の労働者との対立が存在しうることが見えなくなってしまったんでしょうね。
(それ以前に、そもそも階級による独裁が正当なものなのかどうかという問題も
もちろんあります。)
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参考程度に



「自由と平等」は相矛盾する言葉ですね。
自由を追求すれば差別が生まれます。一方、平等を追求すれば当然自由は制約されます。
自由を追求するのが資本主義ですからいろいろな政党も出てくるわけです。
平等を追求したのが共産主義ですから政党も差があってはいけないので必然的に一つしかないのです。
自由国の日本では社会派、共産派と系列も分かれていますが真の共産国では許されませんね。
フランス革命で「自由と平等」が叫ばれましたが、この言葉は相反するんですね。その矛盾の言葉が一人歩きして200年たつと現在の世界があるんですね。言葉は良く考えないといけませんね。
参考程度に
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#3の回答に賛成ですが補足までに


プロレタリアート独裁を唱えたマルクスは資本家は獰猛な人でなしで、労働者は純粋な人格者だという極端なとらえ方をしています。
現在では、労働者が株を所有し同時に資本家であることは普通のことですし、資本と経営の分離が進み、経営者という労働者の一部がマルクス当時の資本家の役割を背負っています。共産主義になれば担当官僚がその役割を背負うことになります。
独裁を正当化すれば、その権力は大きくなるだけだという洞察力がマルクスに欠けていたのだと思われます。
労働者が権力を持てば共産党という労働者の党の一党しかいらないという考えは、極端な独占資本主義が進行していた帝国主義時代(植民地資本主義)の産物でしょう。
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あまり自信はありませんが。



マルクス主義の「唯物論」がかなり
影響を与えてるいるような気もします

唯物論のいうところの「共産主義」だけが
存在に値する、資本主義(や資本主義よりの主義)
は2ツ目の価値観に過ぎないから
唯物主義とは合い入れない
ということから
共産党以外のいかなる政党も認めることはできない

という論理なのではないでしょうか
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先ず、共産主義=一党独裁とマルクスがプロレタリアアートの独裁を


推奨した訳ではありません。(これは誤解してる人が多いんですよ)

マルクスが高校生の時から書いていた
作文などからしても福祉面を中心とした国際主義者だったことが分かります。

マルクスが標榜した国際社会主義=共産主義というのは元々、民主的な
ものなのです。「共産党宣言」における、人類の歴史は階級闘争の歴史で
ある。というのは余りにも有名なセリフですが、マルクスが労働者階級の
解放を考えるにあたり、権力を持った資本家階級から権力を一度、奪わざる
おえない。つまりプロレタリアート独裁はお金を主体とした、資本主義社会
から、脱皮して人間がヒューマニズムを取り戻す為に、一度は通らな
ければ行けない弊害としてマルクスは捉えております。

社会主義的ヒューマニズムという言葉はありますが、資本主義的ヒューマニズム
という言葉は存在しません。
(社会主義は善、資本主義は悪という定番フレーズもありましたね。
殆ど、死語と感じますが)

社会主義の理念は、最終的にはユートピアを目指したものなのです。
最終的には政府がなくなるんですよ。
どちらかというと、現在の欧州連合がマルクスの理念に叶っています。
マルクスの好んだ、革命、闘争を改良して社会民主主義は当方は
いいと思っております。マルクスのライバルのJ・Sミルのフェビアン
協会の流れも取り入れられてバランスがよくなっています。

共産主義の前段階の社会主義は労働に応じてそれ相応の分配を受けると
いう規制があります。(これが、自由と平等が相容れないと言われる点です)

しかし、共産主義になると、自分の能力に応じて労働して、取る時は取る。
という社会になります。
マルクスが提唱した共産主義の平等は個人の能力を配慮したものですから、
当然、自由も存在してるのです。

しかし、マルクスには落ち度がありました。
#5の方のご指摘通り、洞察力はありませんでした。

マルクスの先見の目がなかった点として挙げると。
●共産主義国家は資本主義国家から、人間が進歩して真の平等社会に
なることを想定したものの、実際にはいきなり資本主義に対抗すべき、
反体制のみで、経済力もないのに革命を起こして、名前だけの共産主義
国家を沢山作ってしまったこと。
その結果、共産主義国家は貧しい国が多く、国民は苦しい立場にならざる
おえない。
●プロレタリアート独裁は一時的なものというマルクスの予想も外れ
ました。共産主義という名の権力が一党独裁という形で、蔓延ることが
読めなかった。

それで、マルクスにフロイトを導入して研究した学者達の功労が目立ちます。

エーリッヒ・フロム(精神分析学者で、アメリカ社会党にいた)
ウィルヘルム・ライヒ(精神分析学者で、ドイツ共産党にいた)
など・・・マルクーゼも有名ですが、「自由からの逃走」がベストセラー
になってるエーリッヒ・フロムが特に先見の目があります。

マルクスの描いた国際社会主義というユートピアは、あくまで理想であり、
現実には難しいということです。

実際に真の社会主義国家も真の共産主義国家も存在した事実がありません。
どこの国も残念ながら名前だけです。
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 日本共産党と共産主義がイコールかは分かりませんが、日本共産党のホームページよりリンク。



 参考URLから左の一番下の「その他」→右の下から2、3行目「多数者革命の党とは?」「政権交代や複数政党制についての見解は」を見ると、説明されています。
「科学的社会主義の学説の基礎をすえたマルクスやエンゲルスは、民主主義がまだ未熟であった十九世紀のヨーロッパにあって、普通選挙権を実現する各国の運動を励まし、民主共和制の旗をかかげつづけました。」とのことです。

 個人的に思うのは、マルクスは、まず経済学者で、哲学者なので、社会学や政治学まで触れている文はあまり多くなく、誤解が生じやすいのではと思います。加えて当時(19世紀)は選挙権などひとにぎりの人しか持っていない時代背景だったことも考慮に入れた方がいいと思います。
 それから、『共産党宣言』は、演説を本にしただけなので、マルクス研究には不向きかと思います。

参考URL:http://www.jcp.or.jp/faq_box/index.html
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