
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
再びkimosabeです。
「反切(法)」というのは中国で行われていた漢字音を示す方法で、例えば、「凍」とい漢字の音を示したいときは、
多貢反 多貢切
といった形で注をつけます。反切上字「多」で頭子音を示し、反切下字「貢」が頭子音以外の部分つまり韻を示し、上下組み合わせて「凍」全体の音を知るという方法です。
この反切を日本化した漢字音にひきあてて理解するために五十音図が利用されたというわけです。具体的には、「多(タ)」の初めの仮名タと同じ行(縦の並び)にあって、しかも「貢(コウ)」の初めの仮名コと同じ段(横の並び)にある仮名トを求めます。そのトを「貢(コウ)」のコに置き換えれば、「凍」の音であるトウが得られるということです。
五十音図が、本来このような目的のために利用されたとすれば、
同じ子音を持つものが縦一列に並んでいて、同じ母音を持つものが横一列に並んでさえいれば十分だったはずです(追記=逆にいえば母音・子音の認識が無ければneil_2112さんのおっしゃる「五音」さえ成立しえないはずです)。だからこそ行の排列順序、段の排列順序は比較的自由だったのでしょう。
沖森卓也編「日本語史」によれば、アイウエオ順に段が固定するのが12世紀初めごろからであり、行のアカサタナハマヤラワ順は13世紀後半からやや多くなり、ほぼそれに固定するのは17世紀に入ってからとのことです。やはり梵字の一覧表である「悉曇章」の母音の排列、子音の排列に倣ったのでしょう。
なお、11世紀あたりから「オ」と「ヲ」は音声的な区別を失っていき、仮名遣いも混乱していきます。、それに伴って、鎌倉時代ごろから五十音図における「お」と「を」の入れ違いが起こったようですが、この誤りを正したのが富士谷成章(ふじたになりあきら、「あゆひ抄」1778年刊)、本居宣長(もとおりのりなが、「字音仮字用格〈じおんかなづかい〉」、1776年)です。
参考文献
「国語学研究事典」(明治書院)
古田東朔・築島裕著「国語学史」(東京大学出版会)
馬渕和夫・出雲朝子著「国語学史」(笠間書院)
田辺正男著「国語学史 三訂版」(おうふう)
沖森卓也編「日本語史」(おうふう)
沖森卓也編「資料日本語史」(おうふう)
福島邦道著「国語学要論」(笠間書院)
「日本語の歴史4」(平凡社、昭和39年、第2章「五十音図といろは歌の文化」)
追記
資料の成立年等は「国語学研究事典」の年表によるものです。
私は、五十音図の歴史の中で、明覚や契沖の果たした大きな役割を否定する気はまったくありません。しかし五十音図の歴史のどの段階をその起源とみるかという点が、neil_2112さんとは異なっているのですから話はかみ合わないでしょう。
ちなみに、馬渕和夫・出雲朝子著「国語学史」では、
明覚は、漢字音にも造詣が深く、漢字音研究の分野で行われていた仮名による反切の法と、悉曇の分野で行われていた音韻組織図を綜合して五十音図を作成し、
とありますが、「作成する」の意味がいささか曖昧であるように感じます。それ以外で五十音図の製作者が明覚であるとする文献は、少なくとも上に挙げた文献のなかには見られないようです。
明覚の残した各種音図も、
反音作法(1093) アカヤサタナラハマワ
同 カサタナラハマワヤ(「委音」に関する部分でアはなし)
梵字形音義(1098) アカサタナラハマワヤ
悉曇要訣(1101以降)アヤカサタナラハマワ
のように行の排列順序が必ずしも一定ではないことも付け加えておきましょう。もちろん明覚の学識を否定するつもりで付け加えるのではありません。むしろ反音作法は調音位置の移動に即して整然と並んでいると評してよいでしょう。
さらに、1075年の成立とされる寛智の「悉曇要集記」にあげてある、
アカサタナハマヤラワ 一韻
イキシチニヒミリヰ 一韻
ウクスツヌフムユル 一韻
オコソトノホモヨロ 一韻
エケセテネヘメレヱ 一韻
は、行と段が逆転してはいるものの、これもりっぱな五十音図でしょう。むしろ当時の音韻状況を反映している(イとヰ、エとヱが区別され、オとヲの区別が失われている)という意味では、こちらのほうが音節表としての純度は高いと思うのですが。
何回もありがとうございました。
質問者の予想をはるかに超えた展開になってしまい、少々驚いています。
こんなに深いものとは知りませんでした。
お忙しい中ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
批判ともとれるご回答がありますので、もう少し言葉を費やして#3の回答を補足しておきます。
私が明覚の音図を今の五十音図に通じる嚆矢とするのは理由があります。それ以前のものは漢字の発音を知るための手段として存在したのに対して、明覚のそれには「音声システム」という色彩が出てくるからなのです。
#4のご回答にある「孔雀経音義」の末尾に書かれたものは五十音の体系ではありませんし、「アイウエオ」すらなく、配列も「キコカケク」となっていて、五十音図の先例として素直に肯うことは困難です。
一方で最勝王経の釈義書のほうも、数こそ五十音ではあるものの、その配列はラ・ワ・ヤ、ア、マ・ナといった全く異なる順序です。これは母音や半母音、鼻子音といった音の特徴で分類されているためで、現行のものの考え方とは明らかに性格が異なります。
そもそも最勝王経音義は(孔雀経もそうですが)、複数の漢字に和訓をあてはめて“漢字の発音を知る”ために作られたものであってみれば、現行の五十音のように音声システムを踏まえたものではあり得ません。そうであればこそ、五十音でなく「五音」だったわけでしょう。
このあたりのことを、#3の回答の中では「密教経典の釈義書には~」と煩瑣を避けつつ記したつもりです。
これらの先例に対して、明覚の反音作法は、例えば神尾本で見ると明快に「アイウエオ」から始まり、なおかつ子音の配列にもサンスクリットの大家であったあとが歴然と伺え、違いが浮き彫りになってくるように思えます。
つまり、五十音というものを、単に文字の配列としてでなく、現行のように「母音+子音」という概念をはっきりと下敷きにした音表(システム図)として捉え、なおかつ「アイウエオ」で始まるなどの類似性を考慮すれば、不完全ながらその先鞭を、ひとまず明覚に求めることは不自然ではありません。
もちろん彼の五十音は完全なものとは言えないわけで、明覚のあと、兼朝や心蓮といった人材がこれを批判的に継承してさらに音図が精緻化されたことは付言しないといけないでしょう。このあたりも簡単に書いたつもりです。
いずれにせよ、私はこういう意味で、概念的な五十音図の嚆矢を明覚にひとまず求めたうえで、さらに現行のものが生まれた背景については、主役として契沖の存在と彼の悉曇学の知見を、さらに脇役として国学の勃興を見る、といった回答をしたつもりなのです。
別段批判する気もありませんが、#4の回答だけでは少し不親切で、“いかにして現行の五十音図が生まれたのか”という、恐らくこの質問の肝要な部分は宙ぶらりんのままのように思えます。
No.4
- 回答日時:
あまり細かな回答はいたしません。
大筋が分れば十分でしょう。五十音図は、「五音(ごいん)」などと呼ばれて、平安時代から存在します。しかし製作者を特定することはできません。
現存最古の五十音図は、「孔雀経音義(くじゃくきょうおんぎ、醍醐寺蔵)」という11世紀初めの資料に残されているものです。ただし、これはア行とナ行が欠けています。
完全な五十音図としては、「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ、1079年書写)という資料に収められているものが現存最古です。
明覚(みょうがく)の「反音作法」(1093年)は、五十音図を利用して漢字の音を知る方法を説明したものです。明覚を五十音図の発案者とするわけにはいきません。
初めの頃の五十音図は、現在のものと比べて、行や列の排列が違っていたり、オとヲが入れ違っていたりしていたようですが、江戸時代には現在のものと同じようになっていったようです。
五十音図が何のために作られたかについては、悉曇学(しったんがく、インドの古い文字の学問)からでたとか、日本語の音節体系を示すためとか、漢字音を知るためとか、諸説あります。これ以上の説明は、話が難しくなるだけですからやめます。
「日本語の歴史4」(平凡社、昭和39年)には、
結局、(五十)音図は、平安時代初期のある時期に、語学的な才能をそなえた学僧が、みずからの学習の経験をいかして、漢字音の反切(はんせつ)を日本語にひきあてて理解するための有効な手段としてつくりだしたものであろうというところにおちつきそうである。
とあります。
この回答への補足
ご丁寧な回答ありがとうございます。
その中でもうひとつだけ質問させてください。
>初めの頃の五十音図は、現在のものと比べて、行や列の排列が違っていたり、オとヲが入れ違っていたりしていたようですが、江戸時代には現在のものと同じようになっていったようです。
とありますが、現在の配列になったのにはやはり合理的な理由があってのことなのでしょうか?
No.3
- 回答日時:
いわゆる五十音図が初めて作られたのは平安時代後期のはなしです。
日本人はもともと子音と母音を分けて表記する術をもっていなかったのですが、十一世紀の終わり頃、明覚という仏教僧がこれを体系的に記述しました。中国では「反切」という母音と子音を分離する表記法があるそうで、明覚はこれに習って日本語の音の整理を試みたわけで、こういった音の配列のし方は「反音作法」と呼ばれます。
その配列の際に基礎とされたのが、#2のご回答にある「悉曇」です。悉曇(しったん、シッダマートリカー)は、母音12音(or16音)×子音33音(or35音)が調音時の舌の位置に従って規則的に配置されています。
母音はア・イ・イー・ウ・ウー・エイ・オウといった順番で、日本語の音を抜き出せば「アイウエオ」となります。また子音のほうはおよそ、カ・ガ・チャ・ジャ・タ・ダ・ナ・ハ・バ・マ・ヤ・ラ・ヴァ・シャ・サという順番です。ここから濁音などを除けば、割とわが国の現行の順序と近いことがわかるでしょう。
これをもとに整理された明覚の五十音は、後に何人かの手直しを受けたのですが、母音の順序は「アイウエオ」で現行と同じになっています。また、子音の方は「ア・カ・ヤ・サ・タ・ナ・ラ・マ・ワ」という配列になっています。平安時代には「は」が「パ」、「さ」が「チャ」と発音されたそうですから、そのような音の違いを踏まえたうえで、自然と思われる配列がとられたようです。
平安時代にはこの他にも、密教経典の釈義書の写本に子音を破裂音や摩擦音といった特徴で分類した五十音図が記されたものがあります。つまりこの頃、音の体系化が散発的に起こっていたようで、このあたりが五十音図の草分けということになりそうです。ただ、この頃は五十音でなく「五音(ごいん)」と言われており、配列にも定型がなく、字の並び順が一定したものとはなっていません。
江戸時代になって、真言宗の僧侶で国学者でもあった契沖(けいちゅう)が、元禄の頃に現行の五十音図にあたる新たな音図を作りました。彼の師の浄厳(じょうごん)が悉曇学で名の知られた大家であったので、彼から学んだ悉曇の知識をベースに、契沖は国学者として自ら研究した音図の先例を『和字正濫抄』という書物のなかで独自の五十音図にまとめ直したのです。「五十音図」という名前が用いられたのもここが初出とされます。
契沖の五十音図は、当然悉曇の配列が踏襲されたものです。ただ、上に書いた悉曇通りの配列であればサ行が最後に来るのが自然なのですが、そうはなっていません。これは、古来わが国では「さ」を「チャ」と発音していたために、悉曇がもたらされた時に「チャ(ca、cha)」の音に「サ(左、嗟)」をあてて使用していた歴史があるためです。江戸時代には既に現在のように「さ」を「サ」と発音していたのですが、この歴史に引っ張られて悉曇の「チャ」の位置に「さ」がもぐりこんだ格好になってしまっているわけです。
この“契沖五十音整備説”には実は異論も多少あるのは事実です。しかし、五十音という言い方が一般に広くなされ始めるのが契沖にやや遅れる19世紀初頭の頃からです。契沖のすぐ後に賀茂真淵や本居宣長らが、五十音をいわゆる「五十ノ音(いつらのこへ)」などとして宣揚し、その体系を言霊思想の中核つまり神国日本の根本原理と位置づけ始めたことなどを見ると、やはり契沖が大きなインパクトを持っていたことだけは否定できないと思います。
まとめると、平安時代に音を母音と子音の組み合わせで体系づける五十音の概念が生まれ、江戸時代にそれが発展して現在の姿になった、ということになります。
No.2
- 回答日時:
起源に諸説あり、誰が作ったかというのは、分かりません。中国を経由して仏典などと共に、サンスクリット原典が渡来すると、一緒に、「悉曇(しつたん)」が8世紀頃、渡来しました。悉曇とは、サンスクリット語の文字表で、母音12字と子音35字で構成されています。
平安時代に、このサンスクリット文字表に着想を得て、日本語の文字を母音列と子音行に分けて並べて表にする試みがあったようです。カタカナで表記したとされます。まさに「音の表」で、意味のある「いろは歌」とは違っています。
上山春平は、以下のURLの対談で、江戸時代に五十音表が整えられたと述べていますが、何故江戸時代かは不明です。ただ、サンスクリット語の音声学の影響で、日本語の音の整理が試みられたのは事実のようです。
(日本語の単語が持つ高低アクセントは、16世紀頃のポルトガル人が作成した日本語辞典にも載っていたと思いますが、もっと古くからアクセントやイントネーションの記録があります。これは、中国語が高低アクセントを持っているので、仏教僧で、中国語を読むことができた人は、当然、日本語の高低アクセント構造も理解し、意味区別の指標として重要であることを自覚していたからです)。
中国語の音の一覧表は、かなり複雑になり、母音と子音に分けるのが困難ですので、やはり、サンスクリット音表(悉曇)の影響で、徐々に表にされて行き、現在のような形には、江戸時代になったのだということだと思えます。
参考2の「五十音表の起源はインドにある」という文章では、サンスクリット音表が起源であるとは認めても、定着は明治時代だと述べています。やはり、江戸時代に現在の形になったのだとも思えます。
なお、「アイウエオ」の順序は、サンスクリット語悉曇に準拠しており、「カサタナハマヤラワ」も同様なようです。参考URL2に、そのことについて触れられています。「カチャタナハマ|ヤラワ」が悉曇での子音のようだったようです。
>参考1:上山春平:対談シリーズ 第2回
>http://tiger.bun.kyoto-u.ac.jp/letter/006/ueyama …
>参考2:《インド・オブザーバー(類別編) 》【世相】
>http://ishiishimr.hp.infoseek.co.jp/life.html
参考URL:http://tiger.bun.kyoto-u.ac.jp/letter/006/ueyama.html,http://ishiishimr.hp.infoseek.co.jp/life.html
早速のご回答ありがとうございました。
そのように歴史のあるものとは知りませんでした。
てっきり「いろは」より後からのものとばかり思っていました。
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