【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

 今まで何気なく当たり前と思っていた50音表なのですが、最近4歳の子供が「あいえうおかき・・・」と始め出したので気になってきました。
 
 あれは一体いつ頃、誰が発案したのもなのでしょうか?

「色は匂へど散りぬるを・・・」のように意味のある配列とも思えませんし、「あいうえお」が「いえおうあ」でないのにはやはり理由があるのでしょうか?同じく「あかさたな」も「あはまたさ」ではいけなかったのでしょうか?

 どうかよろしくお願いいたします。
 

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

再びkimosabeです。




「反切(法)」というのは中国で行われていた漢字音を示す方法で、例えば、「凍」とい漢字の音を示したいときは、
  多貢反  多貢切
といった形で注をつけます。反切上字「多」で頭子音を示し、反切下字「貢」が頭子音以外の部分つまり韻を示し、上下組み合わせて「凍」全体の音を知るという方法です。

この反切を日本化した漢字音にひきあてて理解するために五十音図が利用されたというわけです。具体的には、「多(タ)」の初めの仮名タと同じ行(縦の並び)にあって、しかも「貢(コウ)」の初めの仮名コと同じ段(横の並び)にある仮名トを求めます。そのトを「貢(コウ)」のコに置き換えれば、「凍」の音であるトウが得られるということです。

五十音図が、本来このような目的のために利用されたとすれば、
同じ子音を持つものが縦一列に並んでいて、同じ母音を持つものが横一列に並んでさえいれば十分だったはずです(追記=逆にいえば母音・子音の認識が無ければneil_2112さんのおっしゃる「五音」さえ成立しえないはずです)。だからこそ行の排列順序、段の排列順序は比較的自由だったのでしょう。

沖森卓也編「日本語史」によれば、アイウエオ順に段が固定するのが12世紀初めごろからであり、行のアカサタナハマヤラワ順は13世紀後半からやや多くなり、ほぼそれに固定するのは17世紀に入ってからとのことです。やはり梵字の一覧表である「悉曇章」の母音の排列、子音の排列に倣ったのでしょう。

なお、11世紀あたりから「オ」と「ヲ」は音声的な区別を失っていき、仮名遣いも混乱していきます。、それに伴って、鎌倉時代ごろから五十音図における「お」と「を」の入れ違いが起こったようですが、この誤りを正したのが富士谷成章(ふじたになりあきら、「あゆひ抄」1778年刊)、本居宣長(もとおりのりなが、「字音仮字用格〈じおんかなづかい〉」、1776年)です。

参考文献
「国語学研究事典」(明治書院)
古田東朔・築島裕著「国語学史」(東京大学出版会)
馬渕和夫・出雲朝子著「国語学史」(笠間書院)
田辺正男著「国語学史 三訂版」(おうふう)
沖森卓也編「日本語史」(おうふう)
沖森卓也編「資料日本語史」(おうふう)
福島邦道著「国語学要論」(笠間書院)
「日本語の歴史4」(平凡社、昭和39年、第2章「五十音図といろは歌の文化」)

追記

資料の成立年等は「国語学研究事典」の年表によるものです。

私は、五十音図の歴史の中で、明覚や契沖の果たした大きな役割を否定する気はまったくありません。しかし五十音図の歴史のどの段階をその起源とみるかという点が、neil_2112さんとは異なっているのですから話はかみ合わないでしょう。

ちなみに、馬渕和夫・出雲朝子著「国語学史」では、

明覚は、漢字音にも造詣が深く、漢字音研究の分野で行われていた仮名による反切の法と、悉曇の分野で行われていた音韻組織図を綜合して五十音図を作成し、

とありますが、「作成する」の意味がいささか曖昧であるように感じます。それ以外で五十音図の製作者が明覚であるとする文献は、少なくとも上に挙げた文献のなかには見られないようです。

明覚の残した各種音図も、
 反音作法(1093)  アカヤサタナラハマワ
 同         カサタナラハマワヤ(「委音」に関する部分でアはなし)
 梵字形音義(1098) アカサタナラハマワヤ
 悉曇要訣(1101以降)アヤカサタナラハマワ
のように行の排列順序が必ずしも一定ではないことも付け加えておきましょう。もちろん明覚の学識を否定するつもりで付け加えるのではありません。むしろ反音作法は調音位置の移動に即して整然と並んでいると評してよいでしょう。

さらに、1075年の成立とされる寛智の「悉曇要集記」にあげてある、
 アカサタナハマヤラワ 一韻
 イキシチニヒミリヰ  一韻
 ウクスツヌフムユル  一韻
 オコソトノホモヨロ  一韻
 エケセテネヘメレヱ  一韻
は、行と段が逆転してはいるものの、これもりっぱな五十音図でしょう。むしろ当時の音韻状況を反映している(イとヰ、エとヱが区別され、オとヲの区別が失われている)という意味では、こちらのほうが音節表としての純度は高いと思うのですが。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

何回もありがとうございました。
質問者の予想をはるかに超えた展開になってしまい、少々驚いています。
こんなに深いものとは知りませんでした。
お忙しい中ありがとうございました。

 

お礼日時:2003/03/16 16:23

批判ともとれるご回答がありますので、もう少し言葉を費やして#3の回答を補足しておきます。



私が明覚の音図を今の五十音図に通じる嚆矢とするのは理由があります。それ以前のものは漢字の発音を知るための手段として存在したのに対して、明覚のそれには「音声システム」という色彩が出てくるからなのです。

#4のご回答にある「孔雀経音義」の末尾に書かれたものは五十音の体系ではありませんし、「アイウエオ」すらなく、配列も「キコカケク」となっていて、五十音図の先例として素直に肯うことは困難です。

一方で最勝王経の釈義書のほうも、数こそ五十音ではあるものの、その配列はラ・ワ・ヤ、ア、マ・ナといった全く異なる順序です。これは母音や半母音、鼻子音といった音の特徴で分類されているためで、現行のものの考え方とは明らかに性格が異なります。
そもそも最勝王経音義は(孔雀経もそうですが)、複数の漢字に和訓をあてはめて“漢字の発音を知る”ために作られたものであってみれば、現行の五十音のように音声システムを踏まえたものではあり得ません。そうであればこそ、五十音でなく「五音」だったわけでしょう。
このあたりのことを、#3の回答の中では「密教経典の釈義書には~」と煩瑣を避けつつ記したつもりです。

これらの先例に対して、明覚の反音作法は、例えば神尾本で見ると明快に「アイウエオ」から始まり、なおかつ子音の配列にもサンスクリットの大家であったあとが歴然と伺え、違いが浮き彫りになってくるように思えます。
つまり、五十音というものを、単に文字の配列としてでなく、現行のように「母音+子音」という概念をはっきりと下敷きにした音表(システム図)として捉え、なおかつ「アイウエオ」で始まるなどの類似性を考慮すれば、不完全ながらその先鞭を、ひとまず明覚に求めることは不自然ではありません。

もちろん彼の五十音は完全なものとは言えないわけで、明覚のあと、兼朝や心蓮といった人材がこれを批判的に継承してさらに音図が精緻化されたことは付言しないといけないでしょう。このあたりも簡単に書いたつもりです。

いずれにせよ、私はこういう意味で、概念的な五十音図の嚆矢を明覚にひとまず求めたうえで、さらに現行のものが生まれた背景については、主役として契沖の存在と彼の悉曇学の知見を、さらに脇役として国学の勃興を見る、といった回答をしたつもりなのです。

別段批判する気もありませんが、#4の回答だけでは少し不親切で、“いかにして現行の五十音図が生まれたのか”という、恐らくこの質問の肝要な部分は宙ぶらりんのままのように思えます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

さらなるご回答ありがとうございました。
かゆい所に手が届いてきました。

お礼日時:2003/03/11 06:22

あまり細かな回答はいたしません。

大筋が分れば十分でしょう。

五十音図は、「五音(ごいん)」などと呼ばれて、平安時代から存在します。しかし製作者を特定することはできません。

現存最古の五十音図は、「孔雀経音義(くじゃくきょうおんぎ、醍醐寺蔵)」という11世紀初めの資料に残されているものです。ただし、これはア行とナ行が欠けています。

完全な五十音図としては、「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ、1079年書写)という資料に収められているものが現存最古です。

明覚(みょうがく)の「反音作法」(1093年)は、五十音図を利用して漢字の音を知る方法を説明したものです。明覚を五十音図の発案者とするわけにはいきません。

初めの頃の五十音図は、現在のものと比べて、行や列の排列が違っていたり、オとヲが入れ違っていたりしていたようですが、江戸時代には現在のものと同じようになっていったようです。

五十音図が何のために作られたかについては、悉曇学(しったんがく、インドの古い文字の学問)からでたとか、日本語の音節体系を示すためとか、漢字音を知るためとか、諸説あります。これ以上の説明は、話が難しくなるだけですからやめます。

「日本語の歴史4」(平凡社、昭和39年)には、

結局、(五十)音図は、平安時代初期のある時期に、語学的な才能をそなえた学僧が、みずからの学習の経験をいかして、漢字音の反切(はんせつ)を日本語にひきあてて理解するための有効な手段としてつくりだしたものであろうというところにおちつきそうである。

とあります。

この回答への補足

ご丁寧な回答ありがとうございます。
その中でもうひとつだけ質問させてください。

>初めの頃の五十音図は、現在のものと比べて、行や列の排列が違っていたり、オとヲが入れ違っていたりしていたようですが、江戸時代には現在のものと同じようになっていったようです。

とありますが、現在の配列になったのにはやはり合理的な理由があってのことなのでしょうか?

補足日時:2003/03/10 12:11
    • good
    • 0

いわゆる五十音図が初めて作られたのは平安時代後期のはなしです。

日本人はもともと子音と母音を分けて表記する術をもっていなかったのですが、十一世紀の終わり頃、明覚という仏教僧がこれを体系的に記述しました。
中国では「反切」という母音と子音を分離する表記法があるそうで、明覚はこれに習って日本語の音の整理を試みたわけで、こういった音の配列のし方は「反音作法」と呼ばれます。

その配列の際に基礎とされたのが、#2のご回答にある「悉曇」です。悉曇(しったん、シッダマートリカー)は、母音12音(or16音)×子音33音(or35音)が調音時の舌の位置に従って規則的に配置されています。
母音はア・イ・イー・ウ・ウー・エイ・オウといった順番で、日本語の音を抜き出せば「アイウエオ」となります。また子音のほうはおよそ、カ・ガ・チャ・ジャ・タ・ダ・ナ・ハ・バ・マ・ヤ・ラ・ヴァ・シャ・サという順番です。ここから濁音などを除けば、割とわが国の現行の順序と近いことがわかるでしょう。

これをもとに整理された明覚の五十音は、後に何人かの手直しを受けたのですが、母音の順序は「アイウエオ」で現行と同じになっています。また、子音の方は「ア・カ・ヤ・サ・タ・ナ・ラ・マ・ワ」という配列になっています。平安時代には「は」が「パ」、「さ」が「チャ」と発音されたそうですから、そのような音の違いを踏まえたうえで、自然と思われる配列がとられたようです。

平安時代にはこの他にも、密教経典の釈義書の写本に子音を破裂音や摩擦音といった特徴で分類した五十音図が記されたものがあります。つまりこの頃、音の体系化が散発的に起こっていたようで、このあたりが五十音図の草分けということになりそうです。ただ、この頃は五十音でなく「五音(ごいん)」と言われており、配列にも定型がなく、字の並び順が一定したものとはなっていません。

江戸時代になって、真言宗の僧侶で国学者でもあった契沖(けいちゅう)が、元禄の頃に現行の五十音図にあたる新たな音図を作りました。彼の師の浄厳(じょうごん)が悉曇学で名の知られた大家であったので、彼から学んだ悉曇の知識をベースに、契沖は国学者として自ら研究した音図の先例を『和字正濫抄』という書物のなかで独自の五十音図にまとめ直したのです。「五十音図」という名前が用いられたのもここが初出とされます。

契沖の五十音図は、当然悉曇の配列が踏襲されたものです。ただ、上に書いた悉曇通りの配列であればサ行が最後に来るのが自然なのですが、そうはなっていません。これは、古来わが国では「さ」を「チャ」と発音していたために、悉曇がもたらされた時に「チャ(ca、cha)」の音に「サ(左、嗟)」をあてて使用していた歴史があるためです。江戸時代には既に現在のように「さ」を「サ」と発音していたのですが、この歴史に引っ張られて悉曇の「チャ」の位置に「さ」がもぐりこんだ格好になってしまっているわけです。

この“契沖五十音整備説”には実は異論も多少あるのは事実です。しかし、五十音という言い方が一般に広くなされ始めるのが契沖にやや遅れる19世紀初頭の頃からです。契沖のすぐ後に賀茂真淵や本居宣長らが、五十音をいわゆる「五十ノ音(いつらのこへ)」などとして宣揚し、その体系を言霊思想の中核つまり神国日本の根本原理と位置づけ始めたことなどを見ると、やはり契沖が大きなインパクトを持っていたことだけは否定できないと思います。

まとめると、平安時代に音を母音と子音の組み合わせで体系づける五十音の概念が生まれ、江戸時代にそれが発展して現在の姿になった、ということになります。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

詳しいご説明ありがとうございました。
先人の叡智の結晶だったのですね。
大変勉強になりました。

お礼日時:2003/03/10 12:24

 


起源に諸説あり、誰が作ったかというのは、分かりません。中国を経由して仏典などと共に、サンスクリット原典が渡来すると、一緒に、「悉曇(しつたん)」が8世紀頃、渡来しました。悉曇とは、サンスクリット語の文字表で、母音12字と子音35字で構成されています。

平安時代に、このサンスクリット文字表に着想を得て、日本語の文字を母音列と子音行に分けて並べて表にする試みがあったようです。カタカナで表記したとされます。まさに「音の表」で、意味のある「いろは歌」とは違っています。

上山春平は、以下のURLの対談で、江戸時代に五十音表が整えられたと述べていますが、何故江戸時代かは不明です。ただ、サンスクリット語の音声学の影響で、日本語の音の整理が試みられたのは事実のようです。

(日本語の単語が持つ高低アクセントは、16世紀頃のポルトガル人が作成した日本語辞典にも載っていたと思いますが、もっと古くからアクセントやイントネーションの記録があります。これは、中国語が高低アクセントを持っているので、仏教僧で、中国語を読むことができた人は、当然、日本語の高低アクセント構造も理解し、意味区別の指標として重要であることを自覚していたからです)。

中国語の音の一覧表は、かなり複雑になり、母音と子音に分けるのが困難ですので、やはり、サンスクリット音表(悉曇)の影響で、徐々に表にされて行き、現在のような形には、江戸時代になったのだということだと思えます。

参考2の「五十音表の起源はインドにある」という文章では、サンスクリット音表が起源であるとは認めても、定着は明治時代だと述べています。やはり、江戸時代に現在の形になったのだとも思えます。

なお、「アイウエオ」の順序は、サンスクリット語悉曇に準拠しており、「カサタナハマヤラワ」も同様なようです。参考URL2に、そのことについて触れられています。「カチャタナハマ|ヤラワ」が悉曇での子音のようだったようです。

>参考1:上山春平:対談シリーズ 第2回
http://tiger.bun.kyoto-u.ac.jp/letter/006/ueyama …

>参考2:《インド・オブザーバー(類別編) 》【世相】
http://ishiishimr.hp.infoseek.co.jp/life.html
 

参考URL:http://tiger.bun.kyoto-u.ac.jp/letter/006/ueyama.html,http://ishiishimr.hp.infoseek.co.jp/life.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
そのように歴史のあるものとは知りませんでした。
てっきり「いろは」より後からのものとばかり思っていました。

お礼日時:2003/03/10 12:19

聞きかじりですが、奈良時代かそこらで坊さんが文字を勉強するのに使ったそうです。



いろは歌も諸説あるようですが、柿本人麻呂が作ったという説もあります。あめつちの歌というのもあったそうです。

順番については分かりません。送り仮名の活用もこの順番で語られますが、江戸時代の国語研究をした賀茂真淵による研究もこの順番だったと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/10 12:16

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q五十音表が作られた由来

どういう過程で五十音表が作られたのでしょうか?
例えば『た』『な』『ら』行は舌が上顎を打ちます。
『ま』行は上下の唇を一度合わせます。
『か』行は舌の付け根と上顎を利用します。
こういう特徴をとらえて作られたと思うのですがこのいきさつ等を教えてください。
また、むかし『や』行の『え』は『ゑ』が用いられていたはずなのにどうしてなくなったのでしょうか?
なお本の紹介はダメです。外国にいるもので。

Aベストアンサー

 
これは、検索をしてみると、おそらく簡単に出てくるのですが、以前、同様の質問がありました。わたしも回答しましたが、どうもよく分からないところ、最終的に、国語の専門家が登場して、かなり詳細な(というか厳密な)起源と展開の説明があります。参考URLがその質疑です。

起源は、サンスクリット語の文字表である「悉曇(しつたん)」が日本に平安時代に渡来したのがきっかけです。そこから、どういう風に現在のような五十音図になったかは、参考URLの質疑の回答で述べられています。

わたしの回答でも書いたのですが、飛鳥・奈良時代あたりから、日本の教養人は中国語に親しんでおり、「四声」の存在から、高低アクセントの知識とか、促音・拗音、子音と母音の区別などは、かなり詳しく知っていたのです。室町から戦国時代にかけて日本語辞書が造られましたが、そこには当時のアクセント位置が表記されています。

なお、「音素」というものと、実際の発音の音はまた別のものです。「音素」というのは、日本語であれば、「音」は、「子音+母音」で基本的に造られており、この場合の「子音」としては、「s,k,t,n,h,m,y,r,w,N」があるというようなことです。

音素としての[s]とか[t]は、日本語の「音韻組織」の統辞論的な構造を示していて、例えば、saとsiでは、これを西欧人が聞くと、saの場合の子音[s]と、siの場合の子音[s]は、「異なる子音」だと判定します。実際の音からは、確かに違う訳ですが、日本語では、「子音+i」の発音のとき、子音の発音に、後続する[i]が影響を与えるという規則があるので、音素としては、[s]は西欧語の「s」子音とは違う音価を持つのです。

[N]は、日本語では、唯一の単独子音音素で、「ん」のことですが、これは、[N](これは、わたしが、[n]と区別してこう書いているだけです)の単一音素で、後続する子音の種類によって、確かに、西欧語などの知識を元にすれば、大きく、三種類の子音になるのですが、(つまり、「インド」の「ん」と、「しんぱい(心配)」の「ん」と、「しんがい(侵害)」の「ん」は、違う音なのですが)、日本語の音素としては、[N]一つなのです。

何故、「あいうえお・かさたなはまやらわ」の配列かなどは、参考URLを見てください。(西欧のアルファベットとは、独立して成立したものです)。

なお、「や行」は、五十音図が造られた頃にはすでに、「やいゆえよ」で、「yi,ye」の音は当時の日本語にはなかったはずで、「わ行」は、「わゐうゑを」で、「ゐ」と「ゑ」は、現在、ほとんど使われなくなっただけです。「を」も、多くの日本人は、「お」と発音しています(意識すれば、「を wo」は発音できます。「ゐ wi」「ゑ we」もそうです)。

>No.493211 質問:50音表は いつ頃・誰の 発案でしょうか?
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=493211
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=493211

 
これは、検索をしてみると、おそらく簡単に出てくるのですが、以前、同様の質問がありました。わたしも回答しましたが、どうもよく分からないところ、最終的に、国語の専門家が登場して、かなり詳細な(というか厳密な)起源と展開の説明があります。参考URLがその質疑です。

起源は、サンスクリット語の文字表である「悉曇(しつたん)」が日本に平安時代に渡来したのがきっかけです。そこから、どういう風に現在のような五十音図になったかは、参考URLの質疑の回答で述べられています。

わたし...続きを読む

Q五十音順は誰がいつ制定

あいうえおの五十音順ですが、
江戸時代の宝暦年間の本にでてきておどろきました。
五十音順は誰がいつ制定したものでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

僕の考えですが五十音順が確立するには少なくとも4つの過程があったと思います。

1。漢字から仮名へ。
    万葉仮名(=漢字)の奈良時代から、仮名書きの平安時代へと移る過程で、仮名を全部一度だけ使うと言う副産物が出来ます。例は「あめつちの歌」「太為爾(たいに)の歌」「いろは歌」など。

2。頭の子音と、残りの母音とに分ける
    「か」は、 k という子音と、a という母音に分けられる訳です。平安中期の醍醐寺本『孔雀経音義』には「キコカケク」「シソサセス」とあり、これで同じ子音の音節を、母音の同じ順序に並べたことで、中国音韻学の「反切」の影響が見られ、明覚(1056-1101)が書いた本に『反音作法』というのがあるのでも分かります。

3。アカサタナの横の順
    これはサンスクリットの喉の奥から前に進むと言う子音の順、次に流音(ラ行)や半母音(ヤ行とワ行)の順に従っています。

4。アイウエオの縦の順
     これもアイウの三大母音を前に、グナ(エ音)ブルディ(オ音)を後に、というサンスクリットの順にしたがっています。

     高野山の心蓮(?-1181は『悉曇口伝』『悉曇相伝』などという悉曇学(=サンスクリット学)の著書で知られ、多分3と4の順序を決めるのに一役買ったと思われます。

    このように見て参りますと今日の五十音図は12世紀の終わりには出来上がっていたのではないかと思います。

僕の考えですが五十音順が確立するには少なくとも4つの過程があったと思います。

1。漢字から仮名へ。
    万葉仮名(=漢字)の奈良時代から、仮名書きの平安時代へと移る過程で、仮名を全部一度だけ使うと言う副産物が出来ます。例は「あめつちの歌」「太為爾(たいに)の歌」「いろは歌」など。

2。頭の子音と、残りの母音とに分ける
    「か」は、 k という子音と、a という母音に分けられる訳です。平安中期の醍醐寺本『孔雀経音義』には「キコカケク」「シソサセス」とあり、これで同じ子音...続きを読む

Qあいうえおの順番はどうして?

標記を発音してみると、口の開きからは、あ え い う おの順に小さくなります。
なぜ、あいうえおの順なんでしょう?
あわせて、「あかさたな」の順番はどうして決まったんでしょう?
一部、外れた音もありますが、これは発音の差がなくなった(発音できない)と判りますが。

Aベストアンサー

    五十音図は梵語の順になっています。
    http://www.geocities.co.jp/collegeLife-Labo/6084/50onzu.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88

1。「あいうえお」の順

    悉曇学では「あ」が基本で、前の「い」と後ろの「う」で、母音の三角形が生まれます。「あいう」はいわば主要3母音の位置づけです。それに高い「いう」と低い「あ」との中間にある、前の「え」と後ろの「お」が加わったものです。

2.  「あかさたな」の順

   これは悉曇学の順で口の奥(例えば k)から唇(例えば p)に向けた子音の順で各調音点では(k、kh、g、gh、ŋ)のように無気無声音、有気無声音、無気有声音、有気有声音、鼻音、の順で並んでいます。以上の閉鎖音に続き、流音(らりるれろ)、半母音ヤ行にワ行の順です。
   日本語に無いものを飛ばすと「あかさたな」の順になります。

    
   以上の順序に外れたものは「ハ行点呼音」など、日本語内での変化によるものがほとんどです。
    下記などもご覧ください
     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3

    五十音図は梵語の順になっています。
    http://www.geocities.co.jp/collegeLife-Labo/6084/50onzu.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88

1。「あいうえお」の順

    悉曇学では「あ」が基本で、前の「い」と後ろの「う」で、母音の三角形が生まれます。「あいう」はいわば主要3母音の位置づけです。それに高い「いう」と低い「あ」との中間にある、前の「え」と後ろの「お」が加わったものです。

2.  「あかさたな」...続きを読む

Qいろはにほへと・・・の意味を教えて

「いろはにほへと・・・あさきゆめみしえいもせす」
にはきっと意味があると思うのですが。
何を詠っている不明なので教えて下さい。

Aベストアンサー

昔は学校で習ったり、本を読んだりして「知っていて当たり前」だった「いろは」です。(ちなみに私は60代)

「色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせす」

これは、48文字すべての仮名を一度だけ使って詠んだ歌で、これには感心しますよね・・・

意味は「すべてのものは一瞬光り輝くが やがては散ってしまう 私が住むこの世界もいつまでもあると誰が言い切れるだろうか いろいろある世間を今日も越えて行く 浅くはかない夢を見まい それに酔いしれもしまい」
と言う事ではないでしょうか・・・

人生を達観した人の歌だと思います。
我流です。他の人の解説も参考にして私も改めて勉強したいと思います。
 

Qひらがな50音って

ひらがなって、数えてみると46字しかありませんよね。
なぜ「50音」って言うんでしょう?
子供に聞かれて答えられずに困っています。
教えてください。

Aベストアンサー

あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬなの
はひふへほ
まみむめも
やゆよ
らりるれろ
わをん
で46文字ですね
ほかに
特殊な
WI=ゐ
WE=ゑ
ぷらす
YI=い
YE=え
WU=う
がはいって51音になります
そこから

をひいて
50音です



50音には入らないんですよ

Q日本語にはなぜ「漢字、平仮名、カタカナ」があるのですか

大学の授業の発表で、「日本語にはなぜ『漢字、平仮名、カタカナ』があるのか」という疑問を調べていますが、漢字、平仮名、カタカナの歴史はわかりました。
でも、なぜ今もその漢字などがなぜ使われているのかという疑問が浮かんできました。英語やその他の外国語が日本に入ってきたのに、なぜ、今も漢字、平仮名、カタカナが使われているんでしょうか。しかも、なぜ日本語には、漢字、平仮名、カタカナの3種類が今でも存在しているのでしょうか。よかったら参考文献も教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず、漢字については、中国の影響を受けて一番はじめに伝わったものとされる。その後、日本国内で独自の発展を遂げ、漢字と漢字の組み合わせにより、例えば、「峠」(とうげ)のような文字も付けられるようになった。
カタカナについては、諸説あるが、仏教の法典を訳すために、付すために使われることが多かった。当然仏教関係と言うことで、男性が使うことが多く「男言葉」と呼ばれていた。
ひらがなについては、平安時代女性貴族が、使い始め、「女言葉」あるいは「やまとことば」と呼ばれた。それが、紀貫之により、日記文に男性でも使うようになってきたのである。
と言う3つの主な流れがあり、漢字だけでは、微妙な表現が伝わらない事があるために、日本語と漢字はイコールでないため、また、漢字で表現することが大変難しいため、庶民には、ひらかなやかたかなが、江戸時代前期まで、通用した。(←表音なので、簡単単!!)
そのような流れの中で、漢字は(意味と音)かなは、漢字と漢字をつなぐ役割で使われるのである。
明治中期までは、カタカナ主流だったのが、現代仮名遣いの、樋口一葉らによって、現在の形に近くなり、
もとの、仏典を訳すために使われたことより、海外のものを訳す時には、カタカナを付すようになった。

と言う大まかな流れがあります。

※「日本文学史」の参考書と「日本教育史」でも見てみてはどうでしょうか?

まず、漢字については、中国の影響を受けて一番はじめに伝わったものとされる。その後、日本国内で独自の発展を遂げ、漢字と漢字の組み合わせにより、例えば、「峠」(とうげ)のような文字も付けられるようになった。
カタカナについては、諸説あるが、仏教の法典を訳すために、付すために使われることが多かった。当然仏教関係と言うことで、男性が使うことが多く「男言葉」と呼ばれていた。
ひらがなについては、平安時代女性貴族が、使い始め、「女言葉」あるいは「やまとことば」と呼ばれた。それが、紀貫...続きを読む

Qお米1合はご飯何グラムですか?

お米1合(150g)は炊きあがり後の「ご飯」になった時は大体何グラムでしょうか?
また、炊飯ジャーなどで、容量6L等とありますが、このリットルはどの状態の事を差すのでしょうか?(米?ご飯?、容積?)

Aベストアンサー

一合150gのたきあがりは約300gです。ちなみにお茶碗一杯150gおにぎり一個100gすし一貫20gカレー一人前300g弁当一個220gが標準です。

Q何故アエイオウでなくアイウエオなのですか

              何故アエイオウでなくアイウエオなのですか

 外国人とくにアジア人はアイウエオをアエイオウと発音する。なぜかと聞くとアエイオウが正しいという。なぜ正しいのか。昔から。そんなものか。そんなものだ。何か理由があるはずだ。

 考えてみればアエイオウのほうが発音しやすい。母音調和からしてアはイエと調和するがウオとは調和しない。オはウと調和するがイエとは調和しない。実際に発音すると口の移動距離がわかる。調和するのは短く、不調は長い。東京特許許可局が発音しづらいのは toukyou tokkyo kyoka kyokuと促音が連続することののほかにオからアへの下顎の移動が難しいからであろう。

母音調和の観点からすれば、確かにアエイオウのほうが発音しやすい。これを50音順にすべきでないか。文部省は国民の利便性を考えろ、文部大臣の答弁を求める。

とくに幼児期ではアエイオウのほうがはるかに優しい。小学校で習ったアイウエオは何であったか。何故にアイウエオの順なのか。合理的理由は見当たらない。これは調べてみる必要がある。

以上の次第で調べてみましたがこれというものは見当たりませんでしたのでどなたか合理的理由を教えてください。

【参考】

ちなみに50音図は、日本語の音韻構造を明確にするために、漢字の反切表(漢字の音韻を研究するための表)や、悉曇学(しったんがく、梵語つまりサンスクリット語を研究する学問)の音韻表を参考にして、カタカナの選定とほぼ同時に作られたものと思われます。 この50音図とカタカナを作る段階で、音韻の研究から濁音と半濁音を「゛」と「゜」で表す、日本独特の表記法が発明されたのではないでしょうか。 したがって50音図はカタカナで書くのが本来で、「いろは歌」はひらがなで書くのが本来でした。http://www.snap-tck.com/room04/c01/nihon/nihon04.html

 アイウエオの縦の順
これもアイウの三大母音を前に、グナ(エ音)ブルディ(オ音)を後に、というサンスクリットの順にしたがっています。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7194674.html

仮名を表に並べるには、行と段(列)の二つの自由な要素がある。段を「あいうえお」と並べる必然性は特になく、「いえうおあ」でも「うおあえい」でもいいわけである。列にも同じことがいえる。実際、過去の文献の中には五十音を現在とは全く異なる配列に並べたものも見出される。現在の配列になったのは室町時代以後である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3

              何故アエイオウでなくアイウエオなのですか

 外国人とくにアジア人はアイウエオをアエイオウと発音する。なぜかと聞くとアエイオウが正しいという。なぜ正しいのか。昔から。そんなものか。そんなものだ。何か理由があるはずだ。

 考えてみればアエイオウのほうが発音しやすい。母音調和からしてアはイエと調和するがウオとは調和しない。オはウと調和するがイエとは調和しない。実際に発音すると口の移動距離がわかる。調和するのは短く、不調は長い。東京特許許可局が発音しづ...続きを読む

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88
によれば、
日本語の五十音図の配列は、日本語のほうが子音の種類がずっと少ないという点を除けば、サンスクリットの伝統的な音韻表の配列にそっくり倣って作られたものである。
とあります。

日本語の特異性(多言語を素早く取り入れることができる)には興味があり、研究してきたのですが、中でも読み応えがあったのは、新潮新書の「日本語の奇跡」(山口謡司著)です。続編となる「ん」も。
http://www.shinchosha.co.jp/book/610244/
http://pinhukuro.exblog.jp/12305806
そこにも、サンスクリット語が五十音配列の基盤となっていると書かれていましたが、実際に五十音図を作ったのは、平安末期の明覚と記されています。サンスクリット語には、日本語にない母音がありますが、明覚はそれを排除して、仮名を並べた。明覚の配列では、子音の順番は違ったが、母音の並びはサンスクリット語の通りである。その解釈でよろしいのでは。

という私は、詩吟をやっていますが(べんせい~しゅくしゅく~)、発声練習では、「あ~え~い~お~う~ん~」としています。詩吟を始めて、口の形、舌の使い方などが大事ということを認識させられました。「ア」の口をちょっと変形させて「エ」、また変形させて「イ」、「オ」、「ウ」…。
日本の小学校などでは、発音の教育をしませんものね。発音の教育が普及すれば、アイウエオはアエイオウにすべきだ、などという論議も上がってくるかも。

とにかく、日本語というものは、多言語の借り物で成り立っていると言えます。漢字にしても、仮名にしても、外来語にしても、あいうえおにしても。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88
によれば、
日本語の五十音図の配列は、日本語のほうが子音の種類がずっと少ないという点を除けば、サンスクリットの伝統的な音韻表の配列にそっくり倣って作られたものである。
とあります。

日本語の特異性(多言語を素早く取り入れることができる)には興味があり、研究してきたのですが、中でも読み応えがあったのは、新潮新書の「日本語の奇跡」(山口謡司著)です。続編となる「ん」も。
http://www.shinch...続きを読む

Q古文の五十音図について

古文の五十音図の( )に当てはまる仮名を、歴史的仮名遣いでひらがなで書きたいのですが、これであってるでしょうか?
ア行・あいうえお
ヤ行・や(ゐ)ゆ(ゑ)よ
ワ行・わ(ゐ)う(ゑ)(お)
回答お願いしますm(__)m

Aベストアンサー

こんにちは、疑問はつきませんね。

さてご質問の件ですが、学校の宿題ですか?

ア行はOKです
ヤ行は や い ゆ え よ  です。
ワ行は わ ゐ う ゑ を  となります

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む


人気Q&Aランキング