アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 他スレで盛り上がっていたのですが、本筋とそれるので別スレを立てます。
 教師は、完璧でないといけないのでしょうか。他スレで、完璧であることが当たり前という意見を目にしました。教育のプロなんだから、当たり前と。ぐうの音も出ません・・・。またその方は、教師は医者と同じく完璧を求められるものとおっしゃっていました。
 ここで疑問です。なぜ、教師と医者は同列に扱われるのでしょう?私はとっても不思議に思います。聖職だからでしょうか?私は教師と医者は比較対象にならないと考えています。
(1)医者のミス=医療ミス=患者の生死に関わる=許されない。では、教員のミスは?
 医者のミスというとき、それは医療ミスを想定している場合が多いと思います。では、教師のミスはどんな種類のミスを指しているのでしょう。医療ミスが許されないのは、患者の命に関わるからですよね。では教師のミスが許されないのは、なぜなのですか?
(2)医者には長い研修医期間があるけれど、教師にはない
 医療ミスはあってはならないことだからこそ、医者には研修医期間が設けられています。けど、教師には研修期間などありません。せいぜい初任者研修くらいです。医者と同等にミスが許されない教師なら、研修医期間に相当する時間がほしいです。
(3)なぜ会社員とは比較されないのか?
 給料をもらっているプロという点では、会社員も同じです。一般企業の新人は、失敗は日常茶飯事でしょう。失敗を繰り返し、上司に叱られ、一人前になっていくのでしょう。教員にそれは許されないのでしょうか。給料をもらっている人は、みな一様にプロとは言えないのですか?

 私は小学校の教員です。4年目です。失敗の連続で、学級経営もうまくいってません。間違えて子どもを叱ることもあるし、授業だってへたくそです。教師たるものこんなことではいけないとわかっていますが、現在の自分は力不足で、情けないですが子どもと共に成長していくしかないと思っています。今の子供たちに申し訳なくて、学校に行くのが億劫です。でも担任である私が逃げるわけにはいきません。今の私のままで向き合うしかないと思っています。
 保護者は温かく見守ってくださる方、平気で子どもに私の悪口を言う方、いろいろです。子どもは親御さんの言うことは絶対ですから、親御さんが悪口をいう担任への信頼は薄れます。それでますます学級経営がうまくいかないという悪循環です。憤りを感じますが、そもそも私の力不足が要因ですから仕方がないのかなとも思います。

 教師も医者と同じくミスが許されないのなら、ミスが許されながらも修行ができる期間がほしいです。残念ながら今のシステムでは、教師にはその修行期間は保障されいません。
 教師は完璧ではありません。失敗することだってあります。もちろん、失敗していいとは思いません。自分を磨く真摯な姿勢は忘れてはいけません。けど、ネットで「教師は完璧であるのが当たり前」という書き込みを見ると、暗い気持ちになります。教師は完璧ではありません。悩み、子どもを傷つけ傷つけ合い、そうして人間くさい教育ができるのではないかと思っています。

 こんな思いは、私の甘えなんでしょうか?みなさんは、どうお考えでしょうか?興味を持たれた方の回答をお待ちしています。厳しい意見も覚悟しています。よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

4月から中学1年生になる一人娘の父親です。



娘が4年生の時の担任が、再三に渡る注意をしていたにも拘らず、クラスの生徒の心を踏みにじる行為を繰り返した為に、管理職および市町村さらには都道府県の教育委員会とも相談し、その担任を他校に転任させた経緯があります。

教師が完璧である事は不可能です。
ですが、完璧を目指して日々精進して行こうとの努力はしていただきたいと思います。
教師が教える事の中には、ミスしたり失敗した際の責任の取り方も含まれて居ると思いますよ。
子供が失敗した時に反省させるとの一緒で、教師が失敗した際には誠意をもって子供に詫びるべきです。

日本を代表する家電トップメーカーや自動車トップメーカーであっても、商品から不具合品は必ず発生します。
それらの会社がトップメーカーで居られる原因は、不具合品の発生比率の低減や、問題が発生した際の適切な対処を徹底されているからです。

そもそも、子供の躾の最高責任者は親です。
教師に完璧を求める親ならば、その親自身が完璧でなければなりません。
現実には、完璧を求める親の殆どが、「貴方はそれでも親なんですか?」と言いたくなる様な親でしょう。

質問者さんは未だ4年目の教員さんとの事ですので、確かにまだまだ力をつける必要はあると思います。
保護者の意見を聞く事も大切ですが、決して振り回されないで下さい。
保護者の相手をするのも大切ですが、貴方が真剣になって相手をしなければならないのは生徒達です。
生徒達には正直で居続けていてください。

教師として、色々と悩む事は大切な事です。
ですが、もしかしたら貴方以上に悩んで居る生徒がクラスに居るかもしれませんよ。
明日学校に行かれたら、クラス全員の目を見て、その事を確認してあげて下さいね。

子ども達に「○○先生は、時どき失敗もするけど、何でも話せる先生なんだ!」と言われる教師が一番良い教師だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。この4年間でもいろいろなことがありました。
私の不用意な言葉で子どもを傷つけてしまったこともあります。今でも、私は大小さまざまな失敗をくり返しています。

回答者さんがおっしゃっていること、何度も繰り返し先輩の先生方に言われてきました。けど、やはり今でも保護者の意見に振り回されることもあるし、子どもの気持ちが見えなくなってしまうことがあります。

>もしかたしたら貴方以上に悩んで居る生徒がクラスに居るかもしれませんよ。

まったくその通りだと思います。明日の朝、いつもよりじっくり子どもたちの顔を見たいと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/18 01:42

 「教師は完璧であるのが当たり前」と思っているヒトがいるというだけの話でしょう。


 単に、その人が間違っているに過ぎません。

 ま、「百日の説法屁一つ」という言葉があるくらいに、教えられる立場の人間は教える立場の者のあらを探すのが好きなんです。要するに、ヒトは基本的に生意気で我侭で嫉妬深く高みに居るものを引きずり落とすことが好きなのだということは、知っておくべきでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

厳しい意見ですね。
今、クラスの子どもたちは反抗期にさしかかっていることもあって、昨年よりも指導が難しくなってきました。
「成長してきた証拠だなぁ」なんてのんびり構えるようにしているのですが、なかなかしんどい毎日でもあります。
ひとつの意見として受けとめさせていただきます。ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/18 01:45

学校の先生の仕事ほど、ミスかどうかが曖昧である仕事も少ないと思いますがどうでしょうか?


お医者さんや会社員と比較しているようですが、両方とも仕事上のミスは、患者さんの容態や営業成績に現れますよね。

先生の場合は、例えば、間違って生徒を叱ったとしても、その時点で抗議されはしますが、だからといってそれが後々生徒の将来にどう響いたか、なんてほとんどわかりません。
なんかお医者さんや会社員と比べることからして違和感があるのですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに・・・そうですね。教師の仕事って、ミスがはっきりわかるときもあるし、わからないときもある。達成感が感じられるときもあるし、卒業して何年もしてから子どもが自分の成長を感じるときもある。自分のミスが反面教師で役に立つこともある。なんとも不思議な仕事だと思います。だからこそ苦労もするけどそこが教職の魅力なのかな、なんて生意気ですが思います。

>お医者さんや会社員と比べることからして違和感があるのですが。

私も違和感を感じていたのですが、考えるとよくわからなくなってしまって質問してみました。他のスレで「医者と同じく教員は完璧を求められる」という意見を見て、「医者と教員は別のものでは?そう思うのは間違っているのか?医者と教員が同じ土俵で語れるのなら、会社員はどうなのだろう。同じではないと思うけど・・・その理由は何だろう」と疑問に感じました。私と同じく違和感を感じる方がいらして、安心しました。

お礼日時:2009/05/18 01:58

accchibuさんは世の中をなめているというか、誤解していると思う。


accchibuさんが楽だと思って馬鹿にしている最低限の職業にだって許されない失敗はあります。
トラックの運ちゃんが「人間失敗くらいするじゃん、失敗から学んで成長するものじゃん」って考えてたらどうですか?とんでもないでしょ?
もしも本当にそんな風に思ってるんだったら、あなたにふさわしい職業はコンビニのバイトですよ。コンビニだって許せない失敗ってあると思うけど。

教師の場合、失敗が社会責任につながることもあるし、人様の子供が相手だから責任も大きい。
何気ない不用意な言葉や手を抜いた仕事が、子供を取り返しがつかないくらい傷つけて、殺すかもしれない。
しかも、#3さんがおっしゃるように、すぐにその効果が出るわけじゃないから、その教師のせいだとしても、表に出ることもない。
医者と同じくらい責任が重いといっても言い過ぎじゃない。
当たり前じゃないですか。

そんなことも気がつかない人が教師になっているなんて、本当、困ったものだと思う。
(1)(2)は私も同感です。
そうすれば、accchibuさんが教師の現状を良く知らないで間違って教師になってしまうこともなかったかもしれないですね。
国は教師をこれ以上過保護にするのを止め、ペーパーテストだけで昨日までの普通の人を教師にするのを止めて欲しいと思う。
なるべきではない人を審査するまっとうな基準がこの国にはないから、保護者は教師に批判的にならざるを得ないでしょうが。
問題が発覚しなければ問題教師かどうか分からないのが現状なんだから。
報道もモンスターペアレントとか面白い言葉を作って煽ってる暇があったら、問題にきちんと向き合って欲しいと思う。

この回答への補足

私は、教師が特別な仕事だと思っていません。どの仕事も苦労は同じだと考えています。私がいつ、どの職業を「楽だと思って馬鹿にした」のでしょう。私の文章がそんな誤解をうけるものだったのかと驚いて何度も読み返しましたが、どの部分から回答者さんがそのように読み取ったのかわかりませんでした。また、たったこれだけの文章で私が「教師の現状を良く知らないで教師になってしま」ったと断定されたことも驚きました。
他人を批判するときには、もう少し具体的に順序立てて意見を述べてくださると、水かけ論にならずにすむと思います。
申し訳ないですが、回答者さんの答えではまったく参考にならないです。

補足日時:2009/05/18 01:59
    • good
    • 0

 先生は、本当に大変だと思います。

子供とは言え、自分とは違う人間を多数相手にして、的確に判断しないといけないのは、神業に近いと思いますし、辛いだろうと思います。
 なお、私は、専門家でも親でもありません。

1.多くの場合、子供の生命や精神を健全に維持できなかった場合だと思います。ミスが許されないのは、子供の将来に影響するからでしょう。医師は、患者の体(精神科なら精神もありますが)が無事ならそれで良い。教師は、精神的な指導も委ねられているのが現状では。
 もっとも、中学受験希望者が増えた現在、学力面の圧力もあるのかもしれませんね。

2.教育学部在学期間4年は、一種の研修期間だと考えます(医学部等医療職を除けば、数少ない単一の専門職養成学部です)。教育実習などは、その最たるものでしょう。
 教員採用試験の競争率等や、教員を希望しても教員になれない人の存在を考えますと、これ以上研修期間を増やすのは、希望者に過酷だと考えます。
 質問者様のイメージと合うかどうかは不明ですが、研修の試みをしている教育委員会も存在します(参考URL参照)。試みは理解できますが、個人的には、教員希望者にとり、あまりにも過酷だと思います。

3.医師もそうですが、免許を持つ職業はプロとみなされます。失礼ながら、比較対象が間違っていると考えます。自動車の運転免許でも、罰則に反すると明確な罰があります。

 素人の私が書いても助けにはならないでしょうが、自らの力を率直に評価し、改善の試みをしている質問者様を応援しています。保護者の中にも、私と同じ考えの方もいるはずです。月並で申し訳ありませんが、頑張ってください。

参考URL:http://www.kyouiku.city.suginami.tokyo.jp/teache …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。大変参考になりました。
子どもたちを前にすると、いかに世の中にはいろいろな考え方をする人間がいるのだろうと驚きます。また自分がいかに狭い見識しか持っていなかったのだろうとも反省します。

残念ながら、私が卒業した教育大学で学んだ内容のうち、現在役に立っているものはほとんどありません。今となっては何を学んでいたのか思い出せないことがほとんどです。きっと他の教育大学でも同じでしょう(こんなことここで書くとまた批判がたくさんありそうですが、それが現状です)。私は教育実習に行って、自信を失いました。たったの5週間子供たちに向き合った程度では、何も学べず、また自分の未熟さを認識しただけでした。大学卒業後、自分なりに自分を成長させようといろいろ模索しましたが、教職についた今、その期間も役に立っているのかどうかもよくわかりません。もっと早くに現場に入って勉強すべきだったのかもと自己嫌悪に陥ることもあります。

あと10年、がむしゃらにがんばってみようと思います。回答者さんがおっしゃる通り、私は教員免許をとったプロでした。給料ではないですね。まったくその通りでした。見失っていました。教えてくださって、ありがとうございます。
教育のプロとして恥ずかしくないよう、研究と修養を重ねていきたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/18 02:27

(1)教師のミスが許されないのは、なぜなのですか?


 「許されない」という立場の方にとっては、教師は心の医者という側面があるからでしょう。

(2)医者には長い研修医期間があるけれど、教師にはない
 医療行為は、大変複雑であるけれど、教育行為に比べてマニュアル化がある程度できるという面があるでしょう。
 仕事そのものの中で教育力量を上げていくというスタイル自体は理由があるものと思います。
 問題は、仕事の中で研修するというスタイルに見合う「ゆとり」がほとんどないという職場環境です。
 日本では、先進国で類を見ない多数の児童を相手にしています。政治的思惑が優先した学習指導要領を押しつけられています。その上に、「トラブルは全部教師の個人的責任」という教育行政のスタンスがあったのでは、新人教師でなくても、失敗も織り込み済みで指導力を向上させるということにはならないのが当然です。
 むしろ、現代日本の学校現場は、教師の手弁当による自主研修に支えられて、かろうじて破綻を免れているという状態なのではないかと思います。

(3)なぜ会社員とは比較されないのか?
 「モノ」相手でなく「人間」相手だから、修理したり買い直したりできないと考えられるからでしょう。


人間にはミスはつきものです。
それが重大な事態につながらないようにするために、組織があり、システムがあるのです。

医療現場でも、少ないスタッフで無理をさせられる病院では医療ミスが起きています。
逆に、教育現場でも、自治体独自で職員を補い、学年部や生徒指導委員会などのシステムが有効に機能している学校では、大きなトラブルは少なく、小さなトラブルそのものを教育の場面にすることができています。

教育行政のねらっている学校の姿は、「校長の強力なリーダーシップのもと、スーパーマン教員が働いて、政府の意図した人材だけを育てる」だと思いますが、それはあまりにも無理のある方針なのです。

そうした口車に一部マスコミが追随して、「ダメ教師がいっぱい」というキャンペーンを続けています。
それを闇雲に信じてしまう保護者が多ければ、学校との協力関係は崩れ、結局子どもにとっては不幸なことです。

不信感をもたれても仕方がないような教員は確かにいます。
それは率直に認める必要がありますが、それも「真の協力関係」をつくるためであることを、教師も保護者も忘れてはならないと思うのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教育行政には、憤りを感じることがあります。あのころころ方針が変わる指導要領は何とかならないものでしょうか。現場がやっと方向性を見出せたと思ったころにまた改訂です。10年ごとにあんなに内容が変わっては、何が良くて何が悪かったか検証することさえできないのではないでしょうか。教育の歴史を学ぶとこんなに指導方針が変わるようになったのは、ゆとり教育が打ち出された20年前からのように思います。

私は保護者の対応が苦手です。あちらが年齢が上の分、意見を言っても負けてしまうからです。私がもっと堂々と保護者と渡り合えるようにならないと「真の協力関係」をつくるのは難しいだろうと思うので、なんとかしたいのですが・・・うまくいかないものです。
冷静な回答、目が覚める思いでした。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/18 02:53

「医師同様、教師も完璧でなければ」


という一見もっともらしく、その実、
粗雑な意見に振り回されるところが、
いかにも新米教師のようで、
そこがはたから見ていて危なっかしい。
べつに難しく考えなくてもいいのでは。
医師がそろってみんな完璧なら、
日本列島「名医師」で溢れかえってるし、
片や教職歴30年、片や教職についたばかりを
おなじ土俵に上げてあれこれいうのも、
酷であり雑である。
新米教師に「教師だろう。完璧にやれよ」と
難癖つけられたってねえ。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ねちっこい性格なんですかね(汗)。小さなことにくよくよと悩んでしまうこともよくあります。
最近、いろいろと考えるところがあって、すごく気になったのです。
いろいろと考えさせてくれる仕事があって、辛いけど幸せだなぁと思います。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/21 23:48

教師は生徒に対しては完璧で有るべきでしょう。



私は技術系の会社員ですが、お客様に対しては完璧だと思っています。
(思っているだけかも知れません)

医者は患者に対して等、全てに対して完璧には出来ないと思われます。

だって人間ですもの最低なになにに対しては完璧と言えれば(思えれば)良いのではないでしょうか

気負わずに頑張って下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
気負いすぎですね。
数年後、何て青いことを言っているんだろうと恥ずかしくなるのかもしれませんね。
学校の先輩先生にも言われます。「考えすぎない」と。
頑張ります。

お礼日時:2009/05/21 23:50

あの先生、甘いんじゃありませんか?


理想ばっかりで現実に指導がままならなく、自分を卑下する事で、こんな所で擁護回答にばかり求めている自分を、オカシイと気付きませんか?
(教師を医師や会社員と比べている事が、このご質問をただの「愚痴」としか思えません)
あのね、「逆く」ですよ。
先生を好きか嫌いか、これは児童が決めることです。
子供が先生を「嫌い」と言ってしまえば、親は先生の指導を注意深く観察するほかありません。
「何故家の子は嫌いになったのか」これが知りたい分けです。
その裏には、親として、担任は(若かろうが)全ての児童に公平であると親は信じているからです。
「失敗したら」児童に謝って下さい。
「指導が間違っていない」と思えたならば、児童を叱ってもらって結構です。
集団で共通意識を学べるのは、今は学校しか無いんです。
先生と言うのは、これは子どもにとって、親より絶対な立場なのです。

先生は児童傷つけては絶対なりません。「真摯」等と言葉遊びされていますが、人間臭いを勘違いされてます。
いいですか、児童を傷つけ傷つけあうと言うのを、例え「いじめ」を例えているにしても、これだけは双方認められませんよ。

児童の良い所を褒めて下さい。
親が褒めるのは当たり前ですが、先生に褒められるとそれ以上の努力が出来るのです。
親の知らない良いところを発掘して下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

耳が痛いです。

>児童の良い所を褒めて下さい。
>親が褒めるのは当たり前ですが、先生に褒められるとそれ以上の努力が出来るのです。
>親の知らない良いところを発掘して下さい。

わかりました。

お礼日時:2009/05/21 23:12

該当するスレッドで回答した者です。


ただし「完璧であることが当たり前と」書いた者ではありません。

医者のミスは、場合によっては、取り返しがつきません。
教員のミスも、場合によっては、取り返しがつきません。
そのことが「完璧であることが当たり前と」書いた回答者の方の真意ではなかったのかと思います。

生徒の心に深い傷を付けてしまう、その傷は外からは見えない、一生治らない傷かもしれない、そういう危険と隣り合わせの職業だということでしょう。

質問者のかたが小学校の教員と名乗っておられるので、私も申し遅れましたが、個人塾の者です。
おそらくどのような職業にせよ、完璧さは求められると思います。不完全な部分を許してくださるのは相手の方です。私の場合でいえば、生徒たちであり保護者の方々です。

でも学校の先生と大きく違う点があります。生徒も保護者も、塾を選べます。学校の先生は選ぶことができません。嫌になったら塾を辞めることができます。別の塾に行くこともできます。
学校が嫌になったら転校でしょうか?不登校でしょうか?原則として、代わりとなるものがありません。

学校そのものが嫌になることはあまりなくて、先生が嫌になることが多いのではと推測します。

たとえば、いじめを受けても先生が適切に対応してくれなかったとか。
問題のカテのように、ある生徒が物を盗まれたので保護者が先生に手紙で訴えたら、先生が「お前の不注意のせいでお母さんに責められることになった」とみんなの前で言ったとのことです。これ、仮に冗談でも言ってはいけないことでしょう。笑いをとるつもりだったのでしょうか。それにしては、他の生徒の反応が悪いですよね。

自分から、人間は不完全だから許して、というのは甘いのではと思います。許す許さないは、繰り返しますが、生徒であり保護者です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。該当スレッドからどなたか回答にいらしてくれるのではないかと思っていたので、嬉しいです。

回答者の方の言葉、納得です。
場合によっては取り返しのつかないミスにつながる、その通りだと思います。私は「教師と医師に完璧が求められるのは当たり前=どんなミスも許されない」と受けとめられて、非常にショックだったのです。

仕事をする以上、「不完全だから許して」は甘え以外なにものでもないでしょう。けど、その一方で、保護者の方の話だけで「ああ、それはダメ教師だね」と判断される方の声を目にすると、非常に悲しいものがあります。このような方が保護者になるのかと思うと、重い気持ちになります。

この質問をして、たくさんの方の意見を聞き、そのような方ばかりではないと知って正直ほっとしました。

学校は逃げ場がありません。逃げ場がないからこそ、教師は子どもたちを笑顔で帰す最大限の努力をしなければなりません。最近はその難しさに触れ、学校に向かう足が重くなるときがありますが、やっぱり教室で子どもたちの笑顔を見るとふきとんでしまいます。子どもたちは弱いし、強い。すごいけど、危なっかしい。そのギャップが教育に携わる仕事の魅力なのだと最近はつくづく感じています。

お礼日時:2009/05/22 00:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!