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著名な識者の文章やブログを引用して回答する人を見かけます。最近も内田樹さんの引用を見ましたが、回答内容とずれているというか次元が違うものでした。わざと我田引水してるんでしょうか? 識者の文章をきちんと読めてないのに、なぜ引用するんでしょうか? 引用しても質問者はどうせきちんと読まないだろうとか思っているんでしょうか? すると知的な質問者には回答しないということになるんでしょうか? ずれた内容を堂々と引用できる人の気持ちがわかりません。

A 回答 (3件)

著名人の文章を引用して自分の意見を補強しようというのは、その著名人の「著名さ」に寄りかかり、少しでも自分の意見や考えに「箔」をつけたいと思うからでしょうね。

自前では売るものがないので他所から盗んでくる。

こういうのを「俗物根性」と云います。

虎の威をかる狐、とも。

知的スノッブはそれこそ星の数ほどいるので、ゴキブリ以上の繁殖力と生命力(すなわち虚栄心)で、知的なレベルに「ピンからキリまで」ある限りいなくなることはありません。(どこかに「スノッブホイホイ」売ってませんか?)

で、スノッブにも「高級」と「凡庸」と「ゴミ以下」というレベル分けがありまして、絵に描いたような一知半解ぶりで見ている方が恥ずかしくなるくらいの「恥知らず」でもご当人は「鼻高々」という無残さも珍しくありません。

普通は自然の摂理でこういった素っ頓狂は「淘汰」されていきますが、「バカにつける薬はない」というように「死ななきゃ治らない」ご仁も多々いるような。ゾンビのように死んでも死んでも湧いてでてきます。

「ゴミ以下」のスノッブに「君はゴミ以下だよ」と教えてあげても、「バカ」に「何で君はバカなの」と訊くようなもので、何一つ実りがありません。

>ずれた内容を堂々と引用できる人の気持ちがわかりません。

分かる必要はないでしょうね。たとえ分かったから、「じゃどうなの」で終わるのがオチ。

余程の暇人でない限りこういう場合はネットジャーゴンにいう「スルー」するというのが「作法にあったマナー」ということになるでしょう。
質問者さんがエネルギーが有り余りなおかつこういった「ゴミ掃除」を志願されるならとことん「バカ」に「バカである理由」を段階を踏んで教えてあげるのもいいでしょう。もっとも限りある資源を有効に使わなくてはいけない昨今の常識からすると、そういったエネルギーは「もったいない」と思いますが。
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この回答へのお礼

「俗物根性」「虚栄心」「恥知らず」「鼻高々」「死ななきゃ治らないご仁」「ゴミ以下のスノップ」ですか。過激なようですが納得しました。一種の身勝手であり自意識のあらわれなのでしょうね。ですがもうひとつ何か不思議な感じなのですが、うまく言えません。ずれていない引用をすれば何の不思議もないわけです。なんのためにずれた引用しているのかというところが顕示欲だけではないような。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/21 20:27

No1の方の指摘するような「箔を付けたい」という場合もあるでしょうが、大部分は「きちんと読めていないから」あるいは「読めているつもりだから」だと思いますよ。


本人はそれで回答に即した引用をしているつもりで、ずれた内容であることに気づいていないのでは。
わざわざずらしているのではないと思いますが、それだけでは納得できないのでしょうか。

回答とずれていることをわかっていて、なお「箔がつくじゃん!」と考えているとしたら相当の馬鹿ですね。
私もそのような人の気持ちはわかりません。
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この回答へのお礼

「読めているつもり」というのは頭の中で別の筋書きになってしまうようなものなのでしょうか。
読解力のほかに応用力というのも必要ですよね。見かけたケースでは丸型の枠に、星型の抜き型を持ってきて、これがぴったりです、としているような感じです。おばちゃん風です。そうなると星を無理にでも丸型の枠に押し込んだ者勝ち! という傲慢さのような気もしてきます。でもどっちにしても、ずれていることに気づいていないのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました。 

お礼日時:2009/05/25 22:22

その人に、「自分は、ずれた内容を堂々と引用している」という自覚はないはず。



「正しく文を解釈する能力」「適切に文を利用・応用する能力」の問題でしょう。

意図的な行為と捉え、仮にその裏に良からぬ意図などを想定したとしたら、
それは筋違いだと思います。
単なる文章能力の問題でしょう。

人は、「自分が容易にできることは、他人もできて当然」と考えがちです。
「考える」というよりも、そう「信じている」のです。

そうであると、あることができていない人に対して、
「意図的にそのように振る舞っているのだ」と解釈してしまいがちになるわけです。
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この回答へのお礼

まさしく解釈と応用の問題だと思います。解釈のずれと応用の不適切が同時に起こるのは当然ですよね。文献が回答の援用に都合よく解釈されているのだと思います。
応用をふまえて解釈がずれてしまうということは、回答の主張や信念に合わせてずらすということではないのでしょうか。
そぐわないだけでなくピントを別の箇所に合わせた読み方によって応用を効かせているような具合なので、文章能力の程度問題にしては、高いとも低いとも言いようのない変な印象でした。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/25 23:10

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