イエスを快く思わないパリサイ派はイエスに対して
ローマに税金を納めるべきか否かと訊いたところ
コインに描かれている人物はカエサルであることを指摘した上で
"神のものは神に、カエサルのものはカエサルに"
イエスはと答えてパリサイ派を退けたそうですが、
どうしてこれでパリサイ派は引き下がってしまったんですか?

納めるべきと答えたら支持者から見放され、
納めぬべきと答えたらローマから捕らえられるような悪質な質問なので、
イエスが納めるべきか否かを断言しなかったのはわかりますが、
パリサイ派が"つまりローマに納めるべきということか?"と
どうして訊き返さなかったのかがわかりません。
どうして問い詰めるのを止めてしまったのですか?
それ以上問い詰めると逆にパリサイ派の立場がまずくなるほどの答えだったのですか?

A 回答 (1件)

神学を研究したわけではないので、単なる推測ですが。



当時のユダヤ教聖職者たちはパリサイ派も含めて、自分たちの特権を持っていたわけで、その中には金銭の寄付も多くあったと思います。そこで「神のものは神に。カエサルのものはカエサルに」という返答に対して、更に税金を納める先を追究した場合、自分たちの特権が揺らいでしまうと考えたからではないでしょうか? つまり「神のものは神に」という部分は聖職者の簒奪をも明確にしてしまう危険性を孕んでいるわけです。そこに言及させたくないならば、「払うとも払わないとも言っていないが、それ以上追究できない状況になってしまった」と考えたのだろうと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。
"カエサルのものはカエサルに"の部分にばかり目がいっていましたが、
"神のものは神に"の部分で暗に聖職者の特権に対して釘を刺していたのですね。

目から鱗です。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/26 21:33

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