
みなさんこんにちは。私は歴史好き人間です。江戸や明治頃の日常生活などを調べています。最近その頃の入浴について調べたのですが、江戸時代の書物浮世風呂に描かれている一場面で、銭湯でお風呂の中に、てぬぐいとか、ふんどしまでいれているのです。ましてや当時はお湯も浄水などしていなかったわけですから、想像すると、よほど不衛生きわまりなかったのではないでしょうか?子供がお湯につけたてぬぐいを口に入れているのをみて、「ポンポン(おなか)が痛くなるよ」と注意している場面もあります。現代人とはちがって、当時の人びとは体も相当汚れていただろうし、そんな庶民が湯船に寿司詰め状態でつかっているのです。今の私の視点でみると、そんなお風呂に入っても、はたしてきれいになれたのだろうか?と思います。当時の人びとは汚く感じなかったのでしょうか?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>昔のお風呂はよほど不衛生だったのでは?
確かに、現代人の考え方からすれば、「不衛生」でした。
(1)石榴口(ざくろぐち)から奥の浴槽では、手拭を入れて身体を洗う者さえいました。
(2)浴槽は、あくまでも、身体を温める場所でしたので、汚れていようと「お構いなし」の状態でした。
(3)そして、浴槽は薄暗く、1尺(約30cm)四方の明り取りの窓があるだけでしたし、夜になれば明り取りの窓は役には立ちません。したがって、浴槽で人が何をしようと、例えば、褌を洗おうと、垢を擦ろうと、子どもが小便をしようと、何も見えない状態でした。
(4)そこで考え出されたのが「揚がり湯」というものでした。
(5)基本的には、洗い場で、まず、垢を擦り、石榴口から湯船に、そして、揚がり湯で、もう一度、身体を清めてから出ました。
銭湯の図(絵)をアップロードしてみます。
(1)四角の水溜め箱の水を桶に汲んで、まず、身体を洗います。
(2)その後に、石榴口から湯船へ。
(3)絵の左手の桶が並んだ奥の方に小窓が開いており、湯汲男が柄杓(ひしゃく)で洗い場の外で沸かした湯を一人一人の桶へ汲んでやり、客は、もう一度、そこで身体を清めて出て行きました。(揚がり湯です)。
(4)右手の水を浴びている客もいます。湯汲男の桶への汲み入れが遅くて、多分、「待ってられねえや」とばかり、水を浴びているのだと思います。
(よもやま話)
(1)江戸の街は、何度も大火に見舞われましたので、各家庭で風呂を持つことは禁止されており、湯屋の開業には「幕府の許可」が必要でした。かの有名な「三井越後屋(現:三越)」の店員でさえ、湯屋通いをしました。また、各家庭で使用できるほどの水の便も良くなかった。さらには、薪は近郷の農家から買いましたので、非常に高かった。
(2)湯屋の相場は8文(約100円)で蕎麦の16文の半分でしたので、長屋のご隠居風情になると、朝晩と1日2回湯屋通いをしたくらいです。それ位、江戸っ子は風呂が好きでした。そして、おおむね各町内に1軒は湯屋がありました。
(3)神田上水ができてから、庶民の長屋などにも井戸ができ、飲み水や調理に使いましたが、もともとは、石神井池の水を引いたもので、現代のように「塩酸」で消毒などはしていない自然の水でした。不衛生といえば不衛生。
(4)湯屋で洗髪をすることは「ご法度」で、頭を洗えたのは、髪を剃った座頭(あんま)だけでした。
(5)髪を洗う・・・については、次のサイトで、私が答えています。ご参考までに。
http://okwave.jp/qa4139899.html
(6)火災防止の観点から、大風の日は湯屋は休みでした。
まあ、まだまだ面白い話もありますが、これ位で・・・。

たいへん面白く拝見させていただきました。当時の風景が目にうかぶようで、思わず見入ってしまいました。素晴らしい知識をお持ちですね。私自身歴史が大好きなので、またお世話になるかもしれません。ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
江戸時代の書物浮世風呂に描かれている一場面
もっと他の文献も、図書館に行ってお調べになった方がよいでしょう。ネット上の情報は、所詮誰かがアップロードしなければ載らないものです。また、編集者というフィルターを通さなくても、誰でも流せる情報です。
銭湯(江戸では「湯」といいましたね)といっても、江戸時代の約260年の間にさまざまな変遷があり、地域によってもさまざまです。草津や箱根、熱海といった温泉でも江戸とはぜんぜん違い、それも時代によってしきたりがまるで違います。
お尋ねの「江戸時代」はいつのことなのか、場所はどこなのか、「当時の人びと」とはどんな階層の人を指すのか。
現代の日本では、ネット上では絶対に答えは見つかりません。日本全国の図書館と博物館に足を運び、書庫の中の文献を読み(どんな文献があるのかを調べ)、北海道から琉球までの、260年間の「清潔と不潔感」についてを調べ上げて、いちいちまとめて・・・何十年もかかってようやく未完成ながら発表できる形になる、そんな仕事です。
No.4
- 回答日時:
戦中生まれですが、50年前は銭湯へ行っていました。
内風呂はまだあまりなかったように思います。
今の人から見ると不衛生だったかもしれません。
タオル湯船入れるのは普通でした。
時には子供の排泄物も浮かんでいました。
そんな風呂を汚いとは思ったことはなかったように思います。
きれいだとは思っていませんでした。
そんな環境で育ったためか、新型インフルエンザには
かかりにくくなっているのかもしれません。
No.2
- 回答日時:
銭湯の湯船の中に、てぬぐいとか、ふんどしまでいれるのは、よほど不衛生ではないかというのは感覚的なものだと思います。
子供に、ポンポンが痛くなるよと注意していたのもやはり感覚的な言い方だったと思います。現代人とはちがって、当時の人びとの体も相当汚れていただろうというのもやはり感覚的なものだと思います。さらに、そんなお風呂に入っても、はたしてきれいになれたのだろうかという疑問にも共通することですが、不衛生とか汚いというのは何となく伝染病のようなものを想定しているからではないかと思います。逆に当時の人が、現代の若者が地べたに座り込んでいるのを見たらなんと不潔なことよと思うのではないでしょうか。伝染病は病原体がいなければ起こりません。感覚的に汚いと思うことと実際に汚い(伝染病にかかる恐れがある)ということの違いではないでしょうか。書いていて思いだしましたが昔の家庭用の湯船には「あがり湯」という最後に体にかけて出てくるためのお湯を入れてある小さな湯船がついているのが普通だったと思います。当時の銭湯にもあったのではないでしょうか。No.1
- 回答日時:
ネットで「江戸時代 銭湯 水」でGoogleで調べただけでも、
あなたの知りたいことの大半の情報が何らかの形で出てきますよ。
Yahoo知恵袋にまんまこんなのもありますしねぇ。
↓
江戸時代の銭湯についてですが、お湯の入れ替えもないと思うのでかなり不衛生では...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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