
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
ちょっと古い本ですが、憲兵隊にいた大谷敬二郎氏が戦後に出した「二.二六事件 流血の四日間」(図書出版社.1973年初版発行)という本があります。
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA …
この本の31ページに朝日新聞襲撃の理由として次のような記述があります。
「なぜ朝日新聞社だけがこんな被害を受けたかということである。それは当時の朝日新聞が最も自由主義的色彩がつよく、反軍的でつねに陸軍の政治態度、革新的態度に批判的であったことから、青年将校の憤激を買っていたからである」
ちなみに朝日新聞を襲撃に来たのは50名の兵士であり、朝日新聞社側が社員を全員退出させた後、兵士達が乗り込み印刷局の活字ケースなどをひっくりかえす等の狼藉を1時間ほどし、決起趣意書を貼り付けて引き上げたそうです。
その後、この部隊は、東京日日新聞、時事、国民、報知の各社、電報通信社を回って決起趣意書の掲載を要求して引き上げたそうです。暴力行為を行ったのは朝日新聞社だけだそうです。
つまり新聞各社へ決起趣意書の掲載を求めるついでに、これまでの記事内容が気に入らない朝日新聞社にだけは、お仕置きをしたという事でしょう。
また、決起した部隊には、抵抗する者以外は敵といえども危害を加えてはならない。市民、特に老幼婦女には手をふれてはならない。という命令がだされていましたから、敵視された朝日新聞の社員も全員無事だったのでしょう。
No.8
- 回答日時:
結果や理論、そして判断力では、全く反知性、無知性という現場将校の決起ではあるが、日本民族の昂揚の一時期と、その心意気であるとして、私は二・二六決起を評価しております。
自衛隊退役の方方ともよくお付き合いがありますが、直情径行という純粋さ素直さはあります。
已んぬる哉、下町の長屋から出てきた私と同じで、血気盛んでも知性欠如。
起て起て、起ち上がれ。起ち上がらない奴は悪人、売国奴、向こう側の協力者。という判断しか持たない。
威勢がいい、歯切れがいい、結論はこれっ。
もう他にはない。
私はそうやって活動に粉骨砕身の日々でした。今もかな。
やはり、インテリゲンリチャって、踏ん切りがつかないし、どっちつかずだし、で、敵だ。今の内になんとかしなけりゃ。
という決断だったと存じます。
ぐちゃぐちゃいうな。問答無用。
今はそれどころではない、国際をみろ、世界は押し詰まっている。
という気持ちからの、判断というより、決断。それが判断。
思考はない。
朝日は今も昔も同じ。行政や資本の意を体しの編集は同じ。
無論一つの見かたではありますが、読者としての。
そういう伝統は、青年将校の決断や世界とは相容れないでしょう。
有力資本や権力中枢の行く道はどうかを模索している体質は、決断と血気に逸り、皇国を自分の背中で背負っている意識、つもりの青年の気持ちとは全く相容れません。
No.5
- 回答日時:
昭和史の本を結構読んでいますのでそれらの中から類推すると以下
のような状況であったと読み解くことが出来ます
クーデターでは報道機関を抑えるのが常道ですが
昭和11年の2.26では朝日以外の新聞は一切抑えていません、つまりこれはクーデターとは違う意図で行われたようで、この事件以降報道機関 特に新聞は戦争をあおるようになったといわれています、その結果は太平洋戦争といわれています、それではどうして朝日だけが占拠されたのでしょう、それらの本によると
当時朝日内部にも統一した考えがなかったと思われています
昭和8年に朝日の上海特派員が独自にスパイ(ゾルゲ)と接触し国際コミンテル化ていましたが、東京ではそれまで軍縮を言っていた論調が
昭和7年を境に論調が段々右傾化し戦争賛美の論調がでてきたといわれています、朝日以外は問題なしと思った軍が朝日の左傾化の芽をつみとるため占拠したといわれています
実際にこの事件以降論調は統一され大新聞は戦争遂行化していったといわれています、
これは朝日新聞自身が出版した「戦争責任と新聞」という本の中にも自戒をこめて出てきます
当時の新聞は今でいうマスメディアとは異なり新聞が売れれば世の中の
風潮に簡単に同化なんでも記事にするというものだったようで朝日にかんしては東京では戦争賛美、上海からは軍事情報流失という正反対のことがおきていたといわれています、ゾルゲは終戦近くまで活動しましたが処刑されました
結論としてこの事件により唯一若干の心配のある朝日を抑える(占拠しただけでけが人も出ていません)ことにより大新聞全体の論調を統一するための行動であったといわれています、実際に政治家が殺されたことも影響しこの事件以降大新聞は戦争遂行報道 戦果報道一色になってしまったようです、あなたの疑問の回答はこの行動の目的は政治家で新聞社占拠には深い意味はなかったようです
少しは参考になりましたでしょうか?
No.3
- 回答日時:
「朝日新聞は戦前からコミンテルンの支配下にあり、ソ連と密接な関係にありました。
」そういう事実は認められておりません。
戦後の朝日新聞は左翼的な論調を売り物にして固定読者を獲得しておりますが、戦前の朝日新聞はせっせと戦意高揚記事を書き、戦場に特派員を派遣しておりました。特に軍と対立するようなことはありませんでした。
ある情報将校の記録 (中公文庫)
塚本 誠 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4122032822/
は、昭和16年から約2年間、東京憲兵隊司令部特高第二課長の要職を務め、戦争前夜の警察、賢察、報道、政界などの内情に通じていた人ですが、この人が
「私は陸軍奉職中はずっと朝日新聞を購読しており、朝日新聞については全く含むところはなかった。ただ、陸軍の一部には朝日新聞を敵視する向きがあり、それが2・26事件での反乱軍の朝日新聞社襲撃につながったようだ」
とサラリと記しております。
この回答への補足
>
「朝日新聞は戦前からコミンテルンの支配下にあり、ソ連と密接な関係にありました。」
そういう事実は認められておりません。
「コミンテルンの支配下」は言い過ぎかも知れませんが、朝日新聞社に、親ソ連で共産主義者及び共産主義シンパの記者が多かったのは事実です。
有名なゾルゲ事件で、朝日新聞の複数の関係者が警視庁に検挙されました。検挙されたのは朝日新聞の元記者の尾崎秀実(おざき・ほつみ)や現職記者の田中慎次郎(東京朝日新聞社政治経済部部長)および磯野清(同部員)でした。
彼らは新聞記者の立場を利用して政府首脳や軍首脳に接触し、日本の国家機密情報(主として軍事情報)を入手して、その情報がソ連中央に報告されることを承知の上で、コミンテルンのスパイのリヒアルト・ゾルゲに提供していたのです。
(尾崎秀実は死刑になりました。尾崎自身も自分はコミンテルンのスパイでると認識していました。)
ですから、朝日新聞の社内には、親ソ連の雰囲気、容共的な雰囲気があったのは確かです。
No.2
- 回答日時:
クーデターでは、報道機関を、抑えるのが常識です。
当時は、まだラジオなど放送の力が重視されす、報道は、まず新聞でした。当時の二大新聞である毎日(東京日々)が親軍的姿勢示していたのに対し、朝日は軍縮を唱えていたため、各社に決起趣意書を届けると共に、朝日新聞を制圧し影響下におこうと襲撃しましたが、 緒方竹虎主筆の冷静な対応に、反乱軍は、武力制圧を、あきらめ、引き上げました。襲撃を免れた東京日日新聞(現・毎日新聞)では事件発生以来全員が篭城し、食堂には7日分の食料が用意されていた。そして日比谷一帯に立退命令が出た場合に備えて歌舞伎座の大食堂を借り、重要書類の持ち出し準備と共同印刷での印刷手配を行った。討伐命令と同時に本社の専用線は切断され、一般電話も電信も市内以外不通。東海道線横浜駅、東北線川口駅、総武線(当時は両国起点)市川駅で国鉄も遮断され、地方版は不着となったため横浜支局が東日本の通信基地となった。など、各社に影響大でした。
この回答への補足
>クーデターでは、報道機関を、抑えるのが常識です。
私もそう思います。ですから東京朝日新聞社のみを襲撃し、東京日日新聞社、読売新聞社、報知新聞社、都新聞社、国民新聞社、中外商業新報社(現、日本経済新聞)を襲撃しなかった理由が不可解なのです。
また東京日日が親軍的報道で朝日が反軍的報道だったとするなら、読売も報知も都新聞も親軍的だったのでしょうか。
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