「平成」を感じるもの

民主党が参議院で大多数を占めています。
今度の選挙も圧勝しそうな勢いですが、今まで政権を握っていて、衆議院、参議院で大多数を占めていたのはどの内閣の時期でしょうか。
また、その時期はどういう生活だったか教えてください。

やはり、数に物を言わせた独裁政治に近い形がとられていましたか?
それともそこまで多くの偏り、せいぜい6:4くらいだったのでしょうか。

政治に無知な質問ですみませんがお願いします。

A 回答 (2件)

○参議院の会派


民主党・新緑風会・国民新・日本合計 117人
自民党 81 +公明党21 合計102人

上が最新の参議院の勢力図ですが、民主党が過半数を維持していますが、大多数ではありません。
また、数に物を言わせた時代は下記の池田内閣(1960年)から1987年の竹下内閣辺りまでだと思います。
常に日本の政治は自民党主導で、2番目の社会党は反対するだけの政党でした。
今のようにワイドショーまで政治の話題を取り上げることはなく、国民の間で政治に対する関心は低い時代です。

「その時期はどういう生活だったか」は時代で大分違います。
昭和30年代であれば高度成長の入り口で有名なのが池田内閣の所得倍増計画です。
まずしい日本を豊かにする政策をまじめに遂行しました。
ずっと自民党独裁でしたが、自民党内の派閥が政党のような役割で、政権が失敗すれば他の派閥の長が総理の座に着くスタイルで、派閥の権力闘争が凄かったです。
但し、選挙に巨額の金が動くなど金権政治がはびこり腐敗していましたが、時代を経るにつれ国民の目が厳しくなり、段々良くなってきています。
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現代の民主党が、政権を握っていたことは、過去にありませんでした。



ただし、

1993年の細川護熙内閣は、
現代、民主党に集合している、
旧社会党主流派、自民党を離党した鳩山代表の 新党さきがけ・小沢前代表の新生党、民社党などが、公明党と共に
反自民非共産ラインで作った内閣
1994年の羽田孜(民主党最高顧問)内閣は、社会党・さきがけが
入閣しなかったので、公明党閣僚が多かった。

同年、自民党は、社会党委員長を首相に指名し、また、さきがけ も入閣させ、村山内閣をつくり、自民・社会・さきがけ連立政権を作る。
続く橋本内閣も、自民・社会・さきがけ連立政権。
1996年、鳩山由紀夫と橋本内閣の菅直人厚生大臣が代表となり、社民党・さきがけを中心に民主党結成。
当時の民主党は、小沢たち極右保守の野党新進党に対抗し、リベラルな政策で自民党と連合する第三政党だった。この民主党は、他の中小政党と合流し、現在の民主党が誕生する。

・小沢一郎の自由党は、民主党に合流する以前1999年に小渕内閣に入閣、自民・自由(後に公明も)連立政権を組んでいる。

※いずれも、いろいろ、寄せ集めて、なんとか過半数超えましたという程度。

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