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古代ギリシャのアルキメデスは王様に「王冠が純金かどうか」という宿題を出され,悩んでいたとき,
湯船につかって自分の身体で水がこぼれるのを見て,アルキメデスの原理を発見したと言われています。
 さてここからが質問なのですが,
当時,ギリシャ人は身体にお湯をかけて済ませるのではなく,湯船につかる習慣が本当にあったのでしょうか。
それとも湯船につかるのは,とくに寛ぎたいときなど例外的だったのでしょうか。
 湯船につかる習慣があるなら,アルキメデスは日常的動作の中で原理を発見したことになります。
これなら,「アルキメデスはどんなときでも頭をつかっていた人なんだ」というイメージが湧きます。
また例外的なら「いろいろい悩んだが分からないから,ちょっと気分発散に風呂にでもつかろうか」
という人間的なイメージが膨らみます。

A 回答 (4件)

古代ギリシャの、と言ってしまうと少し語弊があり


アルキメデスは古代ギリシャ人が今のイタリア南部に
移住し建国した国のひとつ、シラクサの住人です。

シラクサはローマと戦争状態にあり、アルキメデスも最終的には
その戦争で命を落としました。彼の発明した兵器は
対ローマ戦で活躍したと伝えられています。
(後に一部ローマ軍に接収され、活用されています)


さて、古代世界でローマが強かった理由は"インフラの整備"でした。
特に重視したのは街道と水道の整備。特に"水"に関しては人間が生きる
上で必要なものですが、この供給を恒常的に行える"大規模水道"は
ローマの秘匿技術の一つです。仕組みとしては微妙な傾斜によって
水を流すだけ、ですがこの傾斜とサイフォンを作るための計算には
水平の確保など様々な知恵が必要とされました。


当時の哲学者の"知っておくべき基礎的な素養"の中にも幾何学があり
こういった幾何学を行える人間は、すでに当時の流体の専門家であると
同時に"論理的な思考ができる"と重用されていたわけです。

アルキメデスも、普通のおっさんが風呂に入って唐突に計測法を思いついた
というよりはすでにエウレカ!に至る素養があったようです。





さて、同じくギリシア移民の多かった都市として火山に埋もれた街、
ポンペイがあります。時代が結構後になってしまいますが、
ここから発掘された公衆浴場を見ると意外なことがわかります。
建物に比べて湯船がとても小さいんです。

公衆浴場の存在はギリシャでも様々な場所で確認されています。
ですがローマに水道技術があったとはいえ、やはり完全な供給は難しかったのでは
ないでしょうか。今ですらインフラ整備は国の課題になるくらいですからね。
まして、その前の時代のローマと対立関係にあったシラクサ王国です。
おそらくは雨水を利用した、小規模の公衆浴場しか作れなかったのでは
ないでしょうか。特にこの件に関しては古書に『公衆浴場に時間制限があった』
という記述もあります。やはり、水は貴重だったと考えられます。


気分転換に風呂に行った、という人間的な部分は確かにありますが、
一方で、時間を無視してだれも居ない時間に貴重な風呂に入る王様の親戚。
ローマ兵に踏み込まれても研究を続け、そのまま切り殺される。
まぁ、普通のおっさんではないですよね。
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No.1です。



古代ギリシャ人や古代ローマ人は風呂に入る習慣がありました。

というのは、ヨーロッパのそれらの時代の遺跡から必ずといっていいほど、浴場跡が出てくるからです。
http://www.c-c.co.jp/fuzokushi-2.html
たとえば、トルコのパムッカレ、トゥリズム・モーテルの浴場はローマ人が開いてから2千年以上も前から今も使われています。
ヨーロッパの温泉地も紀元前からの歴史があるところが多いです。
と、言うより温泉や良い水が沸くところが都市化したり、兵士の保養施設を造ったり、噴水施設を造ったり。今も昔も水道のインフラは都市や城を築くときの一番の問題ですから。

http://images.google.com/images?hl=de&rls=com.mi …
絵に出ている大きなたらい桶や大理石の風呂など、当時あったとしても不思議では無いと思います。パムッカレはヒェラポリスの端にあるのですが、ヒェラポリスには風呂桶にも使えそうな大理石の棺桶がごろごろしています。たらい桶は葡萄を収穫してワインをつくるなどにも必要でした。
また、ポンペイの市民の家のレプリカに入ってみたことがあるのですが、子供部屋、寝室、回廊、大理石のトイレ、かまどのある台所、家の真ん中の明り取りの下にはプールがあり、現代人より豊かな生活をしていた様にうかがえました。
http://images.google.com/images?q=POMPEJANUM+ASC …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
アルキメデスは桶につかっていた可能性があるのですか。
これならアルキメデスの原理の逸話もまんざら嘘ではないことになりますね。
 あと驚いたのは共同風呂の混浴ですね。そういえば江戸時代の日本も混浴の方が普通だったんですね。
性に対するおおらかさがキリスト教のせいでずいぶん歪になっているのかもしれません。
ギリシャローマ時代や江戸時代の人が、チカンや覗きをする人をみたら,
「なんで,そんなに卑屈になっているの? もっと堂々としていいんだよ」というかもしれませんね。

お礼日時:2009/08/02 23:56

習慣があったかどうかなんてのは解りません


アルキメデスの事が記載された書物も後世の人の想像で書かれた物です

60年前の日本の歴史もはっきりしない世の中なのに2000年も前の事が解る訳がありません

ちなみに皆さんも良く知る新撰組、これも後世の一人の人が聞いた話を元に書いた書物の話を大きくして受け継がれた物が今に伝わる物なだけで新撰組なんてものははっきりしたものではないのですよ

『小さな親切大きなお世話、アナタの悩み辛口ママンが解決』
from maman
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この回答へのお礼

No1の方が教えてくれたHPをみる限り,
ご指摘通りのようですね。

しかし,後世の人の想像力に感心してしまいます。
湯船につかり,お湯があふれた瞬間
発見したなんていうのは感動します。

そうですか。フィクションですか。
ちょっと残念なような・・・
でも,ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/02 10:30

風呂の歴史について書かれたものがありました。


http://www6.ocn.ne.jp/~osaka268/girisha.htm
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この回答へのお礼

バラネイオンとギムナシウムですか。
私は日本の湯船を想像してたのですが
このHPをみる限り湯船につかるというよりも
シャワーですね。
No2の方が述べているように
アルキメデスの原理の発見の話は
後世の人の創作でししょうかね。

だとすればその創作は日本人なのでしょうか?
ちょっと別の疑問が湧いてきました。
いずれにしても,ご指摘のHPで私の悩みは一応解決しました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/02 10:24

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