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この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか。

善も悪も視点を変えればそれらはいつでもひっくり返ります。
正負は常に抱き合わせで存在しています。
あちらを立てればこちらが立ちません。
生まれるという事は死ぬという事です。

人や社会を良くしようとする試みはもちろん良く分かるのですが、
ただ、この世界は不完全であることを前提に作られているように思われるのです。
そうでなければ今頃は理想的社会及び人間が誕生していてもおかしくはないのではないでしょうか。

この世界が不完全であるという事は、
この世界は不完全でなければ意味がない。
言いかえれば、不完全であることに意味がある。

という事になりませんか?

A 回答 (51件中1~10件)

No.30です。



>>それは「止まって」しまうのではないでしょうか。
>本当に?
>なぜそうなるのですか。
完全な目は何を探すでしょう?
完全な足はどこへ向かうでしょう?
完全な力は何を生み出すでしょうか。

逆に、完全な世界が前に「進む」としたら、それはなぜでしょう。
継続でしょうか。
「完全」の継続は、もはや「止まって」いるのと区別がつかないと思います。

そうならないためのしくみこそが、強いて言えば「完全」にはたらいているのでは
と書いてみた次第です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

止まっているとは変化しないという意味でしょうか。
完全なものは変化する必要がない、或いはしようがないという事でよろしいでしょうか。

でもそうなると、目的はなんでしょう。
つまり、止まらない目的、或いは止まってはいけない理由。

不完全な世界(例えるなら社会)をより良くしようと私たちは努力します。
言ってみれば完全がゴールのはずですよね。
でも完全になると止まってしまう。
止まることが良くないことであるなら、私たちの努力は何のためなんでしょう。

お礼日時:2009/08/19 01:11

>>であればご自身の感性そのものであることを証明してませんか?



感性も世界の一部です。>

「も」というのが凄い引っかかるのですが「感性も」というより「感性認識そのもの」なのではないですか?

>>抵抗しているということは曲がりなりにも理解されたということでしょうか?

いえ、抵抗はしていません。
確かにデフォルメしているようですね。>

 なんか色んな意味に取れる表現でしたが、まあ納得出来ずとも理解されたということですね

>>不完全がなんなのか?という話になりますね
それはさほど問題ではないと思います。万人が納得できるものであれさえすればいいのですから。>

 相当問題だと思いますよ、その認識の違いによってご自身の質問の回答になり得るか否かですよ
>万人が納得できるものであれさえすればいいのですから。>
まあそうならそうで良いのですがやなりそうなると「万人が納得できる」という条件が付きますね。


>>となれば[不完全]と[意味]は必要(包括)でも十分(内部)でもない条件だと思いますよ。>この辺はどうなんですかね?

申し訳ない。
意味が分かりません。>

 諦めました、もういいです。

>お互いこのQAで新しい発見もなさそうなのでそろそろ閉めませんか。>

 まあ良いですがなんか自己感性を否定されるのが嫌で逃るというような感じもしますがまあ良いですよ、なんせ僕が決めることではないですからw

>最後に聞きたいこと、確認したいことはありますか?>

いや最後に言っておきたい事があります。この質問の回答としては
 この世界が不完全であるとという認識に意味があると感じることはありますがあくまで[主体的感性における不完全]という座標に則ってのみ成立する話である。こう結論付けました。
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この回答へのお礼

>あくまで[主体的感性における不完全]

私の回答は

主体的感性も世界の一部。
ゆえに世界が変わるという事は同時に主体的感性も変わるという事。
世界が完全へと変わるなら、主体的感性も完全へと変貌します。
そのとき、人の外の世界と人の中の世界は矛盾なく完全になるだろう。

でした。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/28 00:50

こんばんは!回答番号13番と同じ者です。



質問者さんは明確な回答が得られたでしょうか?

閉められると言う事なので 最後に!


一見不変な様である「時間」や「空間」でさえ

観察者の状況によって違う「時空」に住んでいる私達なのに

自分と違う「異端者(肌の色や考え方・・・etc)」を認められない。

違う(認められない)事を不完全というのであれば

完全とはなんだろう?

「時空」を「不完全」とすれば「完全」は「光」だよね!

じゃあ皆「光(光速)」の様に誰から見ても同じくなればよいのでしょうか?

でも「光」しかない世界で自分(光)を感じる事が出来るでしょうか?

「影」があるから「光」の存在を知る事が出来るのじゃないかな?
(LCLの海みたいですね! ミスチルのギフトの二番にもあるある!)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>完全とはなんだろう?

これは世界とは何だろうに通じているのだろうと思います。
人は同じ世界を共有しているはずなのにどうして人それぞれ世界の見え方が違うのか。

>でも「光」しかない世界で自分(光)を感じる事が出来るでしょうか?

個人という枠を持つ限り

>自分と違う「異端者(肌の色や考え方・・・etc)」を認められない。

は避けられないでしょうね。
完全=不動(変化しない状態)
とイメージする人が多いという事がこのQAで分かりました。

お礼日時:2009/08/26 12:42

 >結局のところ回答者さんは私の言う観念も含めて全てが世界であるという事が納得できないということじゃないでしょうか。


違いますか?>

 いやまったく言っている意味が分かりませんがご自身の言う世界は何を指すのかによりますよね?>善も悪も視点を・・(中略)・・・この世界は不完全であることを前提に作られているように思われるのです。
そうでなければ今頃は理想的社会及び人間が誕生していてもおかしくはないのではないでしょうか。>という文面を見る次第では外側の世界というのを指しているようにしか思えません。これはご自身の世界の認識そのものを指して世界と言っているわけですか?そうではないですよね?おそらく外側の世界を指して言っているわけですからその一面では指した対象そのものが[不完全]であると言っているように聞こえますよ

 >私の言う観念も含めて全てが世界である>であればご自身の感性そのものであることを証明してませんか?

 >申し訳ない、意味がわかりません。>と抵抗しているということは曲がりなりにも理解されたということでしょうか?ならまあいいんですが本当に意味が分からず>意味が分かりません>と言っているのであればとりあえず説明しておきますが心理の方が世界の認識をデフォルメしているのではないでしょうか?という意味です。

 >個々人が個々の対象についてどう思うかは問題ではありません。>
問題ではないのであればご自身の主観の世界のことを仰っているのであればその通りだと思いますしご自身だけではないというのは納得しますし僕自身も「不完全ではないでしょうか?」と聞かれれば「そう感じようと思えばそう感じることは出来ます」と答えると思います。ただ完全という感性と不完全という感性が個々よって違うのでご自身仰りたい不完全がなんなのか?という話になりますね

あと>[車]=[完全]、[車として成り立っていない]=[不完全]と認識するが故に不完全ということではないでしょうか?となれば[不完全]と[意味]は必要(包括)でも十分(内部)でもない条件だと思いますよ。>この辺はどうなんですかね?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>文面を見る次第では外側の世界というのを指しているようにしか思えません。

これは私の説明不足でしたね。
ただ、この哲学カテの人なら分かると思ったのです。

>であればご自身の感性そのものであることを証明してませんか?

感性も世界の一部です。

>抵抗しているということは曲がりなりにも理解されたということでしょうか?

いえ、抵抗はしていません。
確かにデフォルメしているようですね。

>不完全がなんなのか?という話になりますね

それはさほど問題ではないと思います。万人が納得できるものであれさえすればいいのですから。

>となれば[不完全]と[意味]は必要(包括)でも十分(内部)でもない条件だと思いますよ。>この辺はどうなんですかね?

申し訳ない。
意味が分かりません。

お互いこのQAで新しい発見もなさそうなのでそろそろ閉めませんか。
最後に聞きたいこと、確認したいことはありますか?

お礼日時:2009/08/26 01:37

>どのように書いたらいいでしょうね。


この世界の作り手の気持ちになったらどうでしょう。>

まあこれも作り手の気持ち次第でしょう。

>不完全であるという要素を入れないならこの世界は何のために作ったのでしょうか。>

 いやだからね>不完全であるという要素を入れないならこの世界は何のために作ったのでしょうか>というのが感性であって対象そのものではないと言いたい訳ですよ

 no47の>我々が主体という物理を介在している
以上[完全][不完全]を語っているの明らかに心理デフォルメの方で
はないでしょうか?>

 これはどうなんですか?

 つまりもう少しぶちゃけて話しますとご自身の認識が不完全と語っているのであって「世界が不完全な訳ではない」ということが言いたい訳です。無論完全であるとも言えないです。あくまで対象は対象です。

>世界と不完全さを例えるなら、車とタイヤに例えられますかね。
タイヤのついていない車でもエンジンはかかりますので、音楽を聴いたり夏でもエアコンで快適に過ごせますね。でも、タイヤのついていない車に意味があるかどうかですね。>

 >でも、タイヤのついていない車に意味があるかどうかですね。>タイヤのついていない車に意味を感じる人もいるかもしれません。例えば車の中で寝泊りするのが好きな人が車を改造してタイヤだけ外したとしましょうか?その場合宿泊として意味が出てくるのではないでしょうか?>タイヤのついていない車でもエンジンはかかりますので、音楽を聴いたり夏でもエアコンで快適に過ごせますね。>これはご自身の仰る意味の領域に入っているのではないでしょうか?つまり[車]=[完全]、[車として成り立っていない]=[不完全]と認識するが故に不完全ということではないでしょうか?となれば[不完全]と[意味]は必要(包括)でも十分(内部)でもない条件だと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>まあこれも作り手の気持ち次第でしょう。

もちろんです。この世界はその気持によってつくられたのですから。

>いやだからね>不完全であるという要素を入れないならこの世界は何のために作ったのでしょうか>というのが感性であって対象そのものではないと言いたい訳ですよ

観念も含めて世界だと思います。
感性も対象に入っているのです。

>我々が主体という物理を介在している
以上[完全][不完全]を語っているの明らかに心理デフォルメの方で
はないでしょうか?>

申し訳ない、意味がわかりません。

>つまりもう少しぶちゃけて話しますとご自身の認識が不完全と語っているのであって「世界が不完全な訳ではない」ということが言いたい訳です。無論完全であるとも言えないです。あくまで対象は対象です。

観念も含めて世界だと思います。
私の認識も対象に入っているのです。

>タイヤのついていない車に意味を感じる人もいるかもしれません。

個々人が個々の対象についてどう思うかは問題ではありません。

結局のところ回答者さんは私の言う観念も含めて全てが世界であるという事が納得できないということじゃないでしょうか。
違いますか?

お礼日時:2009/08/25 01:15

>戦争によって人が死ぬということが物理的変化でしょうか?


少しデフォルメしすぎじゃないでしょうか>

 いいえ全然デフォルメなんかしてませんよ、どちらかというとそうでないと語っている心理そのものがデフォルメしているのではないでしょ
うか?聞きますが戦争によって人が死ぬということは物理的変化と心理
的変化が存在すると思いませんか?我々が主体という物理を介在している
以上[完全][不完全]を語っているの明らかに心理デフォルメの方で
はないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>聞きますが戦争によって人が死ぬということは物理的変化と心理
的変化が存在すると思いませんか?

そう思います。

お礼日時:2009/08/24 12:20

>この「のみ」というのはちょっとわかりません。


私はお礼の中で「のみ」というワードは使用していないと思うのですが。>

 質問文に>この世界は不完全でなければ意味がない>と書かれている。
「なければ」ということは「不完全でない場合は意味が無い」と
いうことになりますよね?

>世界と私(主体)、というように分けて考えている様ですが、私はどちらかというといっしょくたです>
これがおそらく主観的感性の延長ですね。

>世界が完全になるという事は私が完全になるという事です。>
 これは主観の世界と世界そのもの(対象)とごちゃごちゃになっ
ている状態ですね

>これが世界が完全になるという事は私が完全になるという事です。>
 これは「shiftさんが世界は完全になったと感じる事」ということではないでしょうか?つまりこれがshiftさん自身の感覚ですね、それを
おそらく分かっていないので「自分の望みが叶っていないのは世界が
不完全だからだ」という理論に至るわけですね。

この回答への補足

世界と不完全さを例えるなら、車とタイヤに例えられますかね。
タイヤのついていない車でもエンジンはかかりますので、音楽を聴いたり夏でもエアコンで快適に過ごせますね。
でも、タイヤのついていない車に意味があるかどうかですね。

補足日時:2009/08/24 12:35
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「なければ」ということは「不完全でない場合は意味が無い」と
いうことになりますよね?

どのように書いたらいいでしょうね。
この世界の作り手の気持ちになったらどうでしょう。
不完全であるという要素を入れないならこの世界は何のために作ったのでしょうか。

>これがおそらく主観的感性の延長ですね。
>これは主観の世界と世界そのもの(対象)とごちゃごちゃになっている状態ですね
>つまりこれがshiftさん自身の感覚ですね

ここら辺は正直よくわからないのですが、私には主観以外のものを持ち合わせていません。
回答者さんはそれ以外の何かを持っているのですか?

お礼日時:2009/08/24 12:19

>つまり「完全」の中にも意味を見出そうとすればそれは現の


「完全」と同等な思考ではなく変動がありそこに感情的な変化
やなんやらが存在するのでその時点で「完全」な作品ではなく
「不完全」な作品になるなので主体が意味を感じようとすれば
不完全な作品ということになり意味を感ずればそれは不完全
になる。>

 ちょっとこの辺が今一なので書き直します。
___
「不完全に意味があり」ここは良いですが
「不完全でなければ意味がない」ここが間違えている
ように思います。完全なものには意味はないでしょうか?
例えば数学の公式で『この公式は完璧だ自分の生きていく糧に
しよう』と感じた人が居たとしましょう、これはこの人の主体性が
感じる数学の公式に置いては完全であり『生きていく糧』という意
味があるように思います。
 そうするとかならずしも「不完全でなければ意味が無い」とは
いえないのではないでしょうか?違いますか?違ったら教えてください
 そこでご自身の視点ではおそらく、この世の中という総括的に完璧で
は無いという事かと思いますがそれはご自身の主体性が不完全だと
決め付けているものであって(それが他の人も同等である場合はあ
りますが)その不完全というのものがご自身の基準であるという
認識はあるでしょうか?幾ら他の人もそう感じているとか戦争が
そうだと言ったとしてもそれを感じているのはご自身であるわけです
から不完全はご自身の認識であるということです。つまり戦争だろうが
なんだろうが『物理的変化』が目の前にはあるだけです。それを不完全
と感じるかどうか?という問題のように思います。
 それで[戦争がない]=[完全]で[戦争がある]=[不完全]などこじ付け
というか強引な捻じ曲げ等を含め[完全][不完全]に歪ませるのであれば
幾らでも可能です。そういう意味では仰る通り>この世界が不完全であ
るという事は、この世界は不完全でなければ意味がない。言いかえれ
ば、不完全であることに意味がある。という事になりませんか?>なるでしょう。
____________
という意味です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ご自身の主体性が不完全だと決め付けているものであって(それが他の人も同等である場合はありますが)その不完全というのものがご自身の基準であるという認識はあるでしょうか?

もちろんそうです。
このQ&Aに書き込みをしているのは私という主体なのですから。
ただ、個々の案件については人それぞれ感じ方はちがうでしょうが『世界』といった場合ほとんどの人が同意するはずです。
芸能人の不祥事ついてどう思うかと聞いているのではなく、この世界(人間と人間が作る社会も含めて)はどこかしらの不完全さを含んでいるという事はよほどの能天気でなければ皆が感じるのではないでしょうか。
たとえそれが私一人だったとしても私が不満であるなら世界は完全ではありません。

>『物理的変化』が目の前にはあるだけです。
戦争によって人が死ぬということが物理的変化でしょうか?
少しデフォルメしすぎじゃないでしょうか。なぜ戦争が起きたのかを考えればそこには人の心理が介在しているのは明らかだと思います。
世界とは人を含み故に人の心理も含むと考えています。

先のお礼にも書きましたが、世界が完全になるという事は私が完全な存在になるという事です。

お礼日時:2009/08/24 02:26

 再度。

no41の>「のみ」連動と捉えるのはちょっとまったとは思わないでしょうか?そこはどういうお考えでいるのですか?>に答えてもらえていないのですがここは「のみ」ではないと思っていると解釈してよろしいですか?それとも「のみ」と言いたいということでしょうか?もし「のみ」と言いたいということでしたらおそらくそれは自己主張の押し付けということになると思います。つまり自己認識が他の人も同じ認識だと思い込んでいるという思い込みの概念に過ぎないと思います。無論部分的というか程度の差の違いによってみなそう感じているというのはあるかも知れませんし無いかもしれませんがおそらくみなもそう思っているというのはおそらくご自身がそうであって欲しいという願望の延長だと思います。まあその辺はこれ以上は突っ込みませんがとにかく「のみ」でありみなが自分とまったく同じように感じているというのはおそらく自己高慢であると感じます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この「のみ」というのはちょっとわかりません。
私はお礼の中で「のみ」というワードは使用していないと思うのですが。

お礼日時:2009/08/24 02:07

>不完全であることの意味はなんだということになるのでしょうか。


世界が不完全であるというだけでは意味がないです。
使ってこそのハサミ(道具)です、飾っておいても意味がないですね。
不完全であることで得られる何かこそがその本当の目的(意味)であると思っています。>

 「あ!やっぱりね」という言葉一番的確そうな補足でした
それを踏まえもう一度補足要求と個人的な認識の掲示をします。


  不完全を見出そうと思えば幾らでも見出せます。
そういう意味でおそらく不完全と仰っているのだと
思います。ここは良いでしょうか?
 そしておそらくご自身が仰りたい意味というのは
心理的な意味合いがあるような気がするんですがどうですか?
つまり「完全」と感じるとそこに閉塞感もしくは不動感を感
じるので動的なもしくは変化的な主体は意味を感じ難い、感
じるとすれば主体が何かしら感じている。
 つまり「完全」の中にも意味を見出そうとすればそれは現の
「完全」と同等な思考ではなく変動がありそこに感情的な変化
やなんやらが存在するのでその時点で「完全」な作品ではなく
「不完全」な作品になるなので主体が意味を感じようとすれば
不完全な作品ということになり意味を感ずればそれは不完全
になる。なので不完全と意味は切っても切り離せない関係である
ということが言いたかったのではないでしょうか?
 そうなれば「不完全」というものはイコール主体的な認識が
生み出す対象の自己認識変化。「意味」=主体の変動もしくは
総体的感覚と捉えることは出来ないでしょうか?
 つまり「不完全」と「意味」というご自身の領域ではまさに
その通りだと思います。しかしそれを不完全と呼んでも変化と
呼んでも対して差は無い様に思います。そう考えれば「この世
の中は不完全である」というのは多少間違えいるというか(間
違っていないんですが)つまり主体の外側を「はいそれ」とで
きる内容ではないような気がするんです。つまり石(対象)が
あって「その石自身(対象自身)は不完全だ」とは言えないの
ではないでしょうか?実験で石に「あなたは不完全ですか?」
と聞いてみて下さいよ、おそらく「どっちでもないよ」という
スタンスを崩すことはありえ難いと思いますよ?もしそこで
「ハイ私は不完全です」と石が答えたらshiftさんの理論は正しい
ことになりノーベル賞ものです。
 本当国語力不足でshiftさんにとって分かりやすい表現が出来
ているかは定かではありませんがそんな感じなんですが分かって
いただけます?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「完全」と感じるとそこに閉塞感もしくは不動感を感じるので

これに関しては全くないのです。
本音を言えば私は『世界は完全であってほしい』のです。
可能であれば明日8/25に世界が完全な状態になっていてほしいのです。

世界と私(主体)、というように分けて考えている様ですが、私はどちらかというといっしょくたです。
世界が完全になるという事は私が完全になるという事です。
だから、世界が完全になったとしても完全である私は閉塞感を感じないと思います。

お礼日時:2009/08/24 02:06
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