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質問です。
なぜ、アフリカは経済的に貧しい国が多いのですか?

・アフリカの人はあまり働かないからですか?
・自然環境が厳しいからですか?
・長い間、先進国が植民地にしてたからですか?
・産業があまりないからですか?
・天然資源を先進国に安い価格で輸出してるからですか?
・独裁政権が多いからですか?

上の箇条書きした質問は、僕の勝手な先入観から質問さしてもらいました。


回答よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

教育水準が低いからですよ…。


全ての事柄はここに帰結します。教育のインフラを整備しなくっちゃね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
教育って本当に大事ですよね。国が発展する為の未来への投資ですもんね。

お礼日時:2009/08/30 01:38

理由はいろいろあるでしょうが、


アフリカだけでなく一年中暑くて季節の変化がほとんどない地域は
文明が発達しにくいですね。
冬にはあまり作物が採れません。だから
春や夏にうんと働いて秋にたくさん収穫し、
冬の食料を蓄えなければなりません。
これを何千年も繰り返すうちに勤勉な人間性が養われるんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
季節の変化にそんな意味があるとは知りませんでした。
勉強になります。

お礼日時:2009/08/30 01:40

政治そのものが不安定なようです。

ウイキによると至る所で内戦が勃発している、とあります。ルワンダの悲劇が良く知られているところですが、ジェノサイド、凄まじいものがあります。
では、なぜ、不安定なのか。多くのアフリカの国々が、1960年年代に植民地から独立したそうなので、まだ、独立してから50年しか経っていない所がほとんど。独立=宗主国による責任放棄、らしいです。独立してからは、人口爆発が発生。元々、文明の伝播に対しては、サハラ砂漠が障害。三角貿易、植民地化という流れでしょうか。
世界の二極化にくらべれば、日本の二極化などかわいいものですが、奴隷売買さえもゆるされた規制緩和、新自由(放置)主義など、今の日本の問題にも置き換えることができるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私たち日本人が想像できないほど、政治が不安定な国が多いんでしょうね。

お礼日時:2009/08/31 00:41

一般人の私見ですが、


・大部分が大変古い地質で、土壌が痩せていて、基礎的生産性が低い。
・植民地として収奪され、社会組織が壊された。
・その結果、独裁や失敗した国家、内戦などが多い。
ついでながら、植民地化される前は、それなりに進んだ文化を持った王国もあったと聞きます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
幾つかの理由が考えられ、悪循環に陥ってしまってるように思えますね。

お礼日時:2009/08/31 00:58

今世界に存在する70億人近い人間はすべて5万年前はアフリカ人だったことをご存じでしょうか?



   つまりわずか5万年前はアフリカは世界で一番の発展地域であったのです。 人類が生まれるべくして生まれた素晴らしい環境がアフリカにあったのです。 アフリカから追い出されたあぶれものが世界中に散らばり現在の繁栄をもたらしました。  アフリカに残った勝ち組は恵まれた環境にどっぷりつかり工夫することを怠けました。

     人間は苦境を乗り越えて進歩してきたのです。≪当時のヨーロッパは寒冷地帯でした。アフリカから来た人類は寒さを克服する工夫をしながら発展しました。≫

  現在のアフリカは悲惨です。ただ忘れていけないのはわれわれと同じ先祖を持った人間ですから潜在能力はあります。中国、インドが発展した後は必ずアフリカが大発展します。世界最後の低賃金地域だからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
苦境が人間を進歩させるという考え、とても興味深いですね。
勉強になります。

お礼日時:2009/08/31 01:06

まず、今現在の発展途上国(貧困国)と言われるところのほとんどが、第二次世界大戦以前の列強国(日本の東南アジア領有を植民地とするかは賛否両論だが)によって植民地化された経験を持っていると言うことです。


アフリカの植民地化の歴史をたどってみると、

・14C頃から、ヨーロッパで黒人奴隷が使われ始める
・15C末頃から、スペイン中心にアフリカ沿岸を侵略
・16C前半、スペイン・カルロス1世がフランドル人に年間4000人の奴隷供給特権を付与=近代黒人奴隷制市場の確立
・スペイン・ポルトガルが中南米植民地用に黒人奴隷貿易が激化
・17C頃~、徐々に英国・蘭・仏などに覇権が移行
・上記の頃から、徐々に英・蘭・仏による植民地争奪戦が激化(探検ブームによって内陸部にまで侵略が激化)
・19Cには、アフリカ全土がヨーロッパ列強の植民地に
・19C末頃から、米国が介入し始める(門戸開放主義・民族自決の原理などを主張)
・20C、第二次世界大戦以降から植民地独立の動きが激化
・宗主国は、治安維持ができなくなり責任放棄
・政治的混乱が激化
・・・現在に至る

ってかんじでしょうか。(かなり大雑把ですけど)
アフリカの貧困問題は、この植民地化~独立というのが一番の根っこでしょうね。
その内容を細かく見ると、大きく二つに分けられるかと思います。

まず一つめは経済的要因です。
アフリカ植民地の初期は、もっぱら黒人奴隷の供給地として支配されていきます。
そして、産業革命が起こって近代化がすすむと、本国のための資源・食料の生産地として搾取されていきます。
また、本国で作ったモノを売りつける市場という意味も出てきます。
その結果、植民地の工業化は遅れ(というより、本国が許さず)ていくことになります。
また、本国への輸出向け製品ばかり作らされるということは、自分たちで消費するための食料や製品を作れないということになります。
また、生産される食料なども香辛料・サトウキビ・コーヒーなど、とても主食といえるようなものは生産されませんでした。(モノカルチャー経済)
そして、独立を勝ち取ってからも、その経済構造が変更できず、むしろ「自由経済」の名の下に、「競争」が激化していきます。
「競争」が激化するということは、「価格」の暴落につながり、作っても作っても豊かになれないと言うことになります。
そこに加えて、干ばつや洪水、異常気象、地力の低下などが加わり、なかなか饑餓を克服することができません。
また、鉄鋼や銅、レアメタルなど鉱山資源を売って外貨を稼ぐことはできても、末端の貧困層にまでその利益が還元されていません。
むしろ、そうした外貨が武装勢力などの資金源になったりしています(ブラッド・ダイヤモンドの話はその典型ですね)

第二の要因は、やはり政情不安です。
植民地化によって、それ以前のアフリカ社会のバランスが崩れ去りました。
というのも、列強諸国は原住民の民族構成やテリトリーなどを無視して植民地の境界線を引きました。
結果、列強が引いた国境内に多種多様な民族が入り乱れることになり、また国境線を跨いで同民族の居住エリアがあったりとして、混乱していきました。(アフリカの民族・宗教は多種多様です)
それが独立運動の激化ともに、政治的主導権を握ろうとする民族間の対立が顕在化していきました。
そこに、東西冷戦によって東側陣営と西側陣営双方がアフリカ地域で有利な主導権を握って資源供給地にしようと介入を繰り返します。
これは、必然的に部族間の対立を煽り立てることになっていきます。
当然、これは治安の悪化となり、治安の悪化が農業生産・工業生産にも影響を与え、経済的発展の妨げとなっています。
また、安定した職業に就けずに武装組織の一員になる(ならざるを得ない)
人々が出てきます。
例えば、現在話題になっているソマリア沖の海賊ですが、彼らの殆どは漁師であり、漁をするだけでは食べていけないので、海賊行為に走っているという現状があります。
武装組織の人員の増加は、当然治安の悪化につながります。
その治安の悪化は、、、、と悪循環に陥っているのが現状でしょうか。

とまぁ、以上がアフリカから貧困がなくならない大きな要因かと思います。
ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
アフリカの植民地の歴史、勉強になりました。
日本でも問題になっているソマリア沖の海賊が、アフリカの現状を象徴しているということですね。

お礼日時:2009/08/31 01:18

 身近な例として、日本と比較しながら考えてみました。


 日本も基本的には恵まれない国です。
 
 マイナスの側面…
○鉱物(鉄・原油・レア金属など)は殆ど採取できない。
○世界有数…いやトップの地震発生国。結果として折角建物などを建築しても強度が弱い造りだとすぐに倒壊してしまう。やむなく、余計な建築資材や労力・資金を費やして耐震に強い建物を作らざるを得ない。
 又、作っても地震により倒壊や半壊してしまう事が多々あるのでやはり作り直さないとならない事が多い。
○国土の70%が山地にて残りの30%の平地に人口が密集して過密気味にて生活している。

 普通に考えたら、これだけマイナス要素があったら発展できずに未だに発展途上国でもおかしくなない。
 然し、日本は一応先進国と呼ばれている。
 なぜであろうか?
 私は以下の如く推察した。

 プラスの側面…
○日本は幕末に植民地支配の脅威に晒されたが、幸運にもその植民地支配の危機から逃れられた。
 一方、アフリカの国々は、長年に渡る植民地支配により物質的(資源の奪取)にも精神的(独立心とか気概とか)にも疲弊させられてしまった。
○日本はほど単一の民族である。
 無論、アイヌ民族も居るし沖縄の琉球民族とかも存在している。
 ただ、日本国内を内乱に招くほど独立心が強かったり、政治的・経済的に独立心が強いわけではなく、少なくとも今の処は日本国内に上手く融和していて、大きな問題は発生していない。
 つまり、国内が民族対立により二分されたり四部五裂しないと言う事は日本国としてまとまり易い傾向にある。
 ちなみに、韓国も北朝鮮も朝鮮民族です。
 中国も多くは漢民族です。(ま、ウイグル自治区とかで独立運動とか起こっておりますが、ほぼ漢民族が中国のリーダー的存在です)
 一方のアフリカの国々の国土・国境を地図でよくみて下さい。
 極めて直線的な国境でしょう。
 それもそのはず、ヨーロッパの列強(中心は英仏)が、気軽に定規で国境線をひいて互いの勢力圏を線引きしたからです。
 その当時、その場所にどのような部族・民族が居住していようと、まるで意に介さずにです。
 結果、同一の部族が国境線により真っ二つに分断され別の異なる部族と新たな国に属することになる状況が至る処で発生したのです。
 そりゃあ、荒れるでしょう。
 いきなり違う習慣・伝統・風俗の部族と国を同じくする事になったのですから…。
 それでも、宗主国た(支配者)たるヨーロッパがいた頃はまだ重しとして内部分裂はしませんでした。
 然し、その宗主国が去ったら、もう大変です。
 これまでの不満が噴出し始めました。
 これが、未だに結構根深く残って、騒乱の火種になっております。
 そりゃあ、国としてもまとまりにくくて内乱もしょっちゅう発生するでしょう。(国境線を勝手きままにひいたヨーロッパの責任ですね)

○日本は抜群の教育水準を持っていた。
 特に、底辺の教育水準が高かった。
 江戸時代には、寺子屋制度により”読み・書き・ソロバン(計算)”ができていた。
 これは、当時のヨーロッパと比較しても極めて高い水準であった。
 第二次対戦後に、シベリアに日本兵が抑留された際に、ソ連兵が新聞を持ってきて抑留されている日本の将校に対して”この新聞を兵士に読んで聞かせろ”と命じた処、日本の将校は兵士一人一人が文字を読めるのでまわし読みさせたらよい!と返答したら、ソ連の兵は驚いていた。
 日本人は兵士でも文字を読めるのか!と…

 これだけ、日本とアフリカは状況が違いました。

 参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
アフリカの貧しさの原因は根深いですね。今さら国境を変えるわけにもいけませんしね・・・。

お礼日時:2009/09/05 00:26

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