20世紀初頭、夏目漱石が
留学していたロンドンで
ヴィクトリア女王の崩御を知り、
「20世紀は幸先の悪い始まりかたをした」
と感想を述べましたが、その先見性は
2度の世界大戦で見事に証明されましたけど、
夏目漱石の功績はどのようなものでしょうか?

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A 回答 (1件)

彼の文学作品の功績は、それまで我が国において希薄であった個の概念を定着させたことだと言われております。



しかし、個人的にはそれよりも近代日本語の確立者の一人として評価しています。彼は英語教師でしたが、英語を志す前は、漢文(江戸期の学問の主流)の大家(ちと褒めすぎか)でした。明治期の知識人は普通に白文を読むに、中国人以上だったものも多かったようです。そうした、素養の上に外国語を日本語へと翻訳し、今にいたる日本語がつくられたのです。今の「昔からの正しい、美しい日本語を大事にしよう」などと言ってる人が言う、昔とは福沢諭吉、森鴎外そして夏目漱石以降にしかすぎません。
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この回答へのお礼

有難う。

お礼日時:2009/09/04 04:39

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Q夏目漱石の比喩について

夏目漱石が作品の中で、縫い進む針が闇の中で時折ひらめく、みたいな比喩を使っていた記憶があるものの、出典がわかりません。
後期三部作のどれかだったような気がするのですが……。
お心あたりのある方、ぜひご教示ください。

Aベストアンサー

前期三部作『それから』五 の真ん中より少し前
「ただ独り夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中を断えず通っていた事を自覚していた」

違っていたら、探し方をお教えします。
 「検索」で 「それから 靑空文庫」を開く、左上のメニュー「編集(E)」→「このページの検索」をクリック。すると「検索」マドが開きます。そこに「針」を入力し、次へ(前へ)をクリックします。場合によって「オプション」指定。「それから」以外のばあいは別の作品名を入れて検索してください。

Q漱石研究における江藤淳の功績についてご教示願います

教えていただきたいことがあります。

江藤淳が学部時代に漱石論(『夏目漱石』)をだし、大変な評判になり、
漱石観の変更にもつながったと以前読んだ記憶があるのですが、
具体的には江藤のどのような論点、分析にインパクトが
あったのか、教えていただけないでしょうか。

なんとなく、小宮豊隆のような漱石の弟子たちのつくった
「則天去私という道徳に向かって成長していく漱石観」
を相対化したような印象があるのですが、では、江藤がだした
新基軸はどのようなものだったのか、簡単なお答えでよいのでご教示
いただけると幸いです。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

江藤淳は漱石に自身を見たということ。漱石を語ることが、即、自身を語ることになったということ。こういう手法(他者をかりて自身を語るという方法)は、先に、小林秀雄が提言(実践)していて、江藤は、それを更に明らかなやり方で、実際に試みて成功したということ。

例えば、戦時中、稲村ヶ崎に疎開していて、米兵が上陸したら、「竹やり」で一人殺してから自分も死ぬのだと決意していた少年時代、江藤は図らずも「性」に覚醒(江藤の初恋)していて、そういう原体験が、漱石と嫂の禁断の恋を語る原動力になった。

人というか、世間というものは、最終的に切羽詰った状況に立ち至ると、社会的な束縛とか、禁忌が緩むのであって、そんな時、「性」の目覚めというものが促進される。そういう確信が、江藤に、「漱石の恋」を書かせた。

そして、その第一級資料が、子規宛書簡に出現する「銀杏(いちょう)返しにたけながをかけた」女との出会い。これが、実は、嫂ではなかったかというのが、今日では、定説となっている江藤の「漱石作家(人物)論」。

江藤は自身の原体験のようなのもが漱石にもあった筈と確信した。で、東京にチフスが蔓延した時、理不尽な兄に対する思いとともに、嫂に恋するという事態が生じた。こう考えたのが、江藤の「漱石論」の始まり。繰り返された三角関係の漱石テーマの原点。

江藤淳は漱石に自身を見たということ。漱石を語ることが、即、自身を語ることになったということ。こういう手法(他者をかりて自身を語るという方法)は、先に、小林秀雄が提言(実践)していて、江藤は、それを更に明らかなやり方で、実際に試みて成功したということ。

例えば、戦時中、稲村ヶ崎に疎開していて、米兵が上陸したら、「竹やり」で一人殺してから自分も死ぬのだと決意していた少年時代、江藤は図らずも「性」に覚醒(江藤の初恋)していて、そういう原体験が、漱石と嫂の禁断の恋を語る原動力になった。
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Q夏目漱石を読むなら・・・

夏目漱石を読んで文章能力を上げたいのですが、
文章表現が上がりそうな夏目漱石の小説は何でしょうか?

Aベストアンサー

物語構成としては「それから」「坊ちゃん」
修辞学的には「草枕」「それから」
文章練習には「文鳥」

まったくの個人意見です。

Q夏目漱石の悟り

『漱石先生ぞなもし・続』のなかで、ある者が『先生にとって悟りとは何ですか』と問うたところ、
漱石は『彼も人なり、われも人なり』と答えたとあります。
解釈は様々でしょうが、悟りの境地には至らないが、悟った先人達もまた、人なのであるから、
自分も又いつかその境地になることも可であると言ったのではないかと私は思うのです。
が、ある本で、悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことであると
漱石が語ったのだと解釈されていたのがどうも腑に落ちません。
漱石の禅とのかかわりから考えて、明治38,9年頃の漱石が悟った人として自分を捉え、
弟子にかくかくと言うとは思えないのですが
ご意見伺いたくお願い致します。

Aベストアンサー

>悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことである

 これは大乗仏教での悟りの定義のひとつです。言葉で言おうとすると、大体このあたりに落ち着く、という風に相場が決まっているわけです。ただ、漱石の答えがこれを意味していたとはどうも思えません。

 漱石は禅についての問題意識を持ち続けた人です。ご承知のとおり、『行人』の最後のほうに、香厳というお坊さんのことが書かれています。聡明にして博学だった香厳は、師から「父母未生以前、本来の面目は何か。お前の言葉で言い切ってみろ」と問われて、答えに窮してしまいます。いくら頑張っても、借り物の言葉でしか答えらしいものが語れないからです。

 この香厳のエピソードを、漱石は自身の体験になぞらえて理解していたのだと思います。『門』にもあるように、彼は二十代のおりに鎌倉の寺院でぶっ通しの参禅をし、釈宗演という老師から香厳と同じ「父母未生~」の公案を示されているのです。
 漱石も何か答えようと何度か試みます。しかしその度に老師から、「そんなものは少し学問のある者なら誰でも言うことだ、もっとギロリとしたところを持ってこい」、とさんざんどやしつけられ、結局は挫折するわけです。

 聡明な人間が、ともに自分の言葉で真実を語ろうと模索するものの、師匠から「頭がいい奴は気のきいたことをいうもんだ」などといなされ、ゆきづまる。図らずも漱石は香厳と同じ境遇にたつ強烈な体験をしたわけです。恐らく漱石はそのことを強く意識したことでしょう。

 ただ、二人のその後の人生は大きく違っています。香厳は、「画餅では飢えをどうすることもできない。自分にせめてできるのは修行者の世話ぐらいだ」と、持てる一切の論書を焼き捨てて、一介の飯炊き僧として年月を重ねる生活をおくり、やがて忽然と大悟を得ます。一生をかけて彼は、ゆるぎない自分の答えを得たわけです。

 一方の漱石はといえば、参禅のあと作家として順調に大成し、名を知らぬものとてない大先生となってゆきます。けれども、恐らく心中にはあの体験が未解決のまま残されていたでしょう。だからこそ、晩年作の『行人』の中で、主人公に「自分は香厳になりたいのだ」とまで言わせたのです。似た体験を共有するはずの香厳に比してみた時、漱石には、自分には解決をつけていない問題がある、と感じられていたことでしょう。

 ところで、最晩年の漱石は、二十歳そこそこの若い雲水たちと不思議な交流を持っています。既に大家であった漱石に、「返事を下さい」と無邪気なファンレターを送ってよこした修行僧の天真爛漫さに感じるところがあったのか、手紙のやりとりをするばかりか家に泊め、いろいろと立ち入った相談まで持ちかけています。挙句、「五十の歳までグズグズしていた自分に比べ、もう既に修行しているあなた方は幸福だ、あなた方は尊い方だ」、そして「自分が死んだらあなた方に引導を渡してほしい」とも言ったようです。

 その心中について解釈は色々あるようですが、香厳の一件が漱石のなかで未決のまま残されていたことが、天衣無縫な若い雲水の姿に漱石が手もなく憧憬に似たうぶさを見せたひとつの理由ではあったと思います。
 それと同時に、晩年の漱石自身が、ちょうど書を焼いた香厳がそうであったように、日常茶飯底のふるまいをきっちりと行うことに禅らしさを感じるようになっていたのではないか、とも思います。日常を日常としておこなって何ものにもとらわれないでいること、つまり悟りうんぬんということからも自由であることが禅の目指す生活である、そういう感覚を漱石は持つようになったのではないか、それゆえに若い無邪気な僧侶の(落としたビフテキを「もったいない」といってそのまま食べるような)天衣無縫な行動に対して周囲も驚くほどにことさら共鳴したのではないか、と思うのです。このあたりは全くの想像なのですが。

 いずれにせよ、(発言の時間は少し前後しますが)そういったことをふまえて改めて「彼も人なり、われも人なり」という言葉を見ると、単に「仏も人だったのだから、私だって」と漱石が語ったのだとは受け止めにくいところがあります(用法を見ても、その意味で使うなら通常、「仏も人なりき」というように、もっぱら過去形で語る場合のほうが多い)。
 むしろ、漱石のなかでは、世間的には大先生であるはずの自分を何とも思わない若い修行僧のように、地位や名誉、利害得失や右顧左眄を離れておもねることなく、ただ球が転がるかのように日常を送ることがどうやったらできるか、ということが悟りの問題と関係づけられていたのではないかと思います。

 つまり、普段の社会は「人と人」とは言いながら、それを覆う条件が複雑に絡みすぎていて、しかも(漱石の言うところでは)小さな「我」にとらわれた個人主義の生活ばかりが営まれがちだけれども、本当に「人と人」として恬淡と毎日を生きることができないものか。「彼も人なり、われも人なり」とは、禅についての問題意識を一生持ち続けた漱石ならではのそんな思いの表われたものではないか、という気がするのです。

>悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことである

 これは大乗仏教での悟りの定義のひとつです。言葉で言おうとすると、大体このあたりに落ち着く、という風に相場が決まっているわけです。ただ、漱石の答えがこれを意味していたとはどうも思えません。

 漱石は禅についての問題意識を持ち続けた人です。ご承知のとおり、『行人』の最後のほうに、香厳というお坊さんのことが書かれています。聡明にして博学だった香厳は、師から「父母未生以前、本来の面目は何か。お前の言葉で言い切って...続きを読む

Q夏目漱石の千円札

千円札が夏目漱石から野口英世に代わりましたが、
何年経っても夏目漱石の千円札は使えるのですか??

Aベストアンサー

もし10年経っても存在してたらつかえます
PS日曜日にここ最近お目にかからない2千円札を、見ました

Q夏目漱石:三四郎

三四郎には、「死」の場面が唐突に三回出てくる。
それが、この作品に暗い影をなげかけている、という話を聞いたことがあります。
読み返してみたのですが、
○野々宮さんの家で留守番をしているときに、中央線で自殺がある。
○みね子(ひらがなですみません)といるときに、野辺送りを見る。
の2回しかわかりません。
私の聞いたのがまちがいだったのでしょうか。
どなたか、この説を知っている方、もしくは、もう一箇所の死の場面を教えてくださるかたは、いらっしゃいませんか。

Aベストアンサー

その話は聞いたことがありませんが、
「三四郎」にはもう一つ、子供の葬式の場面があります。
三四郎が病気の広田先生を見舞ったあと、
原口の家に行く途中のことです。
やはり唐突にでてきます。

第10章。角川文庫クラシックスではP247ですが、
他の版ではわかりません。

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q夏目漱石の「こころ」について

時代の背景などを取り入れながらKは先生を。
先生はKをどのように思っているかを調べることになりました。

先生はKに対するコンプレックスはあったという風に私は受けました。

Kは先生のことどう思ってるんでしょうか??
下の25章には「Kがそのために私を軽蔑していることがよく解りました」とありますが他にヒントになるようなことありませんか??

よろしくお願いします

Aベストアンサー

いきなり身も蓋もない話で恐縮ですが、「こころ」に登場するKという人物については、「先生の遺書」の中で語られている限り、われわれ読者としては、先生の「遺書」執筆の動機や目的というフィルターを介して、しかも先生の都合によって選択・再現されたKの在りし日の言動しか知ることができないのです。

となると、そもそも

>Kは先生のことどう思ってるんでしょうか??

という疑問そのものがはたして成立し得るのでしょうか?
もちろん、「先生は、「Kは先生のことどう思ってる」と考え、「遺書」中にKのことをあのように書いたのか?」という疑問なら成立し得るでしょうが。

>「Kがそのために私を軽蔑していることがよく解りました」

これも、第三者の視点からのものではなく、あくまでも先生の側の事情や都合にもとづいてKの心中を忖度した結果でしかないですよね。
とすれば、ここで「先生自らこう判断しているのだから、確かにKは先生のことを軽蔑していた、これはKの本心だ」とはとても言えないのではないでしょうか。

ですから、「遺書」中で先生がKについて書いていることの全ては、あくまでも先生の「明治の精神」に殉死せんとの決断へと収斂することで、はじめてその意味や意義を持ってくるはずで、こうした先生の視点(都合、内的必然性)から切り離して、Kの真意なり、本音なりを推察しようとするのはいかがなものでしょうか。

いきなり身も蓋もない話で恐縮ですが、「こころ」に登場するKという人物については、「先生の遺書」の中で語られている限り、われわれ読者としては、先生の「遺書」執筆の動機や目的というフィルターを介して、しかも先生の都合によって選択・再現されたKの在りし日の言動しか知ることができないのです。

となると、そもそも

>Kは先生のことどう思ってるんでしょうか??

という疑問そのものがはたして成立し得るのでしょうか?
もちろん、「先生は、「Kは先生のことどう思ってる」と考え、「遺書」中にKの...続きを読む

Q漱石全集と夏目漱石全集

「漱石全集」が岩波から、「夏目漱石全集」がちくまから出版されていますが、どう違うのでしょうか?
文庫本で小説は全部楽しく拝読いたしました。
興味が出てきて、漱石日記、私の個人主義を(これも文庫本)読んでいます。
今は、夏目漱石の価値観や思想観などちょっとしたことでも、もっともっと知りたい気持ちでいっぱいです。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの(第1巻が1993年)か、ひとつ前のもの(第1巻が1984年)がいいと思います。

 それからですね、
 集英社『漱石文学全集』の別巻『漱石研究年表』は、漱石の行動を、一日単位で年表にしたすごい本です。
 また、
 ほるぷ『初版本漱石文学館』は、初版本を、装丁まで忠実に復元したものです。
 また、漱石の小説は、ほとんど朝日新聞に掲載されたんですが、当時の新聞を、挿絵ごと、そのまま写真版で復元したものもあります。ゆまに書房『漱石新聞小説復刻全集』です。

 漱石のひととなりを知るには、『書簡』がお勧めです。漱石は書簡の名手で、素晴らしい手紙を数多く残しています。岩波文庫の、抜粋の『漱石書簡集』から入ってみてもいいかもしれません。

 漱石の全集は、たくさん出ていて、その歴史は、日本の全集の歴史を象徴してるといわれているんです。これを書くのに、青英舎『漱石全集物語』を参考にしましたが、そんな本が出るほどなんです。

 復刻版は、かなり大きな図書館でないとないかもしれません。最初は、岩波版『漱石全集』か、岩波文庫の漱石作品がいいと思います。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの...続きを読む

Q夏目漱石「こころ」の解説 

夏目漱石の「こころ」の文章の解説が載っているサイトをご存知の方、URLを教えてください!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24517/story.html
あらすじでよいのでしょうか?


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