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こんにちは。よろしくお願いいたします。
般若心経を一日3回ほど唱えております。簡単な意味は理解し唱えておりますが、、よく理解できていません。ネットで調べるのですが、、、。
「色は空であり、空は色であり」、、、実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。などと、、、。

全体的にはイメージは出来来ているのですが、、、。この世のすべてのものは何もない空であるという意味なのでしょうか?苦しみをなくす修行法もありません。。。というのは、「考えて悩むこともない」といういみでしょうか?

最初は、仕事や人生で悩んだときに唱え始めて、2年ほどなります。
もっと理解したいので、よろしくお願いいたします。

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A 回答 (10件)

私は、仏教、日蓮宗系の宗派、日蓮正宗の者です。


経は、法華経、日蓮大聖人様の書文、帰依を三大秘法の久遠元初の仏。
根を三大秘法とし、それなくして、僧侶(お坊)も経も書文も無意味とされる宗派です。

私なりの「回答させて」いただきますが、絶対に正しいということ自信は持てません。

私が少ない期間ですが、修行して感じた「空」というのは、かなり深いものと感じます。感じることは、容易ではなく、体験を通し、感じるものだと思います。だから、感じることなくして、「空」という説明を聞いても決して悟ることは不可能ではないかと思います。
傲慢になっていますね。あくまで私が感じた空というものです。

空の説明に入る前に、余計と思われることを書かせてください。

仏教とは、成仏、つまり、仏様に成るということです。
法華経を初め、諸経では、釈尊が、普通の人からすぐに仏に成ったという訳ではなく、数多くの修行やその生まれた人物や人生において修行をし、数々の悟りや、上級の教えや修行に巡り成仏されたとされています。

成仏するということは、私が解釈する限りと実感を通す限りでは、内在する仏性を開花、強めるということだと感じています。

知識や技術等を身につけ、成仏に至るのではなく、自分に秘められた仏性を開き成仏する。
しかし、その開きも徐々にしか開かないものとだと感じています。

ここから、空についての説明です。
人は、感覚を持っています。その感覚には、3つがあると私は感じています。
1つが攻、2つ目が恐怖、3つ目が、禅定なる幸です。

人は、傷つけら時、怒ったり、、憎むことがあります。これが、攻撃なる感覚です。
また、傷つけたれた時に、絶望や、深い悲しみ、苦しみ、恐怖となることがあります。これが恐怖です。

この攻と恐怖では、決しては、救われることはないと私は感じます。
攻の行動をすれば、誰かが傷つき、攻か恐怖を感じます。
恐怖では、自分がどんどん生気を失い、苦しみ喘ぎます。

この攻と恐怖というのは、要は、傷つけたれたこと(感じたこと)に対する反応です。
この感じたことに反応するということは、簡単に変えることは無理かと思います。ただ、それに基づいて行動はしないという「制御・我慢」という行動はできると思いますが。

この傷つけらたこと、上記で()で感じたこと、いろいろな感覚器官を通して感じて、攻・恐怖は発する訳です。


冷静に考えると、感じて、自分の感性が通し、攻・恐怖、哀れみ、哀しみ、救いの念が生じるものです。

空の第一として、攻・恐怖といういった決して救われることの無い感覚を消滅させ、哀れみ、哀しみ、救いといった仏の感性を生じることです。

ここで言う、空とは中道です。つまり、攻でも、恐怖でもない。冷静であり落ち着きがあること「禅定」です。クールとかそういったものではありません。感情はあっても、激情ではない感覚といいましょうか。
感じたことが無い人には理解認識し難いものかと思います。

そうやって物事を禅定になり、見ていくと、なんとなく、色と空というのが分けられてきます。
色とは、目に見えることです。私は、色よりも、「仮(け)」と言う方がしっくりします。
色、つまり、目に見えるものは、因縁によって生じます。
仏性を開いていけば、仏性が徐々が現れるように、
愚行をすれば、どんどん心が荒れ果てていくように
行動(因縁)によって、色が生じきます。

とは、言え、人間が条件に応じて結果生じることを、絶対的な法則として捉えるには限界があります。すべてが法則として存在し、その法則を把握し、その法則に基づいて何でもこうなると言える人はいないでしょう。

なんで、日本に生まれ、貧しい国に生まれる人が存在するのか、それは「運」というしか答えを出せないのが人間です。「運」と答えを出す以外にできないのが人間で、それが上記に書いたすべてのことにおいて法則に基づいてこうなると言えないと書いたことの説明です。

物事を禅定を持って追求し、攻・恐怖、快・不快というものに囚われず、終わることの感情・感覚を逸脱し、捨て、生きる活気に生ずる捉え方をしていくと、この肉体さえも、色であると感じてきます。たぶん、私は、死んでも、空としての存在は残り続けると。

>実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません

と言われるのは、かなりの功徳があり、禅定を持って悟る境地対して言われたことと存じます。
高い功徳を持った人は、仏教の話を聞いて、実感悟り得ることができると思います。私は、対して功徳を持っていなかったので、苦労を重ね、実感悟り得たことが多々あります。

このことについて日蓮正宗の宗派の解釈によりますと、釈尊時代は、正法と言い、今の時代は末法といいます。何が違えば言えば、仏教を聞く者の功徳の高さ・低さです。正法は、功徳が高く、末法は、功徳が低いとされています。功徳が高い=仏様に近いということを意味します。また、機根も同様にして、機根が低い=仏様に遠いということを意味します。

正法の者たちは、その前世及び過去世において功徳を得た者です。ですのえ、仏教にめぐり合えばこそ、その教えが知識ではなく、実感や道理として存在するという実感の元に悟り得ることができるものと思われす。

末法の者は、修行をせずに、功徳が低いく、禅定なる心がなく、攻・恐怖、快・不快、自尊心、卑下、得が好であって、嫌が排除となる感覚が強く、禅定なる心を持って、静かに考え、道理上に実感することは不可能とされています。

さらに、正法の時代に生まれ、(華厳)阿含、方等、般若というように、衆生の功徳に応じて得を積むように説かれています。
般若の教えを悟り得る衆生に対しては、
「実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません」のが解ったのだと思います。

以後、蛇足です。
私の読んだ宗派の教書では、
小乗の空を、肉体は色、魂は空というもの。これによって輪廻を解脱できるとされるという考え
大乗の空、般若の空は、物事の攻・恐怖ということの拘り、執着を捨て、禅定を持って、落ち着きを持って、真実・実相を悟るというもの
法華経の空?というか、法華経では、三諦円融(さんたいえんゆう)と考えがあります。「一念三千」、「十界互具」という考えとかなり関係があります。

簡単に言うと、一人の人間(あるいは存在)の中に、仏性、菩薩、縁覚、声聞、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄という10の世界があるとあれています。世界という言い方が適切とは思いませんが、界では、伝わりにくいと思うのでそういった表現にしました。

上記に書いたように、仏性を開く修行をしていけば、仏様に近づき、餓鬼、畜生、地獄に落ちるようなことをしていけば、そうのようになるということです。

法華経では、提婆達多という者が出ており、過去において、釈尊(お釈迦様)に法華経を教えた者とされています。それが、釈尊が成仏して、長い時を得て、「事実であれば」今から3000年前に釈尊が仏教を説いた時でも、まだ、成仏しておらず、釈尊の邪魔をしたとされる者です。

話が逸れました。
空を悟り、因縁・徳と業によって色(仮)という目に見える世界、感じる世界が生じる。これは大乗の空と同じです。
法華経では、空も色(仮)としています。
法華経の三諦円融(さんたいえんゆう)とは、空、仮、中という3つ別れ、
中を成仏、
空は成仏によって悟り得る故に色(仮)として感じる者、
仮とは、空であり、中です。
つまり、
成仏することに、
空を感じ、
空を感じることは仮であり、
仮というのは、成仏の境地
それが、法華経の三諦円融(さんたいえんゆう)という私なりの解釈です。ここは実感してないところなので、解釈に過ぎません。

最後にもう2つ
人生は、悩み考えるものだと思います。悩み考え、それの本当の苦悩から救われる悟りを得た時に、1つ、人間性(仏性)が高まると感じます。
いくら、修行をしても、悩み考え、苦の因を見つけ、それを解消、救われたいと思わない人に、智慧というものは得られないものだと感じます。

仏性を開花、仏様に近づくことよって、
物事の実相、真理を悟り得る智慧
物事を正しく捉え、考える精神的落ち着きの禅定
物事の苦・救の繋がることを踏まえ、苦に繋がることをしない戒
が身につくとされています。

そして、最後の1つ。
私の宗派の教え上に書いているので、もしかしたら、私の宗派や法華経に興味を持たれるかもしれません。
私は、質問者さんの人生に肩代わりは決してできません。あくまで参考意見として述べただけであって、その正誤、幸・不幸、価値、無価値は質問さんが判断することです。誰かを信じることは裏切られる、騙される可能性があるからこそ、「信じる」という言葉を使うものだと私は思います。
自分の人生の責任を持って人の参考にしてください。
私は仏様ではなく、質問者さんを救える人間かも解りませんから。


長い回答で、誤字、脱字もあるかもしれませんが、
質問者の人生やそれ以上の広域において、何か参考や、ためになれば幸いです。
もし、最後までお読み頂いたのなら、ありがとうございます
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この回答へのお礼

詳しく書いてくださいまして、ありがとうございました。
とても勉強になりました。
私はまだ若く、深く入っているわけではなく、いろいろなきっかけで、お経を読んだり、お釈迦様の本を読んだり、することになりいろいろと調べました。ただ、今一度心に入っていくものが簡単にはいきません。
>空とは中道です。つまり、攻でも、恐怖でもない。冷静であり落ち着きがあること「禅定」>
よく分かりやすいでした。
どんなことがあったとしても、恐怖感を感じでない、かといって逃げているわけでもない、きちっと自己分析して冷静でいられる、、、。本当に凄い事ですね。
人間は、釈尊様のようになれるのか日々考えますが、、、一つ一つの積み重ねが精神、仏性の成長に繋がるのでしょうね?
では、人間はやはり苦しみぬくことこそが大事だという子になるのでしょうか?難しいところですね。
仕事で大変であると、遠回り、逃げてしまいたいこともあります。

でも、そこが成長の分かれ目なのですね。
ありがとうございました。成長できるよう、がんばりたいと思います。

とても参考になりました。また、人生においての何が大事かも、少し見えることもできました。苦しむことですね。

最後まで読ませていただきました。
失礼いたします。

お礼日時:2009/09/06 14:25

般若心経は大乗仏教の経典であり、その根本思想は唯識思想です。

よって唯識思想を理解する必要があります。

個人、個人にとってのあらゆる諸存在(色)が脳内のイメージ(表象、識)にすぎないというところまでは簡単だと思います。

個人のイメージにすぎないがゆえに、それは短時間で消滅する空虚なもの、夢のようなものである。(=色即是空)

「苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。」はイメージとして、構想された形としてそういうこと(=「苦しみが、、、、」)もない(空)と私なら解釈します。

最初から、色=空 といわれても はあ???ですよね(笑い)。大昔の呪文みたいな性格もあるのでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
唯識とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである。ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な、表象、認識、思考の諸行為を内含し、それらと相互に影響を与えあうその個人の無意識の領域をも内含する。

また、唯識は色即是空などに代表される大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうなんです。色=空て、よくわからないのです。ですが、あまり考えないようにしました。空なのだから、考えなさんな。ということかもしれません。唯識についても勉強したいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:46

現実問題として、自分自身が見・聞き・考えること等々によって、(般若心経を含む)様々な思想について「知ったり、理解したり」することができるわけです。



で、般若心経の隅々まで読んでおられることと思いますが、どこかに「いつ・どこで」といった「固定された」時空概念にかかわる言葉がでてくるでしょうか?

たとえば、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」ですが、文字通り、【今・ここ】を離れずにそういった心境に達することは不可能に思えてしまいます。でも、(般若心経のどこにも書いていないので)「時空概念にしばられずに」(【今・ここ】に縛られずに)考えるならば、「人は、いつかは死んでしまうので、仮の存在だ。でも、仮の存在だとしても、現実問題として【今・ここ】を離れては存在し得ない」とかいった概念で捕らえることは非常に簡単です。

逆説的にいえば、私のような凡人には、「その程度の理解」で「(十分に)割り切って、積極的に人生を生きていくことができる」ので、深くは考えないことにしています。

※「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」の前には、「色性是空・空性是色」が入るバージョンがあるそうです。
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この回答へのお礼

こんにちは。
>私のような凡人には、「その程度の理解」で「(十分に)割り切って、積極的に人生を生きていくことができる」ので、深くは考えないことにしています。>
そうなんですね、、、意味を理解しようしようと考えていました。やはり、積極的な生き方が、一番大事ですよね?。ある程度の理解で割り切るのも、私の課題だと思います。
勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:43

色即是空に、ついて説明します。

仏教では、この地球を仮の世界と言います。仮の世界だから、本当の世界では無く、影絵の様な虚像の世界です。だから色が見えても、実体は空です。諸行無常で、すべてが相対的で、絶対的なもの永遠なものがありません。しかし宇宙の大元は、完全調和の実像の世界があります。この地球は、不調和を調和に変換するために、仮の場所として作られました。脳の自我と、自然の無我が、出会うためのシュミレーションの世界です。これが仏教で説明している事です。お経の唱え方は、意味がわからない方が、効能があります。目的は、頭を空にする事、脳の思考を休む事ですから、意味がわかると、脳が活動します。わからないから脳が休み、脳波がアルファ波になり、座禅や瞑想の効果があります。
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この回答へのお礼

こんにちは。目から鱗でした。
>目的は、頭を空にする事、脳の思考を休む事>
こういうこともあるのですか~、知りませんでした。勉強になります。座禅や瞑想はやはり、意味があるのですね。奥が深いですね。あまり考えて異様にします笑。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:41

般若心経の「心」、これはインド語で心臓を意味する「フリダヤ」を漢訳したものです。


この場合のフリダヤは同時に「フリダヤマントラ(心真言)」の意味でもあり、般若心経は“般若波羅蜜多の心真言を説く経”“心真言の念誦による瞑想の功徳をたたえる経”です。
その修行の結果として「一切は空」というビジョン(視点)に解放されたのです。

つまり「五蘊は皆空」はまず始めに「一切は皆五蘊である」という視点に立った人が、さらにその上に「その五蘊も空である」という視点へとステップアップしています。
この段階を経ずしていきなり「五蘊は皆空」を机上の理論で理解しようとするのが、質問者さんの混乱の一因でしょう。

般若心経は、般若の心真言(神咒)念誦による瞑想によって段階的に、世界への視点がステップアップし、その結果が「五蘊皆空」です(色即是空は、五蘊皆空の一要素です)

その偉大なる心真言こそが「ギャテイ・ギャテイ・ハラギャテイ・ハラソウギャテイ・ボウジソワカ」であり、心経本文はこの真言の功徳をたたえ、その念誦修行の素晴らしさを賞賛しているのです。
ですから、経典を頭だけで理解しようとしてもある意味どうしようもありません。なぜなら心経は唱えること自体が修行であり、真言念誦による瞑想が重要だからです。

これは般若心経の成立からみても明らかです。
といいますのが、漢訳最古のもの『般若波等蜜神咒』であり、「神咒」とは真言と同意です。また現存最古のサンスクリット語で書かれたものも、末尾に「ギャテイ…」の後に「以上が般若波等蜜多のフリダヤである」と締めくくられています。
つまり「ギャテイ…」の真言への信仰が先です。


詳しくは下記サイトをご参照下さい。執筆者の宮坂宥洪師はサンスクリットやインド哲学の碩学ですので、インドにおける信仰、世界観、歴史に基づいて解説されています。

「般若心経は真言を説いたお経」
http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/
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この回答へのお礼

こんにちは。
>なぜなら心経は唱えること自体が修行であり、真言念誦による瞑想が重要だからです>
なるほど、修行と捕らえてよいのですね。そっか、深く考えることも大事ですが、修行と捕らえるとより、分かりやすいですね。
HPも読ませていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:36

仏教哲学には詳しくはないのですが…参考になればさいわいです。



般若心経とは「空」について説いたお経ですよね?
「色即是空 空即是色」とは「存在するものは実体がなく、実体がないものこそが存在するものなのだ」
という意味…であっていると思います。
つまり「空」とは「実体がない」ということです。
「実体がない」とはどういうことかと言うと…
わたしもさっぱりわからなかったのですが、
「ミリンダ王の問い」というお経にある説明がわかりやすかったです。
以下のサイトを参照してください。

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/bensyo1.htm
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この回答へのお礼

ありがおうございます。
HP拝見しました。確かに理解が進みました。こういう説明の仕方もあるのですね。
ミリンダ王の問い、も面白かったです。
ありがとうございます。 

お礼日時:2009/09/06 14:33

実体への理解が広がれば少し進展するのではないかと思い、書いてみます。



雪や雨、雲、ヒョウ。これらは名前が違い、形も違いますが、実体は同じモノです。H2Oですね。
この例えの中で、名前が違うのは見えているモノが異なるように見えるから名前が異なります。でも、実体から見れば全く同じものであって、違いはないという観点を理解することが重要かと思います。

『色即是空』でいう色というのが、雪や雨に当たり、空がH2Oにあたります。
つまり、この世の中で、形の違うもの(形の無いものも含む)、名前のついているもの(無名も含む)、さらには、あらゆる考えやイメージ、感情、精神といった、とにかくあらゆる全てのものの実体が一つしかないよと、それが空だよと言っている世界です。

補足のイメージとして、H2Oの代わりに空気をイメージしてみます。
空気に形やいろがない為、部屋の中にある空気も地球をおおっている空気も同じ言葉で表現していますよね。
ここで、空気という言葉や概念を知らなかったとしたら、どうなるでしょう。そもそも、空気という概念すら知らないわけですから、空気が有るとか無いとかすら、考えることができなくなってしまいます。
つまり、考えることができなくなってしまうという世界を現しているのが『色即是空』の世界といえます。

修行として、無心やthink stop、瞑想を行うのは、空の境地を得るためです。
逆に言えば、人は相対比較や自分の存在感の大小、対象との関係性に苦しんでいますね。これは、空と全く逆の世界です。
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この回答へのお礼

そうですね、
>逆に言えば、人は相対比較や自分の存在感の大小、対象との関係性に苦しんでいますね。これは、空と全く逆の世界です。>
よく分かります。人間は、比較などで苦しむ、僕もその一人ですが、必要ないということになるのでしょうか?「空」ではないということですね?
そこが難しいところだと思っております、、、。


でも、まい進します。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:29

 般若心経を本当に理解している人が、いるのでしょうか。



 『色即是空』
 悟りを開いた釈尊だからこそ、色(物質)は空(無いに等しい)である。空(無いといっても)は色(実体が無いのではない)である。
 と言えたのでしょう。

 物事を認識する能力を持っている人の心「精神」の不確かさを言い表したものと、我々凡人は受け止めるべきだと思いますが。

 ycqxs765さん。この回答への感想を聞かせてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね、すべては空、ということだと思います。自分の心のありようで、いかようにも変わってしまう、、、ということかと、、、。
たしかに心の不確かさということも当てはまるかと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:15

いろいろの解釈がありますが、「色即是空」を簡単に例をあげて説明します。


これは人が在ると思い込んでいるモノは人間社会の価値判断に振り回されているに過ぎず、実体はないという意味です。

例えば「コップ一杯の水」でも大衆食堂で出されるコップ一杯の水と砂漠の真ん中でのでコップ一杯の水では雲泥の差です。
例えば「テストの70点」でも平均点が50点の時の70点は素晴らしく、平均点が90点の時の70点はバカです。
例えば「課長のポスト」、新入社員はとりあえずの目標が課長でしょう、しかし同期の多くが部長になっているとしたら課長のポストは軽蔑のポストです。
例えば「100万円」、この大金が調達できずに自殺する人もいますが、一方でそんな端金など一晩で使う人もいます。
例えば「早稲田大学での学生生活」、早稲田が憧れの人にとっては楽しく、東大に落ちて滑り止めが早稲田の人は毎日が後悔の日々です。

実は「水」も「70点」も「課長」も「100万円」も「早稲田」も変わりないはずなのに、人によってその価値が異なるのは、実体でなく人間社会の価値判断に振り回されているからです。
つまり俗世間の価値判断に惑わされなければ苦などないと言えます。

釣りバカ日誌という映画がありますが、佐々木課長は役員を目指してあくせくしています。
多分係長の時代もヒラの時代もあくせくしていたと思います。
一方浜ちゃんは万年平社員を恥ずかしいとも思わず毎日釣り三昧です。
係長に昇格しても、生活が変わることはないでしょう。
彼にとっては役職など実体はなく色即是空を理解した生き方と言えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、よく分かります。具体例が、とても分かりやすかったです。回りと比べてしまうと、考えないことも考えてしまいますね。
もっと自分のものにして、生きて生きたいと思います。
勉強になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:13

空 (仏教)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA_(%E4%BB%8F%E6%95%99)

稚拙な個人的な解釈では
どこにもいない
どこにでもいる
って事かなと思っています。

般若心経をどう捉えるかは個々の有り様。
破邪の経典として使うのも間違いではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
HP拝見しました。自分しだいなのですね。
勉強になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/06 14:11

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Q般若心経を唱えてしまった!!

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単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

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上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

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従いまして、浄土真宗の人間が般若心経を上げる事は、却って、阿弥陀如来の
力を否定する事に為る為、浄土真宗で般若心経を上げる事は無い、との事です。

もう少し深いお話に為りますと、以下のサイトに詳しい説明が為されてい
ましたので、宜しければ、御覧下さい。2001年12月11日掲載分です。

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/

Q般若心経はすべての宗派でもよいと思っていたのですが…

日蓮宗だけはちがうのでしょうか?
写経を納経したいのですが…

そして~
法華経を写経したいのですが、日蓮様が祭られている、〈例えば池上本門寺など〉でお経を購入できるのでしょうか?

Aベストアンサー

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典を称えます。また日蓮宗は法華経を根本に据えるはずですね、
それらのお経の据え方の違いの大きくは、その時々の時代背景によるものとだけ申し上げておきます。
ただ、浄土真宗開祖の親鸞上人も日蓮宗開祖の日蓮上人も修行時代はどちらも比叡山(天台密教)に教えを請い、その遍歴の中から衆人の救済のために自らの解釈をお説きになったものと考えます。
お経とはそもそも、釈迦の言葉をお弟子さんたちが書き残したものです。
般若心経は数ある経典のなかでも、人々が生きるための知恵を纏めた大般若経600巻といわれる大経典のエッセンスといわれ、最も短く、もっともありがたいお経といわれています。
もちろん、上記の二大上人も勉強しているはずですし、称えているのは仏教に限らず神道の在家の方々も称えるそうです。
古くは、後奈良天皇の時代、世に疫病がはやったため同天皇が自ら般若心経を書写して諸国の神社に奉納したという話もあるくらいです。
生きるための心理を説いているので何物にも妨げられないということでしょうか・・・
日蓮宗の解釈を理解もせず軽軽には申せませんし、日蓮宗のお寺に納経するのはどうかと思いますが、日頃、般若心経を写経することは構わないのではと私は思います。
また、それぞれの宗派のお経のポピュラーなものはどこでも売っていますが、法華経や阿弥陀経などは大変な量となりますので、功徳を積むには達成感もあろうかと思いますが、よくお考えになってはどうでしょうか。
以上、私の解釈として自信ありでご回答させていただきます。

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q「般若心経」の解説本を、教えて下さい。

わずか266文字の短いお経、「般若心経」。
どうしてこれほど親しまれているのか、勉強したくなりました。

お経の内容を易しく解説したおすすめの本がありましたら、教えてください。
どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

cotton100さんへ。

般若心経の本はたくさんありますが、まずは
中央公論社刊、瀬戸内寂聴氏の
「寂聴 般若心経 生きるとは」をお薦めします。
中公文庫で¥590円です。

入門者向けに解説してあります。
以下は個人的な感想です。
以前、入院中、退屈している私に家族が持ってきてくれたのが、
この本との出会いです。
私は、この解説本を読んで仏教に対するイメージが変わりました。
宗教とはたいてい「人生の苦しみをどう乗り越えていくか」が
テーマの一つになってますが、仏教は、それに対して
とても論理的なアプローチをしているなと驚きました。
「人生、こんなふうに考えてみると楽になるよ」という
実践的な処方を教えてくれているのが仏教であり、
般若心経なんだなという感想です。

般若心経は最も短く、かつ宗派を問わずあげることのできる、
仏教の神髄が凝縮したすばらしいお経です。
それだけに、ものすごく熱狂的な研究者による著書や、
面白いけど突飛な解釈本、神秘的にとらえるものなど
著書は多種多様です。
中にはとても偏った書き方をしている本もあります。

ですから、まず「入門」するならば、ニュートラルなスタンスで
書かれた解説を読んでみることをおすすめします。
その後に、マニアックな本を読んでみるのもいいですが、
まずは、この本をスタートに、
自分なりに「般若心経の理解」を深めていくのが
おすすめです。

前書きに、
「般若心経も、何気なく聞き流していたものが(中略)、ふと、
その意味について識りたいと思い、一語一語の語りかける真意を
理解したいと思う時がある。
その時が、自分と般若心経の縁がしっかりと結ばれた時である。」と
あります。
著者も、cotton100さんと同じような気持ちで般若心経を
勉強しはじめたようです。

もしお読みになるなら、一つコツを付記します。
般若心経は、一つ一つの言葉にいろいろな、いや本当に広大な意味が含まれていて、たまげます。優しい解説本とはいえ、読んでいくのは結構大変です。最初は、読み下すくらいの感じで読んでいくと良いでしょう。本書は二章構成になっていて、まず一章で全文解説されます。そして二章目も同じく全文解説されますが、少し簡潔になっています。一章目で混乱したり、よく理解できなくても、頑張って読み進んで二章を読むと、すんなり理解できたりします。
一章で、理解まで至らなくとも何となく内容を頭にひっかけて、二章で復習するという構成は、初心者にはとても親切だと思いました。

私がこの本で般若心経を知り、このお経の中で
一番強烈な印象を受けたのは、「すべてが無い」という部分です。
自分の後ろにたとえばゴミ箱があったとしても、気付かなければ無いと同じ。誰かが自分を嫌っていても気付かなければ、無いと同じ。だから、心がなければ、物も、人も、苦しみも愛も執着も、すべてが無いのです。いや、この心さえ無い、無い無い尽くしだとくり返してところです。
「すべてが無い?じゃあすべては無意味なの?」と思われるでしょう?この先は、もし興味が湧いたら本書で読んでみてください。

cotton100さんへ。

般若心経の本はたくさんありますが、まずは
中央公論社刊、瀬戸内寂聴氏の
「寂聴 般若心経 生きるとは」をお薦めします。
中公文庫で¥590円です。

入門者向けに解説してあります。
以下は個人的な感想です。
以前、入院中、退屈している私に家族が持ってきてくれたのが、
この本との出会いです。
私は、この解説本を読んで仏教に対するイメージが変わりました。
宗教とはたいてい「人生の苦しみをどう乗り越えていくか」が
テーマの一つになってますが、仏教は、それに対...続きを読む

Q般若心経の意味 般若波羅蜜多について 

般若心経の最初に

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 
・・・

とつづきますが ここで 観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか

次は般若波羅蜜多を深く行じていたときに という意味でしょうか
ここで質問です
般若波羅蜜多というのはどのような行なのでしょうか
般若心経にはそのことがなにも書かれていないようですが

Aベストアンサー

「般若波羅蜜多」はあえて訳せば「悟りの世界に至る智慧(瞑想による根源的なる力)」となるでしょうが、ここでは般若波羅蜜多は般若波羅蜜多という固有名詞と考えてもいいでしょう。
 次に「心」ですが、これはサンスクリット語でフリダヤ。心臓を意味しますが、そこから「(生命の)中核」、それは同時に真言(咒)を意味します。旧訳の般若心経では『般若波羅蜜神咒』『般若波羅蜜大明咒経』など、フリダヤの部分ははっきりと咒であると説かれます(現存する最古のサンスクリット語の心経でも「以上が般若波羅蜜のフリダヤ(咒)である」と締めくくられます)。

 弘法大師による心経論『般若心経秘鍵』では観自在菩薩を「諸乗の行人」の意味と説きます。つまり「諸々の大乗仏教の修行者」という意味です。つまり礼拝対象の観音菩薩という意味にとどまらず、「観」は瞑想の意味であるから瞑想自在なる修行者。
 その瞑想とは「ギャテイ ギャテイ・・・」の般若波羅蜜多の咒を唱えるという修行です。その修行の結果として「五蘊皆空」という境地に達した故に「一切の苦厄を度した」。この苦厄を度する力が「ギャテイの咒」にあるからこそ心経は信仰されてきたのです(ちまたにあふれる心経解説書は“こだわりを捨てる心”などと説き、咒を付け足しぐらいに紹介していますが、それは心経成立の歴史を知らない不完全なものです)。
 『般若心経秘鍵』では「大般若波羅蜜多心経と者(いっぱ)、即ち是れ大般若菩薩の大心真言三摩地法門なり」と的確に説きます。般若菩薩とは般若波羅蜜そのものを尊格化した菩薩ですから、現代訳すれば“般若心経とは偉大なる般若波羅蜜多の大心真言による、深い禅定(瞑想)に入るための教えである”。ですから「観自在菩薩」から「咒即説咒曰」までがギャテイの咒の偉大さを説くものです。
 また羅什訳『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』、義浄訳『般若波羅蜜多心経』には末尾に「此の経を誦せば十悪五逆九十五種邪道を破す。若し十方の諸仏を供養し、十方の諸仏の恩を報ぜんと欲せば、当に観世音の般若を誦すること百遍、千遍にすべし。無間の昼夜に、常に此の経を誦せば、願ひとして果さ不といふこと無し」と読経と真言念誦の功徳を説きます。「観世音の般若」とはギャテイの咒のことですから、的確に真言念誦による瞑想を説いています。
 ですから般若波羅蜜の瞑想を行う者、自身がそれを行えば自分自身が観自在菩薩に成ることも意味します。

 より詳しくは『般若心経秘鍵入門』(村岡空著:大覚寺出版部)を参照ください。
http://www.sagagoryu.gr.jp/shop/hiken01.html

「般若波羅蜜多」はあえて訳せば「悟りの世界に至る智慧(瞑想による根源的なる力)」となるでしょうが、ここでは般若波羅蜜多は般若波羅蜜多という固有名詞と考えてもいいでしょう。
 次に「心」ですが、これはサンスクリット語でフリダヤ。心臓を意味しますが、そこから「(生命の)中核」、それは同時に真言(咒)を意味します。旧訳の般若心経では『般若波羅蜜神咒』『般若波羅蜜大明咒経』など、フリダヤの部分ははっきりと咒であると説かれます(現存する最古のサンスクリット語の心経でも「以上が般若波...続きを読む

Qお通夜やお葬式で読まれるお経について(浄土宗)

先日大切な祖母が亡くなったのですが、お通夜やお葬式の時のお経について興味があり質問させていただきます。

以前、般若心経の現代語訳の本を読んで以来、その意味に感銘を受けすっかり虜になってしまいました。
そこで、祖母のお通夜とお葬式でも読経されるのかな?と思い注意深く聞いていたのですが、お焼香をしたり祖母との思い出を思い出したりしているうちにすっかり忘れてしまいました(笑)

調べてみたところ、般若心経は宗派もあまり関係なくあげられるとありましたので、もしかしたら読まれていたのかもしれないと思ったら気になってしまいました。

我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?

祖母は私にとって大事な存在でしたので、その祖母にどのような言葉が贈られた(?)のだろうかと気になったもので、
般若心経だけでなく、他のお経の意味についてもこれから勉強したいと思い質問させていただきました。

初歩的な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>>我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?
ありますよ。差定(さじょう)といって基本的な作法・よむべきお経は決まっています。ただ地方や、寺院によって若干違いがあります。
 では基本的なものをご紹介します。

・通夜差定
1、香偈(こうげ)
我が心身を清らかにしたまえと念じ、香をたいて全ての世界時代の仏様に帰依し供養するという意味で、最初に読みます。
2、三宝礼(さんぼうらい)
佛(仏様)・法(仏教)・僧(僧侶を中心とした人々の集まり)という三つの宝を敬い帰依することをたたえる偈文。
3、三奉請(さんぶじょう)
一に阿弥陀さま、二にお釈迦さま、三にその他十方の仏さまがたをお招きする文です。
4、懺悔偈(さんげげ)←ざんげとはよみません。
自分自身が作った罪の全てを仏様の前で懺悔(さんげ)するためにお念仏する前にとなる偈文。
(十念・十回お念仏を声に出して称える。)
5、一尊哀愍(いっそんあいみん)
香偈の一種と思っていただければよいかと思います。
6、開経偈(かいきょうげ)
なかなかめぐり合えないお釈迦様の教えに人間に生まれてやっと出会えた喜びはなんいにもかえがたい。というような意味のお経をよむ前に称える偈文。
(焼香)
7、真身観文(しんじんかんもん)
浄土三部経のなかの『観無量寿経』のなかにとかれている、阿弥陀佛の姿を心の中で念じ観るという部分。
8、回向(えこう)
今まで積んだ功徳や善根を亡くなった故人に振り向ける。
9、降魔偈(ごうまげ)
仏教は煩悩を断ずるための教えであって、それは悪魔を切るの剣のようなもので、「南無阿弥陀佛」の念仏はどのような愚かな者であったとしても罪を滅ぼし浄土において煩悩を断ずることができるという、徳をたたえる偈文。在家のなくなった方に用いる偈文。
(十念)
10、摂益文(しょうやくもん)
『観無量寿経』の「光明徧照(こうみょうへんじょう) 十方世界(じっぽうせかい) 念仏衆生(ねんぶつしゅじょう) 摂取不捨(せっしゅふしゃ)」という文で、阿弥陀仏の光は全ての人に分け隔てなく注がれているが、南無阿弥陀佛と念仏する者は全てを受け入れられ捨てられることはない。という意味です。
11、念仏一会(ねんぶついちえ)
念仏の数の多少にかかわらずお念仏に出会い、お称えすること。
12、通夜回向(つやえこう)
お通夜読経や念仏の功徳を故人に振り向ける。
13、総回向偈(そうえこうげ)
全てのことを振り向けるための偈文。
14、同唱十念(どうしょうじゅうねん)
通夜に出席した人とともに、十回お念仏を称える。
15、総願偈(そうがんげ)
仏教の悟りを志す人たちが誓うべき四弘誓願の意味を表す偈文。

・葬儀差定
1、四奉請(しぶじょう)
三奉請の一に阿弥陀さま、二にお釈迦さま、三にその他全ての世界の仏に、四つに観音菩薩・勢至菩薩や全ての菩薩お招きする文。
2、懺悔偈
上記通夜4の通りです。
(十念)
3、根本陀羅尼(こんぽんだらに)
ノウボウアラタンノウタラヤーヤー ノウマクアリャミターバーヤー タタギャタヤアラカテイ サンミャクサンボダヤ タニャタオンアミリテイ アミリトウドハンベイ アミリタサンバンベイ アミリタギャラベイ アミリタシッデイ アミリタテイセイ アミリタビキランデイ アミリタビキランダギャミネイ アミリタギャギャノウキチキャレイ アミリタドンドビソバレイ サラバアラタサダニエイ サラバキャラマキレイシャキシャヨウギャレイ ソワカ
という、阿弥陀佛を讃える言葉をサンスクリット語という古代インド語で読むものです。
4、本誓偈(ほんぜいげ)
真実だ物が立てた本願の要旨は全ての人々を極楽往生させることで、阿弥陀佛の心にかなうためには念仏し速やかに極楽往生し、不退転の位に住すことであるという偈文。
(十念)
5、歎佛偈(たんぶつげ)
『勝鬘経』の一節で、仏の体も智慧も全てすばらしいものであると称賛する偈文。
6、下炬(あご)
導師がたいまつをもって引導を渡すこと。
(十念)
7、開経偈
上記通夜6の通りです。
(焼香)
8、歎佛頌(たんぶつじゅ)
『無量寿経』上に、阿弥陀佛が仏になる前の法蔵菩薩という菩薩であった頃、師匠である世自在王佛を賛嘆した偈文。
9、摂益文
上記通夜10の通りです
10、念仏一会
上記通夜11の通りです。
11、回向
上記通夜12の通りです。
12、総回向偈
上記通夜13の通りです。
13、同唱十念
上記通夜14の通りです。
14総願偈、
上記通夜15の通りです。

です。ですから、
>>祖母のお通夜とお葬式でも読経されるのかな?
とご質問の中にありますが、通夜葬儀ではよまれていません。
 浄土宗は基本的に南無阿弥陀佛の念仏を称えて阿弥陀佛の他力によって極楽に往生させてもらうという教えですから、自力修行によって「空」という境地を体得していくための『般若心経』は中心としてよむお経ではありません。ですから、浄土宗の流れを組む浄土真宗では、『般若心経』は一切よみません。あくまで、浄土宗でよまれる『般若心経』も補助的な意味で読まれるものです。
 浄土宗で中心としてよむお経は「浄土三部経」とよばれる三つのお経です。それは『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つです。この三つのお経は、『妙法蓮華経(法華経)』や『般若心経』と並んでメジャーなものですから、現代語訳や解説書はかなり出ていますから書店でも探しやすいものであると思います。

>>祖母は私にとって大事な存在でしたので、その祖母にどのような言葉が贈られた(?)のだろうかと気になったもので、
浄土宗や浄土真宗・時宗と言った浄土教と呼ばれる仏教には、還相回向(げんそうえこう)という考えがあって、亡くなったかたは仏様になっていつでも私たちの隣にいて見守り導こうとしてくださるといいます。
たしかに、通夜葬儀はなくなった方のためであるかもしれません。けれども、仏教の本当の目的は私たち生きている人間がどのように生きていくかです。ですから、通夜葬儀のお経はは亡くなった故人が「私たちに向って」送ってくださった「このように生きていきなさい」というメッセージであるかもしれませんよ。
 
>>般若心経だけでなく、他のお経の意味についてもこれから勉強したいと思い質問させていただきました。
 非常にすばらしいことです。浄土三部経の一つ『阿弥陀経』のなかには「倶会一処(うえいっしょ)」阿弥陀仏の極楽浄土を目指して念仏を称えるものは、今一度極楽浄土で会うことが約束されているという意味です。ですから、浄土宗の通夜葬儀はさようならする会ではなく、極楽浄土で今一度会う再会の喜ぶを分かちあくことを約束する会なのです。だからこそ、自分自身がしっかりお念仏を声に出すことで阿弥陀仏とまたは故人と一生懸命生き抜いて後亡くなっと時には極楽浄土に向うことを約束することで、故人も「また会えるのか嬉しいんぁ」と安心して極楽に向うことができるのです。
 浄土三部経の中には『般若心経』とはまた違った仏教の味わいが書かれています。仏教は味わいがいのある宗教であり、味わいがいのある哲学でもあります。いろいろ興味深いことがたくさん出てくると思います。

長々書き連ねましたが、まとまらない稚文のため文意を読み取っていただきたく思います。至らないところがあれば、続けて回答させていただきます。
合掌 南無阿弥陀佛

>>我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?
ありますよ。差定(さじょう)といって基本的な作法・よむべきお経は決まっています。ただ地方や、寺院によって若干違いがあります。
 では基本的なものをご紹介します。

・通夜差定
1、香偈(こうげ)
我が心身を清らかにしたまえと念じ、香をたいて全ての世界時代の仏様に帰依し供養するという意味で、最初に読みます。
2、三宝礼(さんぼうらい)
佛(仏様)・法(仏教)・僧(...続きを読む

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。

「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。
自分なりに調べてみたのですが「諸行無常」と「諸法無我」の意味や違いが理解できません。できれば具体例をまじえながら説明していただければ幸いです。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版
悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるものにあまりこだわりを持つな、地上のものに執着を持つな、ということ。

・諸法無我

これも諸行無常と同じく、地上のものに執着を持つなという教えですが、これは、空間論です。
時間論で、「一切のものが変転していく」ことをとらえているとすれば、こちらは、「一切のものは実在ではない。すべてのものは夢幻の世界である」
という空間の教え、思想です。

この両者いずれも、この世的、3次元的な視点ではなく、あの世からこの世を見たときの視点です。なので、特に後者の思想は、悟りを得ないと解りにくいと思えます。
たとえていえば、この世は舞台劇であり、実在する建物と思っているのははりぼての舞台セット。
出演者はそれぞれの役柄を演じているが、舞台を降りたら(あの世に戻ったら)本来の自分に戻る。
だから、自分が舞台上の役で持っている地位や財産にあまり執着して生きるな、ということですね。
さらにいえば、舞台を降りたら(死んだら)すべてが無になるというのは誤りであり、役者の顔を脱ぎ去った、本来の自分が生きている「死後の世界」に戻っていくので、舞台上のことに執着するなということでもあります。

ちなみに、もうひとつ「涅槃寂静」があり、この3つを三宝印といって、仏教の教えの基本とされています。

・涅槃寂静

時間・空間、そのすべてにおいて、固定的なものは何もない、恒常なるものは何も無い。そのなかで、現にここに存在し、修行をしている私は、いったい何であろうか?という問いを追求し、そして永遠の実相なるものをつかみとってゆく、そこに涅槃寂静の境地が開けてくる・・・。

そして、これらの思想は、無我、空の悟りに通じていくものです。

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版
悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるもの...続きを読む

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。


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