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ペテロ様が弟のヤコブ様と一緒にお父様を置き去りにし仕事を放り出してイエス様について行かれたことをどう思われますか?

A 回答 (9件)

ペテロや弟のヤコブがイエスのフォロワーになっていなければキリスト教もなかったわけですから、クリスチャンもいなかったわけですね。


彼らだけじゃないですね。12人の弟子やパウロにも両親や兄弟はいたんですね。
イエスが残したものは言葉だけですね。聖書という書き物は弟子たちが残したんですね。それが弟子の仕事なんですよ。師あれど弟子なくば宗教も哲学もないんですね。つまり親兄弟より大切なこともあるということですね。

この回答への補足

丁寧なご回答ありがとうございました。「フォロワー」の意味がよく理解できず辞書や事典などにも当たってみましたが適当な解説はありませんでした。
その上で、一つ大切な誤りを犯されているのではないかと思います。ペテロ様や弟のヤコブ様は「フォロワーになった」のではなくイエス様によって二人のお弟子様は光の中に導き出されたのではないのでしょうか。

補足日時:2009/09/26 09:44
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イエスが大工をやめて宣教を開始した時、父を残してきたのと同じ、



漁師を続けて生きるより、神の名を携えてイエスと旅することが重要と考えたのでしょう。

ルカ14:18~26にはそのあたりの事情が述べてあります。
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 こんにちは。


 
 それほど大きな問題になるとは思っていなかったのですが 問題点は 身内への説得をきちんとしたかといったことでしょうか?

 《ゴータマは なぜ妻子を棄てたか》という問いもあったようですが 道端で机を出して税務をおこなっていたところ イエスが通りかかって かれについて行ったマタイ このマタイに関してもどう思うか? といった問いでしょうか?
 あるいは伸ばすなら イエスはなぜ 母親を人びとや自分の説教よりも軽んじたか?

 たとえば マタイにしろペテロらにしろ それまでにすでにおのれの内面においてじゅうぶん人間や社会の問題やあるいは自分たちの民族にとっての現状が 考えられ続けていたのかも知れません。イエスが その行動を起こすのにきっかけになったということかも知れません。
 でもそういう解釈は あまり面白くないですよね。

 そのむかし アブラハム(そのときのアブラム)は 《行け》という声を聞いて故郷を去ったのでしょう? 行き先もまったく定まらないままに。
 ペテロらも イエスが来なさいと言ったからついて行った。これでいいのではないでしょうか?
 きっと父母にも身内の者にもためになることをするのだから ゆるしたまえと心に思ったとか そういう解説をつけ加えないほうが おもしろいのと違いますか? どうでしょう?

 神がかりの阿呆でもいいし 浅はかで軽率でぼんくらな人間にしか過ぎないではないかでもいいぢゃないですか。ばか丸出しでもいいぢゃないですか。だめですか? 《羞恥心》の三人組でいいぢゃないですか。
 あとで変えてもらえる。ただし そのことも知らずにでした。
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あの・・・聖書には同名が何人もいるんですが、今回のヤコブはペトロの弟ではなく、イエスの弟のヤコブってことでしょうか?



それとも実在したエルサレム教会の初代リーダー ヤコブのことでしょうか?

聖書にペトロに弟がいたと書いてあったかなぁ? と記憶に無いもので。


えっと、ヤコブとはイエスの弟のことだとして、イエスの養父ヨセフはイエスが宣教を開始する前に死亡したことになっています。


ペトロとは岩のことです。
さらにペニスのことです。

ローマ帝国では、男根岩を奉る風習がありました。
大きな男根岩の上に町を建てると、その町が反映すると信じられていた。
で、本当の大都市の地下を調べたところ、大きな男根岩が発見されました。
要するに、ペニスがでかいと、子孫が増えるって意味ですね。

したがって、十字架が盛んになった理由の一つは、処刑道具の形ではなく、男根のシンボルとしてだったから。
十字架にキスをすると言う行為は、男根にキスをすることになる。

男根をこよなく古代の人は愛していたので、そういう風習があったわけです。

そういうローマの風習がある地域でできた伝説だと、ペトロは岩のことですので、その上に神殿を建てる となって当然なわけです。
ローマの文化ですから、そういう考えをした作者はチャキチャキのヘレニズム文化で生まれ育った人ってことですね。
それを聞いて意味がわかって支持した人も、チャキチャキのヘレニズム文化で生まれ育った人。


ペトロ または ペトラ。
インディージョーンズでのロケに使われたし、トランスフォーマー リベンジでも使われたとか。
世界遺産の一つ。
死海の上の方にある古代に栄えた町。



というわけで、実話ではなく神話に元づく創作ですね。

尚 創作であっても、こういう行為をどう思うか でしたら、、、

養父が死亡し、未亡人になった母親を置いて、家出するのはいかがなものか。

「大丈夫さーー レビレート婚ってのがあるので、ママンは自動的に親戚の男と結婚するので、僕がいなくなっても、ぜんぜん問題は無い。 唯一親戚内で、マリアの馬鹿息子は宗教狂いの馬鹿息子で、放蕩生活でこじきやって暮らしていると言われるくらい~ あはは。」くらいじゃないかと。


「失敬な・・・ 乞食じゃなく托鉢です」って言われそうですが、まあ 架空に人物ですから。


さて、イエスは12使徒とともに旅をしたとなっている。
他にもそれより何千年も前からあいくつもの神話の主人公も、イエスストーリーと同じ。


どうしてどいつもこいつも 水の上を歩き、神の羊といわれ、12使徒を連れて旅をして、十字架に処せられ、また復活したという都市伝説なのか?

地球から見た太陽のふるまいがそう見えるから。

つまり、イエスも使徒も実在の人物ではなく星。
人間ではない。
ギリシャ神話に神々の物語がありますが、あれ 神じゃなくて星。
星を擬人化して神話を作った。
ギリシャ神話の内容通りの生き方をした人物がいたのではなく、人間の想像力により作られた架空の物語。

現実ではできないことも、空想上ならどれだけでも可能になる。

じゃあ 水の上を歩いたは想像上のことなのか?
いえ、水面すれすれを太陽が通過するさまを、水の上をイエスが歩いたって表現しただけ。

サンタは実在すると子供は思うが、大人に言ったら、「ああ パパね」ってなりますよね。
「イエス? ああ 太陽のことね」って。


オウムが信者の財産を奪うために殺害した事件の裁判が行われていますが、聖書にもペトロが信者の財産を奪うために殺人をしていますよね。

神が殺したと神のせいにしているが、実際は殺人容疑で逮捕されている。
確か聖書では、ペトロは脱獄したんだったような。

ソクラテスは脱獄の誘いを断り、義を貫徹するため刑に服している。

ここがソクラテス作家と、ペトロ作家の思想の違い。

前者は脱獄という不正をやってしまっては、自分は不正者であることを証明してしまうため、多数決で決まった法を擁護するために、死刑に甘んじた。

後者は義のためなら不正すらやってよいとなっている。
従って自分は義なので、自分はなにやってもいいとなり、金がほしかったので信者を殺害し金を奪った。
ペトロの作家の思想。


悪です。

絶対悪です。

この回答への補足

ご投稿ありがとうございます。

もっと新約聖書をしっかりとお読みになってください。あなたはただ自分が知っていることをべらべら喋っているだけにしか見えません。
こういう無価値な議論を吹きかける人間にも神が今日の命をおあたえになっていること。野に咲く草花ほども価値のない空虚な頭からただベラベラと喋るだけが能である哀れな人間にも、命をおあたえになっている、その神のご意思をしっかりと胸に刻んで生きてください。
人生をおしゃべりの空虚な時間で無駄にしてはいけません。あなたの時間ではないのですから。

補足日時:2009/09/27 12:59
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 ひとつ質問があります。

「イエスの存在が確かかどうかさえ、分からない」と考える人を、どう思いますか?個人的には、「そうかもしれない、解らない」と思います。

 現代日本の男が、親元を離れ、自分の家庭を築く(自分の仕事をする)ことを、どう思いますか?

 それから、イエスは「勝とうとする人間を負かし、他者を押しのけてでも生きようとするものを滅し、他者を裁こうとするものを裁く」と言っていましたか?
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No.4です。




明日火にくべられる野に咲く花ですら、神は美しく装ってくださるのだから ましてやうんたらかんたら って内容ですよね。

その改変版ですか。

ある牧師さんの言葉。

『議論の的が何であれ、クリスチャンは適当な聖書の言葉を強調し、その言葉の普遍性を主張することによって自分たちの意見を補強することをしないわけではない。しかしそれは、聖書を利用して個人的な好みを合理化しているにすぎない。「神と私は正しい。私たちに同意しない人はだれであれ間違っている。」

   私がいつも憂慮するのはこうした「正しい信者」である。 』



実際、憂われてどうでしょうか?
ちなみにこの人は、世界最強の元大統領と言われるジミー・カーター。


ペトロの上に神殿が立つ みたいな文節が挿入されたのは、4世紀頃だと言われています。

ちなみに日本ではペテロじゃなくてペトロ。

ペトラ、これはペトラ神殿のペトラですね。

古代のインド方面では、変な風習があって、男根岩に油を塗っていたんです。
それでどうするかというと処女はその岩にまたがって自らを犯していた。
処女を神に捧げるという変な風習があったから。
どうして油を塗っていたのかというと、膣への岩の挿入をよくするため。
痛さを軽減するためじゃないかと。



その風習がヘブライ人に伝わったとき、男根が頭になったんです。
だから遺跡から頭が男根で下は人間の体の土偶が多数見つかっている。

頭に油を塗るってのが、ペニスの代用なわけで、女神に選ばれた男って意味で、聖別された人、メシアってなったわけです。


で、インド方面の宗派の一つが、ナザレア(ネーツァー)って集団で要は思想の建築をする集団で、一箇所に集まって隠遁生活をしていた。

中東でそのスタイルを真似て生活をしている人々が、ある場所に集まり、町になった。
ナザレと後に呼ばれることになる。
思想の建築であって、大工じゃあない。


なんか きーーーーーーっ声が聞こえそうですけど気にせずに、、、、。


で、ヤコブってのは私が知るのは二人しかいない。
イスラエルかエルサレム教会の初代リーダーでパウロに殺されたヤコブ。
で、イエスにくっついていったヤコブ。。。。知らない。


知らないなら書くなーー って聞こえそうですけど、、、、、

フラウィウス・ヨセフス、歴史家で、ユダヤの歴史の隅々を知っていた人物。
彼の著書にヤコブのことは書いてあるが、イエスのことは一切触れられていない。

ある? ええ ありますが、後世の人が偽装して書き加えたということは、現在ではもうわかっています。


ペトロが神殿を建てる。
4世紀頃に加筆されたものらしく、どうしてそういう内容になったのかは、ギリシャ方面で男根崇拝が盛んだったので、人々の信仰先をキリスト教に移管させるため細工したんじゃないかと。


で、キリスト教は神をデウスと言いますが、ギリシャ神話のゼウス またはユピテルのことですよね。
ローマ皇帝はユピテルの子、救世主とされていた。



で、今の仕事が楽しくなければ、転職はしていいと思うんですね。
実際問題、信者の数が多いほど、寄付金が増えますので、肉体労働をしなくてすむわけですから。

神への信仰の証として、息子を聖職者にする人は立派だとされていた。
それで領主は息子を聖職者にするようになった。
領主が死ねば、財産は息子に行くが、息子は聖職者で財産を持たないので、実際は教会がもらう。
さらに拡大!

でも、聖職者に子供がいれば、その子供に財産が移ってしまう。
だから独身性にして、妻と子供がいた聖職者には結婚の無効を言い渡したんです。
最初から結婚していないって。
そうすれば領主が死ねば、土地と財産と農奴は教会のもの。

どうしてこんなことがことが起こったのか?
太陽と12星座を観察すれば、未来が予知できるとはずだと古代の人が思ったから。
地球が動いていると知らなかった。
だから 12の星座が太陽とともに旅をしていると勘違いした。

動いているのは地球の方。

http://www.astrophotoclub.com/seiza/koudou12kyu. …

何故キリスト教の初期では魚がシンボルだったのか その理由はおわかりになりますか?
何故、モーセは牛の偶像を破壊したという物語になったのか、何故イエスは神の羊と言われることになったのか、わかりますか?
ちゃんと理由があります。
星座です。


火星の人面岩の質問の時も、このような会話になった記憶が。
超常現象大好きな人にとっては私は天敵ですので、悪意に満ちた言葉が飛んできても当然です。

オウム信者たちが、警察の介入の際に抵抗を見せて、女性信者がきーきー 騒いでいる映像を見たことがある。
自分達は正しいと、ヒステリックに叫んでいた。
修行をしてそれなりの精神を養ったとはとても思えない普通のおばちゃんたち。
いや 教団の性の奴隷として飼われていただけなので、修行など実際しておらず、日々寝技の練習をしていただけみたいです。

そのオウム女性信者とあなたの差を今回私は見分けることができませんでした。

これはあなたの実力であって、全部の信者がこのレベルではないことを私は知っています。
カトリックの信者とバトルして肛門性交の快楽や、拷問について聞き出したこともあります。
信者さんと話をするとほんとおもしろいです。
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はじめまして。



イエス様は最初二人の兄弟、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟のアンデレに声をかけられ、その後ほかの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネに声をかけていらっしゃいます。

>お父様を置き去りにし仕事を放り出してイエス様について行かれたことをどう思われますか?

これは私が感じたことですが、おそらく毎日毎日朝早く起きて漁に出て行き生活していくことに、あるいはマンネリ化した生活にどことなく空しさを感じていた矢先に、イエス様に「私について来なさい。あなた方を人間をとる猟師にしてあげよう。」と言われて、ひそかに「どういうことなのだろう?」と興味を持ち、単純に知りたいと思ったのではないでしょうか。おそらくその時のイエス様の言葉に不思議な響きがあったのではないかと、勝手に解釈しています。^^
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ペテロはアンデレ、ヤコブ、ヨハネと共に漁をしていたときにイエスに声をかけられました。


ペテロは衝動的にすべてを捨ててイエスに付いていった訳ではなく、
その場ではいったん仕事を止めましたがまた自分の家・仕事に戻りました。

その後一年近くイエスから聞いた事柄をよく考え、本当に価値のある事柄と判断してすべてを後にしてイエスの追随者になりました。

父親を残していったことについて、彼らはただ無謀に行ったわけではなく、この言葉に信仰を働かせていたのでしょう。

マタイ19章23節「わたし(イエス)の名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子供,あるいは地所を後にした者は皆,その幾倍も受け,また永遠の命を受け継ぐでしょう」

また,イエスは追随者たちに,このような保証も与えています。
「ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」。―マタイ6章31‐33節

結論的にペテロはよく考えた結果イエスの追随者になる、という特権を何にも代え難い価値のあるもの、とみなして聖書の言葉に信仰を働かせ、すべてのものを捨ててイエスに従った。ということです。
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ただの親不孝者。

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