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太平洋戦争末期に登場して、本土に来襲するアメリカの艦載機と互角に戦った紫電改。零戦では歯が立たなくなっていたF6Fをバタバタと撃ち落したと聞きましたが、特に優れていた性能は何でしょうか?性能はF6Fを上回っていたのでしょうか?また紫電改といえば343空ですが、他の部隊への配備はありましたか?

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A 回答 (7件)

 343空の活躍は紛れも無い事実ですが、その活躍の源になったものはといえば、当時の全ての前線からかき集めたベテランパイロットの力によるものだとよく言われています。



 たしかに撃墜記録が一人で100機を数える(共同も含めてですが)小高登貴上飛曹や上杉庄一、坂井三郎のような、名人クラスのパイロットがごろごろしていました。これに加えてやはり「紫電改」という、新鋭機の存在も大きな要素です。しかしその他にも当時の陸海の飛行隊には発想しえなかった二つの要素が絡んでいます。そして実はこの二つの要素が非常に大きなファクターを占めていたのです。

 それは343空「剣」司令・源田実大佐の存在が大きな役割を果たしていました。優秀なパイロットと戦闘機だけでは現状の戦いには十分ではないことを冷静に分析していた源田司令は「通信」と「偵察(情報)」の二つに、部隊編制以上の労力を注ぎ込んだのです。

 通信は地上のレーダーと見張り所を含めての、トータル的な通信網として整備されました。空中の戦闘機部隊と地上との連絡はもちろん、各飛行隊同士、さらには飛行隊内の各僚機同士の連絡を可能な限りスムーズにしたのです。これは背後に目の届かない航空機にとっては非常に大きなメリットとなり、撃墜率はもちろんのこと生存率の大幅な向上にも繋がりました。

 当時の日本の航空機無線は非常に性能が悪く、空中でも50キロも届かない(それさえも酷い雑音混じりですが)状態だったものを、当時では最高クラスの通信のスペシャリスト・塚本祐造大尉(横空所属)を獲得して、その10倍は通信可能な無線機に(機体側のシールドも含めて)仕上げたのです。
 当時はあまりの性能の悪さに、腕に覚えのあるパイロットたちは、デッドウェイトになるだけだと、機体から降ろしていたことを考えると画期的でさえあります。

 さらに源田司令は「偵察(情報)」にも力を入れています。当時日本へ航空機攻撃を仕掛ける米軍機は艦載機が主力を占めていたことを見た源田司令は、地上からの能力の低いレーダーが敵機を発見して飛び上がっても優位な位置を取ることは難しいことを考え、敵機動部隊の直前まで偵察機を飛ばすことによって敵の動きを監視し、日本本土への攻撃の徴候を発見次第連絡をすることによって、343空の戦闘機を余裕を持って迎撃態勢に付かせるようにしたのです。

 このために源田司令は当時最高レベルの偵察部隊であった偵4部隊(偵察第4飛行隊)をフィリピンから、当時の最新鋭偵察機「彩雲」と共に引き抜いています。

 これで今までにない一大通信・情報ネットワークが構築されたというわけです。今の軍事常識では当たり前のことを普通にやっただけなのですが、それだけで過去にない大きな戦果を挙げることが出来たのですから、源田司令の存在の大きさが分かります。

 紫電改は343空が唯一の配備部隊と言われていますが、それ以前に実戦部隊への配備として(実際には試験的な意味合いがありました)、横空(横須賀海軍航空隊)と空技廠(海軍航空技術飛行実験部)に零戦・雷電との混成部隊として若干数ですが配備されていた時期がありました。
 実際に昭和20年2月17日には厚木上空で始まった空戦で零戦・雷電と共に多くの撃墜記録を残しています。

 またF6Fとの性能的な差ということですが、これには多少の身びいきや主観的な物が入りますのでスペックを並べていろいろ比較する以前に、正直五分五分であったとしか言いようがないですね。現実的にはF6Fとの戦闘だけを考えて「紫電」「紫電改」が登場したというわけではなく、それ以外にもF4U・P51・P47などの優秀機がすでに登場していたことを考えると、紫電改VSF6Fという図式はあまり意味のないものだと思います。

 やはり紫電改は敵の高性能爆撃機の邀撃を第一に考えた局地戦闘機と考えたほうがいいかと思うのですが、その高性能のゆえに思わぬ活躍の場が用意されていたというわけですね。
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この回答へのお礼

凄いですね。
大変詳しくご回答頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/10/29 22:07

紫電改は紫電の「改」で、たしかに紫電が6万のパーツが必要だったのに、4万にまで落として、生産効率をあげています。

が、

エンジンがダメです。
誉はカタログ性能はたしかに2000馬力ですが、それは丁寧に整備をしたときの話で、ちょうどF1のエンジンみたいな物だと思ってください。デザインはいいのですが、デリケート。ひっきりなしに面倒をみなくてはなりません。しかも燃料は低オクタンときては、戦をする前に、もう負けています。現場は「百姓エンジン」「シリンダ1本ふっとんでも回る」と言われていた金星を求めていたのが実情です。

また、機体デザインも失敗です。誉なら650キロ出ていいのですが、そこまで行きません。もともとの出自である水上戦闘機、強風の空力性能を向上させる時間も技術もなかったわけです。

自動空戦フラップ。有名ですが、この細かい新システムが働くようにするのに、また手間がかかります。実際、使ったかどうか疑問といいます。

防弾はしてあります。
日本の戦闘機、特に零戦が防弾無視の人命軽視、という説が根強いですが、これは海軍の十二試戦闘機に対する要求に、防弾がなかったからしなかっただけのことです。のちに52型などでは防弾と炭酸ガス消火器を備えています。また、同じ時期の一式、隼は同じ馬力のエンジンですが十分に防弾されています。

ともあれ、新機軸が全部機能したら、つかえる飛行機だったと言います。武藤金義少尉というエースは、12対2の空中戦となったときにF4Uを撃墜して、僚機も無事に還っています。

戦後アメリカでのテストでも優秀でした。が、それはよい燃料、よいエンジンオイルを飲ませ、整備をした結果です。
戦争の道具としては、アウトだったのです。

またアメリカのパイロットは無線を使って相互支援しながら空中戦をするシステムを学んでいました。つまり、1対1なら負けるけど、みんなでフォローし合い、みんなで殴って最後は勝つ、という空中戦をしました。こういうソフトが、ハードのハンディを十分フォローしたのです。
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この回答へのお礼

整備兵の方々は大変だったでしょうね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/29 22:13

この当時の状況は圧倒的多数の米軍機対少数の日本機という状況のため多少日本機の性能がよくてもどうしようもないのです。

日本側の記録と米軍側の記録をつき合わせてみると紫電改と米軍機の損害はほぼ互角です。数の上では米軍機のほうが多い事を考えると紫電改の性能はなかなか良かったと思えます。343空は優秀な搭乗員で編成されていたという話が一般的ですが、そんなことは無いという話も聞きます。「どうしてわれわれが優秀な搭乗員なんだ」と言っていた343空の生き残りの人のインタビュー記事を読んだことがあります。紫電改は速度と言う点から見たら米軍機にはかないませんが空戦性能という点から見たら劣っていないと思われます。
 紫電改の優れたところは自動空戦フラップです。これにより操縦性が向上し、旋回性能も向上しました。F6Fと比べるとほぼ同等の速度(カタログデータ上はF6Fの方が速いが実際には紫電改の方が速いという話もある。)をもち、旋回能力では紫電改の方が勝り、武装も20ミリ機関砲4門ありF6Fを撃墜するだけの火力を持つため空戦性能という点では紫電改の方が優れていると思います。戦後、米軍のテストでも高い評価を与えられていることからそんなに悪い機体とは思えません。
 配備について、組織的に運用されていたのは343空のみですが、横須賀海軍航空隊、1001空、一部の偵察飛行隊に若干数配備されていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/29 22:14

F6Fと比べた際に勝っているのは旋回性能。

様はぐるぐると小回りが効いたということです。ゼロ戦でもそうですが、日本機は格闘性能に優れている機体が多いように感じます。

ゼロ戦、紫電改、隼、飛燕、疾風、全て格闘性能は高いです。欧米の代表的な機体、ドイツのFWとかメッサーシュミッド、英国のスピッドファイヤやハリケーン、米国のF4F、F6F、F4U、ムスタングなんかとそもそも設計の仕様が違うんで当然なんですが。日本は資源が少なかったので、なるべく資源的に「安く」作れる戦闘機を目指しました。結果、軽量化し、(防弾性能を落とし)馬力の低いエンジンでも速度を出せる戦闘機をつくることになります。

紫電改もこれと同じ流れでして・・・。ゼロ戦よりは良くなっているんですが、基本的に防弾性能は低いです。また、機体が頑丈でないので、急降下性能もF6Fに比べて落ちます。
私見ですがF6Fと比べると
格闘性能 紫電改の圧勝
急降下性能 F6Fの圧勝
最高速度 F6Fの勝ち
高高度性能 F6Fの勝ち
低高度性能 互角
防弾性能 F6Fの圧勝
火力 紫電改の辛勝(F6F12.7ミリ6丁 紫電改20ミリ4丁なのでスペック上は紫電改の勝ちですが、20ミリ機銃の命中率が低いこと、米国産の12.7ミリの命中率はきわめて高かったことからあえて辛勝としました。)
といったところでしょうか。
性能面では正直、負けていたと思います。343空はエースパイロットぞろいだったので、そこは割り引かないといけないかと。あと、紫電改はエンジントラブルが多かったようです。2000馬力エンジンの安定性が低かったため。
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この回答へのお礼

零戦同様に格闘性能は凄かったということですね。
しかし、防弾にたいする脆弱さも似たり寄ったりですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/29 22:17

開発の経緯から言ったら紫電改はすごいです。

戦いにハンディを言うのはおかしいのですが、紫電改は文字どおり紫電の改造型ですが、なぜ改造しなくちゃならなかったかという原因はもともと水上戦闘機だったからです。おそらく三菱に邪魔されたのではないでしょうか。いわば川西は零戦を撃墜したうえでグラマンと戦ったのですからすごかったと思います。川西は味方と闘わないですんだ飛行艇でははるかに欧米を飛び越したものを悠々と作りました。ハンディ考えたら、あまりアメリカに劣等感を持たないでもよいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/29 22:17

>バタバタと撃ち落したと



残念ながら事実はさほどに甘くはないのですよ。343空との戦闘でいったい何機のF6Fが撃墜されたのか、正確なところはわかっていないようです。紫電改が15機失われたのに対し、F6Fは14機が失われたようなので、実質的なキルレシオは1:1ですね。互角といえば互角ですが、彼我の戦力差を考えるとね。ただし、当時の日本軍は陸海軍問わずもはや米軍機に一方的にやられるだけのやられキャラになっていましたから互角の戦果を挙げているというだけでも充分善戦といえるかもしれないですけれども。
そうそう、さらに残念なことといえば、確かにF6F隊とは激しい戦いをしましたが、本来の目標である爆撃隊のほうはほとんど損害を与えていないようです。つまり、戦術レベルでは護衛戦闘機の役目は迎撃戦闘機から爆撃機を護衛することですから、F6F隊の目的は達成されたといえるわけです。実は日本海軍は開戦当初から「相手爆撃機を撃墜する」ってのが苦手でしてね。F4Fはゼロ戦と戦いながらも結構九九艦爆や九七艦攻を撃墜しているんですよ。

>性能はF6Fを上回っていたのでしょうか?

これはなかなか難しい質問でしょうね。確かに格闘性能では上回っていたと思います。しかし、F6Fはそもそも格闘戦を目的とした戦闘機ではありません。馬力にモノをいわせて装弾数が多い12.7ミリ機銃をばらばらばらーっとばら撒いて、それで逃げる、みたいな戦い方を得意とする戦闘機です。ただし、頑丈さは並大抵ではなく、よく映像でも着艦に失敗して艦橋に突っ込む姿が記録されていますけど、あんな大事故でもパイロットは平気だったりします。日本の戦闘機にはマネができません。
そういった「事故にも強い」「被弾に強い」という部分を性能としてどのように評価するかということがありますね。

ちなみに米軍は第二次大戦に間に合わなかった極めて格闘性能に優れるF8Fや究極のレシプロ戦闘機であるAD-1スカイレーダーが控えていました(設計開発は第二次大戦中)。スカイレーダーときたひにゃあなた、B17並みの爆弾搭載量を持っていた上にとびきり優れた運動性能を持っていて、ベトナム戦争でレシプロ機でありながらジェット戦闘機を撃墜するという空前絶後の記録を残しました。質も量も米国製品にはかなわんのですよ、悔しいけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/29 22:20

2000馬力級のエンジンで、F6Fと互角。


機銃が20mm4丁が敵を圧倒した。
そして、忘れてはならないのが、空戦フラップ。このために大型機でありながら小回りの利く戦闘機となった。
しかし、終戦までに416機しか作られてないので、343空以外には配属したとは思えないですね。なんせ、343空はパイロットが1200名もいましたから。
機を落とされても、内地だから不時着すればまた戻ってこれますし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/29 22:18

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よろしくお願い致します

Aベストアンサー

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんとか生きのこる「その他大勢」になるか、という事になるわけです。

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同じ局地戦闘機 紫電改と比べると地味な感じを受けますね。
紫電改は対戦闘機用で、雷電は対爆撃機で用途が違ったからでしょうか?

Aベストアンサー

漫談です。

実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。なら、陸海軍とも同じ飛行機装備したらいい、というのがスジですが、そうはいかないのが恐ろしい現実でした。

あげく海軍はJ2(雷電)に過剰な期待をして「零戦をやめてJ2を主力にする。空母にものせる」と言い出すわ、しかしJ2の主査である堀越氏に零戦の改造もさせるわ、「零戦後継機」デザインしてと言って技術者として使いつぶしてしまい、いいことなしでした。さらに、「胴体太いからターボ・チャージャーつくんじゃないか?」と研究始める始末です。

しかもそのあいだに、海軍はN1水上戦闘機を川西に発注するというムダをしました。できたときには使う予定だった南方の島嶼地帯が危険になりすぎ、琵琶湖などを基地にして使っていたという。
結果として雷電が昭和十八年になってもパッとしない。で、この水上戦闘機を陸上戦闘気にしよう、と海軍はいいだし、結果、紫電、紫電改となります。結局、生産現場は零戦、雷電、紫電、紫電改つくるというわからんことになり、あげく昭和19年に三菱の主力工場がある名古屋を東南海地震が直撃して大惨事になります。
海軍だけでこれだけのサワギしていますが、貧乏な日本はこのうえ、陸軍の飛行機も作っていました。雷電が作られた背景が、いかにムチャクチャだったかを理解してください。

それで、乗員からは評判がよくありませんでした。これは操縦のしやすかった零戦あがりのパイロットが、操縦特性がまったくちがう雷電を嫌がったからです。また、実際離着陸が難しい飛行機で、特に着陸時に前が見えないという欠陥がありました。現場では、横の窓を見ながら着陸するという工夫をしています。また、操縦席がムダに広い、というヘンな悪評もありました(ガラスから顔が離れるので、見張りがしにくい。かつ、装備していた防弾ガラスの質も悪く透明度が低い。J2の操縦席は宴会ができる、と言われました)。

ただ、南方で油田地帯を防空した部隊は、油田地帯からえられる高品質な油脂を使っていたので、期待値に近い性能を発揮させることができてB17/24/29をよく撃墜しています。

戦後、アメリカがテストしたのですが、この時は好評でした。コクピット広いのはF4/F6/P40/P51も同じですし、振動もアメリカ人の感覚なら、許容範囲だったのです。多少のことは気にしないで、必要なときに戦場にいた飛行機のほうが、勝利に貢献したわけです。

日本の戦闘機は、基本的に繊細なデザインをされており、調子がいい機体に上手が乗って、タイマンだったら、同じ腕のパイロットが乗ったアメリカの戦闘機などこわくはないのです。ただアメリカ側はそれを知っていたので「みんなで殴ればこわくない」を実践し、万が一おとされてもすぐにレスキューがくる、という手際のよさでした。
また、高速の実験ができる風洞が日本には少なく、厳しく見ると、高速域性能を引き出すデザインは、全て失敗しています。

漫談です。

実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。...続きを読む


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