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1994年の「政治改革関連法案」ですが、Web で調べても表面的な情報しか得られませんでした。

そもそもなぜこの法案が出されたのでしょうか?
大きくは献金の問題と選挙制度の問題があるのかと思いますが、この両方についての意図や、賛成した人、反対した人の思惑はどのようなものだったのでしょうか?

そしてこの法案が成立したことで、後の政治にはどのような影響を与えたのでしょうか?

漠然とした質問ですがよろしくお願いします。

# 議論をしたいわけではありません
# 特定の個人、団体を批判する目的での回答はしないでください
# 冷静で俯瞰的な回答をお願いします

A 回答 (2件)

>そもそもなぜこの法案が出されたのでしょうか?


政治改革といっても実態は選挙制度改革(改革というより変更)でした。
何故選挙制度改革をしようとしたか
中選挙区制での定数不均衡を抜本的に改正すれば自民党が過半数を維持できなくなること明白でした。このために自民党は単純小選挙区制を目指しましたが実現せずに小沢一郎の造反により宮沢内閣不信任を引き起こしました。
小沢氏は最近のNHKテレビでも狙いは55年体制の打破であったと言っています。
このような状況下では自民党以外の野党、社会、公明、民社に共産を加えれば野党が間もなく過半数を制することも予想されました。
小沢氏の狙いは保守政党による2大政党化でありそのためにあえて自民党を割って出たといえます。
実際に野党が過半数を獲得しそうになると自民党を割って新政党を立ち上げ、野党に行く支持を保守に食い止める役割をしたのがかっての新自由クラブであり、又94年頃の「日本新党」や「さきがけ」そして小沢氏率いる「新生党」でした。

>この両方についての意図や、賛成した人、反対した人の思惑はどのようなものだったのでしょうか?
 選挙制度の問題についてのみ言えば
●賛成した党、その思惑
 ・日本新党、さきがけ、新生党:とにかく自民党ができなかった“政治改革”実現という実績を作りたかった。
 ・公明党、民社党:何としても政権与党になりたかった。そのために小選挙区制導入による解党、政界再編をも覚悟した。
 ・社会党:小選挙区制には反対であったが非自民で過半数を超えたために乗り遅れまいとして止むなく賛成した。実際に社会党が加わらなければ非自民で過半数にならないために社会党(および共産党)を除いて自民党と連立を組む動きもあった。

●反対した党
・共産党:いかなる制度でも小選挙区制が絡むかぎりは反対した。小党にとって小選挙区制の導入は死活問題であった。
・社会党の一部参議院議員:党としては賛成であったが小選挙区制には最後まで反対。参議院での否決の原動力になった。
・自民党:比例代表制に反対のため当初の案、小選挙区250、比例代表250、比例区は全国単一選挙区に反対した。自民党が過半数を獲得できる見込みがないために。自民、細川政権の妥協で比例200、小選挙区300、比例選挙区はブロック制の導入と自民党の案を丸飲みさせることになった。

 社会党参議院の一部、共産党と自民党では反対で一致して否決したが、思惑は正反対であった。

>そしてこの法案が成立したことで、後の政治にはどのような影響を与えたのでしょうか?

1.いわゆる革新勢力が著しく退潮し、政界全体が保守化した。公明党、民社党が革新勢か否かは別として民社党は消滅、社会党は衰退し現在の社民党という極小政党になりさがった。共産党は最初の選挙では2議席獲得したがその後は小選挙区で全敗でついにひとけた台の政党になってしまった。公明党は自民党の補完勢力になって与党の一角を占め続けることになった。

2.国会の勢力分野は民意と著しくかけ離れた議席配分になった。小泉自民党が大勝したときもそうであるが今回の選挙でも民主党の得票率は50%以下なのに300議席をはるかに超えてしまった。
つまり民意が国会に反映ないということ。
例えば郵政民営化は議席獲得数で見れば圧倒的に国民の支持を得たということになったが、得票率でみれば民営化反対の国民の方が多かったことになる。
自民党、民主党とも保守政党であり小沢氏の狙った保守2大政党による政界支配が実現したといえる。

3.憲法改正発議を阻止できるいわゆる1/3を憲法擁護の野党勢力がしめていたが、いまや憲法改正を志向する勢力が2/3を1占め、いつでも発議できる状態になった。
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この回答へのお礼

非常にわかりやすい回答ありがとうございます。
(私も先日のNHKスペシャルに出演していた小沢氏の話を聞きました)

以下、回答を踏まえて私なりに調べてまとめてみました。
当時はリクルート事件など、金権政治による腐敗が国民の関心となり、政治改革への機運が高まっていた。腐敗の原因のひとつと言われたのが、中選挙区制。中選挙区制度は同じ党の議員同士が戦うことになり、結果として議員同士が地元への利益誘導に走る、圧力団体の力が強くなるなどの弊害が生まれ、これが腐敗の原因のひとつだと主張された。

中選挙区の代わりに導入する選挙制度としては、大政党は小選挙区制を志向し、小政党はより比例代表に重点を置きたがった。

金丸氏失脚を受けて竹下派の後継争いが激化、敗れた小沢氏は羽田氏とともに改革フォーラムとして分裂。そして小沢氏は、55年体制を打破し保守二大政党による (小沢氏が言うところの) "民主主義政治" を実現するために、小沢氏は宮沢内閣の政治改革法案が否決されるように動き、その結果宮沢内閣は不信任案を提出され可決された。

自民党を分裂させ、自ら新党を結成。野党に向かう支持の受け皿となった。離合集散を経て今の民主党となった。

影響
衆議院選挙は小選挙区を300、比例代表を180とした。結果として55年体制は崩壊し (この法案がなくてもいずれ崩壊していたと私は思う)、小政党は極小政党に、保守勢力による二大政党制が今年誕生した。

小選挙区制度の二大政党制が誕生したが、小選挙区制では死票が多く出るため、当選した候補の持つ"民意"は低く、さらにその議員による多数決を行うわけで、累積多数決の問題が出る (定数不均衡も考えるとさらにひどい)。有権者に与えられた現実的な投票先が主に2つしかない。保守政党による二大政党制では、(保守派による) 憲法改正ができるような体制となった。

お礼日時:2009/11/05 10:09

これは小沢が生涯追及した独裁政治制への一連の謀略の一大布石として、その本質が有ります。


小沢の政治謀略に乗って、本当に政治浄化が出来ると期待した政治素人の政治家と、小沢の支配力に屈した小沢影響力の大きい政治家がこれに加わりました。
以後、どのようになって行ったかは日本の政治界の歴史を見れば一目瞭然です。

現在はこれら独裁政治制の上で、小沢は民主党を支配しています。

政党幹部が自党内の政治家を支配するには、

【1】政治支配
政治家の公認権、比例名簿順位決定権
【2】金力支配
政党助成金の党内議員への配分権


これら政党支配権力を行使し、小沢と民主党の固定幹部は民主党議員を束縛支配しています。
小泉の郵政選挙の際にも小泉はこの権力を駆使しましたね。

日本の政党民主主義は死んでいます。特に民主党側で。

その他、追加質問、詳細説明要請があれば、気が付けばお答えします。
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この回答へのお礼

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小沢の政治謀略に乗って、本当に政治浄化が出来ると期待した政治素人の政治家と、小沢の支配力に屈した小沢影響力の大きい政治家がこれに加わりました。
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この2種類の政治家について、もう少し詳しく教えてください。どういった意図があったのでしょうか?
また、反対した人たちはどのような意図だったのでしょうか?

政党幹部が自党内の政治家を支配する2つの方法はまさしくその通りだと思います。この2つを抑えれば議員のコントロールは容易になりますね。(むしろコントロールできる人しか議員になれない)

政党政治や権力の分立について調べているうち、この政治改革関連法案が直近のできごととしては、ひとつの大きな節目なのではないかと思っています。
この法案がなぜ作られ、提出され、反対/賛成されたのかを詳しく理解することで、今とこれからもよく理解できるのではないかと思います。

お手数ですが、全体的にもう少し詳しく教えていただけると助かります。

お礼日時:2009/11/02 21:31

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