すみません。またわからなくなってしまいました。教えてください。
さまざまなセクシャリティ、人種、職業、社会的な貧富の差、教育から
人間は経験し文化的価値観などでアイデンティティを形成するのでしょうが、そういうことがひとつくくりで偏見に結びつくこともあるわけです。その人自身を形成している感覚的、情緒的にとても大切なことが、ある意味、閉鎖的にマイナスに働いてしまうという現実をどうとらえればいいのかわからなくなってしまいました。
例えば、江戸時代に罪人であった為に動物を精肉する職業を世襲している方々、人体実験されたユダヤ人、ハンセン病患者、在日韓国人などなど悲しい歴史をあげればきりがなくなりますが、
それ以外でも、食習慣についても犬を食べる韓国人、魚の踊り食いを食べる日本人、生きた猿の脳みそを食べる中国人こんなものもきりがないのですが、
しかし、動物を愛する情緒は人間に必要なわけだし、文化できづかれた人間の感性は今までの人類の発展の為に大きく貢献してきたわけです。
それを否定することは人間を否定してしまうことにもなるわけです。
なので、人類にとって否定できないことが、悲しい歴史を作っている現実をどうとらえればいいのかということですが。
すみません、宜しくお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
>さまざまなセクシャリティ、人種、職業、社会的な貧富の差、教育から人間は経験し文化的価値観などでアイデンティティを形成する
要するに人間文化の多様性ということですね。それらの文化は基本的に等価であるとともに、(残念なことにおおむね)お互いが閉鎖的であり、それゆえに無理解な、あるいは傲慢な他者から差別されるという事実が続いてきたことは確かですね。
その「差別の歴史」そのものはとっても哀しいことですが、それら文化そのものが悲しいことだとは私は思いません。それ自身がマイナス的な存在はないと思います。そういう考え方が差別意識なのでしょう。
>文化できづかれた人間の感性は今までの人類の発展の為に大きく貢献してきたわけです。それを否定することは人間を否定してしまうことにもなるわけです。
まったくその通りだと思います。すべての文化は基本的に存在価値のあるものだと思います。悲しい歴史は忘れずに、しかし確実に過去のものにしていくことが人類の未来をあかるいものにしていくのだろうと思います。
ご参考まで。
等価、、、そうですね。人間は等価。
確かにどんな文化があっても、価値観があっても、かれらは誇り高く生きている。たとえモナリザの絵が称賛されても、ハンセン病患者の心は汚れはしない。今、少しだけ立ち返れた気がします。
ガーコンさんが人間の質について言及しても、私がそれについて反論しても、何もそれによって変わりはしない。
同時多発テロ、秋葉原事件、彼らは死を恐れない。そんなものよりもっと大切なものを見つけてしまった。
「等価?そうだよ。だから、つっこんだんだよ」
「等価?そうだよ。だから、法律で合法的に死ぬつもりだけど、何か?」
ドストエフスキーにあっかんべーしてる。
人間なんて、それくらい怖いもの。どこまでも誇り高く生きられる。道徳にも、法律にも、彼らを縛ることはできない。
じゃあ何がかれらを縛れるの?
やはり、それは経験、、それしかない。よい経験をして、そこから自然にわき出てくる感情、情緒、、、。頭でこねくりだした狂信的なものじゃない。心のうちから、自然にわき出てくるもの。
その為の文化を目指すのですね。
ありがとうございました。ちょっと気が晴れました。
No.12
- 回答日時:
貴方が真摯に自分自身と人生に向き合っている事が分かります。
貴方はまだ若い人と思います。アイデンティティの確立とは自分自身の心の矛盾の解決をすると云う事です。自分自身の中に二人の自分の考えが在って、その二つの考え、つまり自分自身の考えの矛盾を矛盾のままに、素直に受け入れてゆくと言う事になります。その受け入れる段階で、人間には辛い気持を味わう事が在ります。その辛さがその人を育み、育てていると言う事です。その辛さが強い人ほど、言い方を替えたなら悩みが深い人ほど、人間的に深いと言う事が言えます。
貴方は辛い人です、貴方は悩みが深い人です、それは貴方に豊かな人生をもたらせて呉れる筈です。人間の悩みは人間の成長を促しています。人間がどうして悩まなければいけないのかを分かる時に、貴方は知るでしょう、人間が有限の壁を破って、有限の人生に永遠を見つける事が出来ます。
貴方の悩みが深いほど貴方は大きな人間になる筈です。結論を言います、貴方の悩みの中に答えは在ります。迷える子羊とは今の自分を受け入れられなくて救いを求めている事です。「救い」とはこの有限の人生に救いがなかったと「体で」分かる事です。つまり人生の真理を体得する処に在ります。
真理とは自分が自分自身に納得する処に在ります。つまり素直な気持ちに成れる処に在ると言う事です。自分自身の魂の根源からの問いかけが貴方の悩みや、貴方の疑問となっています。答えは貴方自身が掴む他はない事と云えます。
No.10
- 回答日時:
>しかし、超自我でも何でも、平和を願う気持ちは本当は人間に普遍的に備わっていると考えたいものです。
>そうだと思います、フロイト派も言っていましたが超自我というのは人間のもっとも原始的もしくは普遍的な要素として兼ね備えているものだと思います。
>わたしなりに雰囲気を今一度考えてみると、やはり感覚的なものだと思います。その場の風景を総体として感じることなのかなと、確かにそれも実感を伴う経験から得られるものだと思うけど、どうしてちょっと抗いたいたかったかというとそこに少し俯瞰的なものを感じたのですね>
まあ分析というのは客観的(達観的)に見なければ分析し難いので分析側があたかも俯瞰的態度に出ているかのように錯覚するというのはありますね、気にせずに
>俯瞰て実は個人的にあんまり昔から好きじゃないのですね。芥川龍之介とか子供の頃なんかは毛嫌いしていたんです。>
そうでしょうね斜め45度位から評価されるかのように錯覚して幸福感(優越感)を得ているような印象を受けるでしょうからされる側が不快に感じるというのは分からないでもないです。
>想像力の欠如という前提においてはマイナスに働き、想像力により罪悪感が生まれるということでしたが、それはその通りだと思いますけど、それが善悪の基礎になるとまでは?????>
ん~そう言われるとなんと言っていいか分からないのですがもし共感や想像力が欠如していれば相手の気持ちなんかは理解できないわけですから何故悪いのかが実感できないと思います。例えば叱られたりするとなぜ実感できるのかと言えば叱った相手の心情やその背景などを想像出来るから良くないことなのか不当なお叱りなのか勘違いなのかが理解出来るわけであってそれが分からなければ不当的なのか正当的なのか勘違いなのかなんなのか分かりようもない訳ですから善悪の基礎にある程度なると思いますよ
この回答への補足
イノセンスの堅持????
そんな言葉でそんな風に簡単に片づけていいのかわからないけど。
保育園の運動会のお遊戯の場面を思い出しました。かわいいわねって感じでお母さんたちが満足そうに私を見てた。思わず手と足がとまって直立不動になって動かなくなった。
違う、、、。私は違う、、、。そんなんじゃない。そういう感覚です。
もしわかったら誰か教えてください。
ありがとうございます。超自我が原始的っていう見解はちょっと嬉しいです。良かった。
勿論、子供じゃないから俯瞰も雰囲気も必要だと思うし大切な人間の感覚の一つだと思いますよ。ただ、そういうものに酔ったりしている気がすると逆に罪悪感を感じたりしませんか?私はたまにするんだけど、、、。なぜなぜ????もし良かったら分析して下さい。
共感や想像力が善悪の基礎にある程度なる。
つまり必要条件だけど十分条件じゃないということで良いでしょうか。
No.9
- 回答日時:
>しかし、’雰囲気の基を吸収して偏見やアイデンティティができあがる’すみませんが、これには私は異を唱えてしまいます。
雰囲気だけでなくもっと実感のある経験だと思います。>雰囲気と書きましたが無論経験的な一面も含めて雰囲気という意味です
例えば周りの状況のみであるとかそういうことではありません。自らの感性や感覚等を総体的という意味です。
>世界で紛争が起きている現実を考えてみてください。彼らは自分が死ぬことなんて何とも思わないのです。それは、彼らの正義の為です。>
無論そうですがその正義が出来上がる過程はどうでしょう?雰囲気的な側面と考えませんか?無論現実と主体的な状況を総和したものが核になっている場合もありますがそれのみで動いたとは考えがたいというかそれ以外の場合等も含めると表現が多種に渡ってしまうので総体的に雰囲気と述べたまでです。
>質問者様は偏見から罪悪感が作られるとお考えのようですが>
なぜですか?ではどのようにして物事の良し悪しを知りますか?自らの感性や感覚以外にどのように理解するのですか?それを感じて初めて罪悪感の根が出来上がると考えられませんか?あくまで罪悪感の根でありますから仰る様に枝の部分に関しては認知のみでも可能でしょう。
>相手の立場に立つこと、はたしてそれで本当に全て解決されるのでしょうか>
私は『全て解決できます』は書いていませんよ。
この回答への補足
物事の良し悪しは確かに自らの感性や感覚で理解するしかないと思います。それはその通りなんだと思うけど、、
’罪悪感を感じるのが超自我’という言葉で片付けられてしまったことに抗いたくなってしまったのです。
しかし、超自我でも何でも、平和を願う気持ちは本当は人間に普遍的に備わっていると考えたいものです。
ありがとうございます。すみません。
先のお礼で少し、分析というものに感情的になっていたのかもしれません。ちょと分析アレルギーになっていたのでしょう。そういう意味でもしかしたら失礼なこと言ったかなと反省してしまいました。
しかし、所詮自分も分析しているのですからね。
わたしなりに雰囲気を今一度考えてみると、やはり感覚的なものだと思います。その場の風景を総体として感じることなのかなと、確かにそれも実感を伴う経験から得られるものだと思うけど、どうしてちょっと抗いたいたかったかというとそこに少し俯瞰的なものを感じたのですね。俯瞰て実は個人的にあんまり昔から好きじゃないのですね。芥川龍之介とか子供の頃なんかは毛嫌いしていたんです。バカじゃん何様?もっと下に降りてきて実感してる方がよっぽどいいなんて、、、、。
だけどそれは人との交流に大切なことであることは間違いないのですよね。しかし、先の回答ではそれが、想像力の欠如という前提においてはマイナスに働き、想像力により罪悪感が生まれるということでしたが、
それはその通りだと思いますけど、
それが善悪の基礎になるとまでは?????
それにやはり、もし仮に雰囲気は俯瞰的な感覚の経験だとすると、
’その基を吸収しただけで偏見やアイデンティティができあがる’
というのは少し無理があるかなと思ってしまいます。
もう少し地上に降りた経験の感覚も含めていいのかなと、森を見ないで木を見て、さわってにおいをかぐくらいの感覚でしょうか。それも何もかもひっくるめて総体的なものを雰囲気というのなら、そうかもしれないけど、たぶんそれだと雰囲気という意味と違ってきますよね。
だから、回答者様も罪悪感と分けて考えてるのではと思います。
食文化についてもそれはいえそうですが、だからこそありがたいと実感できると思うのですね。
なので、正義が出来上がる過程についても、雰囲気的な側面もあるけど?、、、、という結論になります。
No.8
- 回答日時:
いまいち聞きたい事が分からないのですがアイデンティティは自己もしくは自我的な他者との一貫性であり、偏見はアイデンティティより広い形と考えた方が良いです、おそらく文化によって悲しい歴史を作っている現実をどう考えればよいでしょうということだということですね。
罪悪感の根源はなにか?というところからはじめれば自ずと答えは出てくると思います。おそらく罪悪感というのは相手の立場に立てるか立てないか?が原点になっているように思います、そこで何がきっかけで罪悪感が作られるのかと言えば一言で偏見であると考えてよいでしょうその場の人間の雰囲気が良し悪しを伝えていると考えるべきです、人が良くないという雰囲気を醸し出していれば何故良くないのかという検索が無意識的になされる訳ですが何処で相手が傷つくからだと感じて初めて罪悪感が沸くと考えられます、人が苦しむという現実を知ることで初めて罪悪感の根が完成されると考えます。しかし中には雰囲気の時点で終止してしまう人もいるわけです、所謂想像力の欠如というものです。
これが善悪の基礎になるものだと考えます、しかし食文化によるものは雰囲気の段階でまず笑顔ですよね?もしくは良し顔をして平然と生命体を食しています、ここには自らの食と天秤に掛けてまあそれ位良いだろうと判断するわけです、例えばいちいち魚を食べている段階で「ああ魚の気持ちになれば・・」なんて考えて食べている人はおそらく居ないと思いますがそこにはやはり、生命体=食物という概念があるからだと思います、そのような雰囲気の中で育った人は魚が炙られているシーンを見ても「おいしそう」位にしか思わないでしょう、そこには環境や人による雰囲気が関与していると考えられますその基を吸収して偏見やアイデンティティが出来上がります、なので白紙状態の身体に対して如何に刺激を加えられるかによって猿を食べるシーンをみて残酷と感じるかおいしそうと感じるかの違いが生まれてくると思います。罪悪感に話を戻しますが罪悪感の場合相手の立場に立つということから罪悪感に結びつく訳ですが食する生命体に対して罪悪感を感じないように出来るのは実は相手の立場に立つかどうかをコントロール出来るからなのではないかと考えます。おそらく相手の立場に立って考え罪悪感を感じるような場合はその行為を自らで選択していると考えられます。しかし雰囲気的に食物と認定されている生命体組織の場合はその生命体の立場に立つ必要のない存在であると認定していると言う事です。もしもありとあらゆる場面で相手の立場に立たなければならないと考えてしまうとレジのおばさんとかは神経症で病院送りにされていると思います、なぜレジのおばさんが神経症にならないのかと言えば仕事の時はただの生命体仕事が終われば人という認識に切り替えているから効率よくライフワークを過ごしていけると考えます。そういう意味で雰囲気が第一優先され生命体の認識をしているという時点で問題があるかどうかが優先されるということだと思います。なので罪悪感は第二優先にあたるので生命体を食することが出来るということだと思います。まあしかし人間ですから思考や情緒はあるわけで生命体の定義を考えれば直ぐに食に含まれていると理解できる訳ですからそこであなたみたいに葛藤が起こる人もいるということでしょう。やはり超自我と自我とエスで説明させて頂きますが分かりやすく言うと食したいという気持ちはエスです人を傷つけるのは良くないと考えるのは超自我です、しかし時と場合によっては人を傷つけてしまったりすることもあるだろう、食べるためには生命体をおいしく楽しく食するが人間の場合はそのような行為は良くないと考えるのが自我だとすると雰囲気を察するのが自我であり罪悪感を感じるのが超自我とするとあなたの場合超自我と自我との間で葛藤が起こっているということになると思います、しかし世間一般的な感性と比べると相当超自我が強いと判定されると思います。
ありがとうございます。
またこういう見解ですか。ちょっと残念です。少し整理しましょう。
アイデンティティは自分が何者であるかという内省的な問いかけに必要なものです。しかし、それは同時にそういう主観的自己と社会からの目、つまり社会的自己をも意味するわけです。何者か?そこには、文化的価値観から来る経験やセクシャリティによる価値観は欠かせない。
しかし、それは同時に閉鎖的にも働くわけです。
私は私であり、あなたとは違う。それが健全性を持たないときに偏見が生まれる。自己確立と偏見の矛盾です。
なので、’偏見はアイデンティティより広い形と考えた方が良いです’これは当たってますね。
しかし、’雰囲気の基を吸収して偏見やアイデンティティができあがる’すみませんが、これには私は異を唱えてしまいます。雰囲気だけでなくもっと実感のある経験だと思います。
質問者様は偏見から罪悪感が作られるとお考えのようですが、相手の立場に立つこと、はたしてそれで本当に全て解決されるのでしょうか。
揚げ足取りではないですよ。
世界で紛争が起きている現実を考えてみてください。彼らは自分が死ぬことなんて何とも思わないのです。それは、彼らの正義の為です。
そんなことも、もっと普遍的に立ち返ってみれば解決できると思うのです。生きる喜びです。自然の美しさです。美味しい、楽しい、感情、情緒です。そういう経験です。
レジのおばさんは、心のこもった接客をしているのです。雰囲気だけではありません。感じませんか?
ダイヤモンド鉱山で働く人がダイヤモンドの美しさを知らなければ、いいダイヤモンドはとれない。そうだと思うし、そういう社会でありたいと思いませんか?
私はエスも超自我もどうでもいいのです。
もっと自然に出てくる豊かな感情を経験で取得して、それを芸術や、各々の職業に生かせるそういう社会の在り方や、その中でもっと普遍的なものに立ち返って平和を願う気持ちだけなのです。
No.7
- 回答日時:
お礼を丁寧にありがとうございます。
>矛盾を抱えている
「矛盾」とも言い切れません。
矛盾ではなく「多様性」かも知れません。
地球交響曲と言う、シリーズ物のドキュメンタリー映画があります。
その中で科学者かなあ、「多様性と美は同義語だ」と言っていました。
生物が「性」を持った瞬間から、全ての美は生まれた、とかそんな感じの事も言っていました。
勿論、「多様性」と言う前向きな言葉だけでは網羅等出来ません。
それは重々承知です。
でも、全ての「違い」を「矛盾」や「差別」と括るのも違う気がするのです。
悲しい苦しい歴史の中から、その悲しみ苦しみを噛み締めて改革を押し進めて来たのも、やはり人間です。
暗黒時代と言われる時代にも、
新しい命は生まれ続け、愛情を注ぎ続ける母親が居て、
慈しみ合う人同士のぬくもりは何時の時代にも存在し続けました。
人間の暗部に眼を向ける時は、人間のしたたかさと生きる力、何時だって愛したがっている寂しがりやな面も思い出すと良いのではないか?と私は思います。
それを思い出さないと、前に進めません。
ありがとうございます。
またまた、大変建設的なご意見でありがたいかぎりです。
そうですね。
不協和音が魅力的に評価される文化もあるわけですものね。
表裏一体なのですね。
なんか元気がでます。
No.6
- 回答日時:
人間は基本的に自由なのですね。
精神的にも肉体的にも自由を謳歌するように創られているわけです。自由は必然的に差別を生みますがこれは肯定すべき差別なのですね。
個人個人の自由、団体の自由、社会での自由、国家にも自由があるのですね。その中にも差別は生まれますし、民族間、国家間にも差別は生まれるのですね。差別は自由の相克として現れ、なくすことが出来ないのですね。
このようにして生まれた差別をどのように消化していくかが人間の大きくいえば人類の課題なのですね。この課題の答えを求めて営々と人類は歴史を刻んでいるということでしょう。
都市間の争い、例えば戦国時代を通じで日本は一つの国家を形成し、国家間の戦争を通じて国家間の差別を消化してきたはずですね。
国家間の差別がうまく消化され地球が一つにまとまったとしても次は他の惑星の生物との差別が生まれるのですね。
元に戻って差別をどのように消化していくかは個々の課題なのですね。
自由を否定し、平等な世界を夢見れば、金太郎飴の世界ですから、そうであれば家族も社会も国家さえも存在する必要はないですよね。歴史も人類の存在理由もないかもしれませんね。お花畑のお花でよいわけですからね。太陽を燦燦と浴びて光合成して栄養を取り、争いもなく日々生きていけばよいだけということですね。
人間はそのようには出来ていないということなので差別の消化が永遠の課題になるわけですね。今に囚われずいつの日かみんな仲良くできる日が来ると信じて努力するしかないんですね。
この回答への補足
皆さん、いろいろなご回答ありがとうございました。
実はこの質問をしたのは、社会問題カテの「女尊男卑」に回答したのがきっかけでした。基本的にアンチ差別だったのですが、どうもそういう風に単純に言えないと感じたのです。
自分の感情や情緒はさまざまな経験からくる価値観によるものです。それは否定できない体の一部のようなもの、、、。そこから差別が生まれてしまう。どうしたものか、、、。
しかし、No.3様へのお礼がやはり私の見解だと気付きました。
自然にわき出る感情は、頭で理屈をこねて解決できるものではなく、経験で修正するのが最善策かもしれないけど、自然にわき出る感情の修正は、何らかの知識やイマジネーションによる疑似体験に可能性もあるかもしれません。
いづれにせよ、理屈ではなく、人間の素直な感情や情緒による解決しかないという結論です。
最近少しづつナナニッセさんの言いたいことが分かってきたような気がします。
ありがとうございます。
自由、、、ですね。差別はその結果ですか。うーん。
平等というか、、、違いを尊重した上での自由と平和はやはり目指したいですね。
自由も否定せず、違いも尊重することで平和は実現できると思うのですが、、、、。
No.5
- 回答日時:
#1の者です。
回答を書き直しますね。
何だか余計な妄想も書いておりますし。。。汗
まずは
>悲しい歴史を作っている現実
これを、忘れない事。
決して忘れない事。
真っ正面から「その時自分だったら何が出来たか?」と言う想像に挑む事。
その上で、その事実を背負って(=忘れないで)
自分が最良と思う方法を這いつくばってもしがみついても手放さない事。
一生に一歩だけでも良いから、「良い」と思える方向へ進もうと試みる事。
私はこう考えます。
まあ、休む事は構わないけれど、忘れるのはだめかな、と。
ありがとうございます。
悲しい現実を忘れないこと、、なのですね。
そうですね。
今や、一方で飽食、一方で飢餓そんな現実を忘れてはいけないのですね。矛盾を抱えているという現実を背負っているのですね。
それを踏まえて未来を目指すのですね。
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