この人頭いいなと思ったエピソード

GPSに特殊相対論と一般相対論による補正がされているというのは有名ですが、とくに一般相対論はリーマン幾何学をもちいています。

リーマン幾何学は非ユークリッド幾何学を扱うことができ、この際、平行線の公理を選択的にコントロールすることで、空間の歪みを叙述することが可能ということがいえるのではないかと思います。

平行線の公理といえば、ゲーデルの不完全性定理が関与するところですが、このようにアインシュタインのような天才は不完全性定理さえも物理学の道具として使いこなした、という印象を私は持っています。この印象は正しいでしょうか。

#ここでの近くのご質問に刺激を受けました。ちょっと筋が違うので新しく質問を立てました。

A 回答 (17件中1~10件)

>平行線の公理といえば、ゲーデルの不完全性定理が関与するところですが



どのように関与しているのか補足をお願いします。

この回答への補足

平行線の公理は公理であるがゆえに、証明不可能です(=ゲーデルの不完全性定理)。この公理を書き換えることで、非ユークリッド幾何学が構築されます。

題の
>自然科学は不完全性定理をもコントロールするか

>自然科学は不完全性定理をも道具として使いこなしているか?
の方が適切かもしれませんでした。

補足日時:2009/12/09 09:11
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アインシュタインが自身の作った量子論が、不確定性原理にされるのに


反発したように、相対性理論は、古典的な決定論に基づいています。
一方、その結果として、量子性そのものが相対性理論と矛盾し、
点状粒子を扱おうとすると(あるいは性質を決定しようとすると)、
無限不確定性に発散して、扱えなくなるという異常性が生じました。
(相対性理論と量子力学の統一の問題)

要するに、我々の日常感覚~ニュートン力学~相対性理論の流れが、
決定論=相互に証明し合える完全な公理系だったのに対し、それによって
実体(有限な存在)を記述しようとすると、無限不確定性(不完全性定理
にいう「無矛盾ではあり得ない(Aと非Aを同時に導く)」)を生じるのです。

それは、量子性のみに基づいてあらゆる物理定数が導けるという超弦理論によって、
そうした「有限な存在性(決定性)」は、根源的な量子性を、階層現象表面的に
捉えて潜在化(非決定)することで、二次的に派生するものとなったのです。
決定論=相互に定義可能な公理系では証明できない言明(不確定性原理)
の導入によってのみ無矛盾であり得る(有限な存在を記述できる)のです。

この回答への補足

ありがとうございます。

>要するに、我々の日常感覚~ニュートン力学~相対性理論の流れが、
決定論=相互に証明し合える完全な公理系だったのに対し、それによって
実体(有限な存在)を記述しようとすると、無限不確定性(不完全性定理
にいう「無矛盾ではあり得ない(Aと非Aを同時に導く)」)を生じるのです。

聞いたことのない理論ですが、どこかに平易に解説しているサイトがありましたら、ご紹介ください。

補足日時:2009/12/09 18:53
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『アインシュタインのような天才は不完全性定理さえも物理学の道具として使いこなした』という印象は、率直に言って正しくありません。


おそらく不完全性定理の解説本の前説の、公理系についての説明でユークリッド幾何学に於ける平行線公理の話が出てくるので、勘違いされたものと思われます。まず、解説本を最後まで読み通してから、平行線定理がどういう脈絡で出てきているのかを確認された方が良いと思います。


今回の投稿では、質問者様に対してより、#2のpsytexさんに言いたいことがあります。
貴方の言う『公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る』は、不完全性定理とは無関係な意味のない言明であると言った私の意図が理解されていないようですね。

『公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る』=『公理系は不完全な場合に無矛盾であり得る(矛盾していることもあり得る)』と同義で何も言っていないのと同じです。

#2では
第2段落で『「無矛盾ではあり得ない(Aと非Aを同時に導く)」)を生じるのです。』とあって
第3段落で『決定論=相互に定義可能な公理系では証明できない言明(不確定性原理)の導入によってのみ無矛盾であり得るのです。』

はっきり言って無茶苦茶です。
欠陥がないと無矛盾になれないから欠陥をつけ足すというわけですか?
論理学でいう矛盾の意味を確認していただきたいと思います。不確定性原理は矛盾なのですか? 

ちなみに、真偽決定不可命題を公理系に追加しても、それは第一不完全性定理の回避にはならないことを付け加えておきます。

この回答への補足

>率直に言って正しくありません。

どう間違っているか?を簡潔に説明してください。また、私がどう勘違いしているか?もお願いします。

補足日時:2009/12/09 19:05
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 自分も#3さんと同意見なのですが、一番の誤解の原因は、以下の図式ではないかと想像します。



  不完全性定理により、証明できない命題がある.
 →公理は証明できないから、公理と言う(大概そうですが).
 →よって公理は、不完全性定理を体現するものだ(←#1さんへの補足)

 まず証明できる公理もあります。ある理論の公理は、その後の証明のし易さなどが理由で選ばれる時もあります。公理として選ばれた命題の妥当性は、その理論では問わない、と決めるだけです。なので、ある理論の公理系を導く公理系というのは、存在し得ます。後者を、より強い理論と言う場合もあります。

 次に不完全性定理ですが、詳細には知らないので、以下には間違いが含まれる可能性があります。

 そもそも不完全性定理は最初に、公理は証明されたものとして扱います。公理の妥当性は、その理論では問わない、と決めるからです。不完全性定理の内容は、次のような事だと思います。

 公理系を定めれば、公理系が扱える問題領域が決まります。非常に乱暴な話ですが、公理が性質Aについて語るなら、性質Aを持つ命題を全て集めたものが問題領域です。この集合の決まり方は、公理系自体の性質とは無関係です。
 完全性定理の言うところは、問題領域が有限集合なら、その全ての命題は、公理系から演繹できるです。つまり一般解法が存在するです。
 問題領域が無限集合の時が、不完全性定理で、公理系から演繹できない命題が存在する、だと思います。つまり一般解法は存在しないです。ただしそのような命題を、もし直に見る事ができたら(発見は非常に困難ですが)、その命題内容に沿った個別解法(真偽を定める)まで存在しないとは、言っていません。

 アインシュタインは不完全性定理をコントロールしてはいません。アインシュタインは普通にいくつかの公理(物理では原理と言いますが)を立て、普通に論理と数学を展開して一般相対性理論を作りました。逆に一般相対性理論が、不完全性定理のコントロール下にあります。ペンローズによると、実際に証明不可能命題が存在するそうです。

この回答への補足

>まず証明できる公理もあります。

これは、違うと思います。証明できないからこそ、公理なのです。

光速度不変の原理(特殊相対論)は観測事実なので、証明不可能だと思います。また、相対性原理、等価原理も証明不可能だと思います。

同意できない部分はあるにしても、物理は実験事実や仮説を前提に展開されるものですから、「一般相対性理論が、不完全性定理のコントロール下にあります。」はある意味で正しいと思います。しかし、自然を叙述する上で、非ユークリッド幾何学を採用した点で、数学的公理系を切り替える自由な発想をアインシュタインは持っていたともいえ、この点で、アインシュタインは不完全性定理の制限を受けなかったともいえると思います。

“このときにアインシュタインにリーマン幾何学の存在を教えたのが、数学者マルセル・グロスマンであった。ただし、このときグロスマンは、「物理学者が深入りする問題ではない」と助言したとも伝えられている。” (ウィキペディア)

コメントありがとうございました。

補足日時:2009/12/10 09:17
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#3のddtddtddtさんへ



「まず証明できる公理もあります。」とありますが、公理は公理系の前提ですので、「証明できる」には違和感があります。他の公理から導かれるなら公理とする必要はなく、それは定理ということになります。

完全性定理と不完全性定理の意味するところの「完全性」は別物です。

不完全性定理を理解するのは難しいです。(私も完全に理解しているとは言えません。概念的には把握しているつもりですが。)
一般向け解説書を半分読んだだけという程度なら、まず誤解していると考えて間違いないと思います。
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#5における "#3のddtddtddtさんへ" を "#4のddtddtddtさんへ" に訂正します。



#3の『この回答への補足』への回答
アインシュタインの特殊相対性理論が1905年、一般相対性理論が1916年、ゲーデルによる不完全性定理の発表が1931年です。
アインシュタインが不完全性定理を利用するのは不可能です。もっとも、発表年度がいつであれ、不完全性定理は「数学の無矛盾性をその公理系内で証明することはできない」ことを主張しているだけのことですので、物理学の道具として使うのは不可能です。

「また、私がどう勘違いしているか?」とお尋ねですが、正直言ってわかりません。逆にどうしてそのように発想したのかをお聞きしたいです。ただ言えることは、不完全性定理について間違ったイメージを持ってしまっているのではないかと思うのです。前回の繰り返しになりますが、ともかく解説本を一度読み通して輪郭をつかむことが肝要かと思います。

この回答への補足

コメントありがとうございます。
>不完全性定理は「数学の無矛盾性をその公理系内で証明することはできない」ことを主張しているだけのことですので、物理学の道具として使うのは不可能です。

なるほど、確かにそうですね。#4補足に書いたことを修飾し、「自然を叙述する上で、非ユークリッド幾何学を採用した点で、(不完全性定理で将来あきらかな限界が示されるであろう)数学的公理系を切り替える自由な発想をアインシュタインは持っていたと思います。」と訂正させていただきます。

“このときにアインシュタインにリーマン幾何学の存在を教えたのが、数学者マルセル・グロスマンであった。ただし、このときグロスマンは、「物理学者が深入りする問題ではない」と助言したとも伝えられている。” (ウィキペディア)

現実としては、物理学者は、仮説(一時的な公理)にもとづいて理論を構築しそれが、これまでの物理学より優れて、自然を叙述できれば当面は良いわけです。(重力レンズ効果、GPSの補正など。)

すなわち、「つまり人間の能力は余りにも小さいので、自然科学分野では不完全性定理が障害となるような事態はあり得ないと考えています。」ではなく、「人間の能力はときとして余りにも大きく、自然科学分野では不完全性定理に制限されることなく理論が展開され、しかもそれが現実レベルである程度証明され(重力レンズ効果などなど)、実用面で大きな貢献をすることがある(GPSの補正などなど)。」ということになります。

補足日時:2009/12/10 10:41
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>平行線の公理は公理であるがゆえに、証明不可能です(=ゲーデルの不完全性定理)。



平行線の公理は公理であるがゆえに 1=1と「同じもの」です。
つまりゲーデルの不完全性定理の文脈でいうならは証明可能です。

これ以上は説明しません。
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確かに「公理」とは、他の公理と矛盾ないし二次的に導かれてはならない、「前提」です


(とはいえ、さらにその前提となる完全に独立した「定義」とは違い、言明として
相互に作用し証明をなします<矛盾してはならない)。
公理系は、その公理によって、あらゆる可能性が網羅(=証明)される完全なものでなければなりません。

ところが「平行線公理」については、他の公理から導けるのではないか(=定理)
という疑義が古くからあり、証明の努力がなされましたが結局、独立でした。
その過程で、平行線公理でない可能性を公理化しても、公理系として無矛盾である
ことも発見されました(非ユークリッド幾何学)。
これは、公理系をなす他の公理にはない性質です(他の公理は相互に必須なのに、平行線公理は任意)。

このように、完全な系にとって外的要因でありながら、その系が存在する(有限な値をとる=無矛盾)
であるためには、その系に加わる必要がある(不完全な系ゆえに無矛盾)要因がある、
というのが、論理学における不完全性定理であり、ユークリッド幾何学における平行線公理であり、
決定論的な古典物理に対する不確定性原理であり、時空における自我(こころ)なのです。

(不完全性定理と不確定性原理だけは、日常的な認識(素朴唯物論)の対極にある重要なものですので、
wikiなどで得られる結果的なエッセンスだけでなく、その思考プロセスそのものを習得して下さい。
それには本の1冊では済まない情報量が必要ですので、あえて私は答えないようにしています。<無理な人には無理だから)

この回答への補足

私は(たとえば不完全性定理と不確定性原理の関連について)平易に述べたサイトはありませんか?とお聞きしたので、それはないということかと思います。

しかし、理論に疑問が提示された場合、たとえそれが英語であっても参考文献を挙げるのが自然科学分野の議論の常かと思います。

補足日時:2009/12/10 10:50
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申し訳ありませんが、私は30年間にわたる無数の読書によって習得したので、


ウェブサイトも知らなければ、何か1冊で全て分かるといった虎の巻も知りません。
あしからず。

この回答への補足

そうですか。たとえば不完全性定理と不確定性原理の関連について本質的な関連が示されているのであれば、それはちょうど一般相対論のように、誰がいつ発表したか、クリティカルな文献があり、それはいつでも開示できるべきものであると私は考えます。

補足日時:2009/12/10 22:24
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 はじめまして、Hidocchiと申します。



 少し補足させていただきます。
 
> 「人間の能力はときとして余りにも大きく、自然科学分野では不完全性定理に制限されることなく理論が展開され、しかもそれが現実レベルである程度証明され(重力レンズ効果などなど)、実用面で大きな貢献をすることがある(GPSの補正などなど)。」ということになります。

 確かに、自然科学の研究者は、そのように考えてきましたし、現在もそうかもしれません。実際、ゲーデルの不完全性定理は数学科の学生さんにはあまり人気もなく、これをさらに進めていこうとする学生さんはほとんどいないといわれています。この不完全性定理が現代にも(特に哲学を学んでいるひとに)影響を及ぼしているのは、それなりに理由があろうかと思われます。それは以下の2点からだと思われます。
 
・科学的進歩という人間理性を過信し過ぎたための反省: つまり、多くの環境汚染や大量殺戮兵器の開発を人類はしてきましたが(実際、実行もしました)、これらへの反省があろうかと考えられます。

・もう一つは、人間理性を高らかに謳い上げた“マルクス主義”の反省およびそれに対する反論:マルクス主義が実際はどうだったかにつきましては、おそらく説明は不要かと思われます。ソ連軍のチェコへの侵攻、ルーマニアの独裁政権等です。つまり、そもそも人間理性を推し進めていった結果は、惨劇だったのではないか? ということです。

 これらの反省から、ゲーデルの不完全性定理が利用されてきた経緯がございます。さらに申し上げますと、不完全性定理という一種の“懐疑論的思考法”を用いた、理性万能を信じきっているものたちに対する反論でもあるわけです。

 従いまして、むしろ科学万能教に対するアンチテーゼと受け取った方がよろしいかと存じます(ゲーデルが証明した動機のひとつに、「公理系以外の何かプラスα(おそらく神)の助けが必要である」という説もございます。何しろ敬虔なキリスト教徒でしたから)。

 そこで、まことに僭越ながら、以下にお薦めのものを列記させていただきました。

 やはり、1冊ぐらいは読破されることをお薦めいたします。なお、ゲーデルにつきましては、高橋氏の方がやさしいかと思いますし、これを正確に読めば、別段ナーゲル氏の本は省略してもよろしいかと思います。適当に本屋さんで選んでみてくださいませ。もちろん、これらの書籍に限定する必要はございません。

1. 高橋昌一郎著「ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論」(講談社現代新書)
2. E. ナーゲル著「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」白揚社

1. 山田克哉著「量子力学のからくり―「幽霊波」の正体」(ブルーバックス)
2. 都筑卓司著「新装版 不確定性原理―運命への挑戦」(ブルーバックス)

 お役に立つところがございましたら、幸いでございます。

この回答への補足

ほかにこれまで指摘にありましたように、不完全性定理と科学の進歩は必ずしも強い関連(共役)はないということだと思います。よって、私は最初の意見を変えています。(皆さんありがとうございました)

最初の指摘の科学者の考え方には私は合意が見出せますが、不完全性定理を科学批判に使えるかどうかはちょっと疑問です。

補足日時:2009/12/11 09:18
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