電子書籍の厳選無料作品が豊富!

 《甘え》には いわば健全なる甘えと病的な甘えとがあるらしい。幼児性が おとなであっても 必ずしも不健全なものでもないということらしい。
 ▲ (土居健郎 :聖書と「甘え」) ~~~~~~~~~~~~~
 ・・・実際 大人になっても 非言語的なプロセスとしての《甘え》は継続する。
 しかし・・・《甘え》を子供っぽいもの 殊に人間の自立を妨げる芳しくないものとしてそれを排斥する動きがもし早くから育児環境の中で作用していると《甘え》が内向し 異常に自己中心的な性格が生まれる可能性がある。

 そしてこの際しばしば 広義の性的 ということは官能的快楽の飽くなき追求を伴なう。この種の人間類型は もしそれが極端な場合は異常性格として一般の認識するところとなるが しかし現代人は多少ともその傾向があると言ってよいように思う。

 現代が個人の自由をもっぱら旨とし また概して快楽主義的であるのはその点を示唆する。なお以上の考察は《甘え》に相当する語を有しない欧米人にも十分あてはまることをつけ加えておこう。(p.20)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《聖なる甘え》もしくは《超然的なる甘え》を提唱することができるのではないだろうか。

 趣旨説明として不案内ですが さまざまな観点からご見解をおおしえください。

A 回答 (101件中71~80件)

元気付けるというのは



自分が自分に対してしか行えないことだと思っております。

光と闇の理論が、一般論である限り、甘えの論理も、
その一般性を「かいくぐる(塩基とその組成)」ことは

出来ないものであると考えています。

学的に見ると
甘えの論理は、その存在意義が、「文学的のものに限定されてきている」ようです。

甘え論を 塩の論理以外で語ることは難しいという考えです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ふふん。

 ★ 元気付けるというのは / 自分が自分に対してしか行えないことだと思っております。
 ☆ 百パーセントおっしゃるとおりです。と同時に わたしは皮肉って言ったまでです。
 わたしの悪口を書き連ねれば 連中には 元気づけのごとく錯覚することもあるというものでしょうよ。

 ★☆(要約) 《甘え》論が 哲学一般の議論になじむかどうか? ただ《文学的なもの》であるに過ぎないのではないか?
 ☆ ですから そのおそれを取り除くために 《甘え》とは その相手との《同一化》であるという説明を添えました。たとえば
 ☆☆ (No.1補足欄における遅れて来た趣旨説明) ~~~~~~~~
 甘やかすというのは その相手に同一化することを伴なうのだと。
 同一化とは けっきょく甘えのことであって 甘やかすとき 人は その相手がおこなってくるであろう同一化を先取り(preempt)しているのだという。
 甘えをこちらからおこなうと 相手は 一たん確かにに甘えてくるのだが そのとき その病的な側面については きちんとわかるようになるのだという。
 先取りした甘えは この負の甘えを広く大きく予防することになる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これでじゅうぶん哲学一般の議論になじむものと思いますよ。どうでしょう?

お礼日時:2010/01/12 21:18

光と闇の論理


善悪の紀元説には

発展性がないという結論付けをなさる

ということと理解するべきなのでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 あんたとまともに話をするとは。

 あぁ あの《元気づけてやってくれたまえ》の発言が効いたのかな。

 ★ 発展性がないという結論付け
 ☆ たのは
 ★ 光と闇の論理
 ☆ の一般としてではありません。あくまで《甘え》論にかんして  明暗それぞれの側面がどうのこうのと分析しても 発展性がないと――この場合は 直観ないし直感として――思いました。

 ★ 善悪の起源
 ☆ は大きな理論です。ひとの存在やその社会における行為(その思考形式から行為の錯綜関係まで)に広がる理論だと考えます。
 ですから 構わないでしょうけれど では《甘え》とどう絡ませるかとなると そう簡単に行くとは限らないように思います。
 ただし 《明と暗》と言ったときに この《善悪の理論》を想起していたわけではありません。

 ともかく発車してみてはどうですか?

お礼日時:2010/01/12 20:56

甘えの構造があるとしたら、その物悲しさが根拠となるのでしょう。



がんばってください。

でも世の中は
嬉々として喜びでいっぱいです。

大海原を、神より送られた塩と見るのか、
地神ガイアの血とみるのかが、この「性格不一致」の原因です。

たまには
微笑みを思い浮かべてみるということも大事だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ふむ。

 No.1から連続して 趣旨説明をかかげています。それがなければ 何らかの応答をしたところですが それが回答のための資料のようにして用意されているわけですから それについて何ら触れていないと思われる内容では 答えかねます。
 というところでしょうね。
 明るい面と暗い面との問題として捉えたようですが いまひとつそれでは発展性が少ないように思いますが どうでしょう?

お礼日時:2010/01/12 20:40

 どうもこの哀れで惨めな質問者は「教えて」ほしくて質問しているのではないらしい。



 単に寂しさと甘えと虚栄心によって 他者と関わりたいだけのようだ。相手にする人間も同じ類なのだろう。

 周囲に人はいないのだろうか?

 こういう類の人間に対しては、真に思いやりがあるのなら ほっとくか、厳しく接するしかないでしょうに。

 間抜けな醜態を晒すようになった責任は、質問者だけでなく、質問者を甘やかし、ときに からかう周囲の人間のせいでもあるのでしょう。

 この質問者を甘やかさないで無視すれば問題は解決すると思うのだが...

 しかし、相手にする回答者も寂しくて仕方が無くて対応しているんでしょうかね...

 それから、整合性の取れていない返答をし続けることで、将来 崩れた整合性の無いカオになって醜態を晒すようになってもそれは その人が自分で選んだ道ですから、その人の責任です。この点についてはいくら甘えても無駄でしょう。なるべくしてなるのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  それから、整合性の取れていない返答をし続けることで、将来 崩れた整合性の無いカオになって醜態を晒すようになってもそれは その人が自分で選んだ道ですから、その人の責任です。
 この点についてはいくら甘えても無駄でしょう。なるべくしてなるのだと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ さすが。相手にはこれっぽっちも咎め立てはしないですよというおこころ遣いには なみだがちょちょぎれます。

 ここで一たん切ります。途中から考えなおして応答してきたけれど これですっきりするでしょう。このすっきりしたところで 一たん切りをつけたほうがよいでしょう。
 (みなさんに問いかけているわけですが)。

お礼日時:2010/01/12 20:37

 窮すると、いつも最後には決まって


 「おまえに心は有るのか」などと言い始めるのはいつもの通り、<<ワンパタン>>ですね。

 心のある・なし の問題に摩り替えなくてよろしい。

 お前には 心 があるのか?

 心があれば そろそろ反省・反証しても良いと思うのだが?
    • good
    • 0

 あ、それから オメデタイ のは、bragelonneさんにも言えることですので、「ワンパタン」の反応はしなくていいですよ。



>趣旨説明として不案内ですが さまざまな観点からご見解をおおしえください。

 甘え の意味を自分なりに考えて言えるようになったら 「おおしえ」致します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 こころが冷えて凍ってしまったので解凍しなければならないという場合は知っているが 頭も凍ってしまったというのは 聞いたことがない。

 この間抜けは ひょっとして芸術作品なのか。
 わざと自分をつくっているのか。
 そうとでも考えないと 人間の出来損ないになってしまう。病気を通り越している。おおむ程度ということか。


 ここまで言えば たいていは心が反応するもんだが。


 あぁ でもさすがに日本教徒に見立てた説明には 反応し得ていない。どうもこれには堪えたのかも知れぬ。少しは脈があるのか。

お礼日時:2010/01/12 17:23

No18回答欄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


>甘えの定義もままならずに質問しても無意味だね。

 ◇と、すでに言ってあるね。よく考えておきなさい。

No.19お礼欄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 みなさん! 連帯責任なのでしょうか?
 どうなのでしょう?

 ◇bragelonneさんがそのようになってしまったのは私のせいではありません。周囲の連中が甘やかすからではないでしょうか。相手にしないで一人で考える時間があれば良いのにね。

No.20回答欄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>まず、「甘える」とは何か。を考えてみよう。

>これがはっきりしていないと「健全なる甘え」とか「病的な甘え」について考えることはおろか、他者に「甘えている」とさえ 言えないからね。

 ◇こういうことです。
  とにかく、bragelonneさんは、自分の幼少時の体験をもう一度よく思いなおして、何が問題だったのか 気付くべきでしょう。

No.24お礼欄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>誰か友だちはいてやらないのか? 親は見てやっていないのか?

 ◇bragelonneさんが醜態を晒し続けているというのは、周囲に誰もいないということの証明だろうか?

> それにしてもこれだけの醜態ともなれば もはや居ても立ってもいられないほどになるのがふつうだが それをつづけるという《意志》は いったいどういうことか?

 ◇厚顔無恥のbragelonneさんも、さすがに居ても立ってもいられなくなってきたようですね。

> 神はこれだけの人間の退化をゆるしたのか?

 ◇bragelonneさんの退化を<<許した>>のは神ではなく、自分自身の行為振る舞い、言動など が原因でしょう。自分自身で<<許した>>のでしょう。いい年になってるのに、何かほかのモノのせいにするのはやめましょう。

> こう言うと それは 質問者さまのほうですよ。という答えしか返せないワンパタン。これだけの人間の脳の退化とは!!!

 ◇もう一度No.1から読み直してみてください。「例示」自体がすでに勘違いによる例示だということからまず理解してみてください。そうすれば、自分の「脳の退化」を改めて実感することが出来るかもしれません。

> 誰かタオルを投げてやる奇特な方はいないのだろうか?

 ◇bragelonneさんにタオルを投げてやる 思いやりのある人はいないようです。それともリンク鳥さんが そういうつもりでいるのかな?

> と言っているだけで 心を癒してやることすらできないわたしは 卑怯な男なのだろうか?

 ◇卑怯じゃなくて、寂しがり屋で、甘えん坊で、虚栄心がたくましいだけなのではないでしょうか?

 まあ、誰の努力かわからないが、物事がはっきりし始めたようで、
メデタシ、メデタシ ですかね☆
    • good
    • 0

 すいません、ご愁傷様 は言い過ぎでした。



>これだけ醜態を晒すのを覚悟の上で――と言っても 醜態かどうか あるいはどういう醜態であるのかも分かっていないようだが それでもすでに社会の中の人間となっている というからには醜態を晒すのを覚悟の上で―― 生きている人間がいたとは!! 

 そうですね、上記の文章のような、自分で何を書いたか、どのような醜態をさらしているかも自覚しないでこうやって応答、反応し続けている人がいるとは文字通り驚きです。

 最近は文章にも「醜態」が現れていて、それが他者の評価として如実に現れているような気がしますが、どうお考えでしょうか。

 いずれにせよ、他者の評価は参考にしたほうが良いと思います。

 しかし、最近は誰が甘えん坊で、誰が虚栄心たくましく育ったのか が、解る人には解るようになってきたようで、本当に良かったです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 誰か友だちはいてやらないのか? 親は見てやっていないのか?

 それにしてもこれだけの醜態ともなれば もはや居ても立ってもいられないほどになるのがふつうだが それをつづけるという《意志》は いったいどういうことか?
 神はこれだけの人間の退化をゆるしたのか?

 こう言うと それは 質問者さまのほうですよ。という答えしか返せないワンパタン。
 これだけの人間の脳の退化とは!!!

 誰かタオルを投げてやる奇特な方はいないのだろうか?


 と言っているだけで 心を癒してやることすらできないわたしは 卑怯な男なのだろうか?

お礼日時:2010/01/12 13:13

No.8解答欄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 質問者の過去のこのサイトでの質問において「私は寂しいです」と言ったことがあったが、それと甘え・依存についてよく考えてみよう。

1.質問者が寂しいのはなぜなのか。

2.質問者が忌み嫌われているのは 甘え が原因ではないのか。

3.質問者がいつまで絶っても 道理を理解できないのはなぜなのか。

 余計な返答しなくて良いから自分のアタマで考えてみよう。

 以上です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No.20解答欄(改)~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⇒まず、「甘える」とは何か。を<<自分のアタマで>>考えてみよう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

No.19お礼欄~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ◆ (OtamaFJ さん:回答No.9) 「社会」とは「助け合うために集まったもの」である。それは「甘え」とも表現できる。
 ☆ となるのならば いったい われらは如何にこれに答うべきか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「となるのならば」って、他者の考えを上げても質問者の汚名返上とはならないよ。しかもそれがあいまいな定義によるものでは恥の上塗りです。
それこそ、これ以上の醜態をさらしたくなければ自分の非を認めたほうが良いんじゃないかな...

 とにかく、自分のアタマで考えることが出来ず、いつも何処かから引用するしかないのは哀れを通り越してお笑いです。

>みなさん! 連帯責任なのでしょうか?
>どうなのでしょう?

 少なくとも私に責任はありませんw

追伸:他の回答でも御活躍のようで(ご愁傷様です)。
    • good
    • 0

こんばんは、bragelonneさん。




【QNo.4708484 究極の悪とは――存在について――】No.48お礼欄
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4708484.html

 岡本綺堂でしたか その雷の話に あたまのてっぺんからつま先まで 悪に染まった人びとが出てきましたね。応用問題ですな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

応用問題:三竦み  睡眠預金払戻損失引当金の計上基準

『預金が消える? 増加する「睡眠預金」と、その実態とは?』
http://www.1242.com/morinaga/souken/index.php?no=4

「国庫金事務の電子化」に向けた日本銀行の取り組み
http://www.boj.or.jp/type/exp/seisaku/expdenshi. …

ペーパーレスか、10年経ってのお知らせもEメールになっちゃうのかなぁ?

アドレス変わってたら…宛先不明のメールデーモンが戻ってくる

…そこからさらに10年…機械はプログラム通りお知らせEメールを放つ

10年前同様に宛先不明のメールデーモンが戻ってくる

タイムアウト―――――時効   寝る子は育ち 旅立つ 何処へぇ~~~
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 エウレーカ! 
 お早うございます。リトルキッスさん。ご回答をありがとうございます。

 エウレーカ!
 《日本教》の問題でした。つまりしたがって 日本教徒という人間のもんだいであり その互いの仲間意識のそれです。帰属意識のもんだいです。

  日本教には 見えない総本山があります。そこからやはり目に見えない運河が下に横に その結果として縦横無尽に 張り巡らされています。
 この観念の運河を 信徒はおのおの観念のゴンドラを漕ぎつつ行き交いする。この通行証を持っているという感覚――つまりは おれは日本教徒なりという確信―― これがすべてを決めているようです。

 いま そこに通行証もなければゴンドラをあやつることもおぼつかない人間がいたとします。信心の強い者ほど このようなもぐりの日本人とおぼしき人間に対する嗅覚が発達しているのでしょうね。
 そのもぐりとおぼしき人間が何を言っているかどういう人間であるかにはまったく関係なく ただどうも観念の運河を つばめのように飛び交っているではないか それではだめだとでも言うのでしょうね その臭覚にものを言わせて 交通のおまわりさんよろしく 笛を吹いている。こういう構図だと思います。

 巡査になった気分なのですから 相手がどういうことを言っていようと 自分が正しいという《信念》には人一倍のものがあるのでしょうね。論理も事実確認もあるいは 気持ちも心も 何もあったものではないようです。この今は 運河の通航にかんする取り締まりが優先されるといったところでしょうか。
 
 仲間は 自分のほうにこそいるのだ。空気は われに味方している。わがうるわしの宗教を放っておくわけには行かない。これに反抗する者は ただちに取り締まる。おれは警官だ。ってなもんでしょう。

 そうでなければ これだけの醜態をみせる人間がいるとは思えません。どうでしょう?

 寝る子は育ち過ぎる。夢もうつつも 眠りつづけている。
 われに戻らせ 人間を回復させねばならぬ。のかなぁ。

 * 睡眠預金といえば 親の口座がまだあったと通知が来た(はがき)。忘れていたものだった。一万円あるとのこと。戸籍謄本等々を持って来いとか。
 

お礼日時:2010/01/12 10:26
←前の回答 3  4  5  6  7  8  9  10  11 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す