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なぜ人間は目の前の事に真正面から闘うのを苦手とするのでしょうか?
「あの時もっと勉強しておけば良かった。勉強しなかった自分は何て奴だったんだ」と大人になってから嘆く人は、例えば神様からもう一度「勉強する機会」を与えられたらちゃんとやれるのでしょうか?
昔は無理だったのに今は出来るというのでしょうか?結局、大多数の人が「昔は怠けて出来なかった事は今やっても出来ない」のではないでしょうか?本気で過去を後悔しているなら嘆く前に今行動していると思うのですが・・。どうでしょうか?

A 回答 (3件)

これは私の個人的私見ですが、半々でしょう。


勉強で成果を挙げる際には本人の「素質」と本人が持つ「意義」の二つが大きな要素としてあるのだと思います。

「素質」の方では、今迄勉強してきた事を如何にして反復、再出力するかという能力が問われる、という意見がありますが、私はこの見解に同意しています。
(私なりに言えば、つまりは世の中に役に立つ真理は評価の際に理解していなくとも良い)。
ですので、自分に対する成功報酬や社会への貢献意義が無くてもその力を淡々と発揮できる人間が優れているとされ、これに関しては力が無ければどうにもなりません。

対して「意義」の方は何故勉強をするのか、という理由が分からない為ですね。
「将来の良い生活をする為だ」と言っても現在の子供はピンと来ません。
そして年収300万円になって昇給する見込みもなく、将来の不安もある、こうした世間の相場を知った時に後悔するのです。
過去の経験から、学習を諦める方が大半です。
但し、意義を与えられた人間がよく動くという事はよく知られています。
大人になってからの学習というものはここの部分で期待できるのだと思います。


下記ご参考までに。
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何故明日やろうと思うのか。「面倒」の心理について。
なぜ、人は「明日からやろう」と思うのでしょうか。
なぜ、人は面倒に思うのでしょうか。
なぜ、人は怠慢になるのでしょうか。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3783979.html
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私の解釈も交えて要約しますと、
・脳は常に省エネモードに入ろうとする。
・人間の行動は基本的に本能に従う。
・ので、ものごとを継続しずらくなる。

との事です。
茂木健一郎さんは、仕事の後にチョコとコーヒーを用意しているそうです。これが成功報酬に当たるとすれば、食欲が仕事の成果に直結する事になります。自分という生物を非常に上手く騙しているな、と感心しました。ちなみに私も試していますが、いつの間にかチョコを食べている、という感じでなかなか上手くいきません。

また、松下幸之助氏の哲学によれば、人間は船のようなもので、生命に関わるような本能部分での欲が原動力に当たり、理性が舵に当たる、と著書で書かれています。
私を含め、この辺が上手く行っていない方は舵取りのやり方、つまりは勉強とは何か、どうしてすべきか、何をすべきか、という知識が与えられていないように思われる為、大人になってからの学習が上手く行っていないように思われるのです。
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この回答へのお礼

「いつの間にかチョコを食べている」分かります(笑)。
チョコは美味しいから食べたいものです。

「人間は船のようなもの」・・ですか?
とても面白い例えですね。
寝る前に想像してみようと思います。
booter様の回答は丁寧で分かりやすいですね。(回答履歴拝見しました)
読んでいると益々哲学が好きになれます。

お礼日時:2010/01/17 22:34

素朴な経験から……



質問の表題には、「テスト期間中に」という条件がついています。
「なぜ真剣に闘わないのか」と問われれば、
やっても無駄だから、つまり「テスト期間以前に勝負がついている(と思っている)」から、ということでしょう。

ふだんの授業の時も真剣になれない人が、テストだからといっていきなり真剣になれるとは思えません。

……と思って、表題に続く質問文を読んでみると、「テスト期間中」という条件は全く関係ない話になっているようです。

質問者は「テスト期間だというのに努力していない」人にいらだちをおぼえているのでしょうが、どうやら、それ以前からその人たちがどういうふうに生活(勉強)しているのか、その状況には無頓着のようです。

「テスト期間」という一部分だけ見て、なぜ「テスト期間」なのにやらないのか、といらだってみてもはじまりません。
そもそもふだんから勉強などやる気のない人たちなのです。
もしやる気が多少なりともあるとしても、ふだん「わからない・できない」という気持ちを抱えているから、テスト直前でもきちんとできないのだろうと思います。

「あのときもっと勉強しておけばよかった」などという思いが出てくるのは、まだましな人のことで、
「テスト期間」でも真剣に勉強しない人は、「自分は勉強ができないから仕方ない」とあきらめをつけてしまうだけなのではないでしょうか。

そういう状況を変えてやるためには、
ふだんから「やればできる」という経験をさせて、
「テスト期間だからしっかりやろう」と思える前提を作ってやる必要があるでしょう。

あなたが、そうすべき立場(たとえば教師や親)だとしたら、
それをふだんからやらないで、いざ「テスト期間」になって勉強しない生徒にいらだっても、それはふだんのあなたの怠慢ということでしょう。
「どうしてあのときちゃんと指導しなかったのだろう」などと思っても遅いのです。

しかし、あなたがその立場にないとしたら、そういう人のことは放っておきなさい、いらだっても意味はありません、というのがわたしのアドバイスです。
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この回答へのお礼

人間ってもしかしたらある程度自分に見切りをつけているのかもしれませんね。
どれだけ自分に自信がある人もどれだけ有能な人も無意識では自分の限界を知っているといいますか・・・。
回答者様の意見を読んでそう思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/01/17 22:29

これは自分動かすことのできる心=マナ識と動かせない無意識との戦いだからです。

こころはいつもこの二つが戦っているようなもので、心を自由に動かせることができるようになった人、マナ識の占有率が上がった人だけが人生の勝利者となるのです。

勉強に関わらず、しなければならないことやらなくてはならないのにできないのは自分で自分の心をコントロールできていないからです。無意識の支配がマナ識を上回っています。

それは心を強くする、こころを強化するしかありません。受験勉強の勝利者や仕事のできる人はその自分の心の弱い部分を克服したのです。ですので運を掴むかどうかは心の鍛え方によるのです。
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この回答へのお礼

脳科学でそんな話を聞いたことあります。(でも何言ってるのか私も知識が浅く、よくわかりませんでした)
自分の心の弱い部分を克服した・・考えてみます。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/01/17 22:26

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