親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

家系をたどって調べていくうちに、遠いご先祖が衛戊病院に於いて死亡という項目がありました。文字が読み取りづらく、おそらく台湾台北衛戊病院という字の古い難しい漢字だと思うのですが、この病院に関してなにかご存知のかたがいらっしゃればお教えいただきたいです。今度台湾に行く予定を組んだので出発前になにか事前に情報を得られたらと思っております。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (7件)

A No.3です。


A No.4、A No.5(=ANo.6)さん回答拝見致しました。大変勉強になりました。

誤った文字で検索をかけていては正答に辿り着けるわけもなく・・・
板汚し申し訳ないです。

質問者さんへ。
上記回答者さんの回答をご参考に。
A No.3は無視してください。
大変失礼致しました。
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yanhuaつづきです。


5.台北衛戍病院 ・・・コレラ大流行の記事。
  http://lotus.klcivs.kl.edu.tw/study/netnews2/new …
  大正七年(1918年),瘟疫竄焼台北衛戍医院人院
  台湾島内統計結果約有七十七万九千多人染到悪性流感,
  其中死亡者有両万五千三百九十四人
6.日本帝国領有期台湾関係統計資料目録 一橋大学刊
  http://rcisss.ier.hit-u.ac.jp/Japanese/introduct …
  目的の情報はありませんが、ご先祖がいらした当時の台湾の
  経済・民生の状況を知る材料になると存じます。
★後記する誤用の衛戊病院検索では沢山ありますが、
日本及び台湾の記事で当該病院に関する件は概ね先行回答の範囲です。
★台北衛戍病院の確実な位置は上述の、
・明治41年台北縣台北街。
・台北文廟・台北大稲???。この界隈に八甲路あり。
・台北城外小南門南側院区・植物園隣接。
★台北衛戍病院の分院が台北市内に数箇所ありましたが公式文書でない
場合、どれも衛戍病院と呼ばれた可能性はありますね。何故か、北投分院
の記事が件数で勝ります。
ANo3氏の最後のURLはご本人も懸念された通り台南です。
★台湾の地図です、衛星映像もあり
  http://www.urmap.com/
  駅は站、飛行場は機場or航空站 のように中国語で入力。
  文字は日本語入力でOKです。
★中国単語を読むのに少しは助けになります。日中/中日辞典。
  http://www.excite.co.jp/dictionary/chinese_japan …
  http://dict.hjenglish.com/jp/
★軍属でなくても衛戍病院入院はあったようです、ご先祖の場合は?
私は当時の台北病院現在の台北大学医学部付属医院出生です。
昭和になってからでしたら台北居住の個人名簿や詳細住宅地図もありますが、
このサイトでは具体的相談ができません、いかんともしがたいですね。
★質問・回答・引用を見て気づいたこと:
衛●病院えいじゅびょういん の文字の誤用について。
   ●=戍じゅ:正 意味:(兵力で)守る
   ●=戊ぼ、つちのえ:誤  意味:十干の5番目
   なお、戌いぬ:十二支の11番目 も気をつけて。
日用文字ではなく誤り易いのでちょっと調べてみました。
各国/地域の国語辞典ではどうか、
 台湾政府教育部編纂国語辞典(繁体字)
 漢典他数点の中国語辞典(簡体字)
 日本語辞典数点
   の何れにおいても誤用は無く、許容もなし。
日本及び台湾のWeb上の記事には衛戊(誤用)が頻出する、公共機関が
出典の記事も例外ではなく、同一記事内での混用もある。
中国のWeb検索で衛戊病院(誤用)でhitするのは日本と台湾のサイトのみ。
当然衛戍病院(正用)であれば中国サイトが沢山hitする。
MSIMEでも えいじゅ で 衛戍 が出ます。
使用に耐えないあのIME2007でもきちんと変換できます。
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お知りになりたいことは、


・台北衛戍病院の住所
・該病院に関する情報種類を問わず  と理解します。
☆台北衛戍病院跡:
1904年以降は、ANo4氏ご提示の当時の南門町の後追いになりましたが 後出

資料による推定です。現在の台北市中正区中華路2段33,35号
 にある 台北市立和平医院&中医医院辺り、
   東北に国防部(元日本軍軍営に比定)、東南に植物園となる。
   小南門(現在も存在)南側の記述に合致。
 Google 地図で、台北市小南門 検索で周辺を拡大縮小でOK。
1904年以前は、台北街、台北文廟、台北大稲???などと以下の文献
 にありますが、位置の特定はいたしておりません。現在の萬華区に
 ??大道がありますからその界隈と思われます。

さて、台北衛戍病院は日本の台湾統治の歴史に準じますから、
1895年(明治28年)4月17日~1945年(昭和20年)10月25日までの
50年余に及びます。時期的な焦点が不明なので適宜としました。
1.台湾が戦後まとめた資料・・要点のみ訳しました{ }内は訳者補足
  --------
第二章 ?史研究
2-1 日本衛戍及陸軍病院制度沿革
2-2 台灣日治時期衛戍及陸軍病院沿革
http://www.arch.ncku.edu.tw/ca+ihta/hbr01.pdf
{前文}
衛戍病院沿革 1期1985~既存の廟宇や民宅官舎など流用し多数、
この類の典型で最後が台北衛戍病院埔里分院で1916地震被害で廃除。
2期1904~永久兵営計画の下に陸続と新築する。3期1936~1945の間、
1936に衛戍病院{全て?}を陸軍病院と改称した以外は、部隊の医療要請
に応ずるために新設の陸軍病院の所在地を決める上で明らかな差が現れた。
戦争末期に大量に出現した陸軍分院は、南進政策及び戦後の政策対応
を示す。
以下、台湾地区の詳細。
{概括}
台北衛戍病院は"台北文廟"(図2-1)に位置した,"台北大稲???平面図".

台北衛戍病院は1898建築着手。
台北衛戍病院(図2-3)は1904台北城外小南門南側新院区北側
混成第一旅団歩兵第八大隊営区(図2-5)に移転。
北投分院は1898/6/1起工、以降継続使用。台中・宜蘭分院もあり。
{個別}
20頁 3.台北衛戍病院
台北衛戍病院(図2-3)は1904台北城外小南門南側院区に移転した、
1910台湾市区改正図にはっきり見える。病院東北側は歩兵第一連隊
第二大隊軍営、東南側は植物園(図2-13)。1919~永久兵営計画で
改築、1925大日本帝国陸地測量部台湾地区二萬五千分之一地形図
に病院が見える(図2-14)。当時の等級は内地の二級衛戍病院相当。
{診療科・設備・他詳細あり}。
  --------
以下Webで入手できる記事です。
時期が不明なので古い記事も雑件も含みます。
2.国会図書館デジタルアーカイブ『陸軍軍隊官衙学校所在地一覧
-明治41年8月調 』の、
29頁から衛戍病院が始まり32頁に台北衛戍病院があります。
住所は臺北縣臺北街となっております。
  http://porta.ndl.go.jp/service/servlet/Result_De …
  [提供素詳細画面]→[本文を見る]→上の窓で頁no指定
3.台湾国家文化資料庫 1896(明治29年)台北衛戍病院風景写真
  http://nrch.cca.gov.tw/ccahome/search/dtd_result …
  2枚あります。統治開始の翌年です。
4.台北衛戍病院圓山分院(日本陸軍療養病院)、US資料です。
  http://www.rocmp.org/archiver/tid-20870.html・・・記事
  http://img395.imageshack.us/img395/1103/ustdcor4 …・・・地図
    現在の地図に当時の病院位置を表示しています。
つづく
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 臺北衛戍病院の本院所在地は、当時の地名で台北市南門町でした。

北投にあったのは同病院の分院で、ほかに新竹分院などがありました。

 資料=『陸海軍軍事年鑑 昭和十二年』80頁「陸軍官衙学校軍隊所在地」

 「衛戍」とは、或る地に陸軍部隊が永久に駐屯するという意味で、1907年(明治40)に台湾守備隊が設置され台北に台湾歩兵第一連隊が、台南に同第二連隊が駐屯するにあたり病院も併設されました。

 臺北衛戍病院は、1936年(昭和11)に臺北陸軍病院と改称され、そのまま終戦を迎え消滅しました。現在本院跡に石碑が残っているはずです。
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臺北 衛戊 醫院などの語句を元に検索をかけてみたところ、すべて中国語のページでしたが、漢字を読みとっていくと



1.台湾の衛戊病院は少なくとも台北と台南にあった。
2.台北の方は旧八甲町(現 台北市万華区広州街・昆明街・三水街)にあった模様。
3.また「北投分院」というものが存在しているが、本院にあたるものは現存していない様子。
4.台南のそれは少なくとも数年前まではいわゆる「廃墟」として存在。
という状況ではないかと解釈しました。
以下は参照したWebの一部です。(「参考意見」であることにご留意ください)

http://www.woo-web.net/beto/info.htm
台北衛戊病院 北投分院地図
http://catalog.digitalarchives.tw/dacs5/System/E …
臺北衛戊醫院の所在地と写真か?
http://nrch.cca.gov.tw/ccahome/photo/photo_meta. …
正門から建物を望む写真か?
http://diary.blog.yam.com/chocnu/article/4663990
ブログ主の写真とともに建物の様子が記述されている模様。→台南の可能性大
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 衛戊病院というのは日本の国内にはたくさんあったのですね。


 台湾は日本でしたから。ただ内地と外地では、一応外地でした。
 義兄は先年88でなくなりましたが、台北出身で17のときに東京に出てきました。
 代々郡長の家出したので、陸軍用の札をもらってそれで全部経費なしできたそうです。
 http://tsukushino-fureai.net/hiroba/columnist/bu …
 にもたくさんあります、衛戊病院が。
 今は国立病院ですね。いくつかは知っております。友人もきんむしておりましたんで。でも台湾の衛戊病院は多分母の知人が負傷したときに、連れられて見舞いに行った写真がありましたが、家内が母の死亡後整理して、廃棄したようです。
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 普通、“えいじゅびょういん”と読めますが


 軍隊などの止まっているところが、戊ですね。
 野戊といえば、野営しているところですね。
 衛は衛生の衛でして守るとか、世話するという意味でしょう。
 固有名詞は知りません。陸軍病院のことではないですか?
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