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第一次世界大戦で、電信連絡はどんな役割を果たしたのでしょう。

よく映画の戦闘場面で「通信兵?」のような兵士が「本部と爆撃などに関し緊密な連絡をとる」シーンがあります。第二次世界大戦なら、よく意味がわかります。

問題は第一次大戦です。この大戦は塹壕戦と言われています。ここでかりに「通信兵」がいたとすれば、
無線ではなく有線による通信だと思われます。また通信はもっぱら塹壕でなされていると思われるのですが、あるいは「突撃」して塹壕から出るとしたら「通信兵」も塹壕からでて「通信器」をもったまま敵に撃たれるということはありうるでしょうか。そもそも「通信兵」などいなく「通信」はもっぱら「士官」の任務だったのかもしれません。
「通信兵」が塹壕のそとで撃たれて必死で通信を続けるという場面はあり得るのでしょうか。
「塹壕戦」というものの実態がわかっていないので、詳しい方にお訊きしたく何卒宜しくお願いします。

A 回答 (5件)

こんにちは



> 第一次世界大戦で、電信連絡はどんな役割を果たしたのでしょう

主に砲撃(弾着)観測だったと思われます。

> 「通信兵」も塹壕からでて「通信器」をもったまま敵に撃たれるということは
> ありうるでしょうか。

皆無とは言い切れませんが、極めて少ないかと思います。

主に第一次大戦における塹壕の配置は
前線と後方の2つ(戦線によっては後方が2つの場合もあるので 合計3つ!)が
あり、それぞれに 第1線、予備(ないしは補助)、第2戦という主要3線と、それ
らを結ぶ交通(補給)塹壕、という複雑な構成になっています。
(ちなみに砲兵部隊はそのさらに後方、前線から10Km程度の所に展開、配備
されていたようです)
そのうち、通信兵 というか通信所が開設されるのは最前線である、第1線では
なく、予備または第2戦のいずれかですので、通常は「突撃のために塹壕から
出る」という事態は、まず起こりえないであろうと思われます

ただ、このように塹壕を重層構造とする理由は「敵に第1戦が突破、制圧され
ても、後方の予備、第2戦で防御する」という ある意味の柔軟戦術によるもの
ですから、もしも敵が後方線(の塹壕)を、急速に制圧しかねない状況に陥った
としたら、その時は「撤退のために塹壕を出る」ことは十分あるでしょう。

> 「通信兵」が塹壕のそとで撃たれて必死で通信を続けるという場面はあり得る
> のでしょうか。

第1次大戦当時には 既に無線通信機は開発されてはいたものの、まだまだ機器
自体が大きく、重かったため、もっぱらそれ(無線)は"艦船への搭載用"のもの
がほとんどで、ご指摘の通り 陸戦の野戦通信は主に"有線通信方式"によるもの
でした。
さらに導線(ケーブル)自体も保護のために土中などに埋設するのが常で、かつ
不意の断線などによる通信途絶を防ぐために、二重三重のライン(つまりバック
アップですね)が敷設されていた、と聞いております。

従って、それら配線のことまで考えると、通信機を塹壕の外に持ち出し、なお
かつ外で通信を行う、ということは まず不可能であろう、と思います。
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この回答へのお礼

まことに詳しいご説明に恐縮しております。
とくに第一線の塹壕に「通信兵」がいる可能性についての考察は、まことにかたじけなく深謝しております。
だいぶ胸のつかえがとれました(笑)。
塹壕の前には有刺鉄線が張り巡らされていたでしょうから、ますます「通信器をもって出撃する」場面はなさそうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 12:22

第一次大戦における戦場の通信手段のメインは、信号弾です。

私も第一次大戦は詳しくないのですが、信号弾が最も活躍したのは第一次大戦だったそうです。
その使い方ですが、例えば各部隊は、決められた時間に信号弾を上げるように決められていました。いくつかの信号弾の組合せでそれぞれの部隊を示します。すると、その時点でどの部隊がどこにいるかが分かる、という寸法です。
しかし込み入った事情があった場合はどうするか。それは伝令兵で伝えました。他の方も回答していますが、若き日のヒトラーもこの伝令兵をやっていました。伝令兵というのはある意味エリートまではいかなくてもかなり高度な技術を持った兵士と重宝がられていて、オリンピックの近代五種競技はこの伝令兵としての能力を問う競技となっています。

戦場の兵士が「おしゃべり」になったのは第二次大戦になってからだそうです。
といっても、例えば我らが日本軍なぞは通信機の信頼性が低かったりしていたのでそこは伝令兵頼みだったり、あるいはもう通信手段がないので事前の計画通りに攻撃を始めるとかそういうこともありました。あのガダルカナル攻防戦で、上陸した川口支隊は二手に分かれて進撃し、米軍の側面と正面の二面攻撃をする予定でしたが、ジャングルを進んだ部隊は予想以上の困難な道のりで予定の計画の攻撃日時にはまだ所定の場所に到着できませんでした。しかし、それを通信する手段がなかったので海沿いに近いところを進んでいた部隊でのみ単独攻撃をすることとなりました。
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この回答へのお礼

詳細な情報とても参考になります。
ありがとうございました。
ひょんなことから第一次世界大戦を調べることにあんり、
ヨーロッパでは「のんびりしたいくさ、クリスマスまでに還ってこられるべさ」→「機関銃、塹壕での悲惨な持久戦、即死」と戦況の変化による悲劇は戦場がヨーロッパだけに、よく知らないまま年をとってしまいました。すこし勉強してみます。

お礼日時:2010/03/12 09:54

塹壕戦での連絡は基本的に仕官同士による有線電話ですよ。


よく映画やラピュタで出てくる、ハンドルをぐるぐる回すやつです。
仕官のいる拠点のようなところに通信室が設けられ、それより前線への通達は、人が走ります。
だから通信兵の仕事は、塹壕の中を走って伝令を伝えることが主になります。
(別に通信兵じゃなくても、手近にいる人間片っ端から使うけど。)

浸透作戦をとり塹壕からずっと前に前進したら、それも人が走って伝えることになります。
ご想像のようなシーンは、第一次大戦に限ってはあまり無いかと思います。
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この回答へのお礼

的確なご回答感謝いたします。
どうも第二次大戦の映画からの連想が払拭できず、
塹壕のそとに「通信兵」が出ていくと思いこむようです。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 09:46

タンネンベルク会戦を検索してください。



無線と暗号の怖さ(間抜けさかもしれませんが)を知ることが出来ます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
さっそく検索してみて大変参考になりました。
拙問(?)は、どうも、「ガリポリの戦い」の一場面のようです。
通信兵が最前線で敵に撃たれるという場面はないいうですね。
感謝しております。

お礼日時:2010/03/12 09:02

 無線電信って日露戦争(バルチック艦隊を見つけた第一報「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」などが有名ですね)の時に使用されています。


 (まあ、第一次大戦の時の主流は有線だと思いますが。)

 通信兵って極めて高度な技術が必要です。士官が片手間で出切る仕事ではありません。
 (暗号[数学]や通信機[電気]の知識が必要。)

 しかも、第一次大戦であっても敵の攻勢があれば、直ちに後方の司令部に連絡して支援砲撃を行ってもらわなければ成りません。
 (緊密な支援砲撃があればこそ、塹壕であっても敵の侵攻を防ぎ、戦線の膠着化につながる。)

 第二次大戦の時の通信兵と重要性は何ら変らないと思います。
 (部隊の機動力が低い(自動車等の配備数が圧倒的に少ない)だけに、情報の速やかな伝達はより重要です。)

 なお、通信兵って部隊の中で最も大切にされる兵種ですから、可能な限り銃火に晒される事を避けます。
 (小隊長などの指揮官が最前線で銃火に晒されながら指揮を執り、必要な情報を獲得すると、通信兵とは別の伝令兵[ヒットラーも第一次大戦中は伝令兵だった]が身を危険に晒しながら戦場を前後に往復し、通信兵に必要が有れば通信文を渡します。本部と常に連絡を保つ為に、電線を?ぎ続ける為に専門の工兵[信号工兵]もいたりします。)

 塹壕戦で言うと、砲撃によって敵防御地域を攻撃しますが、砲撃だけで敵の防御銃座を全滅させる事は不可能(巧妙に隠蔽防御されている)ですから、複数の部隊が複数の箇所を同時に攻撃し、防御が薄い箇所(要は砲撃がまぐれ当りをした箇所)を発見し、そこを本部に連絡し、部隊司令部はそこへ予備部隊を投入し、一気に戦線の突破を計ります。
 (戦場に敵味方が入り乱れる状況を速やかに作る事で、同士討ちを恐れて敵が支援砲撃を行えなくなるようにする事が重要です。つまりスピード勝負です。←速やかな情報伝達[通信手の役割]は作戦の成否を決める重要な役目です。)

 通信兵が行動不能になると、敵の情勢がどうであったかの報告が全く出来なくなりますから、その部隊が犠牲を出して行った攻勢が無意味になります。
 防御側も適切に支援を要請しないと、自分達の側に敵の攻撃が集中する事に成りますから、通信手の重要性は変りません。

 通信技術が縦横に利用した事で、前線にいる分隊・小隊指揮官が本部と緊密な連絡が取れるようになり、第一次大戦中に浸透戦術が生まれ、これが機甲部隊や航空支援の利用で第二次大戦に電撃戦術となり、現代に続く陸戦の基本戦術になりました。

 塹壕戦といっても両軍とも極めて激しい攻防(死傷が2千万人を超えるくらい…。)が行われました。
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この回答へのお礼

ご回答に御礼申しあげます。
つたない質問文に、まことに明晰判明なお答え、戦闘場面が目にうかぶようです。
「通信兵」の大事さがよくわかりました。
戦争時ににわかに「徴兵」された新兵には務まらない任務だと理解いたします。
小隊が突撃するにしても、通信兵は塹壕に残る可能性が高いとみてよいでしょうか(重ねての質問になってすみません)。
「西部戦線異状なし」や「デス・フロント」など第一次大戦を舞台にした映画も見て勉強してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/11 10:14

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三つ目の方法は、残された最後の方法です。つまり、「伝令兵」です。最後はこれに尽きます。誰かにメッセージを託して、直接持って行かせます。戦場では兵士にやらせますが、重要な事柄では将校が託されることもあります。彼らことを連絡将校といいます。
特にヨーロッパでは昔からこの連絡将校というのはある種のエリート兵でした。日本では超ドマイナーな競技である近代五種は、商業至上主義となった現代の五輪でも外されることは決してありません。元々は連絡将校としての能力を競うものなのです。
長所はなんといっても科学技術が不要(笑)で、それでいて単純な命令から微妙なニュアンスを含むものまで融通無碍でしかもその運用にも多少の慣れは必要でも人間なら誰でもとっつきやすいという柔軟性です。
欠点は、まあ戦争をしているとその連絡・伝令が行方不明になることもしばしばということと、無線と比べても有線と比べても時間がかかるということです。

戦場での通信の方法は、おおざっぱに分けて三つの方法があるといえます。

ひとつが「無線」です。短波とかモールス信号とかあとは現代でいうところのトランシーバーのような音声通信これらを全部ひっくるめた無線通信です。
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さて、現在でこそ通信機が非常に発達していますが、この通信機が軍隊の隅々までいきわたったのは第二次大戦のアメリカ軍以降からといってもいいでしょう。第二次大戦のドイツ軍といえどもアメリカ軍ほどには通信機がいきわたっていませんでした。ちなみにドイツ軍で多用されていたのが信号弾なのですが、これを言い出すと話が広くなりすぎるので、今回は割愛。もし興味あったらお礼にレスをつければ説明します。
それまでの軍隊で、最も信用できる通信手段は人間そのものに他なりません。つまり伝令兵です。伝令兵は主君や大将の命令を聞き、それをきちんと理解して前線の指揮官のところへ行って伝え、その返事と前線の様子を正確にまた大将のところに伝えなければなりません。

戦国時代、武田信玄の伝令兵として活躍した百足衆、織田信長の黒母衣衆が有名です。信玄の百足衆は特徴ある百足の旗指物を、黒母衣衆はその名の通り黒い大きな母衣を背中に抱えていました。つまり、味方からよく目立つようにしていたのです。だって、戦場で混乱しているときにウロチョロしている奴がいたら「なんだお前は!」ってなるでしょ。でも見た目で伝令兵だと分かれば「ああ、伝令兵が通っているから通そう」ということになります。
伝令兵にとって最も重要なことは、「生き残ること」です。戦場を駆け抜けて命令を伝え、ちゃんと帰ってきて「命令は伝えましたよ」ということを報告しなければなりません。そうじゃないと大将も「俺の命令をちゃんと伝えたかなあ。途中で戦死してないかなあ」と不安になるでしょ。
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