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ヨーロッパの王族の男子は、現在に至るまで軍隊に入隊して軍人としての身分を得る伝統が続いていますね。
王子だけではなくて、女性が王位に就く場合は王女であっても、エリザベス女王のように軍隊の最高位に就任するし、今のスェ―デンの皇太子である王女も軍人になっています。
ところで、王子が文官になることがないのはなぜなんですか?

以前、ロマノフ家の滅亡に関する本を読んでいたら、その原因として、
・皇族男子は軍隊で高位の指揮官になることが定められていたが、実際には軍隊を指揮する能力がない者が多かった。
・皇族男子が文官になることがないため、皇族に政治についての知識が乏しかった。皇族の中に、政治についての状況を的確に把握できるものがいたら、もっとよい対応が取れていただろう。
という内容があったのですが。

A 回答 (3件)

>ヨーロッパの王族の男子は、現在に至るまで軍隊に入隊して軍人としての身分を得る伝統が続いていますね。


 中世であれば封建制云々を持ち出すべきでしょうが、現代の王族たちであれば「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」が理由に成るのでしょうね。

 概念自体は、新約聖書の福音書
 
   「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」
                 (「ルカによる福音書」12章48節)

 王族という国民の中で最も恵まれた存在として生まれた以上、最も重要で最も危険な仕事(要は死の危険のある軍人)に率先して就かねば成らない考えられています。
 
 王族に限らず、イギリスなどでは第一次大戦の時に、政府の重要職に就いている者まで貴族の責務を果たしたいと、一兵卒として戦場に赴きました。
   ←あまりにこの傾向が強すぎて政務に支障が出るほどで、後に当人の希望を政府が断る事態にまで成りました…。

 あと、質問者さんの文官の規定が良く分りませんが、ヨーロッパの王族が残っている国の殆どは立憲君主制です。
 もし、王族が積極的に官僚や政治家になり上級職を占めてしまったら、その時点で立憲君主制が崩壊してしまいます。
 
 立憲君主制は憲法に基づき、議会や政府が君主の権限を制限する物ですが、その制限する側に君主やその親族がいたら…。
 (リヒテンシュタイン家の様に絶対君主とか専制君主とかに成ってしまう。)

 軍人であれば、どれ程出世(王族だと贔屓するなと言われても…。)しても文民統制の原則の下、政府の指揮下に有りますから、上記のような問題に成りません。

 また、イギリス陸軍の連隊の様に歴史的に王族の私財で編制された経歴(連隊の形式的な主はシェフと呼ばれる人たち)を持っていたりする様に、軍隊の方も受け入れ体制があったりするのも理由の一つです。
 (いきなり何の縁も無い場所に、王族が就職しても受け入れる側やその上司が扱いに困る。また身辺警護などにも不都合が…。)


 なお、ハプスブルグの当主(息子に家長の座を譲ってはいますが)であるオットー・フォン・ハプスブルク氏は、1999年まで欧州議会の議員を勤めていました。
 オーストリアにいないからこそ政治家の道を歩めるのでしょうが…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>>軍人であれば、どれほど出世しても~問題に成りません
あ、そうなんですか。
王族が将軍になって実際に戦争を指揮することが第二次大戦以降ありましたか?

お礼日時:2010/03/22 11:21

王とはなにか?


侵略して領土を増やす事、侵略者から領土を守ること。
これが王の仕事。

文官なんていない
中国文明である科挙制度という皇帝=最高軍事指揮官の下に、その最高軍事指揮官を脅かす存在が生まれないよう、文官と武官を画然と分離させる体制が出来上がった。文官はずっと文官であり、武官はずっと武官。日本人は漢字で思考する時に、この文官・武官の感覚で考えてしまう。だが、欧州の王権は、江戸幕府みたいなもので、軍事政権が民政もしなくっちゃだわという感じに変質したものであるので軍人が民政もするという体制です。
王様が一般国民のことも考えるようになったのは、日本では江戸時代くらいから。吉宗が全国の人口調査をさせたり、公事方御定書を作ったり、綱吉が勝手掛老中を設定したりの頃。
ヨーロッパでは啓蒙君主の時代です。これが18世紀後半。
まぁ日欧とも同じような時代となります。
欧州でもそのちょっと前、ルイ14世のころから法衣貴族という生まれます。ブルジョワが売官で貴族になると言うもの。売官で成るようなものに王族がなるだろうか?いやならない。

ロマノフ王朝が・・・ということですが、ではハプスブルク家は?ホーエツォルレン家は?ブルボン家は?ということになります。
生き残った王家に共通するのは、王様が臣下に「あと宜しく!」と権限委譲した事にあるように思います。
英語の話せない王ジョージ三世の元に議会制が成長したイギリス。1000年くらい前から、お飾りになった日本の皇室とか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ロマノフ家は革命10年前くらいまでは専制君主だったので、政治も郡司も宗教でもすべての最高指導者だから、政治の専門家も身内に必要だったのかもしれませんが。
政治経済状況が悪化したり、戦争に負けると、責任者は糾弾されるので、イギリスのように立憲君主国の方が近代以降は責任問題が少なくて楽だったんでしょうね。

お礼日時:2010/03/22 11:16

文官にならなかった理由



1.王様になれば軍最高指揮権者になるので、軍隊での経験が必要だった。
2.軍隊は「国」を代表して行動するため、(特に通信の発達していない時代は現地判断が重要だった)指揮や交渉の経験が必要だった。
3.軍は国を代表して行動するため、徴兵などで庶民も動員されることがあり、王族はそのようなところでも尊敬される対象になるための経験が必要だった。
ことが軍人になることの重要な要素だと思います。逆に文官は
A.数学・文学・歴史など専門性の高い職種のため、頭のよい官僚が必要だった。
B.複式簿記が発明される前は、帳簿付け自体は簡単に出来るものの決算が大変になるため、専門性が高かった。
C.中世ヨーロッパでは商業の地位が低く(モノを動かすだけで、利益を得たから)農業と軍隊が立派な仕事でした、ですので文官の仕事は身分が高いものがするものではない、という価値観もあったと思います。

確かに軍事的なことより経済的なことを知っていれば政治状況をよりよく把握できたのでしょうが、封建的領主と農本主義はほぼ一体のものですので、価値観と伝統から文官を経験ことは難しかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今王室が残っている国はイギリス、オランダ、ベルギー、北欧三国はいずれも第二次世界大戦で負けていないんでしたか?
それで今でも軍隊の地位が高いから、国王をその最高位に置いていることも理由かな、とも思いました。

Cについてですが、
徳川時代にも、お金に関することは武士が扱うことではないとして、商売や経済に関することは身分の低い仕事と考えられていましたね。
ヨーロッパでも同じ考えだったんですよね。
今でも、チャールズ皇太子やウイリアム王子は大学で歴史や美学といった実学ではないものを専攻していますね。
昔から、王族には専門の家庭教師がついていたのに、語学、歴史、音楽、という科目だけで、政治や経済は教えなかったんでしょうか。
現代では政治と王族は関係してほしくない風潮ですが、国王が政治もしていた時代には、政治経済は重要だったはずなんですよね。

お礼日時:2010/03/15 19:40

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