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私はとにかく優柔不断です。
小さな事もすんなりと決められず、悩んでばかりです。
やっと決めても、自分がとんでもなくバカな決断をしたんじゃないかとか、後で後悔するに違いない等、変な罪悪感に悩まされたりします。よく『何でそんな事で悩むの?』と言われますが、本人は結構深刻に悩んでいます。
優柔不断って性格なんでしょうか?病気なのでしょうか?
それとも、責任回避の甘えた気持ちからくるダメ人間的要素なんでしょか?
そしてこれは治るのでしょうか?
決断が早い人を見ると、尊敬してしまいます。
結局自分に自信がなくて、責任をとりたくない!という気持ちから来てるのかなあ・・・治したいです・・・。

A 回答 (9件)

 今はどういう場合に、割り切ればいいのかができていないだけなのでしょう。


 中には熟考を要するものもありますし、どうでもいいようなのもあります。
 考えないといけないこと以外は、どちらでもいいから何かの理由で無理やりでも決めてしまうようにされたらどうですか。

 うちの妻もそういうタイプです。中々決まらないんです。
 対する私は即決のタイプで、結婚も付き合い出してすぎに決めました。
 何事も閃きと自分の好みがはっきりしているからだと思います。
 服、ネクタイなんかも見たときにすぐです。
 
 うちのはそういう優柔不断なところを直そうともしないし、たいして大事でもないことは私に聞いてきます。
 そういうのでもいいのかぁって思いますよ。
 決めてくれる友人でも恋人でもいいし、それと仮に間違っても取り返しがきくことはたくさんあるので、あんまり気にしない方がいいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最近自分が優柔不断なことを大事に捉えすぎていた節があります。
考え方は変えることが可能だし、そのことで悩みすぎないようにします。

お礼日時:2003/07/14 16:03

 他の方の言われる通り、直す必要はないと思いますよ。

かくいう私も、同じく優柔不断型です。他の方も言っておられるように、即断即決型が必ずしも良いものではないと思います。速さを求める社会が生み出した、一種の刷り込みではないかと思います。
 物を考える上で大切である事は、後に後悔を残さないことです。そのためには、手に入れられる資料などを収集、吟味し、納得した上での決断が望まれます。どれだけ考えて下した決断であったとしても、それが正しいか否かは結果を見るまで分かりませんし、そもそも正しい決断などあるのか、という疑問もあります。
 thomaさんはご自身の優柔不断さを責任回避の甘えた気持ちからくるダメ人間的要素と言われていますが、事実は逆です。むしろ、結果を重視し、慎重になりすぎるからこそ優柔不断になるのであり、責任を人一倍重く捉えている証拠だと思います。
 過度の自信は独善と傲慢さを呼び起こすだけで、何一つ利点などありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>結果を重視し、慎重になりすぎるからこそ優柔不断になるのであり、責任を人一倍重く捉えている証拠だと思います。
そういう考え方もできますよね。私の場合はもう少し自信をつけて価値判断の基準を自分の中に増やしていきたいです。

お礼日時:2003/07/14 16:00

thomaさん、おはようございます。


私は22歳♀、thomaさんとは逆の速断速決型の人間です。
小さな事なら特に、「最初にそうしたいと思ったこと」に決めるようにしています。
と言うか、決めているわけはなく、決まっていますね。
あと、他人に相談するときも、大抵自分の意見を後押ししてほしくて相談していたりするので、結局は自分の意見で突き進む場合が多いです。
(極端に間違っていない限り・・・)

そういうふうになったのは後悔したくないから。
もちろん自分の考えで後悔する場合もあります。
でも、次からは間違えません。
だから後悔の後味も割とスッキリです。

しかし、他人の考えで失敗して後悔すると・・・
やっぱりこうしておけばよかったんだ、私の考えでよかったんだ、などと後味の悪い後悔をしてしまうのです。
他人のせいにしてしまいがちです。
それが嫌で、いつのまにかこんな人間に出来上がりました(^_^;)

生きてくのに後悔なんてしたくないけど、後悔もしないと前に進めなかったりするんです。
責任は他人に押し付けるより、自分に回ってきたほうが潔くて良いですし。
答えになってないかもしれませんが、優柔不断ではない私の考えが少しでも参考になれば・・・と思いました。
がんばってくださいね☆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
即断即決型のsunestyle777さんの考え方は潔くて気持ちが良いですね(^^)
参考にしていきたいと思います。

お礼日時:2003/07/14 15:56

>やっと決めても、自分がとんでもなくバカな決断をしたんじゃないかとか、後で後悔するに違いない等、変な罪悪感に悩まされたりします。


 どちらを選択しても、後悔の要素は、どちらにも必ず存在します。
 つまり、完全な正解というのは、ありません。
必ず、失敗が付きまといます。
しかし、失敗を経験しなければ、成長はありません。
失敗を恐れなければいいのです。失敗から得るものは多いですよ。
 もう少し、無責任になってみませんか?
責任感が強すぎるから、選択に悩むようになります。

決断が早い人は、結構、無責任なんですよ。
ただ、これまでの、失敗の積み重ねから、度胸が付いているのです。

要は、後悔することがまずいです。
判断を誤っても、とりあえず、先に進んでしまうことがコツです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
今回皆さんの回答を拝見して、こうかいばかりして前に進もうとしない事と、失敗を恐れすぎているということが大きな要因と気づきました。
失敗をもっと受け入れて、前に進んで行こうと思います。

お礼日時:2003/07/14 15:53

私は逆に即決型です。

当然失敗も多いです。でも失敗しても「まぁこれも一つの経験だ」と思っちゃうんですね。折角こっちを選択したのだから、失敗してもそこから何か一つは勉強しよう、みたいな。

優柔不断でも、それで人に迷惑をかけてしまうとかでなければ構わないと思うんです。(例えば皆で何かをする時に、一人だけいつまでたっても決めれないのでしたら、ちょっと周りは迷惑かも知れませんが)
ただ、自分で決めた事をいつまでも悩んでも仕方のないことですよね。即決型でもいつまでも自分の選択を悩む人もいますよね。逆に優柔不断といわれつつ、沢山悩みながらも出した決断は「コレ!」と自信を持っている人もいますし。

人に迷惑をかけるレベルでなければ、沢山悩んで迷っていいと思います。ただ、最終的に出した結論には迷わない事。
まぁ意外と悩んだところで行き付く先は意外と同じ場所だったりするもんですよ。ダイエット中食後にケーキを食べるか食べないかで迷ったとして、ケーキを食べても痩せる人は痩せるし、食べなくても痩せない人は痩せないんです。極端な事を言うと、生きるか死ぬかの選択を今したところで、最終的に人間は死んじゃうんですし。
結果は大差ないと思いますよ。自分がその道を選んでないから「あっちを選んでたらこうなってたかも」と違う結果を想像するのでしょうが・・・。

決断して行動するのは結局自分なので、迷ったところで取る行動なんてたかが知れてますしね。

最後に、治したいと思うのであれば治せる事だと思いますよ。別に病気でもなんでもありませんが。そして特にダメ人間だとも思いません。考え方の違いだと思いますよ。考え方は変えられますしね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
自分の決断をあまりに重大なことと考えてしまうから迷いが余計に生じるんでしょうね。
たしかに、私にできることはたかが知れているし、最終的には死ぬし・・・そう考えていくと迷うよりいろいろな経験をしちゃった方が充実した人生といえそう!

お礼日時:2003/07/14 15:50

thomaさん、こんにちは。



【今何かに迷っているのですか?thomaさんのとある質問への回答を見せて頂きましたが、優柔不断って感じはしませんでしたよ。(笑) (もし、何かに迷っているのなら、具体例を出された方が良いかも)】←これは余分かな?以下からがアドバイスの本編です。

僕も優柔不断で後悔する事が多かったですが(僕の場合はこれにずぼらさまでプラスされていた)、最近では以前程でも無いような気がしています。自分では年を取ったからかな?と考えていたのですが、よくよく考えてみると、ちょっと違うようです。

自分が思っていた優柔不断って言うのは、AとBの二つの選択肢が有って、どちらが良いか決められないような状態。そして、決められない大きな理由には、大きく分けて二つほど有り、一つは完璧にしたいが為に細部にこだわって身動きが取れない事。二つ目が以前の失敗例を思い出して決められない。その失敗例は後悔した記憶です。後悔と言うのは、選択した方でうまい結果が得られなったから違う方にすれば良かったのでは?と思う事です。こんな風に思っていました。

この考えの流れは一見理にかなっているように思えます。しかし、改めて全体を眺めて考えると、いくつかおかしな点が有るのです。一つ目は、後悔の念の存在です。結果が出てからうまく行かなかったから、別のにすれば良かった。これは、一見正当なようですが、実は違います。失敗した理由はその選択をしたからと言うだけではなく、その過程が悪かったなど他の理由もある事、更に違う方を選択しても失敗する可能性も有ると言う事です。そして、そのおかしな後悔の念を基準にしている所が最大の誤りです。

優柔不断の状態にある時は、
・どうしよう?(解決までの道程を描ききれない)
・糸口を見つけても、それを試そうとしない
・試してみて、少しでもうまくいかないと判ると、直ぐに諦める
・ある程度までやってみてダメだった場合、その選択をした事を悔やむ(今までの過程での問題点・反省点の検証を客観的に捉えずに終えている)
以上のような思考や行動パターンを取ってしまいがちです。

しかし、何かの課題に直面した時に、どうしたら解決できるか?と考えるのが普通です。そして、うまくいかない時には、何が阻害要因か?と考えるのです。この繰り返しによって、課題をクリアしていく訳です。

僕が最近そうでもないのかな?と思えるのは、このどうしよう?の状態での選択肢の出し方がシンプルになったからのようです。

例えば、書店で読む本を探している時に、何冊か候補が挙がって、全部買うにはお金が足りない場合、どうしよう?となったとします。以前ならば、どうしようかな?お金を誰かに借りようかな?でも、返すあてないしな。先に読みたいのだけにしようかな?でも、これ売れたら困るしな。じゃあ、困る方だけ買っていこうかな?あー、どうしよう?等と堂堂巡りでした。

今は、どうしよう?先に読みたいのは?こっち。でも、これ売れて無くならない?取り寄せれば。じゃあ、こっちだけ今日は買おう。って、感じかな。つまり、「でも」が少なくなったのです。

そして、もう一つ気付いたのは、生活全部が優柔不断ではないことです。生理的な欲求には素直な反応を示すし、趣味などで好きな事には迷いが無い位です。(笑) 結局、自分が不得意な事、あまり気が進まない事に対してだけなのです。(これが逃避であったり、甘えの部分でしょうね)

そこで、僕がやっているのは、迷ったら簡単な方をやってみる。目に付いた方を選ぶ。等と、思考を一工程抜かしています。もちろん、思考を省くのですから、失敗する場合も多いのですが、それはそれと割り切って元に戻れば良いじゃん♪と思うようになっているようです。

偉そうに書きましたが、未だに意思決定が遅いし、ひとりでうじうじ考えている事が多いのですが、「でも」を減らす事によって、また、とにかく気付いた所からやることによって、悩んでいるような感じではなく、「優柔即断」って言う位までには、進歩(退化かも?)したと言えるのではないかな?と思っています。

ご参考になればと長々と書き連ねました。失礼致します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もズボラです(/-;)めんどくさがりなうえ、最小の労力で甘い汁を吸いたいという考えを持っているんでしょうね。ここを直さなきゃいけませんね。
選択がすべてではなく過程も重要、迷ったら簡単な方を選ぶ等とてもためになりました!

お礼日時:2003/07/14 15:43

ケーキの苺は先に食べますか?最後に残しますか?



優柔不断って、損をするのがイヤ・・というのからきてると思うんです。後で後悔しない方をとろうとするから決められない。結局どっちをとっても対して変わりはないと思えばいいんですよね。

パンとおにぎりで悩む・・とかね。
パンはすぐお腹がすくし、おにぎりは好きな具のが残ってない。。う~ん。。みたいなね。

もう、最初から基準を決めておいてはどうでしょう?

上の例で言えば、食べた事ないものを選ぶ・・
           安い方を選ぶ・・
           人と違う方を選ぶ・・
           変わった方を選ぶ・・
           カロリー低い方を選ぶ・・
        
今日の気分、なんていうよくわからない基準を持ってくるから決められないんですよ。ハッキリした基準で切ればいいかも知れない。

昔読んだ本で上岡龍太郎さんが書いておられたのですが、人生の分岐点では必ずラクな方を選んできたんだそうです。普通の人は、目指すものがあって、自分のためになる方を選ぼうとするみたいだけど、上岡さんはひたすらラクだと感じた方を選んだそうです。何でも父の教えとか。それで結果的に芸能界で活躍するに至ったそうです。どれを基準に選ぶか、それによってどういう結果を得るか、なんてのは本人にもわからないもんですね。悩んでる、その時間がもったいない、そんなものかも知れませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり価値基準をしっかり確立していないことが問題みたいですね。今後は気をつけようと思います。

お礼日時:2003/07/14 15:34

治したい、とおっしゃっているのにこんな回答もどうかと思いますが。

。。
べつになおさなくてもよろしいんじゃないんですか?なにごとにも熟考して取り組まれる、しっかりした決断力をお持ちの方のようにお見受け致しますが。

問題は、自分のした決断にいちいち後悔していらっしゃることでしょうね。後悔してるからよけい決断に時間がかかっているのでしょうね。
いいじゃないですか~失敗だったら失敗だったで(笑)。即断即決する人が、すべて正しい判断を下しているわけではありませんし。
タチがわるいのは、思い付きで決断して、結果的に間違いだったとしてもそれを頑として認めない人です。
ちなみに、うちの上司です(笑)。

他人がどう見るか、というのはもちろん正しかった・間違ってたという点もありますが、もっと重要なのは間違ってたらそれを素直に認める、とゆう行為です。
「あ、私まちがってましたね、すみませんでした。御迷惑かけました」って頭をさげれば、たいがいのことは済みます。頭さげるのはタダでできますから、それで事が済むならなんぼでも下げてやりましょー(笑)

ちなみに、わたしは即断即決派です。
あなたのように熟考するのが、ただ単にめんどくさいだけなのです(笑)。失敗したらそれはそれで自分の判断材料がひとつふえた、と思ってます。

即断即決のコツをひとつ。

とにかく判断基準を自分のなかに増やす。脳内情報量と申しましょうか。テレビをみたり、本を読んだり、音楽を聞いたり、友達と徹夜でバカな話したり。判断材料はそこかしこに落ちてます。

自分のインスピレーションをもっと信じてあげましょー!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
決断力は今のところ著しく欠如していますね(^^;)
>判断基準を自分のなかに増やす。脳内情報量と申しましょうか。テレビをみたり、本を読んだり、音楽を聞いたり、友達と徹夜でバカな話したり。判断材料はそこかしこに落ちてます。
確かに私は判断基準が乏しいのかもしれません。 心に留めておきます。
失敗してもいいじゃないって言葉に励まされました!
今のうちに失敗も恥も経験しておいて損はないですよね。

お礼日時:2003/07/14 15:30

私も昔はそうでした。

 でも今じゃ決断の早さは、周りから感心を超えてあきれられる程です。

どうしたか? ある本に有りました。
「悩むのはどっちでも良い話で悩む。 次があること忘れるな。 食事が最後と考えるから悩むんだ。 美味しければ明日も来ればいい。 不味ければ多分もう一品も不味いだろう。 それよりももう一回来る気するかい? 悩んでも問題は解決しない。 それよりも時機を失する方が怖いぞ。 売り切れる方が残念だ! 情報を集めて、書き出し、何をすればよいかを考えろ。」
です。 私は電撃が走りました。 次があるんだから、失敗すればもう一度挑戦すればよいのだから。 諦めない限り挑戦者だ! ですよ。 変えようとした時から人は変われます
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。私は失敗したくないという気持ちが人一倍強いのだと思います。失敗しても時機を逸するより良いし再挑戦すれば良いですもんね。
少しずつ変えていきたいです。

お礼日時:2003/07/14 15:25

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