これ何て呼びますか

帰国子女からの質問(悩み)

僕も帰国子女で9年間海外に住んでいました。(6年間ヨーロッパ、3年間アメリカ)
よって3ヶ国語話せます

そこで帰国子女の皆さんに質問ですが、色々日本って変だと思いませんか。

例えば、学校で異性のメアドなどを訊こうとするとヤケに緊張します。
アメリカで相手の携帯番号聞くのなんて何も思わなかったのに。。
これはやはり日本がそういう雰囲気だからですよね。

それと、僕は英検一級持っているのですが、
よく友達に「いいなー」とか「俺もアメリカ行きたいなー」や、「○○語とか英語とか話せたらいいなー」
とか言われますが、この人たち僕がどんな苦労してきたかも分かっていないのに
あまり、「羨ましい」とか簡単に「海外住みたい」とか言わないでほしいです。特にヨーロッパに住んでいたときは、アジア人一人も居ない学校でした。すごく最初は孤独でいつも帰りたいと思っていました。それなのに、好き勝手言わないでほしいです。

皆さんもそう思いますか?それとも自分だけでしょうか。

A 回答 (7件)

かなり時間がたってからの回答ですみません。


私も質問者さんと同じように嫌だなと思います。

私も海外で暮らしていた時間が長いので質問者さんの気持ちわかります。

仕方なく、覚えざるをおえずに習得した語学ですから。
勉強して覚えなければ卒業もできないし
先生やクラスメートとなどの会話も日本語が通じるわけでもないし、
現地の子らは簡単にできてしまう宿題さえも
何倍もの時間をかけて解かなくてはならず、
不安と孤独との戦いの毎日でしたね。
何せ悩みを聞いて理解してくれる人がいないのだから。

異国の言葉が最初はうまくできないせいで、かなりの疎外感を味わいましたし、
来る日も来る日も枕を涙でぬらしましたね。

異国での語学習得は精神的にもつらいですよね。
なぜなら、同志がいないから。同じ境遇の人がクラスメートにいないから。日本語通じないから。
質問者様や私、そのほかの帰国者たちは日本ではないところで、
日本人が少ないところでがんばるしかない。
「やめたい」「日本に帰りたい」は選択肢にない。
当然ですよね、大人になってからの留学やワーキングホリデーならその選択肢はあっても、
子供のころ親の事情などで海外へ渡った子供たちは選択の余地なくそこでただひたすら耐え抜くしかないのだから。

自分の意思や選択で選んだ海外生活ならまだしも、選べなかった。
異文化の中で翻弄され、つらかったけど乗り切った日々、
そんな気持ちをわかってくれない日本人にイライラしてしまう。
もう少し想像力があったら私たち帰国者の気持ちも理解できるのでは?
と思うことが多々あります。

けれどそんなことを口に出して言おうものなら、
「だったらあんたたち帰国者たちが日本を理解しなさいよ、ここは日本なんだから」
「郷に入ったら郷に従えっていうでしょ」
「そんなに日本に文句があるなら海外に帰ればいいじゃない」
などいってくる方たちが多いですね。

そんなことばかり言われたら、日本人に対していつでも分厚い壁作って
ちょっとしたことでも腹が立ってしまいます。
もしくは「自分」を隠して生きていくしかなくなってしまいます。

たしかに私たちの過去は日本でずっと暮らしてきた日本人たちとは違う。
違った生き方をしたから悩みがある。
それが大多数の人が経験したことではないから、理解されにくい。
正直な体験談を語っても
「なにそれ?わかんないし」、「つまんない」、「かんけいないし」、「海外行ってたっていう自慢?」
と日本人から言われてしまったら何をかたればいいのやらと思いますよ。

多くの帰国者たちは自慢して語っているのではなくて、
語れるものがそれしかないから語っているだけなのだけれど・・・・

日本を離れていれば当然その間の時間は異国ですごしているわけで、
日本で流行っていた事とかテレビ番組のこととか、食べ物とか
同窓会とか、修学旅行の話を日本人から言われても私には異国で暮らした事柄しか語れません。

同じ過去を共有するものがいない。それはそれで悲しいのです。
けれども私の生きてきた道のりは変えられない。

パスポートを見ても名前も外見も血も私は日本国籍所有者、日本人です。
けれど少し違う考えを持っていて、違う感覚で物事を捉え、違う過去を持っていて、日本語以外の言葉を少しできるだけ。たったそれだけのこと。
別に法律違反でもないのに、
他者から過敏反応されてしまうと気持ちの行き場がなくなってしまいます。

過敏反応してほしいわけじゃない、ただ普通に話し合えたら、
ただ同じ日本人として仲良くなってくれたら、
たったそれだけのことなんだけれどうまくいかない。

帰国者がこういった悩みから開放されるのは
日本でよき理解者、よき相談者、よき友人、よき恋人(配偶者)を得られたときだと私は思っています。


(私は帰国子女という言葉が嫌いなので帰国者と書かさせていただきました。日本で「帰国子女」という言葉が一般的に海外から帰ってきた男子・女子(学生)に対しても使われるのは知っていますが、漢字からうけるイメージが子供と女性だけにつけられているようで嫌なので「帰国した者」、「帰国者」と書きました。)
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その気持ち、わかってしまいます。


帰国子女のはずが、帰国せずにいつの間にか人生の半分を海外で過ごしてしまった者です。

帰国しないで一人で海外に残ることを決めたのは、いつのまにか、母国のはずの日本を‘ガイコク’のように感じるようになってしまっていて、なんだか勇気が出なかった事も一因でした。

誰だって海外に行ったら(旅行も含め)、文化の違いを肌で感じる事があると思います。自分の慣れ親しんだ習慣や考え方の違いに、驚いたり、面白がったり、すてきだと思ったり、変だと思ったり…。
海外生活を長くして帰国した場合、その異文化への反応が母国の日本に対して起こるんですよね。
それは普通の事なんだけど、その感じる事や、感じ方を素直に分かち合える人がなかなかいないんです。帰国すると。
苦労した海外生活を、うらやましがられちゃったり、偏見もたれたり、それはちょっとしんどいしめんどくさい。

でもね、日本は変なところもたくさんあるけど、変な国な訳ではなくて、ただ、‘違う’んだと思います。
あなたの今まで暮らしてきた国とは。
はじめは違和感を感じる事があっても、そのうち慣れて、それがあなたの新しい日常になっていくんじゃないかな。
帰国子女もいろいろです。帰国して日本になじむのにだいぶ苦労したも、逆にとてもハッピーになった人も知ってます。
日本での新しい日常の中で、楽しい事もいっぱい見つかっていくとと思います。
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(No.4の続きです。

) 私は中学生・高校生の子供がいる親世代なので、今や私が子供の頃ほどには地方色は残っていないのだろうけれど、意外と日本の中にも異文化コミュニケーション的なものはあるのです。テレビでお笑いタレントが、
「山形さ、ろしあ よりもマグドナルド出来たの遅いんだぁ」とか、言ってるじゃないですか。
北海道だと、私と同世代か少し上の人は、小学生時代にポテトチップや たこやきを食べずに育っているし、運動会では足袋を穿いて短距離走をしたものなんです。お風呂は焚き付けだったり、石炭ストーブだったでしょうか、焚きつけの早朝当番もあったんです。それで思わず、
「わー、ペレストロイカだ!! ブラッキストン線が生態系だけではなく異文化をも形成しているんだ!!」と言ったら、北海道の友達に叱られてしまいました。
友人は苦笑いしていたけれど、文化の違いを面白可笑しく言われるのは嫌だったんだと思います。半分笑いながらも半分怒っていたのかな。改めて思いせば、友人は私が中部に移ったときの経験に近い思いをしていたのではないかと思います。悪気はなくとも、自分が嫌だったことを私は友達にもしてしまったのです。
だから私は、今なら中部に住んでいた頃の同級生達の気持ちが少し分かる気がします。
当時の同級生達は、知らないことは珍しいし不思議だし興味深くて、こちらがどう感じるか考える余裕がなかったんだと思うんです。それに必ずしも笑われていただけではなかったんですよね。同級生達は、少しでも東京を感じたかった様なのです。私は東京に住んだことはなかったのですが、地図帳で見れば近いので、羨ましがる人も多かったんです。未成年の内は住むところを自分では選べないから、異郷の人と関わることで違う空気を感じたり何かしら発見することで、その土地柄を感じ取りたかったのでしょう。
多くの日本人は“郷に入っては郷に従え”で、その時々に住んでいる土地の慣習に合わせているものなんです。だから違った慣習には敏感でもあるし、自分達の慣習を通したいという感覚も未だに残っているのです。

貴方の本当の苦労は同じ経験をした人にしか解らないし、せいぜい出来るのは推測だけですが、貴方が必死に語学を勉強したのは解ります。私は英語はからきし駄目ですが、高校生になる我が子が必死に英語の勉強をして、英検二級を取った姿を見ていますから、貴方が英語を始めとする外国語を覚えた努力を理解したいと思います。英語は熱心な人、努力家な人じゃないと本物の力は付かないと思います。そして、私自身の場合は、努力がまるで足りていなかったからこそ、ものに出来なかったのは当然だと言えますが、英語の勘そのものが悪いので、親ばかですが、子供の勘の鋭さに素直に尊敬?というか憧憬の念に近いものを感じます。
貴方の友達も貴方が苦もなく一級を取れたとは考えていないのでは? 苦労があっても何かしら人に誇れるような技能を身につける機会が持てたこと、半ば強制的に、そういった環境に身を置くしかなかったとしても語学の勘を磨けたこと、その事に対して、
「いいなー」とか、「俺もアメリカ行きたいなー」、「○○語とか英語とか話せたらいいなー」と賞賛しているのだと思います。修行と言うか下積みというか、
「自分を甘やかすだけではなく、生きていくために必死になる環境に身をおけたなら、今よりきっと語学力を付けることが出来ただろうし、見聞を広めることが出来ただろうに。少なくとも、今の自分より大人になれたんじゃないか?」そんな風に思っているのかもしれませんよ。だから、友達から「いいなー」と言われたら、素直に褒められたと受け取って礼を言いつつ、「でも海外暮らしも結構孤独だし大変なんだぞ」と切り返したり、日本に住める幸せや、海外に住んだ人にしか解らない日本の良さを友達に説いたら良いと思います。
すると、友達も貴方も日本の良さを改めて実感することが出来ると思います。

日本人は周りに合わすことを美徳とする、何故?って言うぐらい、周りに合わせる国民性があるけれど、これまでのオリンピックを振り返っても、意外とそう言ったところが球技などの団体戦に生かされてきたような気がします。
周りに合わせるのはくたびれることも多いけれど、観察眼がつくので、細かいニーズに応えようとする国民性もまた生まれたのではないでしょうか。
貴方は日本を内と外と両側から見ることが出来る目を持っているので、その点でも友達は貴方を賞賛したんだと思います。羨ましいというのは、ある意味、自分の未熟さを認めた上での発言ですから、友達の素直な気持ちを受け止めたら良いと思います。友達も社会に出たら荒波はやって来ます。そのことに対して不安を持っているので、貴方の強みである見聞の広さや語学力に対して、羨望の念を持っているのでしょう。
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前から御質問が気になっていたので、長文ですが回答させて下さい。


また、凄く長くなってしまったので、投稿は二回に分けました。

*  *  *  *  *

私は帰国子女ではないどころか、日本から一歩も出たことがなく、紛れもない日本人なのに故郷と呼べるところが長らくありませんでした。
そう実感させられた出来事があるのです。

私が中学に上がってすぐのことですが、担任の先生が、
「みんなの出身地はどこになるのかな?」と切り出し、一人一人が順番に発表し合うことになりました。
私には、その中学の顔見知りは一人もいませんでした。
父は公務員だったので、私は物心がつかないうちから引っ越しが多く、このときも例に漏れず、遠く他県から転入してきたばかりでした。
周りといえば、気心が知れた中、顔見知りが多い中、みんなと同時に入学したとは言え、私は転校生と何ら変わらない立場にありました。
その直ぐ後に知ったことですが、小さな分校出身の人もいて、その人の知り合いは余所のクラスにはいても、同級生の中には誰一人いなかったのです。
そんな風に浮いている生徒もいるので、先生はクラス全体が打ち解け合うきっかけ作りを提案したのでしょう。

発表が進むにつれ、クラスが和気藹々と盛り上がる中、ついに私の順番がきました。
みんな興味津々で、こちらを一斉に見つめています。
そして、恐らく誰もが予想しなかった長い沈黙が……。
私はその時、頭の中がパニックになっていたのです。
「出身地って、生まれたところだよね? でも、私が生まれたのは、母がお産の時に世話になった父の実家だけれど、それも多分ひと月もいなかっただろうし、すると、○○で良いのかな? でもそんなに長く住んでなかったはずだし、すると××か? でも、ここも直ぐ引っ越したんだっけ。じゃあ、一番長く住んだ△△? …あれ、まてよ?出身地って、生まれたところ、それとも今迄で一番長く住んでたところ???」

そうこうするうちに、興味の視線は、どよめき声に変わってしまいました。当然と言えば当然のことでした。そんな展開、誰が予想するでしょう。頭の中では候補地として、生誕の地である父の故郷と学童期を長く過ごした、とある県のとある市が浮かんでいたのですが、馬鹿正直というか、もう出身地が指す意味すら分からなくなってしまったので、適当に言えばいいのに、どれを選んでも不正解で嘘を言っているような気がして、言えなくなってしまったのです。

その時は、入学初っぱなから、変人決定になってしまったようで、凄く恥ずかしかったです。
日本人であっても、私にはこれといった故郷がない。
その頃は言葉の意味もよく分かっていなかったけれど、心の内は、
「私には“アイデンティティ”がない。私は自分が何者かまるでわからない。私は何にも属していない。私は私を語れない」
それを はっきりと突きつけられたようで、孤独感に襲われました。
似た感情は、幼稚園に入園したときにも味わっていましたが、これまでの歳月はいったい何だったのかと、またもや振り出しに戻ってしまったようで、悲しみと言うには大袈裟だけれど、ただ淋しいというのでは言葉が足りないような、不安のようなものを感じました。

私には、推測しかできないけれど、貴方が長い海外生活で味わったのは、その様な気持ちだったのではないでしょうか。
私は国内を転々としただけですが、何処に行っても“郷に入っては郷に従え”でした。関東から中部に移ったときは、言葉が訛っていると言われましたが、こちらとしては標準語だと思っていたし、今 思い返しても標準語とさほど変わらず、むしろ、中部のその土地のほうが方言色が強く独特の言い回しが多かったので、心の中は、「???」で一杯でしたし、イントネーションが違ったり同じ言葉でも違うものを指していたりで、発音そのままで解釈しても違う動作・別の物質をさしていたりで、それまで注目されなかったことでも笑われたり奇異の目を向けられるので嫌でした。
だから、わざと訛らせて話したり、イントネーションを合わせようと練習したり必死でした。 
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はじめに帰国子女で無くて帰国男子でしょう。

==胸襟を開く==事から始めてください、   自分対他者と敵対視からではまるで外国の留学生が発する言葉と変わりありません。日本では自己主張の確立がまだ出来ていません、個人主義からの発想が最近になり芽生えてきていますがまだまだです。あなたの大好きな彼女が同じ質問をすればどうですか===いいなー、私もアメリカいきたいなあ、羨ましい、海外に住みたいなあ==っといえばそうだね先ず語学の習得だねえっといえるはずです。単純に=素直な見方=でそう思ってるんだと解釈したらいいんです。立ち位置を変えればわかるんですが。やはりあなたにとって日本は外国なんです心の奥では英検一級と海外から帰国で外国語が喋れるという2点を==ほめてほしい==んだと思います。それを周囲が行えばあなたも前に進めるはずです。日本人って色々変だという発想こそ貴方は変と日本人から見られます。もう一度いいますが英語などの外国語がわからない小学生、中学生、高校生、大学生、一般人からは同じあこがれの===いいなあ、外国へ行きたいなあ==などの答えが出てきます。あなた自身に発信している様ですが実は自分自身に願望をいっただけなのです。願望をいった人は願望だけで行動を起こしませんし貴方の苦労などは考えていませんよ。じゃ一緒につれってて外国へまでいえば本当に変な人なんです。日本語を会話するときは文学書も貴方自身が明治の文豪の文章を読破してください。すこしは日本人のことが理解できます。
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その体験の感覚は、同じことを体験した人とではないと共有できません。



日本はあまり人種差別を感じませんが、外国に行った途端、日本人は差別の対象となっていると初めてわかったりします。

人種が違うということが、どれほど生活に影響を与えるのか、日本ではなかなか体験できません。

しかし、外国で暮らしたことがある人なら、十分体験済みだし、言語が理解できなくて、何度もトラぶったしたことも体験していますので、その気持ちを理解することができます。

それを日本から出たことが無い人にわかれというほうが無茶です。

そのようなことを言われたときは、「外国に1年いれば、今も僕がどんな気持ちで君の言葉を聴いていたかわかるよ」と言えばいいのではないでしょうか。

外国ではさげすまれ、自国に戻るとうらやましがられる。
自分のアイデンティティーがわからなくなりますよね。

ある人は父はポーランド人で母は日本人の人がいました。
両親ともカナダで知り合って結婚して、彼が生まれたので、彼はカナダ人。

カナダではライスボールと馬鹿にされ、母の母国の日本に来るとルックスがいいので、沢山の日本女性からのアタックされるほどもてた。
若かりし頃のトム・クルーズのような容貌。

彼がいいよる女性たちに目もくれず恋人に選んだのは、神秘的な目と声を持つオーストラリア国籍のイラン人。

彼のアイデンティティーは一体なんなのか。
彼が作り上げるアイデンティティーを見届けたかったです。
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>好き勝手言わないでほしいです。


だったらそう伝えればいいのでは。
海外の学校でアジア人ひとりという経験が、どんなものか、
教えてあげればいいと思います。知らないことを責めても
しかたないでしょう。

>どんな苦労してきたかも分かっていないのに
帰国子女でなければこの苦労はわからない、と思っていますか?
だったらハナから期待しないことです。

「帰国子女で海外で苦労した」というのなら、
「日本がそういう雰囲気」とか言わずに、
日本の慣習や文化になじむことを楽しんでみたら?

3ヶ国語話せるとか、英検一級持ってるとか、
そういう特技があれば将来は絶対にほかの人より有利です。
特に、日本人は英語が下手なわりに、受験や社会に出る上で英語の
占める比重が大きいので、帰国子女でペラペラ英語が話せる人に
強く憧れるものです。

そういう憧れから来る罪のない質問にカリカリしないであげたら、
そのうちみんなそんな質問しなくなると思いますよ。
変につっかかってると、逆に「ガイジン」とか言われていじめに
あいかねませんから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね分からない人を責めてもしょうがないですね。

もう少し“気軽”になります

お礼日時:2010/04/10 15:14

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