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昭和の音楽と、今の音楽の違いについて

昭和30年代頃までの曲は見た目・・・視覚に対する刺激よりも、聴覚・・声や楽曲を重要視していたように思います。

平成になって極端に視覚に頼る音楽やTV番組が増え、聴覚からの刺激よりも、視覚からの刺激が重要視される文化になっているように感じます。

私は視覚の方が騙されやすいのではないか?と考えており、視覚からの情報に頼りすぎるよりも、聴覚からの波動や規則性により情報をマッチングすることで、異常に気付きやすいと思っています。

最近の音楽はよく聞いていないと、かなりレベルの低い物でもビジュアルに騙され、大人気です。
また、このような事が繰り返されてきた結果かは分かりませんが、日本と言う国の生存確率が下がっていっているような気がいたします。

聴覚や臭覚などの、五感を正しく育てる事は、もっと人にとって大切な事だと思うのですが、どのように考えられていますか?教えて下さい。

A 回答 (2件)

五感+第六感を大事に思うものです。


それと空間の3D(立体)把握です。

見て、聞いて、味わい、嗅ぎ、触り、直感+想像をめぐらす

平面の表現でなくタテヨコ、奥行き幅 の空間構成を考え、見る。

このようなことは日本ならではの四季に応じた色彩感覚、
着物に代表される色の組み合わせ。
侘びや寂びという感覚。

自然溢れていた日本の環境や本来、日本人の持つ奥ゆかしい行為。
特に奥ゆかしいという言動は、
公共の場の化粧を見ているかぎり当てはまるとは到底思えません。

同じく情緒を重んじていたはずの日本人の感覚自体薄っぺらい物になっています。

五感+第六感
立体の把握
どれも自然抜きでは考えられないですね。

学校でのイジメ、職場でのメンタル病
いずれも人間が自然とかけ離れた生活をし始めたことから始まると思います。

自然の中に身を置くと創造性や癒しの効果のアップにもなります。
気持ちが病むというのも現代病ですね。

音楽のみに絞らず、季節を感じない野菜が店頭に並び本来の味を知らない。

動植物、同じく人も自然物。
生を受け生き抜く。
自然無くしては生きていけません。

日本人の独特の「美意識」を知らせるには古来からの文化的な絵画、歴史、社会を知る事が重要でしょう。

その中でのひらめきや指の器用さ、審美眼(デザイン性)の構築が必要だと思います。
本来の日本人の美意識を取り戻す事がカギとおもいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私も特に最近そのように思っています。文化の水準がある程度に達してしまって刺激が強すぎていて、子供達の能や将来に悪影響を与えているのではないかと心配します。いつの世も子供に起こる社会問題は全て・親や大人達の世界が引き起こしていると言われているのに、いざ自分が大人になったら、やはり止めることができません。そのように発展していくのは歴史的にも仕方ないとは思いますが、それでもやはり何とかならないのかなと思います。できれば五感を鈍らせるほどの刺激は、ネット上でもある程度規制して欲しいです。また文化創造力の評価の尺度を、スピードやきつい刺激ではなく、調和をもたらす物に変えて欲しいです。難しいとは思いますが・・・

お礼日時:2010/05/12 17:57

音楽には2面性があるように思います。


ご質問者様がおっしゃられているような音楽性(芸術性?)と表現性(メッセージ性)です。

昭和は歌謡曲が圧倒的な時代でしたから、どちらかというと音楽そのものの完成度に力を入れていたように思います。
現在はどちらかというと、音楽性より作る側のメッセージ性が主なんじゃないかなという気がします。
つまり、娯楽や芸術としての音楽を提供しているというよりかは、作り手側が伝えたいメッセージを自由気ままに表現しているという感じです。
個人的には音楽としてはどちらも大切だと思いますが、ご質問者様が感じているように、表現すること自体に懲りすぎていてそれが過剰な視覚的な表現につながっているような気がします。

ただ、視覚的な表現に懲りすぎているということは確かですが、音楽性は変化しただけであってそれがそのまま質の低下とは言えないとも思います。
昭和の時代はどちらかというと安定した旋律が多かったです。聞きやすかったですが、ある程度決まったコード進行にはまってしまっていたような気がします。
これだけ音楽が溢れている時代ですから、今は昭和時代のような聞きやすく心地よい旋律だけでは聞き手側が飽きてしまっている状態なんだと思います。
今は従来のコード進行をどれだけ逸脱して新しい旋律を作るかが求められていますから、聞き手側によって受け入れられる人と受け入れられない人の差が激しくなっている気はしますね。

そう考えると、今の曲が声や楽曲を重要視していないという訳でもないとは思います。ただ、昭和の時代に比べて音楽性の幅が広がり(ジャンルの広がりと言って良いかも知れません)、聞き手側もより多様な音楽性を求めるようになったのだと思います。
今の時代、昭和の頃のような美しく聞きやすい旋律だけが優れた音楽という訳ではなくなってきているだけじゃないかなと、個人的には思います。
あくまで個人的な意見ですが^^;

ご参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。非常に的確で現在の状況にマッチしたご説明だと思います。ただ作り手側が思っている程、聞き手側は昔の旋律に飽きていないのではないでしょうか?韓国ドラマが全盛期を迎えた事が証拠だと思います。(内容的には日本の昭和のストーリーとよく似ています)
ではいったいどこがこのようなレベルを決めているのか?とても不思議に思っています。音楽番組にランキングされる音楽等も、結構レトロ雰囲気の曲が必ず入っています。飽きているのは、作り手側だけなのではないでしょうか?もしくは珍しいものを作らないと、賞が取れないとか何か評価基準がおかしいのではないかと思ってしまいます。音楽がグローバル化して、音楽性の幅は確かに広がっているとは思いますし、それは素敵な事なのですが・・・例えばベートーベンが聴覚を失ったように、ゴッホが精神を病んだように、あまりにも視覚や聴覚に刺激が強いと、きっと身体に良くないと思うのです。(もちろん先天的な要素も多分にあるとは思うのですが)
私はここの他にmixiとヤフーを少し利用していますが、お気に入りのブクラ―のアバターや表示画像や貼ってあるyou tubeの音楽性によって、気に入らないと荒れてる方を何人も見かけました。
良くても悪くても、感情に刺激を与えるのは明らかなようです。万一少し躁鬱状態の方が、お気に入りの利用者の貼った動画の影響で、リアルで犯罪行為を犯したりしても私は絵空事とは思えません。
文化レベルを上げる事はとても良い事だと思うのですが・・・少し刺激についても考えて作って欲しいなと思っているのです。特に思春期の子供には、影響を与えると思います。
少しご意見の立場は違うようですが、このような事を誰かと相談したいなと思って質問してみたので、ご回答頂けて良かったです。
ただ将来のために、私は少し規制も必要ではないかと思っています。ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/12 18:20

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