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命の尊さについて
子供たちに語ることになりました
伝えることはだいたい決まってます

ただ命の尊さを分かりやすく理解してもらうためにたとえ話が欲しいと言われました

誰かそのような話はありませんか
中学一年生なのであまりにも幼稚っぽい話はダメですし
たとえばこういう夢を見て命の大切さを思い知らされたとか
テレビで見たとか自分で作った全くの空想の話でもいいです
出来れば物語のようなものがいいです
最近 命を大切にしない子供が増えています 私は一人でも多くそのような子供の間違った考えをなくしてほしいと考えています
がその話をする会まで日にちがあまりありません
物語風でだれか手を貸してください
子供たちの将来のためにも
お願いします

補足
命は失うとそれっきり元に戻らないだから尊いものだしだから失うのが怖いものだと思います
これが私の考えを簡単にまとめたものです
.

A 回答 (13件中1~10件)

九死に一生を得た人の人生とお亡くなりになった人:


日航ジャンボ機事故で、同乗した妹や親族ほか大部分の乗客が死亡したが、生存者4人の中の一人として救出された川上慶子さんは、その後苦難を乗り越え、看護士となり、今は幸福な家庭生活を送っています。亡くなられた乗客の中には、国民的人気歌手であった坂本九さんがいて、事故に遭わなければ、今でも歌手としてご活躍中の橋幸夫さんや舟木一夫さんらと共に、青春歌謡を歌い続けて下さったことでしょう。今でも上を向いて歩こうという歌は、若い人でもご存じだと思います。
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/3af1244c227aa6 …
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「命の作文」と検索すると最優秀賞をとったものがでてくると思います。



私も読みましたが、年代的にもいいと思いますよ。
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自然界は混沌として善悪入り乱れた世界です。

人間だけが混沌善悪を認識して分けることができ、善を法として共同体…社会を築いています…築こうと試みられています。自然な欲求を不自然な自制心を以て打ち破る試みです。しかし本能的なサガを抑えるのは非常に困難です。それは法律で現実に取り締まるのは警察、検察、他国に対しては自衛隊や米軍などの強大な暴力的手段であることから判ります。

不自然な善で生きたいが自然な悪を抑えることはできない…他人の暴力的手段でしか悪を制することはできない。つまり現在の社会は善悪ともに暴力に基づいています。

人間であることは、このような暴力的手段に強制されなくても自ら自発的に不自然であろうとする道です。
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中学一年生ならば欺瞞に敏感な年頃などで、奇麗事を言ってもすぐ見透かされ信用を無くしますよ。

また、借り物の言葉では異なる角度から疑問をぶつけらた時に返答に困りますよ。
ですから、正直に話すのが一番です。
「命は失うとそれっきり元に戻らないだから尊いものだしだから失うのが怖いものだと思う。しかし、それと矛盾する世の中の現象については混乱している」でいいのではないでしょうか。

そろそろ親離れの準備の期間でしょう。
それは親でもわからないことがあるということを伝える時期でもあるでしょう。
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質問の意味を誤解しているようでしたら、お許しを。



命の尊さを教えるためには、人を欺いて混乱させるようなことをしないように教えるべきです。こちらの質問では中学1年生として質問し、あちらの質問でじゃ小学6年生として質問するようなことをやっていると、回答者さん達の善意を弄ぶことになり命の尊さが分らなくなってしまいますよと教えましょう。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5915997.html

また、宿題や課題の答えを聞き出したかった訳ではないのなら、こちらでもあちらでも、回答者さんにきちっとお礼を書くように、子供達に教えてあげましょう。

この回答への補足

息子が小学六年生で
教えに行くのが中学一年生です
誤解を受けるような書き方をしてすいません

補足日時:2010/05/24 22:08
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございました

お礼日時:2010/05/24 22:11

 命が何にもまして、精神よりも尊いのはこういう理由である。

と、自分なりに説明できるのであれば、すれば良いでしょう。

 相手の情感などに訴えても、長続きせず、真の理解認識とはなりません。

 心が大切にされてきていれば、それに伴って命も大切にされるのではないですか。
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自分にとって大事な命を(具体的に、爺ちゃん、婆ちゃん、お父さん、お母さん、兄弟、親友、ペット等)を失えば大変に悲しいですし、一生忘れることはありません。

ましてや殺されでもしたら絶対に許すことはできないにでしょう。しかし、現に毎日知らない命が奪われたり、失われていますが、まったく知らない命なので悲しくありません。もっと言えば、まったく知らない他人の命よりも、家で一緒に暮らす犬の命の方が遥かに大事に感じられます。しかし、その知らない命だって自分たちと同様に感情を持ち日々生活をしているのです。もちろん動物だってそうです。ねずみ、ゴキブリ、ムカデ、の害虫だって日々必死に生活してます。害虫駆除とか、食用家畜のト殺、保健所でのト殺、死刑、という私たちが安心して生きていく為に命が奪われていますが、その命は尊くないのか?と、しぜんな疑問が出ますが尊い命の犠牲のおかげで私たちが生きて行けるとゆう答えがありますがそれは、やはり他人の命より身内の命のほうが、どんなにも尊いということです。知らない命を尊く感じるのはあまりに難しいことなのだと思います。
自分の命がとても尊いと感じるのは自分が誰か(家族など)に特別に愛されているとを認識することではないかと思います。
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命はなくなると戻らない、というのはいたるところで聞きますが、そんな事を言われても何の感情も起こらないと言うのが正直なところです。



そんなことは中学一年生にでもなればすでに知っている台詞だし、多くの命は別の命で代替が利くからです。
人間が命を生産し、殺し、また生産して殺すというのを繰り返していることを考えれば、それは明らかです。
だから「命なんて、元には戻らないけど、同じモノ(生き物)を持ってくればいいじゃん」、という感じ方になるのではないでしょうか。

そもそも「命」という言葉自体に私は胡散臭さを感じてしまいます。
命なんて存在しないのではないでしょうか。
目の前に現れるのは、すべて命ではなく生き物です。
「生き物」なら生きる意思や目的を感じますが、「命」と聞くと人間が作り出した欺瞞の概念にしか思えません。
生き物を大切にしよう、ならわかります。命を大切にしよう、はわかりません。

人間も含めて、すべての生き物には共通の目的があります。
生きることと子孫を残すことです。
僕らは同じ目的のために設計されているのだから、同じような機能があります。
苦痛を感じたり、快楽を感じたり、恐怖を感じたり、小さい生き物でも幸福を感じる機能もあるかもしれません。
だから例えば蟻が人間の手でむんずと掴まれた時、とんでもない恐怖が全身を襲っているだろうと感じることがあります。
それは「命の大切さ」以前の、生き物に対する共感です。
「命」にはそういうものがありません。「命」は偽善者の涙と美しい言葉に飾られた虚構の概念です。
「命」を大切にしようとするとき、目の前の生き物ではなく、頭の中の美しいものを壊さないようにしているだけの感じがして嫌でした。

命は元に戻らない なんて言葉を何十回唱えても、本当の生き物に対する思いやりは生まれないのではないでしょうか。
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人間は死ぬとタンパク質の固まりになるそうです 家庭教師の時の教え子が聞いて来て感心してました。



ただ動植物の命と人間の命の違いが大きな所で

人間の命は人間の人間存在、精神、心を実現しています。心があるから理解し合い 愛し合えるのです

だから人間の命は貴重なのです。
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>命は失うとそれっきり元に戻らないだから尊いものだしだから失うのが怖いものだと思います



 命のないモノであっても、例えば、燃やせばそれっきり元に戻りません。
 元に戻らないのは命でなくても同じです。

 しかし、「プラスチックや金属などにも命が宿っている」と考えれば、やはり「命は元に戻らない、だから大切」と考えることができるが、それだと結局「すべては元に戻らない、だからすべて大切」となります。
 そして、「目に見えるモノはすべて大切である。」ということになります。

 そうすると、「目の前にあるモノは大切である」と指導教育することになり、心・精神がおろそかになります。


 何かのこだわりあり、それをことさら言う人は、その現象の根本原因が自分であるからでしょうね.


>最近 命を大切にしない子供が増えています

 最近 心を大切にしていない親が増えているからです
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この回答へのお礼

なるほど

お礼日時:2010/05/26 17:27

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