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永遠の傷にしてしまった・・・。

過去を振り返れば中学生~高校生の6年間、僕は最悪でした。
自分より弱いものを常に自分のそばに置いておいて、恐喝をしたり暴力をしなかったものの、何度も欲しいものはおごってもらうまでお願いし、自分が怖いと感じた事はまずその人間にやらせて安全だと思ったら自分がやる等最悪でした。
もちろん、相手が嫌がっている事は知っていました。

そうして使い物にならなくなったら、その人間に対して最初から他人だったような態度しそれ以後その人間とは一切かかわらず、また別の弱いものを見つけてきて同じ事を繰り返す。
6年間で3人もの人間が心の傷を負いました。
1人目は1年間、2人目は半年間、3人目は5年間。


しかし僕も人間です。
腐りながらですが、考え方にも変化が生じます。
幾度となく繰り返される、事象と向き合い「痛み」を少し理解しました。
今は彼らに深く謝罪したいです。
しかし、僕は「痛み」を知ってから僕が彼らに出来る事は「二度と彼らに会わないこと」だと勘違いし住所やアドレス、電話番号を消去してしまいました。
今振り返れば「貸してもらった金を返す」「謝罪する」等彼らに直接しなければいけない事が沢山あったにも関わらず浅はかな事をしてしまったと思ってます。


僕はどうすればこれから胸を張って生きていけるのでしょうか?
直接面会できない今、僕が考えだした独自の結論も見てください。そうした上でアドバイスをください。
結論
・彼ら3人に与えた痛みの数以上不特定多数の人々に優しさを与える(現段階、これから会う人々等。友人も含める)事が大切だ。
自分には将来就きたい職業があるが、その夢を実現させ、その分野で6年間で犯した罪を胸に刻み多くの優しさを作り出す。(高給な職業なので募金活動等も)


毎日毎日彼らの苦しんでいた残像が脳内を駆け巡り魘されます。
だからといって、僕が此処で自らの命を絶ってしまったらなんの意味も無いと思います。



何かアドバイスがあればお願いします。

A 回答 (18件中1~10件)

私はつい某掲示板に自分の身勝手で1人にひどい事をしてしまいました。



後悔でいっぱいです。
もう二度としないと誓いました。

悪い事をしても自分が苦しむだけだと気付かされました。

悪事をして後悔しているのは、あなただけではないので安心?してください。

過ちは消せませんが、償いたいと思っていらっしゃるならそれを実現していけばいいのかなと思います。

私は同じ過ちを繰り返さないようにしっかり反省していきたいと思います。
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苦しまなくでもええで!!



おれも おっさんやけど

過去に

警察ざたになって

人を傷つけた経験あるんや

苦しいな・・・・・・・・・・・・

分かるよ あんたの気持ち!

でもな

時間が 解決してくれるんやで!

今は

被害者の人に対する 懺悔の期間や!

な。。
 
しゃない。。
してしもたことは・・
過去はかわらんもんな


でもな!

希望は失うな!

大丈夫や!

命を絶つなんてバカみたいなこと考えるなよ!!!!!!!!!!!!!!!

そやで・・

どうにかなるもんや!

相手の人も
自分で
赦すということと戦っているかもしれんな。。。

それは

あんたの

及ばない領域やで・・・・・・

とにかく。。。

前向いていこうや!

おれも

定年まで10年

過去のことを思い出すと・・・

いろんなこと考えてしまうけど・・・

すべてに   意味がある!

悪いことをしてしまっても!

意味がある!

生きる意味がある!

それは、自分しか分からないんやで!!!!!!!!!!!!!

おれには 妻がいる
子がいる

そのために 生きている。。。


生かされている。
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再びです。



時間ができたので、皆さんへのお礼をきちんとよんでみました。

なるほど。よくわかりました。

結論から言えば、

彼らがその後、よい友人に恵まれて充実した人生を送っていれば、件のいじめはおそらく記憶の奥底にしまわれているだろう

ということです。

ただやはり、あなたが少しでも彼らに対する贖罪の意識を持っているのであれば、このことをあなた自身から期待するものではありませんし、あなたのそういう気持ちを言葉を尽くして美化するものでもありません。

あるいは、そのときの彼らの気持ちを考えるなら、前にお答えしたような極論の気持ちもありうるということを心の一片に留めるべきかと思います。

あなたの(質問を含め)これまでのお礼を拝見するに、どうも綺麗な言葉を並べ立てて自分の罪を取り繕おうとする姿勢がうかがえるような気がしてなりません。こういう姿勢で当事者以外の傍観者(つまりわれわれ回答者)はだましおおせて「いいんだよ、君は悪くないよ」といってもらえるとしても、本当の意味での反省あるいは謝罪にはならないでしょう。あなたが許しを請わなければならないのはわれわれ第3者ではないのですから。
文才のあるあなたならなおのこと、彼らの味わった、砂を噛み締めるような屈辱的な思いを的確に活字で表現できて初めて、「痛みを感じることができた」と言ってもいいのだと思います。

あなたは大学1年生ですか?高校3年生まで苦しめた彼に関してだけは、謝るのはまだ遅くないと思いますから、仲直りという最善の道を期待しつつ、連絡をとるのもひとつの方法だと思いますよ。
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私はいじめられていた側です。


中学高校の出来事なんて、一番傷になりやすいです。

私は自分をいじめた人を一生許すことはありません。もう二度と顔も見たくないし、どんなに反省していたとしても絶対に許しません。例えいじめた事を後悔して自殺したとしても許しません。

いじめられた記憶は一生背負って生きていかなければなりません。
あなたのような人に幸せになってほしくないです。

あなたもいじめた事を心から恥じて一生背負って生きてください。
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2回目。



内容を詳しく聞く限り。

「永遠の傷」ってほどとは到底思えません。
考えすぎじゃないですか?

もしくは「罪の意識に酔ってる」感もします。

いや余りにも「読ませる」文章だったんで。
なかなかのストーリーテリングですよ。

金を返すって言ったって、
学生の時に自由になる金なんだから、
大した金額じゃないですよね。せいぜい数10万。

やっとあのガキ大将から解放されたかー、
ぐらいにしか思ってないでしょう。
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いじめられたこともあるから、被害者の気持ちもわかるということですが、どうも人間的な、というか、被害を受けたときの爆発的な感情にかけているような気がするんですよね。

もちろん、自分のふがいなさを嘆くとは思いますが、加害者に対して何の感情もないなんて、ありえないと思うのですが。
加えて謝罪をしたい件に関しては、饒舌に薄っぺらく語っているだけような気がして、あまり誠実さを感じないのですが。

文章を読む限り、頭のよい方なのでしょうね。アクチュアリーになりたい。なるほどね、と思います。理論家な感じですね。


私の感想を率直に言えば、「四の五の言ってないで、やってみろよ」って思います。

たぶん、被害者の方は、渡されたお金をあなたにぶつけるかもしれません。
あるいは、その場で踏みつけるかもしれません。
あるいは、にこっと笑って受け取り、そんなお金あとで燃やすかもしれません。

でも、それでも「いまさら善人面か。ふざけんな、何なんだ」と思うことでしょう。
そして、時間がたっても許せない自分(=被害者)を責めることになるかもしれません。
あなたの謝罪が、新たに被害者を苦しめることになるかもしれない。

あなたがこの先どんな謝罪をしようと、結局被害者にとっては偽善でしかないのではないかと思うのですが。

あなたの気のすむ「謝罪」はあるかもしれませんが、被害者までもが救われるような謝罪をあなたが自発的に生み出すことは不可能です。結局は、被害者のことを考えているかような詭弁を書きつつ、本質はあなたの気が済むようにしたいだけなんではないですか?
だったら、ごちゃごちゃ言ってないでさっさと、お金を持っていくなり、手紙を書くなり、なんなりしたらよいのではないかと思いますけれど。

アクチュアリーになって成功したってべつにいいんですよ。
それといじめの謝罪とは何の関係もありません。
あなたの人生なんですから。

でもよくありますよね、人とは思えないことをした犯罪者に対して、「こいつからは反省なんて言葉聞きたくない」と思う感情。
そういう気持ちだってこの世にはあるんですよ。もちろん、そんな大それた犯罪とあなたの世にありがちないじめを比較するつもりは毛頭ありませんが、被害を受けた側に立ってみれば、そういうことです。極論ではありますが、反省なんてせずに、一生悪人のままでいてもらいたい、そういう気持ちもあるんです。

過去を埋めることは不可能だということを認識し、自分の過去をひきずりつつ、謙虚に、地道に自分の人生を歩むべきかと思います。
ただ一方で、あなたはあなたの人生をきちんと生きる権利がありますから、これで死ぬなんて考えないことです。もちろん、死んでも謝罪にならないというのもありますが、あなたの権利があるからです。

人間の感情は(あなたの感情も含め)、数学の証明みたいに理論的にすっきりとほどけるわけではありませんよ。
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良心の呵責の空回りですね。



って言うか、なんでそれを「現役」の時にやらないかね。

多分、それぞれ当人に再会して、
土下座でも何でもするまで収まりつかないでしょう。
故に、質問者の気持ちに決着をつけるには、
当事者をどうにかして探すしかありません。

ただし、高校中学なら、当人以外の友人つてで、
いくらでも連絡が付くような気はします。
本当に謝りたいと思ってるならね。

ただし、逆に、相手にしてみれば、
折角克服したと思ってたのにトラウマがぶり返す、
というのも考えられなくもありません。

「使い物にならなくなったら」という発言が正直微妙。
どういう風に「使い物にならなくなった」のか次第で
対応を変える必要があるかもしれないし。

「自分が怖いと感じた事はまずその人間にやらせて」って
具体的にどういうこと?それ次第ですけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なんとか前に進みだしています。
今は犯した罪を悔むよりなんとかしないとと焦っていますが・・・。


「使い物にならなくなったら」とは、例えばその人特有の性格を活かして自分には出来そうもない事、具体的には「面倒臭い宿題、興味のない宿題をやらせる」「遠方までの買い出し」等です。
金銭的な都合で、学力の都合で限界が来たら「ありがとう、もういいよ。帰って。じゃ」ととても冷たく態度を変えたりしました。

「自分が怖いと感じた事は・・・」ですが、例えば「都会の危険そうな場所に先に行かせて、どうだったかを聞いて大丈夫そうだったら自分がその後に行く」「危険、未知の体験等無理やりやらせる」等です。

お礼日時:2010/06/28 19:24

会わない、忘れることが大事だと書いたものです。


続けて他の方とのやり取りを見てまた書き込もうと思いました。

あなたは自らもいじめられ、その後同じ事を自分より弱い人にしてしまった。
自分も弱いものの気持ちがわかっていたはずなのに、だから清算したい。ということだと思います。

そしてその清算方法を模索しているが、他の方からは清算はできないと言われ、やはり迷われている。
自分なりに考えた方法が正しくないと否定されているようにも思われているかもです。

私は、あなたの考えは正しいと思います。
できることなら、自分が犯した失態を清算したい、これは誰だって思います。

しかし人生「やり直し」はできません。ですが「やり足す」ことはできます。

過去に関わった人とのやり直しはできませんが、これからイジメに関わる人たちを救うことで、
あなたの罪は代わって清算することができます。

それも、自費(慈悲)で行ってください。
カウンセラーみたいな仕事では、ただの偽善です。
貯めたお金でNPO団体でもつくり、仕事が終わったあとなどのプライベートの時間に活動すること。
そこまでできれば人は偽善ではなく本物だと認めます。

私はそこまでできないので、忘れるという選択肢を取りました。
どうかこれからの子供たちを一人でも多く救ってあげてください。
自分の力で自殺者を減らし、イジメを少なくする。
そこまでの覚悟がなければ罪を償いたいなど言わないでください。
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この回答へのお礼

お礼の回答遅れました。

仰る通りです。
僕は加害者なので認められること自体、可笑しいと思いますが、一生懸命考え出した結論が真っ向から否定されどうしていいのか解らないという状態です。
段々と、考えれば考えるほど自分の意見が屁理屈で加害者を肯定するような言い方になってきているような気がして自分自身に怒りを覚えます。


やり直すことは出来ない、やり足すことは出来る。
この言葉を聞いて言葉の意味に納得しました。
やっぱり、どう頑張ってもやり直せない。
でもこれからやりたしてくことは未来の事なんだから出来るんですね。
僕の考え方の根本が間違ってましたが、凄い励みになりました。


僕が思ったのは、この先一生懸命頑張って「偽善」と認めるのも他人、「本物」と認めるのも他人なんだから、自分はもう自由時間に行動する以外結局は何も無いんだなと思いました。
言葉だけなので、今は全く信用しなくていいですが、僕はかならず「やり足し」ます。

あと、色々皆様の意見を聞いて解りました。
自分なりの見解ですが、被害者から見たらどんな事をされても加害者を許せないし、全部加害者が悪いと思うのは当たり前だと思いました。
理由は、自分がものすごく嫌な事をされたという単純な人間的な感情からくるものだからです。

逆に加害者からみたら、被害者を虐めたのは理由があると非を認めつつ自分を守り、加害者は後から後悔という痛みが来たからなんとかしたいというやはり人間的感情からくるものだと思います。

自分が被害者になったら、加害者が全部悪いと思うし、自分が加害者になったら、被害者が悪いとは言えないけど自分には理由があったと思う。こう思うのは、実際に其の立場にならないとわからないと思いました。

でも、大切な事はこれから起こすアクションだと思いました。
埋め合わせなんて出来ないけど、これからは変えられる。本当にそう思いました。


加害者なのに、あたからも「自分が悪くない」というオーラを感じてしまう人がいると思います。
本当にすいません。しかし、決してそんなことは思ってません。
僕は、今回本当に反省し、二度とこのような事を起こさないようにします。
被害者は今深く傷ついていると思います。残念ながら、僕は何もしてあげられないどころか、余計に傷つけてしまうので今かかわりを持たないようにします。

お礼日時:2010/06/26 23:55

私は、された方の気持ちのほうがわかるので


あなたの言っていることが不快でたまりません。

「人間の価値は、言葉より行動を見よ」

自分は今人間的に成長したのだ
と、おっしゃりたいのかも知れませんが
本当にするべきことから逃げているのは明白なうえ
「結論」を拝見するところ
無害な偽善に走って贖罪をすり替えたいだけではありませんか?
罪悪感から逃れたいだけではありませんか?
考え方としては、人を自分の幸せの肥やしにしようとしている部分は
変わっていないように感じます。
勿論、あなたがあさはかに命を絶つことなどあってはいけません。


謝罪する気になったなら、将来の夢がどうのこうのとぐだぐだ言っていないで
友人からでも母校や実家からでも連絡先を調べて
連絡取って返金でも土下座でもなんでもしてくればいいのに。
それで傷つけた相手が許してくれなくても
あなたへの憎悪や蔑みを、甘んじて受けることですよ。

あなたが今後の人生を清清しく過ごせるようになるため…という
エゴ丸出しの謝罪なんか
相手にとったら、迷惑な生ゴミを放り込まれるようなものだな~とは思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
本音を書いていきます。これを見て不快になったのならば、御返答お願いします。

言い訳になりますが、探すのは現在苦労してます。
被害者に関わる母校の友人が一人もいない。母校の住所、アルバム、卒業証明書は理由があり数年前に灰になってしまいました。自業自得ですが、今現在友人と言える人間はいないからです。
しかし、貴方の言うように行動を大切にしたいので現在必死で探していますが・・・。

僕は今凄く罪悪感がありますが、正直に言うと3人の被害者に対して行った事はそれぞれ一対一(僕と被害者)という二者間でやりましたが、特に関わりが強いのは最後の被害者です。
最後の被害者をいじめようと思ったのは(虐め:自分よりも弱い者を一人で攻撃すること)、「僕の話を聞いてくれない」「お互いお金の貸し借りがあったが、被害者は自分が一方的にお金を取られていて、僕が主張するのは可笑しい」という主張、日頃から何もしてないのに避けてきた等です。

そこでイライラして、直接理由を聞いても話相手にもされず、自分の弱さに負けてしまって、誰にも見えないところで一対一で強制的に陰湿な虐めをしました。
最低でしょう。


質問に対するお礼回答をします。
罪悪感から逃れたいのでは?という事ですが、答えとしては「もちろん」です。
正直、奇麗事を並べていては回答者様に失礼なので現実でも面と向かって言える事を書いていきます。
僕は過去に犯した罪に非常に罪悪感を覚えている。だから消したいです。

虐めをもっと厳しく定義すれば極道の様な格好をしている集団に暴行にあってる人を見て見ぬふりをして、帰ってきた覚えがあります。
虐め(この場合、もっとひどい)を止めに入らず黙認するのも立派な虐めです。これにも凄い罪悪感を覚えています。
どうにか、罪悪感を消すために何かしようと本能的に働いてしまいます。




でも、屁理屈を言い出せばきりがないし、既出の回答文にもあるように、もう傷は治らない事はわかってます。
全てを受け入れるしかありません。ただし開き直るわけではありません。

失礼ですが、今後の人生を清清しく過ごせるようになるためというのは否定しませんが、それは謝罪とは無関係です。
ご了承ください。

こんなに反発してしまうのには理由があります。
疑問に思ってしまったからです。
僕は虐めの加害者ですが、被害者にもなった事があります。
では、僕を虐めた被害者が謝る以外に惨めな思いをさせてもよろしいのでしょうか?(本当に反発を受ける文章ですが、すいません)
加害者として、反省の気持ちはいつまでも持ち続けなければいけません。
被害者だった時の僕が今思う事は、加害者の人達今頑張ってるかな?くらいです。別に過去の事を言ってても人間なんですから、死ぬまではやり直しの機会くらいあってもいいんじゃない?と思います。これは、僕の加害者としての立場を認めてるわけではありません。

叔父は、叔父の妻つまり叔母に殺されたも同然の事をされこの世を去りましたが、叔母を恨んでいません。
叔父は大手企業の誇れる位の人でした。痛みを感じた瞬間でしたが、今となっては叔母も幸せにこの世で生きてほしいとおもってます。


人の死を多く見ている中で、一つ思いました。
之は、今回多くの回答者様のお陰で思い出せました。
「世界が誇れる偉人だろうと、どんなに優しい善人だろうと、どんなに普通の人だろうと、どんなに性格が曲がった人だろうと、どんなに重い罪を犯してしまった人だろうと、死んでしまったら何も無い。生きているうちに、善人はさらに良い方向へ。悪人は生きている時に心を入れ替えて頑張っても良い機会があるんだから良い方向へ。人は生きてる限り良いチャンスも悪いチャンスもある」って事を思い出せました。



ただ、やはり他人に僕の気持ちが伝わっていない以上、まだ被害者に対する考え方が甘すぎるのだと思います。
もっと、反省しなければいけないと思ってます。

お礼日時:2010/06/26 01:32

他のご回答も拝読いたしました。


私も幼稚園~中学までいじめられた側です。

いじめられた側の感覚も人それぞれです。
私は、いじめた人の名前や顔を執念深く覚えてしまっていますが(忘れられるものでもありませんので。でも忘れられない自分に呆れます)、もしもその方々が謝罪に訪れたとしても、会いたくはありません。
私をいじめていた頃から今までの間に、時間が流れています。
その時間の中で、相手も、自分も、色々と変わっています。

私の感覚としては、彼らに、あのときの時間の中で謝って欲しかったのであって、いろいろなことや時間を経た今更になって謝ってもらっても、困ります。その謝罪の念は、当時の私の姿を見て生まれてきたものではなく、私と全く関係のない事象を契機として生まれてきたものであるので、もはやその謝罪は私と無関係なものに成り下がっていると感じられるからです。つまり、謝罪が生々しくないのです。
「(当時の)私」が不在のところから生まれてきた謝罪なんて、べつに要りません。

私の場合は、いじめた人を憎んでいるわけでもありませんし、同窓会などで偶然会うのも嫌!とか思っているわけでもありません。ただ、その謝罪に価値や効果を見出せないだけなのです。
なぜなら、私はすでに傷を負ったし、それはもはや古傷なので今更何をされても治らないだろうからです。

で、今後についてですが、
質問者さまが多くの人に優しくしたいのなら、すればよいと思います。
世の中に、優しい人がひとりでも増えることは決して悪いことではありません。
ただし、それはいじめた過去と無関係なこととして行ってください。

わたしは、「埋め合わせ」というものは厳密には世の中に存在しないものと考えています。
過去に掘った穴は、別のことでは埋まりません。
花が欲しかった女性にネックレスをあげても、「嬉しい」と同時に「がっかり」を感じます。
誕生日をほったらかされて、次の日に豪華なデートをしたとしても心のモヤモヤは消えません。
そういう例えなら、しっくりくるでしょうか。

質問者さまの「胸を張って生きていきたい」は、自分の加害の埋め合わせを、ほかの善行をもって行おうとという意図と読み取りますが、それは不可能であることだけはきちんと認識して頂きたいと願います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり「人」なので、考え方は人それぞれなのですね。
「完治したもの」「治療中のもの」「後遺症の残ったもの」「治らないもの」虐めに対する人の感じ方も色々あると思います。
でも、虐めは最低な行為だと改めて認識しました。

回答者様の仰る通り、歳月が流れた後に生まれる「反省」「謝罪」は別の異なる事象が起因となって起きるものと被害者にとっては捉えられるし事実なのでしょう。(絶対とは言いません。)
回答者様は現在古傷を抱えつつも前向きに歩まれているんですね。
こうやって被害者の声を聞くと、自分のしたことがどれほどの痛みなのかを被害者が感じているほんの一部理解できます。
ただ、被害者ではないので本人ではないので本当に理解するのは難しいです。
出来事は何時も突然で、理由は後になってから築くと言いますが、虐め程愚かな事をしてしまったことに自業自得の痛みを感じます。

埋め合わせは、出来ないんですね。
虐めの他にも埋め合わせという言葉は沢山ありますが、実際別の事象で該当事象の事実を変化させることは出来ないのだなって改めて実感させられました。


回答者様が、言われるように加害の埋め合わせは不可能であるという事を認識し、理解します。
それを踏まえ、もう被害者の傷は埋まらないんだから、残酷な言い方で批判されるかもしれませんがこれとは関係なく、アクションを起こしたいです。


虐めというのは無くならないのでしょうか?
個人同士ではなく、国家間でも虐めという言葉をよく耳にします。
昔、日本が国益を守るため国民を豊かにするため他国へ侵入し自分たちの正義を示しました。
日本にとって正義(国益が守られる、国土獲得により潤いが生じる)と呼ばれた事が被害を受けた国にとって「虐め」「悪」「憎悪」です。

そして、その仕返しをするため他国が日本にミサイルを撃ったり様々な事をする事がその国にとっては「正義」ですが、我々日本国民にとっては「悪」です。なにがしたいんだ?と思うでしょう。「憎悪」が生まれるでしょう。


個人間でも、相手が優れた能力をもっていることにより自分のプライドが傷つけられ何も罪のない相手を虐める。被害者は何も悪くないのに、加害者はプライドを守るために。
被害者の性格が最も自分が憎んできた、嫌いだった昔の自分のような性格の為に被害者を虐める。人間の先天的に持ってる弱さに負けて。

また、何十年も前に相手に傷つけられたから復讐し法律によって裁かれた人間もいます。
被害者が加害者を復讐しても、被害者にとっては「道理が通ってる」事でも世間一般では「悪」だと評価されます。

虐めというのは数多く存在します。
絶対に合ってはならない虐めを自分はしました。

お礼日時:2010/06/25 18:47

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