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本を読むことが好きになるにはどうしたらいいのでしょうか。

本を読むことは活字を自分で追い続けて行くことです。従ってテレビを見るのと違って能動的な姿勢が必要になります。

毎日の出来事を知るに当たってもテレビは簡単に即座に知ることができますが、新聞ではそうはいきません。必要な情報を自分で探し求めていかなければなりません。そこには知るということについて能動的な姿勢が求められます。それは決して楽しい行為ではないはずです。活字を読むことが苦手な人にとってはそれは苦痛以外の何ものでもないのではないのでしょうか。

登山の場合、途中の辛い思いの果てに頂上にたどり着いた時の喜びは何ものにも代えがたいものがあります。読書も同じことが言えないでしょうか。この読み終えた後の喜びをいかにして理解させるかといくことが教育に求められているのではないのかと思います。もっとも、読んで「つまらない」と思う本もあるのですが・・・

A 回答 (6件)

読んでみて「面白い!」と思える本に出会えば、


本を読むことが好きになるのではないでしょうか。

きっかけや出会いが大切だと思います。

この回答への補足

きっかけや出会いは本当に大事だと思います。
人生はそのきっかけや出会いによって決まるとも言えるのではないでしょうかね。

補足日時:2010/06/22 14:32
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この回答へのお礼

つまらない本に出会って本嫌いにならないことを願っています。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/28 22:06

僕が本を好きになったのは、おもしろかった映画の原作を映画を見た後読んでからです。



経験上、おもしろかった映画の原作本は映画以上におもしろいです。

しかも、読書初心者にいいのは、だいたいの筋は映画で知っているので、想像もしやすいので、どんどん、読み進めます。

最近では、逆におもしろそうな映画があったら、先に原作本をよんでから、映画をみるのが趣味です。

この回答への補足

確かに興味のあることについての本ならば読む気にもなるかもしれませんね。
私も好きな映画の原作を読んでみたいと思ったことは何度もありますが、まだ実現していません。

補足日時:2010/06/22 22:08
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/28 22:02

若者の活字離れについてのご質問ですか?それともご自身が本を好きになれないというお悩みですか?



前者だったら、最近の若者は大人が思うより文章を読んでいます。
媒体が携帯やPCであって、本ではないかもしれませんが。
去年あたり、文学が流行したので、大人よりも読んでいる子も増えています。
理解してるかどうかは別として、太宰治、ツルゲーネフ、ドストエフスキーとか。
あらすじだけの解説本は、ダサい、意味がない、と不評です。
という事は、文学を読むこと自体を楽しんでいるんじゃないかな。書評まではしないけど。
小学生でも、鼻や羅生門は読んでいます。おもしろいらしいですよ。教育の成果かどうかは知りませんが。

テレビ離れの方が深刻です。
テレビよりも自分が欲しい情報をすぐ見られる、ネットの利用が増えているからです。
受動的に情報を得るには、欲しい情報が出るまで時間がかかります。
今の子達は忙しいので、能動的に情報を求め、即座に知れるほうを好みます。
また、欲しい情報を得ると、関連情報が‘これはどう?’とばかりにリンクされて出てきます。
芋づる式に読んでいくので、断片的に紹介されるテレビよりよく分ります。
若い子達の世界は狭いので、大人のように広く浅い知識より、その世界に必要な情報を速く深く知る方が重要視される為、テレビよりネットの方が好まれるのだと思います。それに慣れている若い子達に、文章を読むこと自体が苦痛という概念はあまりありません。

ではなぜ本が読まれないか。
本の一冊一冊の値段が高い事。・・・携帯小説ならタダです。
本が場所をとること。・・・住宅事情。
縦書き。・・・携帯やネットは横書きなので、横文字に慣れている人には読みにくい。


‘登山の場合、途中の辛い思いの果てに頂上にたどり着いた時の喜びは何ものにも代えがたいものがあります。読書も同じことが言えないでしょうか。’
そういう読み方もあります。論文とかはそうですよね。
でも読後感を得る為ではなく、頂上に至る前に足を運び続ける事(=読んでいく、ストーリーを追っていく)自体が楽しい、という読み方もあります。そちらでは読むことが苦行ではなく快楽です。


質問が後者である場合、どうしても読めない人はディスレクシアという学習障害の一種である可能性もあります。欧米では有名な学習障害で、キーラ・ナイトレイやトム・クルーズもそうです。
その場合は、音声読み上げソフトを使って文を聞いたり、専用のレッスンを受け読み書きの練習をします。

ただ好きになれないだけであれば、無理に読まなくてもよいと思います。他の媒体がいくらでもあるので。

この回答への補足

私自身は本を読むことは好きです。読みたい本はいっぱいあるのですが、「つん読」するほうです。買ったものの読まないままになっている本がかなりあります。

私には甥と姪が4人いるのですが、その全員が本をほとんど読まないみたいなのです。メールのやり取りを通じてそのことがわかります。それは何を言っているか訳のわからないメールが来ることが少なくないからです。

私は言語能力の向上のために読書の必要性を痛感しています。

補足日時:2010/06/22 21:59
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この回答へのお礼

食事の最中にも本から目を離さない人もいると言います。
そういう人にとっては読むこと自体が快楽なのでしょうか。
確かに一度読みだしたら読み終わるまで止められないというのはあると思います。
そういう読んで面白い、楽しい本に出会えたら本好きになるのは間違いないと思います。
子供たちが自らの意思でそういう出会いを果たすことが大事だと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/28 21:59

>本を読むことが好きになるにはどうしたらいいのでしょうか。



とりあえず、本を読まなくちゃ。と思えるならば、
本を読む習慣をつけることです。

そのためには、
・簡単な本をたくさん読むことから始める。
・一冊の本を終いまで読まなくてはなどと思わず、
 嫌になったら辞める。
・3冊.4冊の本を同時進行的に読み、その日の気分で選ぶ。

それで、読書をするという習慣がつくと同時に、
徐々にですが読書力がつきます。
ここまでくれば、次のステップとして、

・有名な長編小説なども読んでみる。
(人気のあるものは意外とすらすら読める場合が多いのです)
・とにかくさまざまな分野の本を読んでみる。
 意外な発見があるかもです。
・つん読(つんどく)を恐れない。
 とりあえず面白そうなら買う。興味が沸くまで家に積んどくのです

私の場合、学生時代に1週間に10冊。月に1万円程度の書籍代をノルマにしていました。
慣れれば、簡単な小説なら1日に2.3冊は読めるようになります。
 
そうこうするうちに、「これは面白い」と思える本や作家に出会えます。
その頃には自然に本が好きになっています。

この回答への補足

私も「つん読」派です。
手元に読みたい本があればいつでも気が向いたときに読めます。
以前に買っ本を読まずにいたためにそのことを忘れて同じ本をあらためて買ったこともあります。
しかし、手元に本があるということは急いで読む必要もないためいつまでも読まないままになってしまいます。自分ながら呆れてしまいます。

補足日時:2010/06/22 21:45
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この回答へのお礼

人と人との出会いと同様に、本との出会いもきっかけが大事だと思います。
いい本との出会いを果たせた子供は本当に幸せだと思います。
反対にそういう出会いに恵まれなかった子供は本当にかわいそうだと私は思います。
そういう出会いを子供が果たせるように大人がそういう環境を設定してやる責務があるのではないでしょうか。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/28 21:44

本を読むのが能動的ってどんだけですか。

確かに自分でページをめくらなきゃいけないけどさ。

自分が読んでいて(読んでいる最中に)、面白い、楽しいと思える本を読んだらいいと思いますよ。
読み終えるのがもったいない、いつまででも読んでいたいと思えれば最高です。
読み終えた後でなければ喜びを得られないなんていう本はありえません。

仕事や勉強で読むものなら、登山のように苦い苦しい思いで読み続けることもありえますけどね。

この回答への補足

「能動的」というのは自分の目で活字を追わなければならないからです。テレビの場合は否応なく目と耳から情報が入って来ます。

私は読書の苦痛を登山に例えましたが、その例えは不適切でした。読み進めるうちに面白くなりページをめくるのが楽しみになる読書も確かにありますね。

補足日時:2010/06/23 00:25
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この回答へのお礼

面白い、楽しいと思える本に出会えたらいいのですが・・・
つまらない本に出会ったことがその後の読書嫌いになることにもなるかもしれません。
私はいい本との出会いが出来た子供は幸せだと思います。
私は子供のころそういう出会いがありませんでした。それが心残りでなりません。
そういう環境を設定する責務が大人にあるのではないでしょうか。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/28 21:30

No.3です。


姪御さん、甥御さんのお話だったんですね。
若い人で全く読まない、というのは今時かなり珍しい方だと思います。
スポーツなど他の趣味で忙しいのでしょうか?
僕は10代ですが、周りの年下も同年代も、SNSで知り合う遠方の同年代も、それなりに習慣的な読書(ネット文庫含む)をしています。
特に日本文学は、日本でも流行した他、村上春樹が世界的に注目された事で、海外の子達の興味も引きはやりました。日本ではロシアやアメリカ文学が好んで読まれ、アメリカでは谷崎潤一郎や芥川が目新しい物をして読まれていた2009年でした。
今年は哲学がブームになってきています。
ただ、海外の子達が、本を読んだ後必ずと言っていいほど内容を批評するのに対し、日本の子は読んだら内容をそのまま受け入れる傾向があるようです。自分が感じた事を言語化しないままになるので、思考力が鈍ると思うのですが、意見の多様性を受け入れる日本の文化を反映しているのかもしれません。
・・・と脱線してしまいましたね。すみません。

他に時間をかけたいものがある子には、無理に読書を強要してもダメです。
どんなにいい本でも‘やらされてる感’が全てを台無しにします。
そういう子には、その子の興味がある内容の本から勧めます。
スポーツ好きなら、やっているスポーツのスター選手の生い立ち本や、
漫画のノベライズ版などから始めれば、少しは興味を持ってくれるのではないでしょうか。
一番いいのは、甥御さん、姪御さんのコミュニティーで、読書が格好いいこととして流行る事ですが。
読んでいないとジョークにもついていけないので、本に興味がない子でも格好つけて読みますよ。
きっかけはお付き合いで読み始めても、仲間同士で面白がっているうちに本当に好きになる子が多いんです。

また、メールの文面で言語能力を判断するのは早計かと思います。
若い子達は、メールを口語で書くので。メールの仕方を見ても分るのですが、会話するように使っています。単語や記号だけのやり取りも珍しくなく、話し言葉と書き言葉を明確に区別しません。文字は遊び道具です。また、文が短い方がパケ代が浮くので、主語や丁寧語を省く事もあります。それが習慣化してしまっているのかもしれません。書き言葉を習慣化するには、メールのような単発文やだらだらと(この文章のように)書き綴る文ではなく、起承転結のある作文をする練習を読書とは別にしなければいけないと思います。

この回答への補足

「起承転結のある作文をする練習」は本当に必要だと思います。論理的でない説明では相手に納得してもらえません。いくら自分の考えが切実なものであってもそれをわかってもらえないということは非常に損なことです。


私の姪は、携帯のゲームに熱中しているようです。スポーツとか他の趣味があればいいのですが、それもないようです。ゲームしていない時には寝ているようです。まったく情けなくなります。


私は本を読む習慣を若い時に身につけませんでした。年を取ってからそのことを後悔しています。ですので子供の時から本を読む環境に恵まれた方が羨ましくてなりません。


村上春樹が世界的に注目されています。私もその作品を読んでみようという気持ちはあるのですが、まだ一冊も読んでいません。自分自身に対していらだちを覚えています。

補足日時:2010/06/23 11:06
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この回答へのお礼

若者のメールの使い方の御指摘なるほどと思いました。
御丁寧な回答恐れ入ります。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/28 21:23

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