これは進化論ではないのでしょうか?
マタイ七章にこうあります「よい木はよい実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。よい木が悪い実をならせることは出来ないし、また、悪い木がよい実をならせることもできません。よい実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」 ヨハネ十五章にはイエスをぶどうの木にたとえた同じような記述があります。このように聖書にも存在に有効な性質と無効または有害な性質を神が選び 存続を決定するととれる記載があります(ゆにこ説) よい木というのは存在性のことで 悪い木というのは存在できない性質のことです。これは進化論で言う自然淘汰ということではないでしょうか。
進化論を否定してきて ようやく認め始めたキリスト教ですが 僕にはこれは進化論に見えます
つまり進化論も聖書から出て来たのではないでしょうか と思うのですが?
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
「神のつくりたもうた」地球について調べようと考え出した。
↓
化石を発掘、地層を発見しはじめた。
↓
地層ごとに観察できる特徴があったが、それぞれの地層の間の関連性はわからなかった。
↓
(1) 天変地異と天地創造のくりかえされた爪痕であると説明すればよいと考えた。 → 以後続く
or
(2) 長い目で見れば天体運動の一定の法則によってひきおこされる特徴であり、その法則に基づいて現在をよく観察すれば過去の出来事を説明できると考えた。
↓
「神のつくりたもうた」生物について調べるにあたり、解剖学が栄え、現在の人間は完成形のゴールであることをなんとか一定の法則にもとづいて説明しようと考え出した。
↓
形態学が栄え、高等生物は胚から完成形への発達段階で、下等生物の完成形を経ているという考えが根強くなる(反復説)。
↓
発生学からみてそんなことないという検証が出るが(発生法則)、上記の説の支持は根強い。
↓
「神のつくりたもうた」人間の心について調べるにあたり心理学が流行し、子だくさんのダーウィンも熱心に子どもを観察しつつ、恐怖心などに太古からの因縁を感じ、遠い由来を直感する。
さらにダーウィンは、胚の構造の共通性というのは由来が共通することをあらわしている、と考える。
伝達について考える。さまざまな変異がありそこに遺伝がありその一部の自然選択があるとする。
↓
自然哲学に絶大な影響をもたらす → ついでにいえば太古の人類や共通の本性に遠因をもとめて心理学と精神医学が発達する
↓
個体の発生は系統発生をなぞって繰り返すという説(発生反復説)が華麗に現れ人気を博す。
↓
遺伝学による検証とさまざまな議論反論をよぶ。 → 修正されて20世紀につづく
↓
ダーウィンの選択説が、突然変異の発見や遺伝的血液選択説によって修正される。
↓
進化論は分子の時代へ
このように、進化論は聖書ないしキリスト教の信仰心から出てきたものであることはひとまず間違いないと言えます。
進化論というと一見、キリスト教がみずから鬼っ子を産み落としたような按配に見えますが、
発端の目的に立ち戻れば、まだまだ「神の計画」は深遠にして不明の一言に尽きるでしょう。
ところで、質問者さんの性質という言葉、独特の使われ方をされていますね。ひらいていくとそこに別の問題が沈んでいそうです。
なお、おっしゃる意味での「悪い性質」は、自然淘汰説からいえば存在できないのではなく、
隠れて存在し続けていく性質のことでしょう。
なぜなら、病気など悪い現象については存在しないように抑えていくことができるのですが、
そのように現象として表にあらわれてしまうと、
子孫が残せなかったり働きを抑えられたりしてしまうため、
表にあらわれないように保存されていく劣性遺伝の性質というものがあります。
科学的解説 どうもありがとうございます☆
そうですね 性質は劣勢として残る場合も多いですねえ でも個体とともに亡ぶ事もあると思います。
他の肩にも指摘を受けましたが 私の書いたのは「進化論ではないでしょうか」ですが
「これは淘汰ではないでしょうか?」の誤りですねえ
色んな性質が出て来る事は在り得る事だと思ったのです。突然変異もあるでしょう。
心理学も関わってくるのですねえ なるほど勉強になりました ありがとうございました(*^^)v
No.13
- 回答日時:
よくこの手のことで、解釈を持ち出す人がいますが、解釈など必要ないと知るべきです。
自然淘汰のことに連想できますね。
しかし考えれば、当たり前な自然の話です。仏教の因果から言えば原因からその結果が生まれる。
まぁ、あなたを幸せにしたいが、悪いことをすれば結果が悪くなるので気をつけましょうということで、それは自然の中にもある話ですから、しごく当然で解釈はいらない話しです。
わからないことに、解説はいるかもしれませんが、この手の話の解釈は、逆に解釈で誤解する場合があると認識すべきですね。
また自然淘汰と進化を結びたいと思いますが、淘汰と成長、淘汰と進化はジャンルが違います。
人間の進化は、人格の向上、振る舞いの向上、心根の向上。いい心を持ちましょう。その心が指令をだし、脳が働き、行動しますので、心は発信源となりますから。
今の時代は、仏教を科学が証明する時代に入りました。
また、キリストとブッタとアラーが平和について語ったら、意見は一致すると言うことを聞いたことがあります。
平和を作るのは、平和な人間を作ることですが。
すべては、その平和な人格や対処を身につけるのが、人間の進化でもあるでしょう。
今の時代、そんなことは、すでにわかってる状態だと思います。
しかし、その人格をつくる練習はおろそかかもしれませんね。
進化があるないということ自体、後世の人の勝手な意見、我見ではないでしょうか?
進化を語りたいのか、人間の人格向上の目的か、大事なのは幸福を自ら作れる人格の完成ではないでしょうか?
宗教はその視点を忘れると怖いですね。
宗教と平和の話まで どうもありがとうございます
世界が平和になったらよかろうと思う人は多いでしょうねえ
でも一部でもそう思わない人たちが戦争・紛争・テロを起せば
他の人まで巻き込まれます
この世はエントロピーの増大則に今のところ従っているので
壊す方向に動き出せばなかなか止まらないでしょうね
人間の人格向上 それも世界中で みんなにそれが出来れば良いのでしょうけど
現実はそう上手くは行ってないようです どうもありがとうございました<m(__)m>
No.10
- 回答日時:
>悪い木というのは存在できない性質のことです。
虚のきぐるみをかぶっていれば本来存在できませんが、必要悪というものもありますし。
他者が出した結果から推理するだけの寄生虫、あるいは思想的左端(サタン)も人間が進化するために必要です。
ま、本人はそう思っていないでしょう。それどころか「あいつが、悪だ、こいつが悪い」と思っているところがイマシマシイ。連続殺人鬼になる人の因果がどのようなものかの見本でもありますが。
しかし、本当に、消えてくれないですかねえ、、、。
No.9
- 回答日時:
yuniko99 さん
ANo.7だけど、幾つかのご回答を拝読して思い出したので。
聖書もそうだけど、一般に宗教って自然界の無意志でメカニックな展開ってあまり取らないですよね。
このことについて、あまり意識を持たない教えもあろうし、直接触れていない教えもありましょうが。
だから、いわゆる自然の単なる動きということだけで存在や現状を説明し尽くすことは聖書や宗教とは別の世界ではないですか?
そういうことを人為的にやるのは、無論自然界の進化ではないが、やはり聖書や宗教の好まない事のようですね。違いますかね。
第二に聖書もそれ以外の宗教も、一応価値志向でしょう?
そしてその価値と価値志向の根拠を説明し、なおその実現のことをいっていますよね。
宇宙や世界、そして人間もそういう事柄として根拠付けているのですね。
体系付けているのですね。違いますか?
そういうことの中では仰せの聖書の部分は価値と価値志向からは、意志的に選択されていく事柄を言っていると存じますよ。
無論、人の小賢しい思考や行為としてではない、聖書や宗教の原則や原理と違う自然の仕方ではなく、その原理と原則の実現をしていく、当然なる事の運びを叙述している箇所だと思いませんか?
当然といえば当然かもしれませんねえ
宗教も科学も同じ現実を見て考えた事が書かれているのでしょうから
同じ様な事が書かれるのは当然ですが
神による選択が 自然淘汰によく似ているので書いてみました
ご意見ありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
遺伝には優勢と劣勢がありますよね。
優秀であるかどうかではなく、子どもに出やすい特徴が優勢。出にくいのが劣勢。
ところで聖書に書かれている良い木、良い実とはなんなのか。
遺伝子のことではなく、思想や考え方のことだと思います。
良い実を結ばない木は切り倒され火にくべられる はあくまでたとえ話で、本当にそんなこと信じて自分たちが正しとするために人を殺すのはキリスト教の中の狂信者かナチスくらい。
アメドラでクリミナルマインドというのがあって、あくまで架空のものだが、狂信的な人が殺人をするというエピソードがいくつもあり、キリスト教が無ければこんなことも無かっただろうなと思えました。
(実際に起こった事件を下地にアレンジされた内容で描かれている。)
実際の連続殺人鬼は原理主義的なキリスト教の教育を受けていたことがわかったのですが、そういう教育を受けた人が猟奇殺人鬼になるかというと、そういう偏執的な教育を浴び続けてもほとんどの人は猟奇殺人鬼にはならない。
因子を持っており、それが原理主義的な宗教の影響を受けて培養され、誘因の発生で爆発したわけです。
誘因が無いと起こらない。(保菌者のままだけど、子どもに因子は受け継がれ、子どもに誘因が起こったら子どもは連続殺人鬼になる)
あるエピソードでは、少女たちを何人もレイプして殺した死刑囚がFBI捜査官に向かって、「少女たちは俺に捕まったために出口が無くなった」と自分を神であるかのように語っていた。
FBI捜査官は死刑囚が死刑になる運命から逃れることができなかったことを13分かかって解説した。
「出口が無かったのは処女たちではなくあなたです」って。
こんな特異なケースは平和な日本ではめったに起こらない。
破壊が起こるとしたら、選挙で選んだ人が自分のグループに益をもたらさないとリコールするなり解散総選挙するくらいで、命までは奪わない。
で、キリスト教が起きた時代は、キリスト教だけじゃなくていろんな宗教が活発に活動した時期。
どうして活発になっていたのかというと、あそこらあたりの時代は新しい時代の転換期という共通認識があったから。
地球から太陽を眺めると、まるで太陽が旅をしているように見える。
太陽の運行ルートを黄道と呼ぶ。
この太陽の運行ルートにある星々を古代の人は12分けてた。(擬人化されおとぎ話ではイエスと12使徒になっている)
地球の軸は時計の針のようにこの12の星座の方角を約25800年かかって一周する。
2000年ほど前に新しい時代の到来と世の中が沸き立ったように、モーセの時代も新しい時代の到来と沸き立ったことが聖書から読める。
モーセがやったこと、それは古い神殺し。(意識改革)
古い時代のシンボルの牛の偶像を破壊させたと聖書に書いてあるでしょ?
モーセの時代はおうし座からおひつじ座に地球の軸の向きが変わった時代だったから。
イエスになると古い時代のシンボルの羊を殺したって物語になってるでしょ?
おひつじ座から魚座になったから。
だからイエスといえば新しい時代のシンボル2匹の魚のたとえ話もあるように魚座の時代と呼ばれるわけです。
どうみたら魚座と呼ばれるものが二匹の魚に見えるのかわかりませんが、2000年前と今では天体の見え方が違ったので、昔は背中合わせの二匹の魚に地球上から見えたんでしょうねぇ・・・。
で、、、通過儀礼というものがある。
見えないものをまたぐ儀式。
見えないので普通は通過したという認識はもてないのですが、普段とは違う衣装をすることで通過したとしている。
例えば正月、七五三、成人式。
2000年ほど前も新しい時代に変わったと沸き立ったのだと思う。
たくさんの宗教が沸き立った中でキリスト教が正しかったから生き残ったわけじゃあない。
自然淘汰って悪いものが滅びるって印象があり誤解されるので使いたくない。
メンデルやダーウインが言っていたものは自然選択のこと。
天然豆は人間に害を与えるので駆除されましたが、根絶したわけじゃなくレベル4で保管されている。
いつか人間が生存するために有効に使う時が来るかもしれないから。
大腸菌だって女性の皺取りとして活用されていますよ。
血を吸うヒルだって、欠落した指をくっつけるために使われてますでしょ?
ヒルは人間に害を与えるため血を吸ってるわけでも、指をくっつけてあげようと吸っているわけでもないんです。
宿命がそうさせている。
相対的で善悪が移ろうもんなんです。
ダーウインはアメリカやここに参加している原理主義的なキリスト教信者じゃなくてもっとリベラルな宗派の信者だったようですよ。
投稿ありがとうございます 確かに 淘汰という言葉は残酷な感じもしますねえ
自然選択という言葉のほうが分かりやすいような気もします
残念ながら 実は私この20年以上体調が悪く 過敏性の腹痛もあって長文が苦手でして
読んでると腹痛が増してくるので 頑張って読みましたが 確か前回は御礼も出来なかったのではと
申し訳ないです<m(__)m>
個々の生物は生まれた通りの生き方で己に忠実に生きているのですが それを人間が利用したり
駆除したり 人間の都合で勝手なものですねえ
聖書解釈も宗派によって大きく違ってきますねえ 私の引用した文章も色んな意味にとれそうです
どうも投稿ありがとうございました(*^^)v
No.7
- 回答日時:
キリスト教って確か進化論にnegativeでしたね。
確かに近代の創成話としての進化論は、ちょいと簡単には信仰とは親和できないようですね。
しかも進化論って、あくまでも仮説的だったと存じます。
実はこのような類似の話は、一応、あるインド哲学にあります。
その場合、悪い木、よい木は人間の性情や下層意識の中の記憶とされています。それをカルマといいます。
それらは一定の時に発芽する種子といわれます。
イエスも私はあるヨガのご修行のご形跡があると思われますので、私はカルマに対する対処を述べているのではないかと存じます。
yuniko99 説を補強する為には、宗教の根底に到達する必要があるのかも知れません。
インド哲学までの言及ありがとうございます
カルマとかヨガとか下層意識云々というのはよく知らないので分かりませんが
インド哲学でもこのような現象に言及しているのだと言うことが知れてよかったです
どうもありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
>存続するものが価値あるものであり 存在しなくなるものは価値が無くなると考えます
存在こそ価値だと思うのです
あたくし、こう言うことを聞くと、またまた何時もの癖が出て来ちゃうんですね。悪しからず。
んじゃ、売春なんて凄い価値があんのか。人間で一番古い商売じゃちゅうし、未だになくなってない。ヤクザも価値があるんかね。ずっと存在しちょるもんね。お相撲さんも大騒ぎしちょる。四五十年前に新聞で天下りは行けないなんて捲し立てておったが、今じゃそんな頃がかあい~くらいに蔓延ってる。国立大学を独立法人化したのは文科省の天下り先を増やすための策略だったちゅうことは、よもやご存知ないたぁ言わせない。あ、それと政治家と役人の汚職。それに坊主や神父や牧師の猟奇な色事。いつの時代にも無くなんないね。
こんなこと言うと、「わちきの言ってることはそんなことじゃござんせん。それとあれとは別じゃわいなぁ~~」、なんちゅう輩が時々おるが、そんなご仁は、抽象化のなんたるかぁ知らない唐変木のおたんこ茄子じゃ。あれとこれは違うなんちゅうことは、誰だって言える。ゴミを落して、残った物の間に共通項を見付けてみせる、これが抽象能力ちゅうもんで、詩人や芸術家の必須能力じゃ。
昔こんな、説教じみた狂歌をつくった奴がおった、
磨いたら磨いただけは光るなり 性根玉でも何の玉でも
そしたら、あたしのようなへそ曲がりが、こんな歌で返した、
光ろかのこんにゃく玉も藍玉も たどん玉でもふぐり玉でも
お若いの、ふぐりってなんか知っとるか。そう早春に咲くあの可愛らしいイヌフグリのふぐりじゃ。あれ、犬の雌のふぐりのことじゃ。ふぐり玉ちゅうのは男が持ってるたまのことじゃ。
聖書に戻れっちゅうプロテスタントが蔓延って、世界中から煙ったがられてるアメリカっちゅうキリスト教原理国家の国民の8割近くのおいちゃんおばちゃんたちが、未だに進化論は間違ってるちゅうて、学校で進化論を教えさせないようにしてること、あんたご存じないか。統計に出ておった。あいつら毎日聖書読んでんじゃないの。少なくとも、進化論は間違ってる、インテリジェント・デザインじゃ~、と喧伝している坊主どもは毎日読んどるはずじゃ。今度、あんたがそんな坊主どもに手紙でも書いて説教してあげな。先ずは、仲間から説得してみい。きっと破門されるで~~。
存在こそが価値と言うのは基本形でして
ヤクザにとってはヤクザの存在に価値があると思いますが
多くの市民にとってはヤクザの存在には価値どころか害がある
私にとってもヤクザには価値は在りません それぞれが価値観を持って決める事です
マムシも生存に価値があるのでしょうけど 人間にとっては危険で有害であります(基本的には)
歌も面白いですねえ 僕は昔子共のころ「テングノヘダマ」という植物はみました
オオイヌノフグリも好きな花です 私のフグリは・・・役立たずですねえ
進化論はローマ法王も認めました 進化論に反対するのは理解がない証拠ですねえ
原爆落とした国がそれでは 広島・長崎を理解してもらうのも難しそうですねえ。
どうもありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
品種改良と進化論は別でしょう。
いくらキリスト教信者だってエンドウ豆の品種改良とかまで否定はしないでしょうよ。
聖書の話を信じるよう教育された人々は、天地創造の6日間の内の6日目で総ての動物が作られたのだから、2憶5千万年前に恐竜が居た時代にも人間がいたはずだと主張しますよ。でも、恐竜の化石が出土する地層から人間の化石が出てこないことが不思議らしいです。”今後の発見”を期待しているみたいです。
それから、人間と人間以外の動物が祖先を共有しているという進化木はどうしても認められないみたいです。人間以外の動物は人間が利用するために神様が作ってくれたとの信仰があるので、人間と牛が同じ祖先を共有しているという事実はどうしても認めたくないみたいです。
実際は、キリスト教信者でも90%以上は建前と本音を使い分けていて、建て前では6日目にすべての動物が作られたことにし、本音では聖書の話は作り話だと考えているのではないでしょうか。まあ、キリスト教信者はこの点に関して建前を主張するしか許されないのでしょうけど。
この回答への補足
クリスチャンも誠実な人は「私は中途半端なクリスチャンですから」と謙遜されます
クリスチャン以外の人の考えも分かるという姿勢の人が多いようです
私は聖書の記述と進化論の考察があまりに似ているので質問してみたのですが
淘汰されるという面では似てますが 突然変異までは説明してなかった
ダーウィンの苦悩もそこに在ったのでしょうね。
ありがとうございます(^^♪
No.4
- 回答日時:
私は神学には疎いのだが、質問者の話を伺う限りにおいて、進化論とは決定的に違うように思う。
「よい実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」とあるが、そこには人為的な選択行為があり、人間の介在しないところで起こる自然淘汰とは全く異なるものである。
自然淘汰は、人間や(失礼に当たるかもしれないが、もし存在するならば)神の意思とは無関係に起こるものである。自然に起こることだから「自然」淘汰なのだ。
(もっとも、神がそうした自然淘汰の結果まで知って生物をデザインしたというのであれば、話は別になるだろうが・・・)
そこで、自然淘汰では、例えば次のように説明されるところだろう。
「よい実を結ばない木は、繁殖力においてよい実を結ぶ木に劣るので、自然と数を減らすでしょう。」
>進化論を否定してきて ようやく認め始めたキリスト教ですが 僕にはこれは進化論に見えます
>つまり進化論も聖書から出て来たのではないでしょうか と思うのですが?
ダーウィンがキリスト教圏で成長し生活した以上は、大なり小なり聖書に影響を受けた、と考えるのは間違いではなかろう。
断定はできないものの、可能性はある。
ただ、(繰り返すが)聖書の記述では人間なり神なりの意図があって淘汰(選択)が起こされるとされるのに対し、進化論では全く自然に、勝手に起こるとされる、それが大きな違いである。
進化論が聖書から出てきたとするならば、ダーウィンが「悪い木が絶え良い木が残ることなぞ、人間や神の手を煩わせるまでもなく自然に起こるのだ」と考え、そこだけ聖書の思想を改めたのだと考えるのが良いのかもしれない。
この回答への補足
どうも適切な考察をありがとうございます
自然淘汰と神による淘汰ですが 私はこの世界が有神論と無神論に分かれてる事に懸念を持っています
聖書の記述の場合神の成す事は摂理という言葉があたるようです
自然淘汰の場合は偶然突然変異が起こり新種が出来て それを神が許すかどうか 選ぶかどうかと
言う事になってくると思います
しかし無理せず神と自然は違うと考えれば仰る通りだと思います。
どうもありがとうございました<m(__)m>
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