太平洋戦争中、男は命を捨てて戦ったが、女はま○こで済んだか?

このような間違った妄想が、頭のなかで住み着いてはなれません。
太平洋戦争中、将兵は命がけで戦い、そしてたくさん死んでいきました。女は性器をつかうだけで、なんとかなりましたという、なんともやっかいな考えが、私の頭のなかにあるのです。この間違いを正してください。お願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

現代の日本に住んでいると、あまりにも単純で荒唐無稽なお話ですが、戦前の日本人の一部にも質問者同じような考えを持っていた人も沢山いたのかもしれないなあとふと思いました。




どのような回答を行おうか真剣に考えましたが、とりあえず質問者の疑問に回答し、その後に戦争の愚かさと、その戦争を抑止する単純な考え方だが、最も有効な考え方によって起こった悲劇を紹介しましょう。


女性も兵器製造等に携わっています。戦争は兵器の製造、兵器の貯蔵、兵器の移送、兵器の使用を繰り返すことと、戦争に欠かせない情報伝達を行わねば成り立ちません。ここで兵器の使用を行う兵士を再生産する為には、男の赤ちゃんを産むこと、即ち男女の睦事が前提ですから、戦時政府も多産婦を表彰しています。だから質問者の考えは間違いだと決めつける訳にはいきません。


しかし、情報通信、兵器の生産、兵器の貯蔵等には女性や子供や老人も関わっています。当時の日本軍の秘密兵器「風船爆弾」の製造には、記録によると、一部の地域では原料の楮の栽培、抄紙に学徒動員された地方の女子学生が携わっていますし、東京に集められた和紙をこんにゃく糊で貼り付ける作業はほとんど東京の女子学生によって行われました。手の平を傷めるほどの重労働に耐え、国が戦争に勝つ日を思って頑張ったそうです。近代的な戦争は国家の総合力ですから、女性の力無くしては戦えないということです。


ここからは、記事【2008年12月1日 AFP】の引用になります。
パプアニューギニア東部のオカパ(Okapa)地区の女性たちが、1986年から20年来続く部族間戦争を根絶しようと、男の子が生まれたらひそかに殺す習慣を10年前から行っていたことが明らかになった。豪ナショナル(National)紙が報じた。


 同紙によると、同地区のギミ(Gimi)では、長きにわたる部族間戦争で男手が減り、多くの女たちが育児もままならない状況にあるが、前週ゴロカ(Goroka)で行われた平和と和解のための集会で、2人の女性が「赤ちゃん殺し」を告白した。


 女性たちの話では、戦士となる男の子が生まれなければ、戦争に参加する男の数が減り、部族戦争そのものがなくなるとの考えから、村の女たち全員が約10年前、生まれた子が男児だった場合には例外なく殺すことで合意したという。


 具体的に何人の赤ちゃんが殺害されたかは不明だが、女性の1人は、息子を殺した母親は複数いると話した。同紙によると、この女性は「(赤ちゃん殺しは)許されざる犯罪だが、それが女として部族戦争を終わらせるためにできる唯一のことであり、そうするよりほかはなかった」と涙ながらに証言したという。(c)AFP


「日本の戦時政府の多産婦を表彰」と「オカパ(Okapa)地区の女性たちの選択」は、カードの表と裏の関係にあるということなのですね。

参考URL:http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents- …
    • good
    • 3

従軍看護婦がいましたよ。

慰安婦だけでなくて、医療的な看護をする人々。

ほとんど前線のような所にも行っていましたから、途中で亡くなって兵隊の遺体と一緒に川に折り重なっていたり、敗戦まで一緒にジャングルを歩いたりしたそうです。

軍事工場で働いていた人もいましたね・・・

東京の靖国神社に行くと展示の最後のほうに亡くなった人々の写真が飾ってありますが、たしか女性もけっこういたように思います。

女は性器をつかう「だけ」というのが女性の気持ちを全然理解してないんですねえ。
おおごとですよ。特に当時は今よりももっと重大事でした。
敗戦直後、ソ連兵などに襲われた女性達が妊娠して帰国し、麻酔もなく堕胎したのを知りませんか。
悲惨きわまりないですよ。

兵隊さんも悲惨でしたけどね。
    • good
    • 8
この回答へのお礼

まずは回答ありがとうございます。
わたしは知らないから質問しているのです。私を批判するのはおかしいと思います。わたしもそのような考えを聞かされて、それもそうだと思ったのです。
情報提供に徹していただきたかったです。

>女は性器をつかう「だけ」というのが女性の気持ちを全然理解してないんですねえ。
風俗嬢という性器を使う仕事についている方が大勢います。女性で、風俗で働いたことのある人は女のうちの一割だそうです。

批判覚悟でいいますが、性器をつかうのがおおごとだと言う人の生活状況がとてもめぐまれているとも思うのです。

それにしても愚問でした。2ちゃんねるで聞こうかともおもいましたが、2ちゃんねるの回答はやはり偏っているので、正しい意見を聞こうと思って教えてGOO
で質問した次第です。

私はこの分野の知識は疎いのです。ウォーシミュレーションは軍事研究のために結構やりましたが、私が言いたいのは戦争というカテゴリでもいろんな立場があり、全部知ることは無理だと思うのです。ハードディスクにも容量制限がありますし。知りたいことだけ知っておくことが効率的だと思っています。それでは愚問失礼しました。

お礼日時:2010/07/12 18:49

スルーでいいのでしょうが、あえて。



それがイヤで、集団服毒自殺した、樺太の真岡郵便電信局、サイパンでのバンザイクリフの映像、沖縄戦での女子生徒の戦車への爆雷体当たりなどをご存知でしょうか。

当時、日本の女性の大半は、敵兵の慰み者になるのは、死ぬ以上の屈辱と考えたのでは。

また、内地でのうのうとしていた男性も少なくは無かったはず。
    • good
    • 4

>この間違いを正してください



戦争で死んだのが「将兵」だけなんて・・・。
妄想でなく、ちゃんと「歴史の勉強」くらいすべきでしょう。
まあ、ご自分で「間違った妄想」と書いてますから、「ショーもない奴」くらいで片付きますけどね・・・。
このような下品な質問、投稿するのも考えるべきだと思いますよ。
(怒)

「東京大空襲」では、死亡・行方不明者だけでも10万人以上になり、その殆どが民間人です。
むろん、女・子供・老人も含むでしょう。

「沖縄戦」では、日本側の死亡者が「18万8136人」とされていますが、沖縄の民間人や軍に協力して、あるいは「させられて」死亡した人々は「10万人」を越え、軍人よりも多いのです。

厄介な妄想を頭の中で膨らますより、この程度の「最低限の勉強」しておいて下さい。
変態さん。
    • good
    • 10
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。あなた様の回答はかすかに小学生のころ習った記憶として蘇りました。私は戦争について、シミュレーションゲームの立場から色々検討はしてみたのです。しかし、ゲームはゲーム、所詮ゲームでした。それゆえの愚問だったことをお許しください。

お礼日時:2010/07/12 03:39

軍需産業で家内作業を引き受けていた大勢の女性が犠牲になりました


よく絨毯爆撃などと言われていますが無差別に爆弾を落としたのではありません
家内工業を行っている住宅地区がやられたのです
家内工業の主役は戦地に行かない女性や老人です
    • good
    • 4

アナタのお母さんやお婆さんに、この質問もしてみて下さい。

答えが出ます。
    • good
    • 8

女性は女性で、


男が兵隊に行って居ないので、家を守り、子供を育てて、力仕事や畑仕事、それに戦争の武器や装備品、補給品の全てを作っていました。
大戦末期になると、大都市はおおむね空爆の被害に会って沢山の戦死者を出しています。
なにも戦争で命を捨てて戦っていたのは男性だけではありません。
女性は女性の戦いがあったって事ですね。
    • good
    • 2

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本の国旗 戦時中と今

日本の国旗は、戦時中と今ではなぜデザインが変わったのでしょうか?

戦時中は、朝日旗と言われるデザインですよね?

Aベストアンサー

1    日本の国旗は、戦時中と今ではなぜデザインが変わったのでしょうか?

   いいえ、全然変わっていません。同じ白地に赤い○です。

2。  戦時中は、朝日旗と言われるデザインですよね?

    これは似たようなのが二つあるのですが、丸が中央にあるのが下記のように陸軍の「軍旗」です。少し左に寄っているのが、海軍の「軍艦旗」です。いずれも「国旗」ではありません。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E6%97%A5%E6%97%97

Q北朝鮮は戦時中の日本をモデルにした国?

>北朝鮮は戦時中の日本をモデルにした国づくりをしました。
なので北朝鮮が戦時中の日本そっくりなのは当たり前

ある回答に上記の内容がありましたが、金日成、金正日が聞いたら烈火のごとく起こりそうに思います。日本を外交の相手として認識せず、アメリカと対等の意識をもっている北朝鮮のひとが認めるとは思われません。
 少なくとも戦時中の日本のようになし崩しに戦線を拡大したりしていません。日本は拉致のようなこともしていません。金日成も金正日も天皇のように象徴でもありません。なぜこんな議論がおこるのか不思議でなりません。
 なぜ戦時中の日本と北朝鮮を対比する必要があるのか教えてください。
 

Aベストアンサー

>戦時中の日本をモデルにした国づくり

ということはないでしょうね。そもそもモデルが有ったとも思えません。現在の朝鮮民主主義人民共和国の体制というのは
「スターリン主義+家父長的儒教主義」国家としか言い様が無い不思議な体制になっています。

スターリン主義というのは、一国社会主義体制を守るため、党内規範であった「鉄の規律」を国民生活にまで汎用し、さらに官僚主義、軍と秘密警察によって国民を締め付けた国家体制です。一方、家父長的儒教主義というのは、まぁ先祖崇拝ですとか家父長に無条件・無批判に従う道徳律みたいなものを指します。

朝鮮は、もともと儒教的な思考が広く行き渡っている国ですから、これが社会主義・共産主義イデオロギーと結びついて、独自の体制を作り出したのだと思います。だって、親から子への権力移譲なんて、社会主義・共産主義のイデオロギーからは考えられませんから。

その点では彼らの主張する主体思想というのは、当たっているのではないでしょうか? 彼ら自身の歴史と伝統、民族性がイデオロギーと結びついて、かの国にしか生まれない独自の体制になったような感じがします。

もっとも、革命というのは、いずこの国でも歴史と伝統、民族性がイデオロギーと結びつくものです。フランス革命はフランス的なのだろうし、名誉革命はイギリス的なのでしょう。明治維新だって日本的なのかもしれない。そういう意味では、善悪を別にすれば、朝鮮的なのかもしれません。

>戦時中の日本をモデルにした国づくり

ということはないでしょうね。そもそもモデルが有ったとも思えません。現在の朝鮮民主主義人民共和国の体制というのは
「スターリン主義+家父長的儒教主義」国家としか言い様が無い不思議な体制になっています。

スターリン主義というのは、一国社会主義体制を守るため、党内規範であった「鉄の規律」を国民生活にまで汎用し、さらに官僚主義、軍と秘密警察によって国民を締め付けた国家体制です。一方、家父長的儒教主義というのは、まぁ先祖崇拝ですとか家父長に無...続きを読む

Q戦時中の経済

戦時中の経済について書いてある本を探してます。しかも戦時中に書かれているものです。知っている人がいれば教えて下さい。

Aベストアンサー

 私が言いたいことはあなたが何を知りたいかなんです。戦時中でも、公務員とか、学生向けに統制経済を説明した本はありましたし、平凡社などは「時局解説年鑑」というものを出していました。それには、各国別の経済状況や軍事情勢を解説していました。また、朝日や毎日の新聞社は、新聞には経済記事が載っていましたし、年鑑も毎年発行していました。これにも、経済記事は多く載っています。国勢社からは、今もある「国勢図会」もありました。戦後、これらの本で、役所にあった物は廃棄され、個人のものでも、昭和40年代までは、古本屋で二束三文で売られていました。今、図書館で残っているのは、年鑑類か新聞位です。それでも、当時のことを調べるのには十分です。当時の経済状況や制度でしたら、戦後、専門書として研究されたものが出ていると思います。
 

Q戦時中の暮らしについてのサイト

今戦時中の暮らしについて図書館やネットで調べていますが、これ!!と言うサイトがなかなかみあたりません。yahoo、googleでは調べて2ページ目くらいまで見ましたが何件か以外、それ以外はいいサイトがありませんでした。
何か、戦時中の国民の暮らしについてよく分かるサイトがあれば教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

戦時中の生活体験など詳しく載っています。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/hp-1a-1.htm

山田太一のドラマで「終わりに見た街」というドラマでは戦時中の暮らしが描かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E3%82%8A%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%81%9F%E8%A1%97
私は82年のドラマしか見ていませんが、最近リニュアルされたようです。http://www.tv-asahi.co.jp/owari/

また、東京九段にある昭和館には戦中の展示があるようです。http://www.showakan.go.jp/

江戸東京博物館のサイト、常設展示からこんな戦時中のキーワードを見つけました。
・非常時の覚悟 ・兵ニ告グ ・父よあなたは強かった 
・太平洋戦争開戦日の大本営発表 ・日本精神に目覚めよ ・時局に対する国民の覚悟
・紀元二千六百年 ・スパイを防げ ・戦線慰問について

YouTubeで 「香葉子 1/5」「はだしのゲン01」を検索してみてください。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/josetsu/flash/index.html

戦時中の生活体験など詳しく載っています。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/hp-1a-1.htm

山田太一のドラマで「終わりに見た街」というドラマでは戦時中の暮らしが描かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E3%82%8A%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%81%9F%E8%A1%97
私は82年のドラマしか見ていませんが、最近リニュアルされたようです。http://www.tv-asahi.co.jp/owari/

また、東京九段にある昭和館には戦中の展示があるようです。http://www.showakan.go.jp/

江戸東京博物館のサイト...続きを読む

Q「戦時中」と「戦前」の違い

「戦時中」と「戦前」の違いっていうのは何ですか?同じ意味でしょうか?

Aベストアンサー

 もちろん同じ意味ではありません。また、沢山のご回答が集まっていますが、当時を知らない若い方が多いのか、曖昧な回答も見受けられますし、中には明らかに間違った回答も見られます。

 戦争があればかならず「戦前・戦時中・戦後」があります。この日本でも日清戦争、日露戦争、それぞれにもやはり「戦前・戦時中・戦後」はあったわけです。ですが、今日よく耳にする「戦前・戦時中・戦後」という表現は一般的に「太平洋戦争に於ける戦前・戦時中・戦後」といった区切りで語られるものです。

 それでは「戦時中」とは何時から何時までか・・・といえば、事実上太平洋戦争に突入した日から終戦を迎えた日まで、つまり、真珠湾攻撃が行われた昭和16年(1941)12月8日から「戦時」が始まり、終戦を迎えた昭和20年(1945)の8月15日をもって「戦時」が終わった。この間が「戦時中」であり、当然のことながら、それ以前が「戦前」であり、それ以降が「戦後」であるということになります。

 ただし、ここでひとつ気をつけなくてはならない点があります。それは、日頃中高年層が口にしたり、経済や社会情勢などの比較としての視点で語られる「戦時中」という言葉のイメージは、こうした「何時から何時まで」といった歴史的な日付とはかなり隔たりがある場合もまた多いからです。
 
 まず、この日本で戦時体制が敷かれたのはなにも太平洋戦争が勃発した日からのことではないということ。真珠湾攻撃の前にも支那事変をはじめとして、この日本はある意味で戦時体制下にあったのです。しかし、当時はさほど戦時といった緊迫した感覚がありませんでした。
 しかし、傀儡政権を擁した満州国の行き詰まりや、資源の生命線とも言われた東南アジアルートの圧迫、こうした事態に至って、やむなくアメリカと、そして連合国を相手に戦争を強いられることになった日本。事実上の太平洋戦争に至っても、まだまだこの時点では、強い先行きの不安感はあったものの、一般社会や民間の日常生活に於いては、「戦時中」といったさほどの緊迫感も逼迫感もなかったように思います。
 つまり、「戦時中」とは、ある意味で具体的に「歴史的な日時」をさして言うよりも、むしろかなりイメージ的な表現であることもまた多いということを知っておいて欲しいのです。

 それは昭和18年(1943)ぐらいからだったでしょうか、戦況は次第に悪化し、誰の目にもそれが明らかになり始め、出征兵士の数も戦死者の数も膨大なものになり、夫や息子を失った家族が町に目立ち始め、物資と言えばなにもかもが不足し、食料から思想に至るまですべてに統制が行われと、日常生活にも極度の我慢を強いられ始めた、こうした何につけても苦しく辛かった時代のこと。この時代を「戦時中」と表現し、「戦時中はこんな美味いものは手に入らなかった」といった言い回しとして使われることが多いのです。

 事実の上からは政治や国策、そして経済までもが次第に窮地に追い込まれ、世界規模の不況の波も避けられず、いずれはこうした諸問題の打開のために戦争もやむなしといった空気が漂い始めたにもかかわらず、当時はまだ世界の列強として名を連ね、戦勝を疑うこともなく、西欧の文化の交流や流入も盛んで、表面的には高揚した空気に支配されていた「戦前」・・・、そして「戦時中」を経て・・・、終戦に至って何もかもすべてを失い、文字通りのゼロポイントから立ち上がった日本、「もはや戦後ではない・・・」と言われた昭和29年(1954)頃までの「戦後」の時代・・・、この日本は三つの大きな時代の区切りを経たのです。

 もちろん同じ意味ではありません。また、沢山のご回答が集まっていますが、当時を知らない若い方が多いのか、曖昧な回答も見受けられますし、中には明らかに間違った回答も見られます。

 戦争があればかならず「戦前・戦時中・戦後」があります。この日本でも日清戦争、日露戦争、それぞれにもやはり「戦前・戦時中・戦後」はあったわけです。ですが、今日よく耳にする「戦前・戦時中・戦後」という表現は一般的に「太平洋戦争に於ける戦前・戦時中・戦後」といった区切りで語られるものです。

 それで...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング