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横浜・神戸・長崎共にチャイナタウンは港や空港が近くに在る都市という共通点があるのですが、これは偶然でしょうか?必然でしょうか?
可能性の有無は別として、新たにチャイナタウンが出来る場合でもやはり港や空港の近くという条件が必須なのでしょうか?
ブラジルタウンは浜松・群馬等、空港から遠いところにあるのに…。
御存知の方は御回答を宜しく御願い致します。

A 回答 (4件)

おはようございます、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、中国語などを勉強していると、「どこの飛行場に行っても、中華料理店は必ずある」などという事を聞きます。

昔から、中国南部の人々は、「華僑」として、世界各国に出て行って、現地で社会を作る習慣がありました。安い賃金で働いたりするため、ともすると現地の労働者ともめることもあったりしたぐらいです。

この習慣は今も続いていて、鉱物資源などの採掘にも、中国企業が現地に出て行って、現地の労働者を雇わずに、中国から労働者を率いていくため、地元から不満が出ているなどと言うことも聞きます。

中国の方は、世界各国でどこでも人の集まる所では、商売をしようと考えて、そちらが質問なさったような事が起こっているのではないでしょうか?
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 長崎チャイナタウンは江戸時代の開港場、神戸、横浜のチャイナタウンは江戸末期の開港場であり中国商人の社会が形成されました。

交通が発達して貿易会社が場所を選ばない現在ではこれらは中国人が生活するタウンという役割を失い、観光地として意味を変えて存在しています。

 生活する場としてのチャイナタウンは今日中国人が日本に入ってくる主要な3つの手段、留学、結婚、研修生ということを考える必要が有ります。池袋北口では日本語学校が多いことにあわせて知音公司など中国人の生活を支える商店を核として同種の企業が集まり、生活の便利さと同時に雇用と消費を相乗効果で生み出して真のチャイナタウンと呼べる状況になりました。

 鹿児島県枕崎市では日本人が就労したがらないかつお節工場で中国人研修生の需要があり、市内の若い女性の過半が中国人女性であるという状況になりました。研修生チャイナタウンといってよい状況です。もっとも研修生自身はこの地に家庭を持つわけではなく長くとも3年後に帰国しますが、滞在中に日本人との結婚を決めて研修終了後直ちに再来日する人も多いと聞きます。

 空港に近いという要件は全く無視はできないでしょうが、空港から遠い栃木県宇都宮市、福岡県八代市や福島県伊達市保原などにチャイナタウンとは言いませんが周辺から目立つほど中国人が定住していることを見ると、交通手段が決定的な要件ではないことが分かります。やはり、仕事やそのほか彼らに対する社会からの需要がある、また同胞が多く助け合って暮らせるという生活の便利さが定住の第一条件になると思います。
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>横浜・神戸・長崎共にチャイナタウンは港や空港が近くに在る都市という共通点があるのですが、



これらは江戸時代から貿易を行っていた長崎、明治時代に開国した後に貿易港として発展した横浜、神戸に中国人の貿易商やそれに伴う労働者が大量に移住してきた為に発達した街です。ですから当時の主要な貿易港であった長崎、横浜、神戸にあります。

>ブラジルタウンは浜松・群馬等、空港から遠いところにあるのに…。

ブラジルタウンは、20年前のバブル期に工場労働者が足りなくなったためにスズキ自動車、富士重工の企業城下町である浜松、大泉に大量に日系ブラジル人が移住してきた結果できた街です。当時は田舎でかつ弱小の自動車メーカーであったスズキと富士重工は給料が大手より比較的安かったので、人が集まらなかったのです。

>可能性の有無は別として、新たにチャイナタウンが出来る場合でもやはり港や空港の近くという条件が必須なのでしょうか?

既に秋葉原に行かれた事があれば理解できると思いますが、中国人観光客が大挙してやってくる場所では店員も中国人化が進んでおり、新たな中華街が形成されつつあります。特に昼間からやってる居酒屋とエロDVD屋においては、平日の客も店員も中国人ばかりでここは日本なの?といった雰囲気です。
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詳しい訳では無いけれど。



港はともかく、空港は後から作られたものですからね。条件にはなり得ないでしょう。
長崎なんて、空港まで無茶苦茶遠いし。
神戸は30分、横浜は40分、長崎は1時間以上掛かります。(笑)

外国に開かれた港町にできたのは当時の必然でしょう。
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