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戦国武将に与えられた官位が名ばかりのものであるのなら
本来するべきであるその仕事はいったいどうなっていたのでしょう?


戦国武将の官位について調べていたら疑問点が浮上してきたので
詳しい方がいらっしゃったら教えてください。

戦国時代の官位は勲章のようなもので、
名誉としての意味合いが強い名ばかりのもの、というもののようなのですが
『内匠頭』や『主計頭』、『修理大夫』等々
そういう官位の人がするべき仕事ってありますよね?

例えば上記の
『内匠頭』なら調度品や儀式用具の製作、
『主計頭』なら税収の監査、
『修理大夫』なら修理や造営 等など…。

戦国武将に与えられた官位が名ばかりのものであるのなら
本来するべきであるその仕事はいったいどうなっていたのでしょう?
内裏の仕事は仕事で色々と発生すると思うのですが…。

実質的に『内匠頭』の仕事をする人と
名前だけの『内匠頭』で二人の『内匠頭』がいたのでしょうか?


※出来れば憶測や予想ではなく、
 資料の出所等がはっきりしていたり
(その際その資料名も教えていただけると後々自分でも調べやすいのでありがたいです)
 専門的にそういうことを学んでいたり、
 専門的に学んではいないけれども詳しい方、どうか回答をお願い致します。

A 回答 (2件)

「戦国武将に与えられた官位が名ばかりのものであるのなら本来するべきであるその仕事はいったいどうなっていたのでしょう?内裏の仕事は仕事で色々と発生すると思うのですが…」



様々な官職を定めた律令制度が機能していたのは、平安時代くらいまでです。

その後は、律令制度というのは名目的にだけ存在するものになり、実態を失いました。
要するに、元になっている律令制度が名目的なものになったので、律令制度で定められた官職も名目的になったということです。

「内裏の仕事は仕事で色々と発生すると思うのですが」

内裏の様々な仕事は、室町時代辺りから明治維新に至るまで「地下官人」と呼ばれる人たちがやっていたようです。「地下官人」で調べてみてください。

理屈上は、日本は、明治維新後に朝廷が中央政権となり
「律令の制を廃する」
と公式に宣言した時まで、すなわち明治時代の初期まで、形式的には「律令制度」が続いていました。
ただし、日本中の誰一人として「日本国が律令制度によって運営されている」とは考えていませんでした。

この回答への補足

な…なるほど…!!!
もともと古典文学が好きでその時に色々平安時代のことを調べていたのですが
平安時代では皆ちゃんと役職ごとに仕事を行っていたので
その感覚がどうしても抜けず、
戦国時代のことを調べている内にどうしても気になって仕方がありませんでした。
いつまでも私の脳内が平安時代をベースに考えていたせいで
モヤモヤが晴れなかったのだと分かり、
おかげでとてもすっきりすることができました。
そうですよね。
言われてみれば朝廷でそれだけしっかりと政が機能していたのなら
もっと大名達と対立してそうです。

本当にありがとうございました!!!

補足日時:2010/08/11 22:28
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室町幕府による朝廷機能の吸収というやつです。


義満が天皇になろうとした。。。なんて話がありますが、何もTOPだけ変えるという話ではなく、朝廷機能全体を室町幕府が吸収した。
たとえば、徴税関係ではこんな感じ
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~5jimu/reports/PDF/ …

京都の行政権の吸収に関しては
http://ci.nii.ac.jp/naid/40003063431
伊勢氏の研究あたりにあるはず。

http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/08J01211
全体的な権力構造の統合はこのへん

http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/09710250
「、公家家督の認定者が義詮期に室町殿に移行することが指摘されているが」というようなことらしい

この回答への補足

ありがとうございます!!
資料の提示についても本当に感謝します。
まだ内容の確認はできていませんが、
つまりもう戦国時代に入ると朝廷はほぼお飾りで
政治的実権が無く、『内匠頭』や『主計頭』等も
別の役職名で幕府側で仕事をしていた、ということで合っていますでしょうか?

補足日時:2010/08/11 22:27
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