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三国志で出てくる「州」について

州と言えば「徐州」「揚州」「益州」と「州」がありますが、
同時に「天下三分の計」の下りで「西蜀五十四州」とまた「州」がでてきます。

上の「益州」などの州と「西蜀五十四州」の「州」はどう対応するのでしょうか?

天下三分の計では「荊州」+「益州」=「西蜀五十四州」と読めるのですが、
張松が劉備に渡した益州の地図の名前は「西蜀四十一州図」ですから
「荊州」 = 「西蜀五十四州」- ( 「益州= 西蜀四十一州」) = 13州
となり「荊州」=「西蜀十三州」はおかしいですよね。。。。

西蜀五十四州と同じレベルの州も教えてください。

A 回答 (1件)

http://wenda.tianya.cn/wenda/thread?sort=wsmorv& …
西四川五十四州とはどこ?

『《三国演義》中、西四川という言葉は大部分の状況下で益州全体を指し、ある時は"東四川"に対する言葉として益州西部を指す。前漢および三国時代の州郡の区分はだいたい下記の通り: (天下は13州に分けられ、別に洛陽は司州または司隷と呼ばれた。三国時期、各国は必要に応じて管理するため、郡県の一部分を更に分割して、下記のようにした。そのため"州"は"郡"ほどの大きさになって、"八十一州"とか"四十一州という言い方がある。"三国志演義"の作者は三国時代の州と後世のいわゆる州を混同している可能性がある。なぜなら後の諸朝が"道"や"省"などの行政単位を設置しはじめて、"州府"は現在の"市"の行政単位ほどの大きさに変化した。《三国志演義》には他にも言い方の誤りがある。たとえば州の長官、後漢時代には"州刺史"と呼んで、紅巾の乱の後、管理の便利のために劉焉が建議して"州牧"と改め、軍政の全権を完全に掌握した。それで、本の中のある場所に"なに州太守"とあるのは誤りである。)

益州:蜀郡、?為、江陽、紋山、漢嘉、朱提、越雋、?柯、建寧、興古、永昌、雲南、漢中、広漢、梓潼、巴郡、巴西、巴東、?陵、武都、陰平などの二十一の州に分けられ、その下に146の県を統括して、これかが蜀の地に属する。おおよそ現在の四川、貴州、雲南および陝西漢中盆地に相当する。』

 このアマチュア研究家によると。時代によって州の規模に大きな変化があるのに三国志演義の作者にはその混同が見られると言っています。前漢は全国を13の州に分けましたが、時代が下って今日"州"と名が付くのは徐州、広州、蘭州などの市政府の大きさです。

 以下は三国時代までの大きかった州。

http://zh.wikipedia.org/zh/%E5%BE%90%E5%B7%9E_(%E5%8F%A4%E4%BB%A3)
(自動リンクでurlが括弧で切れる場合は括弧内を含めて住所としてください)
徐州(古代) 漢武帝が設置した13刺史部のひとつ。管轄地域は現在の江蘇省長江以北と山東省東南部地区。

http://zh.wikipedia.org/zh/%E6%89%AC%E5%B7%9E%E5 …
揚州(古代) 管轄は現在の安徽淮河以南部分、江蘇長江以南部分、上海、江西、浙江、福建の全部、湖北、河南の部分の地域に相当する。

http://zh.wikipedia.org/zh/%E7%9B%8A%E5%B7%9E%E5 …
益州 中国古地名。前漢が行政区域の設置を始める。その包括する版図は今日の四川盆地と漢中盆地一帯。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

日本語のサイトにはないんですね。

お礼日時:2010/08/24 12:28

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