dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

BSフジの「三国志 three kingdam」録画して休日にまとめて観てますが、
疑問に思ってることがあります。

赤壁の戦後、荊州を得た劉備に対して呉の孫権が「荊州は呉の物だから返せ」と迫ります。
それに対して劉備と孔明は「荊州は呉から借りた形にして西蜀を取ったら返す。」という約束を交わします。

しかしながら、荊州は元々劉表が治めていた地域で、その劉表は漢王朝から荊州牧に任じられて治めていたので「荊州は呉のものだ!」という主張はかなりの無理があると思います。

しかも劉備は、劉表の息子の劉奇の後見という形で荊州に侵攻したので
筋としては劉備の方が通っている様に思えます。

呉は一体どういう根拠で「荊州は我々のものだ」と主張してるのでしょうか?

コレを観てると「尖額は中国の領土だ!」って主張している現代の状況と
すごく似ているような感じもしましたが・・・。

A 回答 (3件)

 まさに,実力こそが最大の根拠ですね。


 領土紛争があっても調停に入ってくれる権力者がいない状況では,各勢力による領有権の主張も軍事力の有無がすべてです。法的根拠など必要ありません。
 劉備も,孫権による領有権主張を突っぱねればたちまちのうちに滅亡させられてしまうので,そういう約束を交わしながらいざ返還するときには言を左右にして渋るという戦略を採り,最後には呉に実力で荊州を奪われることになりますが,これは劉備に荊州を守る力がなかったからに他なりません。
    • good
    • 0

呉から見れば、 


【曹操】が荊州に侵攻を開始。

【劉表】は【曹操】が荊州入りする直前に病死した。

【劉表】の死後、次男【劉琮】が後を継いだ。
 
幼君【劉琮】は、臣下の意見に従い、
【曹操】の圧力に屈し、荊州を明け渡した。
(この時点で、荊州牧の役職を【曹操】に渡したことになる。)
 
【劉備】と長子の【劉琦】がいたが、
荊州の夏口で反曹操として抵抗していた。

【曹操】が呉を攻めた『赤壁の戦い』の時、
【劉備】【劉琦】が呉と同盟を結んだ。
 
『赤壁の戦い』で呉が勝利して、
【曹操】を荊州より北へ追い返した。
 
よって、呉が荊州を治めてもよい。
(つまり、荊州牧の役職を【曹操】から奪った。)
 
という根拠(理屈)です。
 

そして【劉備】側からすると、
同盟を結んでいたのだから、
【曹操】撤退後の空き地である荊州を
自分たちが押さえて何が悪い。

先の荊州牧の長子【劉琦】もいるのだから。
ってことです。
    • good
    • 0

三国志、GYAOで毎日配信を見ています。

画面が暗く、曹操はひげが
浅原彰晃のようでむさくるしいので、辛かったが、赤壁あたりから、
面白いです。史実というより、面白く作られている物語と言えます。
これが中国人の考えと言うのは早計でしょう。

劉備は、徳が高く民の支持こそあれ、武将としては中、軍師としても中、
良く死なずに、いるような存在です。ゲームでも関羽を大将にした方が、
断然有利です。張飛は武将として使えるのですが、劉備は、使えない。
ダイソーの100円ゲームです^^;XPでは、遊べたのですが、OSが7に
なったら、動作しません^^;

日本の物語は、主人公が勝ちまくり、天下を取っておしまいという形ですが
3国志は、英雄が並び立つ、正義がそれぞれにあるという面があって、
現実社会に近い思想だと評価しています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答頂きまして本当に有難いのですが、
全然質問の答えになってません。
もうちょっとちゃんとした回答宜しくお願い致します。

お礼日時:2012/07/15 21:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!