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悪人正機説について

悪人正機説について教えていただきたいです!
素人でもわかるような解説、また法然の考えとの違いなどの観点からの説明をお願いします!

歴史に詳しい方、このことについて知ってる方お願いします。

A 回答 (2件)

 法然が現われるまでの仏教は僧侶の側では大衆の魂を救うという事には殆どなく、僧侶はひたすら教典を読んでこれを理解することに前精神を傾け、勤行に明け暮れており、一般大衆は遠くから仏像を拝むだけというものであり続けました。



 法然は天台宗の僧として比叡山で修行を積むうちに、仏教のこのあり方に疑問を持ち、大衆の魂を如何にして救うかを真剣に考えた挙げ句に、念仏という方式に気付くのです。一般大衆に難解な教典の奥義を教えたところで理解できる筈はなく、それは僧侶に任せておき、信者は一心に南無阿弥陀と唱えることに依って仏の救いが得られると説いたのです。親鸞はこの教えを継承し、さらに推し進めたのが悪人正機説です。

 歎異抄の第三章に『善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや』とあり、親鸞は明快な悪人正機説をここで展開しています。それは、仏は我々のことを全てご存じなのだから、真っ当な善人は何も救いの手をさしのべなくても極楽往生する筈である。仏は悪人こそ手をさしのべてこれを救おうとされているのだから、悪を悔い改め、ひたすら念仏を唱えることで救いが得られると問いたのです。この単純明快な論理は大衆の心を動かし、仏に帰依しようという人が爆発的に増えたのです。

 なお、歎異抄は親鸞の教えを聞き語りで記録したものであり、親鸞自身の著書ではありません。下記に掲載されているので是非一度目を通して見て下さい。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~kouzanji/tanni.htm
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全くの素人のレベルでの回答です。


一応はそれなりのものをお読みになられたのかもしれませんが、そちらの理解されたのがどのようなものなのかが分らないと、ちと回答も出しにくいかもしれません。
悪人正機とは、仏教の戒律からして地獄に堕ちるしかないとされる人間が、阿弥陀如来の慈悲によって救われるというものだと理解しています。
だから、戒律どおりに生きることの出来るような立派な人は、対象外なのです。
立派な人は、いずれは成仏していくわけで、余計なお世話は不要です。
普通の人は、仏さまの定めた戒律から外れた生き方をせざるを得ない。いや、たとえば肉食をしないだけでも少しは仏の法に近づくでしょうが、それすらも守れない。
まして、肉欲の生じるのをコントロールするところまで高い境地にいくことなど、普通の生活を送っている者にはむつかしい。
そういう凡夫、つまり俗界でうごめく衆生はすべて地獄に堕ちるのかといえば、それはあんまりだ。というので阿弥陀仏の本願というものがあって、如来の称号を唱えるだけで縁を結び、その縁から衆生を救おうというのが悪人正機というものなんですよ、というと、あまりにもお手軽、軽薄な説明になるでしょうか。
この悪人というのは、悪いことをする人というよりは、正道を踏み外さずに歩みきることの出来ない人というくらいの意味に私は理解しています。
個人的な範囲の理解としては、こんな程度です。
歴史的な見地から見るなど、とても無理ですが、たしか 「悪人正機」 の考え方は法然に既にあったものではなかったかと思います。それを親鸞が継承し、独自色を加えて発展させたと理解しております。
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