dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

日本経済が低迷しています、戦後の経済復興時代は、どのような政策が採られ、庶民はどのように、生活を工夫してたのでしょうか、池田隼人総理大臣は所得倍増計画を発表して庶民の暮らしをどのようによくしたのでしょうか、1ドル360円の固定相場だからできたのでしょうか、教えてください

A 回答 (3件)

国民の借金奨励とインフレによる


借金負担の軽減。この借金による
国内市場向け商品の開発販売。

海外からの借り入れによるインフラ
建設。返済目的での輸出奨励と返済。
順調な返済を実績として安い原油の

買い入れの成功。原油を元手に輸出
商品を世界に販売して外貨を獲得。
原料輸入の拡大と輸出増大による

貿易黒字の維持。世界中が固定相場
ですから相場が理由では無いのです。

◎所得倍増計画の始まりはテレビジョン
受像機の国産化に在りました。当時は
輸入が当たり前の時代です。製造技術

は日本では未発達でした。国産化を
実現して国内販売する事で製造技術を
向上させ輸出商品にする目的でした。

たとえ失敗しても損得は国内だけで
済むというのが推進側の主張だった。
池田隼人はこれを認めたという訳です。

テレビジョンの国内成功が在り輸出
の目処が付いたので所得倍増計画を
発表して日本経済拡大に乗り出した。

貧乏人は麦を食え、もこの頃ですね。

この回答への補足

回答ありがとうございます、「貧乏人は麦を食え」、学校で食べる弁当箱はみんな中身の麦ご飯が見えないように隠して食べていました、麦入りご飯は冷えるとまずく、白い白米は「銀シャリ」と呼ばれていました、米が配給品ですから米穀手帳がない日本に住んでいる外国人はどうやってお米を買うのかとふと疑問に思いました、友人はパンを食べるから米は食べないよといった記憶があります
テレビジョンの国産化、自動車の国産化ですね、白黒真空管テレビは大卒の初任給の2年分以上したぜいたく品でした、日本の大手家電製品会社では米国のRCA社に真空管やブラウン管の多額の製造特許料を支払っていると聞きました。我が家のマイカーは日産が英国オースチン社のエンジンを搭載したセコハン(中古車)で、完全国産大衆自動車はスバル360ではないかと思います、名神高速道路や新幹線は外国から借金して作ったことは後から知りました、日本国民はまだ貧乏だったのですね、1億総中流時代までの道のりは遠かった

補足日時:2010/10/15 11:26
    • good
    • 0

人口が増え続けたからでしょう。



戦時中の「産めよ増やせよ」政策で生まれた子に加えて、戦地から生還した男性たちが一斉に夫婦生活に精をだしましたので、子供が増えました。
子供が増えると、親たちは何がなんでも子供たちを育てよう、なにがなんでも高い学歴を付けさせよう、という欲望が芽生えます。この欲望を満たすのが経済ですから、経済は成長するわけです。

翻って現在はというと、日本は2006年を境にして未曾有の人口減少社会に入りました。総人口は1億2700万人からの微減ですが、中身をみると恐ろしい事態が解ります。すなわち総人口微減状態において65歳以上の老齢人口は増え続けているのです。ということは、65歳未満のいわゆる”生産年齢人口”つまり現役世代人口が急速に減少しているわけです。
現役世代が子供の為になにか消費したり、自分達のために家を建てたりするのが大型消費ですが、この大型消費の担い手が急減している。

人口減少社会に突入したので国内需要だけに頼っている商売は人口減に比例して需要不足、過当競争に突入し、弱い者から淘汰されてゆきます。一方世界人口は爆発的に増加中ですから世界全体としては総需要が増大しビジネスチャンスにあふれている。

この世界の経済成長と日本の経済低迷は世界の人口増加と日本の人口減少でだいたいの原因が説明できます。

戦後の人口増大時代が羨ましいですね。

この回答への補足

回答ありがとうございます、戦後のベビーブームの団塊の世代が、日本の大量生産、大量消費社会を支え、輸出花形商品である、テレビ、ビデオ、高級一眼レフカメラ、自動車をローンを組んでまで購入してくれたことでしょうか、団塊の世代の人に聞くと、千人を越えるマンモス小学校は当時当たり前で教室不足で運動場の仮設校舎で授業をしたそうです、受験戦争もひどく、すべて詰め込み授業、軍隊行進、ふんどしによるプール指導だそうです、米軍配給品の脱脂粉乳ミルク給食、テレビや電話がない家庭が多く、スクーターに子供3人乗り、4人乗りしていたそうです、戦争の焼け野原が残る貧乏時代で国民がまだ飢えていた時代だそうです、

補足日時:2010/10/12 15:13
    • good
    • 0

国防・軍事にかかる費用と手間を全て経済成長に注いだのです。


また、アメリカの戦争による特需にも影響されてきました。
そして、日本の経済発展がアメリカにも利益をもたらしました。
だから、今、どちらも苦しいのです。

即ち、戦後の経済発展における最大の功労者はアメリカと言う事になります。

この回答への補足

回答ありがとうございます、日米安保条約が、日本の防衛コスト削減に寄与したこと、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需、が日本経済の発展に貢献したことですね、朝鮮戦争では前線基地である日本国内で兵器、弾薬を製造し、軍用トラック、兵士の軍服、携行食料、艦船の修理、補給などをしていたそうです、ベトナム戦争では、日本製の無線機、パラシュート、迷彩軍服、電子部品、まで供給したそうです、ソ●ー製のCCDビデオカメラを登載したマベリックテレビ誘導式空対地ミサイルが一発でベトナムの橋を破壊したことで有名となり、日本の大手電子メーカーが兵器の部品を製造していると新聞紙上で騒がれました。日本製の集積回路、トランジスタが米国向けの輸出が盛んであった時代で、半導体市場で日本がトップの時代です

補足日時:2010/10/12 15:27
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!