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創世記(旧約聖書)の解釈

出エジプト記なんかでは神をヤハウェという唯一神で表現しています
創世記ではエロヒムと複数形のニュアンスで表現し、他の宗教色(多神教)が若干出てます
しかし、創世記も出エジプト記も含めて一神教であるユダヤ教のモーセ五書です
おかしくないですか?
当時のユダヤ教徒は創世記の表現、複数形になったことに何の違和感も感じなかったのでしょうか

自分は創世記の1章と2章では作者が違う、創世記はバビロン捕囚のときに編集されたものである、と考えてます

A 回答 (8件)

 んー、これを言うと真面目な宗教の方は怒られるのですが・・・



旧約聖書はバビロニア、シュメール、アッカド等の神話を元として
編纂されたものなので、もともと多神だったものを無理やり一神に
収めてしまったが故の無理が生じているものと思われます・・・
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この回答へのお礼

でしょうね・・・原因はそこでしょうね


それで質問投稿しといてなにですが
事故解決してしまいました

よく言われるヘブライ語の畏敬の複数形という訳ですが、これは2章以降では謎を解決できないんですね
「われわれひとりの・・・」とかいう表現があるので
で、1章と2章は作者が違うのでそこで「われわれは・・・」という文章は畏敬の複数形で訳せるんです
つまり1章の神は畏敬の複数形で唯一神(エロヒム)
2章以降の神はユダヤ教通りの唯一神(ヤーウェ)

1章と2章が違う作者だというのは、その文体、話の流れから言って明らかです

しかし、どうしてそんな大事な創世記を簡単にまとめちゃったのか
これは死海文書が今の聖書と変わらぬ内容を伝えていることから言えることなのですが・・・

何か良い案はないでしょうか?
続けて回答募集します

失礼します

お礼日時:2010/10/12 18:42

 んー、ちと酔いが廻ってしまった脳なのですが(酔汗)



>しかし、どうしてそんな大事な創世記を簡単にまとめちゃったのか
>これは死海文書が今の聖書と変わらぬ内容を伝えていることから言える
>ことなのですが・・・


 現代ヘブライ語でも「***イム」が複数形として用いられていますね。
例:片目=アイン・両目=エナイム、日=ヨム・日々=ヨマイム・・・


 ユダヤの始祖アブラハムは、古代伝承に忠実たろうとはしたものの
後の後継者は、シュメール都市文明から見れば辺境の一部族に過ぎなかった
自らの同胞達のアイデンティティーを強固なものにすべく、

自分達が崇敬する「唯一神」なるものを頂点とした「国生み神話」を
築き上げねばならなかった・・・

・・・いや、これは飛躍し過ぎでせうか(汗)
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この回答へのお礼

アイデンティティを強固にしたいがため・・・ですかー
たしかにバビロン捕囚がありましたもんね
かなりそういう感情はあったんでしょうね
それがあまりにも強すぎて違う表現でも良しとしたのでしょうか

お礼日時:2010/10/12 22:42

ヘブライ語のエロヒムという言葉は「強い」という意味の語源に由来しており、時には神々を指すこともありますが、それ以上に多くの場合、威厳、尊厳、もしくは卓越の複数として使われています。



「旧約聖書の言語においてはエロヒムの複数概念が完全に放棄されていることは、特にこの語がほとんどいつも単数形の述語動詞を伴って用いられており、また単数形の形容詞的限定語を取る事実により示される。エロヒムはむしろ、偉大な神にふさわしい偉大さや威厳を表わす強意複数形として解釈されなければならない。」-セム系諸語文献アメリカ・ジャーナル誌 第21巻

この箇所のエロヒムという称号は神の強さに注意を引いており、この語は創造に関する記述の中に単独で35回でており、いずれも神が言ったり行ったりしたことを描写しているのは単数系の動詞です。


エロヒムという称号は、多神教を表したり、筆者が複数であることを示したり、後世に書かれたということを示すものではありません。

聖書は、言語の意味・歴史的背景・前後の表現を調べると正しく理解することができますよ。
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この回答へのお礼

返信遅れてすみません
回答ありがとうございます

理解できました
ではそれとは別に、述語が複数系のところや、「われわれのひとり~」という表現は神様と天使をあわせたくくりと判断してよいでしょうか

お礼日時:2010/10/20 11:37

「われわれのひとり~」とは聖書のどの箇所ですか?おしえてください。




他の質問を拝見しました。宇宙人におびえてらっしゃるというような内容を拝見しました。

ローマ1:20にはこうあります。「神の見えない特質、すなわち、そのとこしえの力と神性とは、造られたものを通して認められるので、世界の創造以来明らかに見えるからであり、それゆえに彼らは言い訳ができません」
聖書の神は愛の神です。私はその存在を否定できません。ひとつの果物だけでも何種類もあり、四季に応じて様々な食材を楽しむことができる。香り豊かなで色とりどりの花、私たちに笑顔をくれる愛くるしい動物たち…

挙げればきりがありませんが、人間が生活を楽しめるあらゆる要素が私たちに備えられていることについて思い巡らせば、それが偶然、進化では決して説明できるものではありません。聖書の記述を読めば、宇宙人とはかけ離れた、神の深い愛が私たちに迫ります。

聖書とは、実際何について述べている書物なのかを知ることが、すべての疑問についての答えを与えると思います。

質問とずれましてスミマセン…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

わざわざ見てくださりありがとうございます。
そうです。人類は宇宙人に創造された、人工的で機械的なものではないかという不安があります。
少しずつ聖書を読み進めていると、宇宙人の科学技術の陰を感じない、その考えには無理があるということは分かってきました
しかし、どうしても不思議というか腑に落ちない記述も多々あり、考え中です

お礼日時:2010/10/21 15:17

失礼しました。

創世記3:22の記述ですね。

創世記1:26と3:22の表現が類似していることが手掛かりとなります。1:26には「わたしたちの像に、わたしたちと似た様に人を造(ろう)」と神エホバは言われました。神はだれにこの言葉を語っておられたのでしょうか。
使徒パウロは、地上に来られる以前のイエスについて、こう述べています。「彼は見えない神の像であって、全創造物の初子です。なぜなら、他のすべてのものは、天においても地においても…彼によって創造されたからです」(コロサイ1:15、16)
それで、創世記1:26で神エホバが語りかけていたのは、天と地の創造の間中、「優れた働き手」(初子イエスについて書かれた箴言8:22-31をお読み下さい)としてそばにいた独り子であると考えるのは筋の通ったことでしょう。
創世記3:22の場合も、表現が類似していることからして、神エホバがご自分と最も親しい独り子イエスに語りかけておられたものと思われます。
神エホバの独り子イエスは「善悪」に関する知識を持っていたようです。神エホバと長いこと親密な間柄にあったので、み父の考え、原則、規準をよく学んでいたに違いありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

「われわれ」というのは神とイエスのことでしょうか

しかし、(コロサイ1:15、16)の記述は新約聖書のものだと思うのですが、どうしてそれほど重要なイエスの名前が旧約聖書に出てこないのでしょうか

またそうなると、新約を経典としないユダヤ教などは創世記の「われわれ~」という表現を解釈できなくなると思うのですが

お礼日時:2010/10/21 15:23

聖書的な証拠が示すところによれば、ミカエルという名前が、天を離れてイエス・キリストとなる前の神のみ子、および天に戻った後の神のみ子を指して用いられました。


ミカエルは「み使いの長」もしくは「主要なみ使い」という意味の「み使いの頭」と呼ばれている唯一のみ使いです。この語は聖書中に単数形でしかでてきません。このことは、神によりみ使いの軍隊の長もしくは頭に指名されているみ使いが一人しかいないことを暗示しています。
テサロニケ第一4:16では復活後のイエスの声がみ使いの頭の声として描写されており、イエスが実際にみ使いの頭であることが示唆されています。
ミカエルという名前が最初にでてくるのはダニエル10章で、そこではミカエルがペルシャの王土の君の反対をうけていた下位のみ使いを助けるためにやってきました。ミカエルはダニエルの「民(=ユダヤ人)の子らのために立つ大いなる君」と呼ばれました。
これはミカエルが神の民の擁護者であり、荒野でイスラエル人を導いた者であることを暗示しています。(出エジプト記23:20、21、23。32:34。33:2をお読みください)
このみ使いは神のみ名によって行動する全権を神から与えられていました。(出エジプト記3:2、3)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2010/10/24 10:27

聖書的な証拠が示すところによれば、ミカエルという名前が、天を離れてイエス・キリストとなる前の神のみ子、および天に戻った後の神のみ子を指して用いられました。


ミカエルは「み使いの長」もしくは「主要なみ使い」という意味の「み使いの頭」と呼ばれている唯一のみ使いです。この語は聖書中に単数形でしかでてきません。このことは、神によりみ使いの軍隊の長もしくは頭に指名されているみ使いが一人しかいないことを暗示しています。
テサロニケ第一4:16では復活後のイエスの声がみ使いの頭の声として描写されており、イエスが実際にみ使いの頭であることが示唆されています。
ミカエルという名前が最初にでてくるのはダニエル10章で、そこではミカエルがペルシャの王土の君の反対をうけていた下位のみ使いを助けるためにやってきました。ミカエルはダニエルの「民(=ユダヤ人)の子らのために立つ大いなる君」と呼ばれました。
これはミカエルが神の民の擁護者であり、荒野でイスラエル人を導いた者であることを暗示しています。(出エジプト記23:20、21、23。32:34。33:2をお読みください)
このみ使いは神のみ名によって行動する全権を神から与えられていました。(出エジプト記3:2、3)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

「われわれ」とは神様と主要なみ使いのことだということでしょうか

お礼日時:2010/10/24 10:28

聖書学者のジョセフ・ベンソンは1800年代の初めに、聖書中のミカエルに関する記述が「メシア(=ギリシャ語キリスト)を指していることは明白である」と述べました。

同様に、神学者のJ・P・ランゲは「ミカエルとは…サタンに対する戦闘の準備を整えたキリストであると、我々は初めから考えている」と書きました。

以上の点から、ユダヤ教の方が聖書の記述からユダヤ人を導き出したミカエルの存在を信じていらっしゃるのであれば、神エホバがイエスつまりミカエルに「われわれ」と語られていることに疑問の余地はないはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

キリスト教の「われわれ」=神様とイエス

ユダヤ教の「われわれ」=神様とミカエル

ということでしょうか。理解しました。
お世話になりました

お礼日時:2010/10/24 10:30

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