No.4
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
回答番号:No.1です。
蓮如の功績は大きいと思います。親鸞は学者肌で布教活動には熱心ではなかったようです。
親鸞という人は、すごく理屈っぽい人だったのではないでしょうか。感謝の念仏というのも、何のために念仏を唱えるのか、理詰めでつきつめた結果なのかなと思います。
なぜならば、「念仏を唱えるから極楽に行かせてください」というのは、阿弥陀仏と取引することになります。取引しようとするのは自力によるはかりごとなので、他力本願の信仰にはなりません。
また、阿弥陀仏は「念仏を唱えくれれば極楽に連れて行ってやるが、そうでないヤツは知らんぞ」と言うような心の狭いお方ではないはずですので、極楽往生を願って念仏を唱える必要はないという結論になります。
では何のためなのか?と、とことん理詰めでつきつめていくうちに、理屈をこえて「有り難や、自分はもうすでに救われている」と感じる神秘体験に至ったのではないかと思います。禅でいうところの悟りのようなものかもしれません。そのあたり凡人には伺い知ることのできない境地なのでしょう。
私は学がありませんので、難しいことはわかりません。
この回答への補足
「もう救われている、などとはたしかに理屈の世界です。」
まちがえました。
こちらの方です。
もう救われている、などとはたしかに理屈をこえた世界です。
さらにくわしい説明ありがとうございます。
理屈っぽい!! なるほど。
もう救われている、などとはたしかに理屈の世界です。
が、凡人なりに考えてみました。
悪人正機といいますね。「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」悪人ですら救われるといわれていますが、私はむしろ悪人をこそ救おうとしたのではと思います。
悪人とは、自分の都合で人を殺めたような悪人などもそうですが、私たちの心の中の悪です。そうです誰もがやましい心、利己的な心があります。そういう悪すべてひっくるめて引き受けますというのが、親鸞の教えでしょうか。すべてを阿弥陀仏に預けなさい。そうきずいた時点でもうあなたは救われていると。
No.3
- 回答日時:
>法然の浄土宗より、親鸞の浄土真宗の方がよく広まっているのはなぜでしょうか?
単純に言うと・・・。
浄土宗は、貴族・武家の間で広まった宗派です。
浄土真宗は、農民・商工業者・無宿人などに広まった宗派です。
今は無関係ですが、僧侶に肉食妻帯が許されるのが浄土真宗です。
庶民と何ら変わらない生活をしている坊主だと、庶民も親近感を覚えるのでしようね。
当然、「(貴族+武家人口)<(一般市民)」という図式が成立しますよね。
家康は、浄土真宗の力を殺ぐ為に本願寺(西本願寺)と大谷本願寺(東本願寺)に分割した事は有名です。
浄土宗本山である知恩院を保護したのとは、対照的です。
「法然上人800年大遠忌」親鸞上人750年大遠忌」
両宗派とも、記念事業が目白押しです。
全国の檀家にも、寄付の要請が届いています。我が家にも、分厚い封筒が届いています。^^;
教義については、他の回答通りです。
ありがとうございました。
法然の教えをさらに徹底させたことにより、庶民に受け入れやすくなったということでしょうか。たしかに、庶民が数の上では圧倒的多数ですよね。
少し前の蓮如500回忌も大変でした。本願寺修復事業の寄付は抵抗ありませんが、遠忌などには少しお金かけすぎではないでしょうか。かなり見栄の部分があるのでは。親鸞はそういうことにお金をかけるなと言い残してはいませんか?
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>今、法然の浄土宗より、親鸞の浄土真宗の方がよく広まっているのはなぜでしょうか?
確かに、法然は、
人の心は散漫(さんまん)であるので、心を定めることはできない。それでも口に念仏をとなえれば、阿弥陀仏にの本願によって極楽に迎えられる。
と説きました。これを専修念仏(せんじゅねんぶつ)と呼びました。
しかし、法然は建永元年(1206)朝廷より「念仏停止」(ねんぶつちょうじ)の宣旨(せんじ)が下され、法然は四国に、弟子の一人であった親鸞は越後に追放されました。そして、法然の都に帰洛が許されたのは建暦元年(1211)で、翌年の正月15日に入寂してしまいました。享年80歳。
法然は、高齢でもありましたので、弟子の何人かに説法をしただけでした。そして、それぞれ独自の解釈をした結果、「一念義派」(いちねんぎは)「多念義派」(たねんぎは)「西山義派」(せいざんぎは)「鎮西義派」(ちんぜいぎは)「諸行本願義派」(しょぎょうほんがんぎは)、そして、親鸞の「一向義派」に分かれました。
親鸞は、法然が京にいたころ、法然と出会い、
「耐え難い欲望をどう鎮めたら良いか」
と問い、法然は、
「僧が結婚しないと心に定めて念仏をとなえられないなら、結婚をしなさい」
と、答えました。
やがて、法然が四国に追放され、親鸞も越後に追放されましたが、親鸞はこの時、僧籍剥奪にあい、そこで恵信尼(えしんに)と結婚をし、自らは「愚禿」(ぐとく)、つまりは、頭に毛がないだけの愚か者と称していました。
流罪は建暦元年(1211)に解かれましたが、親鸞は、越後に残り、やがて、建保2年(1214)に常陸(ひたち)に向かい、
救いは阿弥陀仏の本願の力(他力)のみにあり、人がなす勤行(ごんぎょう)や修行に何も期待するべきではない。ただ念仏だけをとなえていれば良い。
と説き、関東での滞在中、弟子の信仏坊に始まる「高田門徒」、性信坊の「横曽根門徒」、順信坊の「鹿島門徒」などの勢力拡大に成功しました。特に「高田門徒」は、下野(しもつけ=栃木県)の専修寺(せんじゅじ)を中心に奥羽から東海地方にわたって教線を伸ばし、初期真宗教団の主流を形成した。
親鸞は、弘長2年(1262)、90歳で入寂したが、京では、親鸞の末娘の覚信尼(かくしんに)が大谷の地に父の廟堂を夫の小野宮禅念(おのみやぜんねん)とともに管理をしていた。
やがて、関東の高田門徒などが教線を広げる中で、関東門徒の結束を末永く保持するために、廟堂と土地、親鸞の影像を門徒たちに委ねた。
その後、真宗派が巨大化をしたため、徳川家康の時代には、大きく分けて「本願寺派」と「大谷派」に分裂をし、東西の真宗派となった。
(結論)
1.法然はあまり布教活動をしてはいなかった。
2.親鸞は、人々に分かりやすい説法で布教活動を盛んに行った。
3.法然も親鸞も共に「念仏をとなえていれば良い」と説いたが、
法然の念仏は、
「自らが念仏をとなえることにより、極楽に行ける」
と、説いたのに対して、親鸞は、
「念仏をとなえることにより、阿弥陀仏の慈悲が乗り移って(他力によって)極楽に行ける」
と、説きました。
この「阿弥陀仏の慈悲が乗り移る」と言うところに、念仏をとなえる人々には、自分も「仏」になれるのではないか、との思いが込められているように思います。
大変ご丁寧な回答、心より感謝します。
とてもよくわかりました。
親鸞が、法然に
「耐え難い欲望をどう鎮めたら良いか」
と問い、法然は、
「僧が結婚しないと心に定めて念仏をとなえられないなら、結婚をしなさい」
と、答えました。」
のくだり、
親鸞とて男の自然な欲望を抑えるのに難儀されたのですね。
私のような凡人が悩むのも無理からぬことです(笑)
後年の親鸞はセックス依存症だったと聞いたことがありますが、俗説でしょうね。
もしそうなら、人間親鸞をみるようで、ほほえましいエピソードととらえています。
もう少し教えてください。
法然は土佐へ、親鸞は越後へ(一説には佐渡?)配流になったわけですが、弟子親鸞の方が重い罰のように思います。
当時の支配層(政権、旧仏教)にとっては、親鸞の思想の方がより危険と判断されたからでしょうか?
もうひとつ。
出家や、苦行、喜捨など大きな決断がないと手に入らない浄土行きの切符が、在家で念仏だけで得られるというのは、とてもラデイカルな発想だと思いますが、法然にはこのような考え方がどうしてできたのでしょうか?
特権階級だけでなく、衆生を救いたいというところから来たのか、結果的に、遊女や極悪人までもが浄土に往生できるということになったのか。当時の支配的な仏教(天台宗、法相宗など)が、本来の釈迦牟尼の思想をないがしろにしていたのか?
よろしくお願いします。
No.1
- 回答日時:
不信心な門徒です。
僭越ながらおじゃまします。・広まった理由
頻繁に集会を開き門徒同士の連帯感を高めたこと。
これが一向一揆の土壌にもなりました。
・違い
浄土宗 極楽往生を願う祈りの念仏
真宗 もうすでに救われていることを実感した感謝の念仏
難しいことはわかりませんので、後は専門家諸先生方にお任せします。
ありがとうございます。たいへんわかりやすいです。
広まった理由・・・それは、蓮如の功績でしょうか?
”もうすでに救われていること”というのは、往生が約束されているという意味でしょうか? それとも、現世で安らかに生きれるということでしょうか?
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