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麺を食べる国としては、中国を始め、中国の影響を受けた日本、韓国、そして東南アジア諸国に広がって、それぞれ独自の麺料理が有りますが、遠く離れたイタリアもスパゲティと言う独自の麺が有ります。
質問ですが、
・中国文化圏以外で、なぜイタリアだけが麺の文化が有るのか?
・中国文化圏以外にも、麺の文化がある国はあるのか?
・中国の影響を受けた、と書きましたが、日本そば、うどん、韓国冷麺などは中国の麺の発展系と考えて良いのでしょうか?

以上 よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

下記サイトに中国の麺も含めて、パスタの歴史が書かれています。



http://www.geocities.co.jp/Foodpia/1024/etc/hist …

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Foodpia/1024/etc/hist …

この回答への補足

higa480さん、suroesteさん、kishn_anさん、kyo-moguさん、savanyaさん
皆さん回答ありがとうございました。higa480さんの補足コーナーを利用して改めてお礼申し上げます(higa480さん、済みません)。

higa480さんからのURL、suroesteさんからの回答中に書かれた内容で「トルコに麺料理ってあったっけかな?」と言う疑問で調べた結果探し当てたHPで得た情報から、大体下記の様な結論に至りました。

・小麦は西南アジア発祥
・シルクロード交易以前に、中国に小麦が伝播
・中国は独自に小麦料理を開発。その中の一部が麺
・中国で開発された麺文化が中央アジアに伝播
・更に西南アジアにも伝播
・特に文化度が高かったイタリアにて定着(フォークを開発?)
・イタリアの周りの地域でも麺文化は伝わったが、イスラム文化の国は手食文化で有り、手で食べにくい麺状のものは定着しなかった。

と言う事で、higa480さん、suroesteさんかでBAは迷ったのですが、URLが大変参考になったのでhiga480さんにしたいと思います。
なお、質問とは別に皆さんのうどんの話しは楽しく読まさせて貰いました。

補足日時:2010/11/16 21:45
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この回答へのお礼

higa480さん
回答ありがとうございます。

参考URL、読みました。とても楽しめました。

お礼日時:2010/11/16 21:26

小麦の原産地は、カスピ海南部の現在の国名でいうと、イラン・イラク・アフガニスタン北部~アゼルバイジャン共和国南部のあたりです。

ちょうどメソボタミア文明の栄えた地域の北部です。この地域で小麦の栽培が行われ、さまざまな形で食べていたもの1つが麺の形として発展していったと思います。麺の発祥の地は中国ではなく、メソポタミア文明北部の地域と思います。
 その後、東西の交流路としてローマ~中国唐の都までシルクロードが発達していき、初期のシルクロードは、西域南路といってちょうどこの小麦文化の発祥の地を通っていたようです。このため、小麦の麺文化が西はローマへ東は中国唐まで伝わり、その間のいろいろな地域で独特な発展をとげていったと思われます。ただ、一部の地域ではいろいろな理由で麺文化が衰退していった地域もあるようですが、このシルクロードの沿道各国では今でもそれぞれ進化した小麦の麺文化が多くあるようです。
 両端の中国とイタリアが有名ですが、途中や周辺のウズベキスタン共和国やキルギス共和国、カザフスタン共和国、トルコ、中国新疆ウイグル自治区、韓国、日本などにも小麦の麺文化が伝わり、今でもあるようですよ。
 シルクロードの初期には、ヨーロッパはローマが中心となって最も栄えていて、ドイツやフランス、イギリスなどまだまだ文明が発達していない時代だったので、麺文化は現在のイタリアやスペインくらいまでと思います。
 西では中国唐が栄え、日本などから遣唐使が仏教の勉強に行っていましたが、仏教の勉強だけでなく先進国唐のあらゆる科学技術や食文化も持ち帰ったようです。さぬきうどんのルーツは、四国88箇所を開いた空海が唐で仏教だけでなく、小麦の麺の文化も故郷香川県に持ち帰ったようです。そのように、日本各地から遣唐使として唐にわたった僧侶によりもたらされた小麦の麺文化と、中国から朝鮮半島の韓国を通って→対馬→五島列島→九州→日本各地へ伝わった麺文化もあるようです。
 日本のうどんや韓国冷麺などは中国麺の進化系と考えていいと思いますが、日本そばは原材料も異なり、うどんで学んだ麺にして食べる技術を他の食材に適用した別物と思います。
 また、後の時代になり、陸のシルクロードから、海のシルクロードになってきて、東南アジア各国の港町を中心に中国麺の文化が伝わり、それぞれの地で独特な進化をしていったと思います。
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この回答へのお礼

suroesteさん
回答ありがとうございます。

小麦の原産地は知りませんでしたし、考えてもいませんでした。すると言葉の伝播の様に(この時はシルクロード沿いルートしか無く、東西にしか広がらず波紋状には広がらなかった?)、メソポタミア北部で小麦を水で練って細長くしし茹でて食す文化が発生し、当時の文化的先進国であった東西の端であるイタリアと中国で花開いた、と言う事なのですね。
そして理由はわからないが、それ以外の地域では細長くして茹でる文化は廃れ、醗酵して焼く文化が栄えた、と。
う~ん、以外の事実で驚きました。
すると、私がパキスタンで食べた料理は中国の影響と言うよりはメソポタミア北部から中国に渡る過程(通り道)として発祥した文化なのですね。

お礼日時:2010/11/16 21:20

No.3です。

それはどうもご無礼しました。
ウィキペディアを見てみますと、紀元前4世紀からあったそうです。中国とは無関係に、独自に発生し発展したのではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9% …
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この回答へのお礼

kishn_anさん
再度の回答ありがとうございます。

いえいえ、無礼とは思っておりません。参考URLを確認しました。特に中国との関連性は述べられてませんでした。

お礼日時:2010/11/16 21:03

鎌倉~室町時代に中国に留学した禅僧が麺文化を日本に持ち帰ったといわれています。

福岡市の承天寺に、うどんそば発祥之地の石碑があります。
http://yokanavi.com/jp/theme/detail/208
承天寺は福岡市に古くからある禅寺です。福岡の博多港は中国へ行き来する船が必ず寄港する港でした。中国留学から帰国した留学僧が、まず最初に逗留するのが承天寺だったのです。

しかしそれいぜんに奈良時代ですが、麦縄というものが日本に伝わっています。これは包丁で切るうどんやそばとは違い、生地を手で引っぱってのばす製法だったと考えられています。この製法の名残は手延べ素麺にまだ残っています。

ちなみに手で引っぱる麺が、古代からあるもっとも古い製麺技術です。この製法は今でも中国では拉麺と呼ばれて使われています。製法こそ違え、この拉麺が日本のラーメンの語源です。


イタリアの麺文化に付いては存じあげません。
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この回答へのお礼

kishn_anさん
回答ありがとうございます。

同じく回答頂いてなんですが、質問に書いてある様に中国発祥なのは存じてます。質問の主旨はあくまでもイタリアが飛び地的に麺文化があるのはなぜか?です。

お礼日時:2010/11/15 23:57

 ふと思い出した。

以前電波少年かで麺ロードの旅をしていたことを。

 詳しくは忘れましたが、そのあたりが手がかりになるかなと。
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この回答へのお礼

kyo-moguさん
回答ありがとうございます。

成るほど。実体験ではパキスタン辺りで麺は無くなり、すいとんの様な短くて太いタイプになり、それ以西のイランなどではチャパティの様な形になってました。

お礼日時:2010/11/15 23:53

うどん


日本のうどんの発祥地は、五島列島中通島(五島うどん)と言われていますが、中国で生まれた「麺」が日本に伝わり、全国各地で独自に発展しておいしいうどんが誕生したといわれています。
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この回答へのお礼

savanyaさん
回答ありがとうございます。

回答頂いてなんですが、質問に書いた様に中国で麺が生まれ、それが日本に伝播されたのは存じてます。うどん自体も中国にありますので。

お礼日時:2010/11/15 23:50

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