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今は水洗で、その前は汲み取り式で

バキュームカーが来ていました。

まだバキュームカーが無い時代はどうやって処理していたのですか?

畑がある地域では、カトちゃんがやってたように

担いで畑の肥やしにしていたんでしょうけど

そうでない地域ではどうしてたんでしょう?

A 回答 (15件中11~15件)

九州の県庁所在地の市に住んでいましたが、幼いころは近在の農家の方が馬車で汲み取りにきていました。

もちろん持って帰って「下肥」(しもごえ・人糞肥料)にするためです。その農家の方からお礼に野菜をもらったこともあったように記憶しています。今から50年昔にはこのような暮らしがありました。
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この回答へのお礼

都市部は馬車でわざわざ来てたんですね。

なんかすごいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/17 10:45

戦前の頃は、母親(90)に聞いた話しか知りませんが、便槽に溜まった屎尿(しにょう=大・小便)は農家の人が無料で引き取ってくれたそうです。


お礼に、餅や野菜等を貰えたそうです。
戦後の昭和30年頃までは「汲み取り屋」と言われた民間衛生社及び市町村職員がリヤカーに木樽を積んで人力で引いてました。
便槽の屎尿は「柄杓(ひしゃく)」と言う柄の長い先に杓の付いたもので汲んでは木樽に移し替えてました。
この頃は、公営の屎尿処理場がありましたから、汲み取った屎尿は屎尿処理場にリヤカーで運ばれましたので汲み取り料金は取られました。
昔は「肥溜め(こえだめ)」と言う大きな樽状の物が畑に埋めてありましたから、汲み取った屎尿は肥溜めに移し替えて「発酵」させてから畑の肥料にしたのです。
汲み取った直後の屎尿を直接肥料にする事はありません。
発酵分解した屎尿は、それほど臭くなかったですが「田舎の香水」とも形容されてました。
発酵した屎尿は「下肥(しもごえ)」と言います。
下肥の入った木樽2個を天秤棒でバランス良く担いで運んでました。
尚、初期のバキュームカーは殆んどがオート三輪車で四輪自動車のバキュームカーが普及したのは昭和40年頃からです。
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この回答へのお礼

「肥溜め(こえだめ)」ですね。

それが昔はあったんですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/17 10:43

私が子供の頃は、社宅住まいでしたが市から汲取に来てましたよ、


柄の長い大きな柄杓ですくい、大きな桶に入れ天秤棒で担いで
タンクに入れ持って帰ってました、かき回すから臭かったです
夏はウジが湧いてるし、ハエも多かったですね。
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この回答へのお礼

昔はすごいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/17 10:38

 汚穢屋(おわいや)という職業がありました。

糞尿の売買をする人達です。下記などをご覧下さい。

 http://www.eonet.ne.jp/~buppouso/koetago.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4826503717.h …
http://www.geocities.jp/wakame_01/memo_data/infe …
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この回答へのお礼

なるほど!

そうだったんですね、すごいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/17 10:37

汲んで畑の横の肥え貯めまで運ぶ人が居ました、もちろん手数料を支払って

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この回答へのお礼

全てそうだったんですか?

お礼日時:2010/12/17 10:34

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