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僕は同性愛者です。
石原都知事のゲイを蔑むような発言で、マツコ・デラックスがテレビで怒ったりしてますよね?
僕ももちろん、ああいう言い方をされると傷つきますから。
ただひとつ、
『足りないかんじがする』と知事が言った事に対して、
一部で『頭脳が足りていない』というような旨の発言だと言われている事に違和感があります。
あれはどう考えても、
同性愛は子孫繁栄しないから、自己保存の本能を欠いているという意味でしょう?
いや、勘違いしないでほしいのは、僕は石原都知事をフォローしてるわけじゃないんです。
それに、知事の言い方が差別的だったのは確かです。
ただ、過剰に、しかも間違ったやり方で反応するのはどうも事態を悪化させるだけのような気がします。

事実、マツコ・デラックスは「おかまを売り物にしている」タレントです。
おかまを売り物にする、というのは性嗜好の差別化なのだから、知事の言い分と実は根っこで繋がっているんじゃないですか。
普通、ずけずけと物を言う人は嫌われます。
「おかま」がずけずけ言ってもあんまり嫌われないのは、
どれだけ上から目線で物を言ってもそれが実は不毛だからです。
なぜなら「おかま」は被差別者だからです。
だから優越感は、いつも見てる側に味方します。
「おかまを売り物にする」というのは、それを正確に計算してそれに媚びることです。

僕は自分が同性愛者である事を誇ってもいないし、卑下もしないけど、
この少子化が最大の問題だと言われているときに、
自分はそれに対して何も(少なくとも直接的には)出来ない事にはほんの少し、後ろめたさがあります。
少なくとも、「おかまで何が悪いの?」という態度は良くないと思う。

僕は間違っていますか?

A 回答 (9件)

私も質問者さんと同じく、同性愛者です。



「おかま」で何が悪い!と言う態度は確かにズレていますね。
「馬鹿にしないで」と言いながら、「おかま」というセクシャリティは人のステレオタイプな概念によって成り立っているのですから。
非差別を差別によって訴えるのは矛盾しています。

横槍になってしまいますが、これと同様に私が疑問に思っていることがあります。
それは、様々な性的嗜好を持つ人々を「セクシャルマイノリティ」という言葉でくくり、本人達も(下手をすれば嬉々として)なんの疑いもなく使っている(認識している)ことにあります。

誰が言い出したのかはわかりませんが、多数決によって決定権を持つことの多いこの国において、マイノリティ(少数派)と呼ぶ事自体が社会的な弱者を意味しているのではないでしょうか。

同性愛者の解放を訴えるのにしても「私たちは弱いので、苛まないで保護してください。」と言っているように思えるのです。

差別をなくすには、片方に優越があってはいけないと思っています。
しかし、現状として同性愛者は自他ともに認める弱者なのです。
問題はその現状をどちらも「知らない」ということにあると思います。

セクシャルマイノリティと言う言葉自体が疑問ですが、それを扱う当事者も疑問なのです。


冒頭述べたように私は同性愛者です。

ただ、私のセクシャリティはレズビアンではなく「女性」だと認識しています。
女性を好きな女性はセクシャルマイノリティではなく、女性であるという認識は間違っているのでしょうか?

質問者様、あなたの場をお借りしてしまって申し訳ありませんでした。

あなたのように同性愛について真剣に向き合ってくれる人がいることに感謝しています。
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 私は「同性愛者」ではありませんが、子孫を繁栄させない女性では


あります。私も、この少子化問題に関しては、少し、「後ろめたさ」。
確かにあります。 人生いろいろです。芸能人や政治家のように語れ
ない事ばかりです。
 
 あなたの質問は、マツコデラックスさんに関してなのか、石原都知事に
関してなのか、ホモという立場からオカマちゃんに何かモノ申したいのか、
少子化問題に対して一石を投じたいのか、おしとやかなオカマちゃんが好きなのか、
やみくもに攻撃的なオカマちゃんが好きなのか、ズケズケ物申す人が嫌なのか、
によって、私の回答も違います。

 まず、石原都知事に関してなのですが、ああいう、それこそズケズケと
言葉を語ってナンボの政治家さんの、発言にブルーになっちゃいけません。
ああいう、オジサンは大した深くは考えていないのが、本当です。多分、
その時に、毎日新聞か、朝日新聞の記者に、ムカついたんじゃないですか。

 マツコデラックスさんは、ああいうそれこそ、ズケズケ言ってナンボの
タレントさんに、ブルーになってもいけません。「彼」は視聴者の求めに
応じているに過ぎません。多分、石原都知事は好みじゃなかったのでは。

 オカマちゃんに関しては、あまり、ああいう「女」の皮を被った、「男」を
怒らしてはいけません。多分、地球が滅亡しても、「彼ら」は生き残ります。
「ランボー」より、「男」です。

 おしとやかなオカマちゃんに関してなんですが、あまり「彼ら」の術に
ハマッチャいけません。例え、ボールとバットを取っても、本質は「男」
です。しかも、「女性が好き」な「男」です。
 基本、オカマちゃんて、女装や女性のしぐさや、女性になりたい人たち
なのか、と思いますが、でも、あの女の性(さが)を知り尽くしたかのような、
あのような感じは、まさに「女性激ラブ」っ子なのでしょうね。オカマちゃんて。
 「女性大学」で学位をあげたい位です。いや、余談ですが。 

 あと、ずけずけ物申す人が皆、「何が悪いの?」という人でもないと、
思いますよ。じゃ、マツコデラックスさんが、どうして、石原都知事発言に
関して、反論を言ったら駄目なの?ってなっちゃいます。

 それに、テレビに出て、発言している人たちが皆、自分の「発言力」の有無を
気にしているのかな。あと、その発言の不毛さを気にしているのかしらん。
そう思いません?テレビに出ている人たちが、どれだけ、自分たちの「影響力」
に関して、気にしているのかな。そう思いませんか?
 テレビを見ていると、どうしてその「世界」で生き残る事に関しては心を砕く
のだろうに、そういった、テレビを見ている一般市民の感情に対して、
テレビに出演する自分の発言がどう影響するのか、心を砕かないのか。
そう思いませんか。

 石原都知事も、マツコデラックスさんも、多分、そういった点では、
変わらない、のかもしれませんね。

 結論。

 あなたの疑問は間違っていないと、思いますね。
 
 


 
 
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補足を頂いたのでお返事をさせて頂きます



>僕は女性と偽りの愛を育む勇気もありませんので、

生殖行為は「愛」が無くても出来る為 偽る必要は無いのでは?
日本では 行ってないのかもしれませんが ドナーになるだけであれば
女性に一切触れることなく あなたがおっしゃる「自己保存」が達成出来ます

>ゲイというセクシャリティーが生殖能力を封印している例がここに少なくとも一人いるわけです。

そこまで言うと ゲイとかストレートでは無く 「(極端な)個人」の問題なのでは?

>「医学的な理由で子供を作る事が出来ない人達」も、その事に対してはほんの少しでいいですから、
後ろめたさを感じるべきだと僕は思います。

「個人」の問題ですから罪悪感の定義はいろいろあるのでしょうが
つまり 生まれつき目が見えない人も 《目が見えない事に対して後ろめたさを感じるべきだ》という事と同じですよ

>「後ろめたさ」が何より社会との接点だと思います。

ナチスの方針みたいですね・・・

>それよりもあなたのように、「医学的な理由で子供を作る事が出来ない人達」というくくり方で問題を語る姿勢こそ新たな差別を生むような気がします。
だってそれは、「医学的に証明可能だ」という事に過ぎないでしょう。
医学的な証明に守られていなくても、
僕のように女性とセックス出来ない者は生殖能力が無いのと事実上、同じことです。

guilt complexという言葉がありますが 質問者さんが当てはまるのでは無いでしょうか?
多分 おっしゃるように医学的な理由や諸事情で子供が作れない人も その為に罪悪感を抱いている人達はたくさんいるでしょう
それが正しいかどうかでは無く その罪悪感を楽しむ人達もいます

>「おかまで何が悪いの?」という態度はそういう意味で、
わずかも同性愛者の解放には貢献しない態度だと言えます。
おかまではなくて、悪くないのは同性愛者なのです。
僕はそこのところを分けて考えたいのです。

私はそうは思いません アフリカン・アメリカンが自分達の事をnigger と呼ぶのと同じなのでは? 明らかにnigger は蔑称で 白人が使うと大変な事になりますが
彼等は決して白人に媚びる為に使っている訳では無いし
何かを主張する為の手段でも無いです

質問者さんは とにかくまず「自分が悪い」という視点で考える事を奨励される文化(つまり日本のって事ですが)に影響され過ぎているのでは無いでしょうか?
あまりに几帳面な性格でそれに従い過ぎている為 そういう状態を「楽しむ」結果となっているように思えます。

ただ 貴方が貴方自身のままでる事は 特に犯罪行為に当たらない限り
何も罪悪感を持つべきものではありませんよ
「他者に愛情を持つ為には自分自身に愛情を持たなくてはならない」の典型のような気がします
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間違っています



>この少子化が最大の問題だと言われているときに、
自分はそれに対して何も(少なくとも直接的には)出来ない事にはほんの少し、後ろめたさがあります。
少なくとも、「おかまで何が悪いの?」という態度は良くないと思う。

まず 生殖能力と性的嗜好は全く無関係で

一般的に同性愛者がマイノリティの社会で
多くの同性愛者の方達が 普通に結婚して普通に子供を作っています

あなたの考えでは
同性愛者では無いけど 医学的な理由で子供を作る事が出来ない人達も
「うしろめたさを感じるべきだ」ということですよね?
というか そういう方達の方が『生殖能力が無い』訳ですから
同性愛の方達よりずっと下げずまれるべきですよね?
(あくまでも あなたの思考として)

敢えて付け加えれば
少子化問題の足かせになっている人達
責任を取るべき人達は
「子供を作らない人達」ではありません
(解決すべき問題は もっと他にあります)

この回答への補足

ご回答、ありがとうございます。

>まず 生殖能力と性的嗜好は全く無関係で
>一般的に同性愛者がマイノリティの社会で
>多くの同性愛者の方達が 普通に結婚して普通に子供を作っています

いえ、自己保存の本能を欠いている、と言ったんです。
僕にも生殖能力はおそらく備わっていますが、それを自己保存的に駆使できないないんです。
僕は女性と偽りの愛を育む勇気もありませんので、
ゲイというセクシャリティーが生殖能力を封印している例がここに少なくとも一人いるわけです。
ですからゲイ=少子化の問題解決の積極的な要因にならない、と言っても決定的に間違っている訳ではないんじゃないですか?
それに対して僕がほんの少し、後ろめたさを感じても、それは間違いではないでしょう。


>あなたの考えでは
>同性愛者では無いけど 医学的な理由で子供を作る事が出来ない人達も
>「うしろめたさを感じるべきだ」ということですよね?
>というか そういう方達の方が『生殖能力が無い』訳ですから
>同性愛の方達よりずっと下げずまれるべきですよね?
>(あくまでも あなたの思考として)

「医学的な理由で子供を作る事が出来ない人達」も、その事に対してはほんの少しでいいですから、
後ろめたさを感じるべきだと僕は思います。
しかし、後ろめたさを感じるべきだからと言って、「蔑まれるべき」とは言っていません。
社会の一員として、あらゆる社会的な問題に自分が実践的にどう関れるかを考えたら、
自然に少しの後ろめたさを感じるはずだし、この場合「後ろめたさ」が何より社会との接点だと思います。
それよりもあなたのように、「医学的な理由で子供を作る事が出来ない人達」というくくり方で問題を語る姿勢こそ新たな差別を生むような気がします。
だってそれは、「医学的に証明可能だ」という事に過ぎないでしょう。
医学的な証明に守られていなくても、
僕のように女性とセックス出来ない者は生殖能力が無いのと事実上、同じことです。


さいごに、「おかまで何が悪いの?」という態度はよくない。
と言った事に対して少し弁解をさせて下さい。
僕はわざわざ、「おかま」という言葉をすべて括弧に括っているんです。
それは、自分の言葉としてではなくて、人が言っている言葉だ、という意味です。
マツコ・デラックスは、自分を「おかま」と呼びます。
彼だけではなく、自分を「おかま」と呼びたがる男性同性愛者は少なくありません。
しかし、「おかま」というのは「おかま」じゃない人が、同性愛者を蔑視するために駆使する言葉です。
同性愛者が自らを「おかま」と呼ぶとき、彼らは明らかに「おかま」じゃない人に身を寄せているのです。
つまり相手の手のひらに積極的に乗っかる事で、差別の炸裂を巧妙に避けているのです。
彼らのやっている事は、差別的な概念を解体するかに見せて、実はそれを補強しているのです。
「おかまで何が悪いの?」という態度はそういう意味で、
わずかも同性愛者の解放には貢献しない態度だと言えます。
おかまではなくて、悪くないのは同性愛者なのです。
僕はそこのところを分けて考えたいのです。

補足日時:2010/12/19 10:25
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神田うの VS 野村沙知代 みたいなもんだな。



石原はあれだからずっと芸能コメンテーターと同列のままなんだな。
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石原も面白いし、マツコも面白い。


両方ともMXテレビ東京によく出るね。
対談させたらこりゃ面白いぞ。
絶対見るね。
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個人的には、マツコ・デラックスというタレントが出ているとチャンネルを変えます。


彼が、石原知事のことを言おうが、誰の事を言おうが同じなんです。
まったく意味を成さないのです。
おそらく、私が、屁理屈が好きではないからかと思います。
思想的には、マツコは石原氏とは違うということでは?

しかし、オスギとピーコや美川憲一の話には、
節操がありますね。

人間として好感度が、有るか無いかの違いに過ぎないと思います。
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いや、驚くほど正論ですね。



頭ごなしに石原批判をする低能な人間が多い中、
的確に石原の間違いを指摘しつつ、見事に差別の考察まで出来ていると思います。

まあテレビ上の芸能人は求められた言葉を発してるだけだったりもしますけどね。

あなたの考え方は正しいです。
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間違っているとも正しいとも言えないのでしょう。


少なくとも都知事の発言に関しては、様々な解釈がありそれはやはり個々で受け取り方が変わるものです。

少子化の問題に対しはこれもやはり様々な要因があるわけですから、同性愛者が悪いと思わなければならないと言うことはないのでしょう。
異性愛者でも子供を産んでいない夫婦はその考え方からいくと、「異性愛者でありながら子供を産んでいない悪者」となります。
ですが子供を産んでいない異性愛者の夫婦は子供が欲しくない夫婦と、子供が欲しくても生めない夫婦がいるわけです。
生めないのは環境的要因や身体的要因など様々なものがあります。
少子化の問題は一概に一つの原因から生まれたものではないですし、誰を愛するかは個人の自由です。
そこに元来の本能がなくとも否定することはできないのです。
また子供を産むだけが少子化の根本的な解決につながるわけではないのでしょう。

芸能界と一般社会を同じ基準で判断するのは難しいです。
ですが彼ら(彼女?)のような人々が現れたからこそ、同性愛者に対する意識が良くも悪くも変化したのだと思います。

質問者さんは「おかまで何が悪いの?」という態度は良くないとおしゃっていますが、これは「おかまは悪い」と思うべきであるということですよね。
それは同性愛者に対する全否定になっていませんか?
誰が何を愛し何を信じ生きるのかはそれぞれの自由であり、公共の福祉に反しない限り保障されています。
「おかま」であることは罪ですか?
「おかま」であることが多くの人々に不幸をもたらすことですか?
考えてみてください。
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