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江戸時代に士農工商の身分制度があったことは小学生の時に習いました。農民、工作人、商人などは読んで字のごとくでどんな仕事をしていたのか良く分かりますが、武士とは具体的にどんな仕事をしていたのですか?刀を差して道を闊歩するだけで何に対してお金を得ていたのですか?

A 回答 (9件)

武士のルーツは、自営農民が自分の土地を守るために武装したのが始まりです。


平安時代の後半から武士らしきものが発生します。
大化の改新以来、律令制という体制で日本は支配されますが、
この法律には、土地は国家のものという基本的な考え方あります。
自分で開墾した土地でも、せいぜい自分の代でしか所有できません。
また、重い税金も課されます。
こんな制度のもとであほらしくて農民なんぞやっとれません。
(ちなみに稲作とうものは、農業土木といって非常に土地の手入れに手間のかかるものです)
なんやかんで、貴族や寺社の名目上の私有地にしてもらえば、収奪されるものも比較的少なく
何とか実質的には自分の私有地として経営していけるな、ということで、
始まったのが荘園制度です。
ところが、貴族や寺社には司法権も警察権もありません。
農民同士で土地争いや水争いが起きると、それぞれが自分自身の武力にたよるしかありません。これが、武士のルーツです。
このような、自営農民が日本各地に増大し、互いに争って疲弊することを避け、自分自身の土地や家族を守るために、
もっと確かな制度が必要と考えて生まれたのが鎌倉政権です。
ちなみこの時代までは、西部開拓時代のアメリカと似ています。
この発生原因は、収奪のためにのみ存在した中国や朝鮮の王朝とは全く異なるところで
あります。

中国で武士が発生しなかったのは、
土地が広く、一カ所に住みにくくなれば、他の土地に逃げれば良かったからです。
意地を張って一カ所しがみついて戦う必要はありません。
このような逃げた農民は流民といわれ、飢饉や圧政のたびに大量に発生します。
この流民を集めて巨大な武力集団にすることができたものが次の王朝の
創始者になります。いわゆる易姓革命ですな。

ポイント->日本では武士が発生したが、中国では流民が発生し易姓革命が起こった。

ちなみに、江戸時代、大規模な潅漑工事というものは
たいてい、藩が指導して行いました。
侍のルーツは農民だからであります。
橋を架けたり道路を整備したりなどの公共工事も、各藩の指導で行われます。

李氏朝鮮では、住民のための公共工事を行うことがなかったそうです。
このことは、イザベラ・バードの「朝鮮紀行」に書かれております。
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この回答へのお礼

かなり詳細に武士の仕事が理解できました。歴史的にそうだったのですね。士農工商のトップに立つ階層の仕事を理解していないことは日本史を知らないのと同じですよね。勉強不足です。。。ありがとうござ慰安した。

お礼日時:2011/01/26 09:09

江戸時代は武家社会、武家政治の世界です。



政治や行政は全て武士が行っていました。
ですから、現代の世の中で「議員」「公務員」と呼ばれるような人達は全員、武士だったのですよ。
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 武士はもともとは戦闘員。

古くは、戦時に農家から駆り出されることもありましたが、江戸時代になって太平の世が続くと、番方と称された軍事に関する役職はでは公方さま(将軍)やその家族などの外出時の警備をしたり、家来を門番などに出したり。一方で、役方と称されたのは行政職。調べごとや書き物をしたりの、いわばお役所仕事。

 面白いのは町奉行は役方だけど、火付盗賊改は番方の加役。ということで、火付盗賊改は町奉行よりも、捜査なども手荒かったようです。

 勘定方など役方には、激務の毎日という人もいたようですが、時々登城すればよいという程度しか仕事のない人もいました。
 実質的には役を持たない旗本は小普請組に編入され、やることがない。ほとんどの大名も江戸にいるときはこれといってやることがない。領土に手紙を書くとか、読書や剣術、芸事の稽古などに明け暮れていたようです。

 お目見え以上の大名・旗本は月に2度の登城日には御城に上がりますが、特別なイベントがなければ、署名しただけで午後には帰館していました。

 時代や土地、身分などによって異なりますが、文芸サークルのようなものを作って、持ち回りで各家を会場にして活動していた人たちもいました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大分、武士とはどのような生活を普段送っていたのか分かりました。これまで武士と言うけれども一体何なの?と聞かれると英語でいうWarriorくらいにしか理解していませんでした。お恥ずかしい話です。。。

お礼日時:2011/01/26 09:06

奉行所や幕府の要職に就く者もいれば、浪人として自由に生きる武士もいます。


浪人ならば、用心棒や盗賊になったりもしたでしょう。

ほとんどは、公務員として役所に勤めていたと思います。
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この回答へのお礼

公務員が帯刀していたと想像するからおかしいのですね。あまり刀も使うことなど無しでほとんどが憲兵さんの刀みたいなものだったのでしょうかね。ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/24 13:35

具体的に何をしていたかは分かりませんが、今で言うところの政治家や議員、行政職員のようなことをしていたのではないでしょうか?


身近にたとえるなら、公共事業(道路、治水)の計画や実施・監督(監査)、検問、徴税、裁判などかと。
まあ、水戸黄門を見れば悪い悪代官(?)が毎回、民をいじめていますが。


>刀を差して道を闊歩するだけで何に対してお金を得ていたのですか?
たとえるなら、警察のパトロール(巡回)はそれだけで治安の維持(防犯)につながりますよね。そういうものなのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。では、結構忙しい仕事をこなしていたのでしょうかね。時代劇で見るといつもぶらぶらしているような感じがしてました。ふと質問したくなりました。勉強になりました。

お礼日時:2011/01/24 13:07

上級武士と下級武士に分かれています。


上級武士は官僚のような仕事、下級武士は自衛隊です。下級武士は殆ど仕事待ち状態で、自給自足の武士も居たようです。
傘張りの仕事など時代劇でも見た事あるでしょう。あんな感じです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私のイメージしていたのは下級武士のことですかね。

お礼日時:2011/01/24 13:08

今の自衛隊と同じだとおもってください。



自衛隊は国に雇われていて、有事の際には駆り出され、普段は訓練や勉強、事務仕事をこなします。
武士は藩に雇われていて、戦争の際には駆り出され、普段は訓練や勉強、事務仕事をこなします。

武士だけど藩に雇って貰えず俸禄をもらえない人を浪人と呼びます。
その際は内職とか用心棒とかならず者になって食っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私の間違ったイメージはその浪人に対してですね。藩に雇ってもらえない武士を浪人と言うのですね。浪人とは何か的確に答えることも出来なかったですよ。(笑)

お礼日時:2011/01/24 13:11

現代では、公務員の仕事全般です。



自国領地の租税の計算とか、他国との事務折衝とか、生まれた人間の戸籍管理とか、目安箱など各種申請書の処理とか、手形の発行処理や出入国管理などのデスクワークや、

公共土木事業の現場監督や参勤交代の準備や同行など、防人などの国境警備など、フィールドワークも結構あります。
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平時は今でいう公務員です。



市役所(地方行政)や奉行所などの検察・警察と裁判所を兼ねているところに配属されたり、土木工事などを行っていました。民衆から集めた税金(いわゆる年貢)をいかに効率よく民衆に分配するかを考えていました。
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