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よく昔の武士が言う"分別"ってどういう意味なんでしょうか?
仏教の分別とは違うのでしょうか?(実は
仏教の分別もよくわかっていません)

辞書ではよくわからなかったので、説明をお願いします。

A 回答 (4件)

仏教の分別とは自と他を分けること。

武士の分別は主と従を分けること。
武家支配の封建制では主従関係の結果として所領が決まるからです。
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この回答へのお礼

titelistさん、回答ありがとうございます。

単純明快でわかりやすかったです。

回答ありがとうございます。またお願いします

お礼日時:2014/08/25 22:54

現代の「ゴミの分別」に共通しています。


仏法に関しては兎も角として、人々は古代から集落(ムラ。語源は群れ棲む場所)を作って、安全と繁栄を図ってきました。人々の団結性を維持するために作られた「掟」や「約定」が、いわゆる「絆」の語源です。掟と約定を持った社会団体は、「結い」とも呼ばれました。
人々の間の社会性の発展と共に、掟や約定は形を変えて発展しますが、文字に残されることは希少でした。多くはムラ人達の合意による口約束ですが、地域的特徴を持ちながらも文化性を持ち、代々受け継がれてきた道徳則が、いわゆる公序良俗と呼ばれるものです。
ゴミの分別、回収日時が守れない人は、近所の人から非難されます。
ムラの掟に背き、約定が守れない人には、一定の制裁が加えられました。それが「ムラ八分」です。
「八分」とは、一人前と認めないという意味で、村人との交際なども絶たれ、困った時にも相談相手にさえなって貰えなかったのです。そのようなムラ八分にも、例外規定がありました。それが火事と葬式でした。制裁を受けている家でも、火災があったり葬式の時には、消火や一定の救援活動、葬儀の準備や執行には、一人前のお付き合いが成されたのです。
現代では「ムラ八分」の制裁は、人権侵害と見なされて廃れてきました。
「武士の分別」は、武家社会での公序良俗、そこには藩主への忠誠が基本とされていました。
兎にも角にも、公序良俗に反しない判断が出来るかどうかは、ご当人の分別次第です。
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寡聞にして武士の分別も仏道の分別も聞いたことがありません。


どんな人もどんな道でも自分の相応に配慮しながら、崖から落ちないように一定の分別は当然必要でしょう。

ところで武士はそういう分別として分別にこだわることを忌避します。
遊びで武士であることはできません。
明確な意識と判断性が必要です。
それが武士道です。武士道とは死ぬることと見つけたり。
http://hagakure-text.jp/
国と領民のために生きるのが武士です。それ以外はない。余計なこと。
武士階級はいろんな民族にあります。
たとえばインドではクシャトリアといわれる階級でバラモンたる宗教者の次の階級です。カーストではありません。
具体的に国を管理治める職分です。人間の体と人生でいえば腰のcakraです。
とやかく難しいどうでもいいことなど分別しません。

仏道とは信仰です。信仰の世界は分別はなく、ひたすら(只管ら)教えの精進と修行、行です。
それが分別です、仏道の。私はそのように心得てきております。
浅学ですが、仏道でもどうでもいい分別はお断りです。
自己を逸脱した、生きるための当然のことを度外視するような、つまり不用意な無分別は問題外です。
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「分別」という言葉そのものの意味は、辞書に記載された意味と変わりはありません。


ただ、その判断基準をどこにおくかという違いです。
平たくいえば、私=個人に置くのか、公=社会秩序に置くのかの違いです。
元禄時代すなわち、江戸時代の前半までは、混在していました。
江戸時代中期以降の太平の時代に入りますと公が優先されるようになりました。
時代小説などで使われるのは、私を優先する考え方に基づいて書かれているために、私が優先されていたと思われがちですが、実際には公が優先されていて、現在の社会常識とは殆ど隔たりはありません。
現在のサラリーマンの意識をお考えいただければ分かり易いかと思います。

江戸時代の武家というのは、藩に所属しているか否かでそれこそ天と地ほどの違いがありました。
世襲が一般的な状況となっていましたから、一度藩を離れる即ち失業しますと、再就職は絶望的な状況でした。
しかも、どこの藩も財政難に苦しんでいて、藩によってはリストラを断行した藩もありました。
リストラされると身分そのものが武家から百姓へと変わりました。(帰農と言います)
現在の就職難どころの騒ぎではありません。
このような状況下では、藩=大名家の存続は、即刻、自分の生活基盤の存続に繋がります。
一方幕府は江戸時代を通じて大名家の取り潰しを基本的な政策としていました。
江戸時代を通じて改易すなわち取り潰しになった大名家は225家ありました。
巷間、牢人問題で取り潰しは控えていたやの意見がありますが、基本方針は不変でした。
時代を経て件数が減っているだけの話です。
(政策があれば対策あり、で大名の対処が巧妙になったためです)
結果として武家の判断基準は常に所属する藩、即ち仕えている大名家の存続が最優先でした。
現在のサラリーマンが会社の存続繁栄を優先するのと同じです。
過労死などということが起きるものの考え方と大差がありません。
(最近は派遣社員なるものが増えているようですが、この派遣社員と呼ばれる人達の行動基準がいわば元禄期に残っていた私優先の考え方に通じます)

以上の点につきまして端境期の元禄時代についての長崎大学の研究レポートがあります。

「長崎喧嘩」の波紋 -武士の意識と町人の意識-
naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/15275/1/k...

仏教で使われる分別、無分別というのは禅哲学での考え方です。
無念無想に対する考え方です。
仏はいるかいないか、悟りとはなにか、などと考えること自体無用なことで、何も考えずにひたすら座禅を組めという考え方です。
悟った、と思うこと自体が悟っていない証拠だという考え方です。
只管打坐(しかんたざ) と言います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

仏教の分別と武士の言ってる分別は違いそうですね。

辞書を読んでも分別の意味を理解できなかったのです。
物事の是非道理を判断することと書いてありますが。自分は是非も道理の意味も理解していないので。

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/08/25 00:11

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