No.1
- 回答日時:
はじめまして。
まず「南無妙法蓮華経」の意味から説明しましょう。
「南無」とは、サンスクリット語の「ナム(ナマス)」から来ている言葉で、「~に帰依する」「~を信じる」というような意味です。つまり「南無妙法蓮華経」は「妙法蓮華経」に帰依しますという意味ですね。
「妙法蓮華経」は「法華経」とも呼ばれています。このお経の特徴は、全ての生きとし生ける者は皆成仏できると説いている点です。
重要なのは、わざわざ西方極楽浄土に行かなくても、この娑婆世界で十分成仏できるということです。
法華経によると、釈迦は生きておられるて、私たちをみももっているということが書かれています。
本来は法華経を読めばよいのですが、それもできない場合は、「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで同じ功徳が得られるという解釈です。
唱える=成仏するという図式です。
さらに動物の成仏や女性のを説くのも法華経の特徴です。このようにありがたい法華経に対して「ナム」と意思表示しすがるのが「南無妙法蓮華経」であると言っていいでしょう。
以上が一応の理屈ですが、日蓮はこれを宗教的神秘体験として体得したのであって、言葉だけでは完全にその意味を伝えることができないようです。
>釈尊御自身がお唱えになったとも考えにくいですし
法華経は釈迦入滅後、数百年経って成立したものです。釈迦が法華経うんぬんという話は当然ありません。
ただし、釈迦の説法の一つの解釈として法華経があるわけです。
ちなみに「南無阿弥陀仏」は、死後極楽浄土に生まれ変わりたいという発心(願望)です。
有難うございます。教えてGOOで以前にもこの質問がありました。それを拝見しましてもよくわからなかったのでよろしくお願い致します。
日蓮聖人は言葉では表せない宗教的神秘体験として「南無妙法蓮華経」を体得された,という貴方のお考えに私も賛成意見です。
ただ,いろいろな文献など読んでよくわからないことがひとつあります。法華経と日蓮聖人の「南無妙法蓮華経」は違うという見解です。日蓮聖人はとにかく赤子が母乳を飲むが如く「南無妙法蓮華経」とお唱えしなさい。それしか成佛の道はないと説かれ,法華経そのものよりお題目に重き置かれた…というのです。このあたりはどうなのかなあ?といつも考えてしまいます。
No.2
- 回答日時:
私も確とした仏典を見たわけではありませんが…
ただ、法話などで聞き及んでいる範囲で書きます。
南無妙法蓮華経のお題目は、南無阿弥陀仏の念仏とは次元が違い、それ自体では直接の利益は無いのが、本来の考えだったようです。
念仏は、ただ唱える事こそ目的であり、それだけで阿弥陀如来がお救いくださるという教えです。
お題目は、法華経こそが唯一の教えであると、自分に言い聞かせるための手段にすぎません。
だからこそ、常にお題目を唱えて、修行の入り口に立つように努力しなさいというお上人様の教えだったようです。
念仏のように、唱えるだけで救われるという物ではなく、真言のように唱える言葉自体が供養となり法力となるという物でも無いようです。
お題目は目的ではなくて手段であり、だからこそ私たちはそれを唱えなければならないというようです。
有難うございます。
私にとって,なかなかわかりやすい回答・説明でした。自分の心の奥底にじっと沈んでいる佛性を,呼び覚ます言霊なのかもしれませんね。「南無妙法蓮華経」と肚から声を出してお唱えする修行をとおし,どんな状況下にあっても,心を建て直し,勇気を持って判断・行動ができる力が湧いてくると,私は感じています。
ただ,いろいろな方の話では手段ではない!「南無妙法蓮華経」と一心に唱えることこそ成佛そのものであるというようなお考えもあるようですね。
No.3
- 回答日時:
簡単な回答です。
お題目とは経典の題目です。
南無は敬語のような意味と解釈しても良い、
法蓮華経 = 法華経 日本では天台宗の主軸の経典です。
日本の仏教の殆どが法華経から発展と考えても良いと思います。
日本の僧侶の読経に必至ものが二つの一つが法華経である。
観音経 = 法華経 有名であるが知る人は少ない、法華経の第八巻の二十五番が有名な観音経です。
浄土真宗のように、もう一つの般若心経を読経しない宗派もありますが観音経を読経しない宗派は無いようです。
南無阿弥陀仏、南無釈迦如来、南無地蔵尊・・・・は象徴とする具象仏の意味で、お題目ではない、
有難うございます。
天台佛教の二大経典が法華経と般若心経であること。浄土経典に対し,自力聖道門ではこの2つの経文が教えの中核を占めることに同意見であります。
ところで観世音菩薩或いは観自在菩薩は,法華経・般若心経に登場しますし,阿弥陀佛の脇侍佛でもあります。日本佛教に広く影響を与えている,誠に不思議な菩薩さまであると考えます。
No.4
- 回答日時:
多分、当時のかたがたは、無学が大部分で結構人心が荒廃していたのでは。
そういった中で聖人は緊急避難的な手法つまり、「南無妙法蓮華経」を唱えなさい。言ったのではないでしょうか?
今の人々の水準からすればこの方法は時代遅れということになるでしょう。
この回答への補足
有難うございます。
緊急避難的と言いますか,やはり真言や念佛の手法を取り入れたと言いますか。
思うのですが,座禅を組んで無心になる境地と,一心に唱えることにより意識が一点に集中させ,専心一意の境地になることは,究極,同じなのかもしれませんね。その場合,一般大衆について言えば御題目や御念佛,あるいは不動・観音・地蔵等のなじみのある御真言を一心に唱え奉ることは,重要な修行方法と言えるでしょう。そういう体験をとおし,御題目を鏡とし,自分自身の心を映しだし,ふりかえったり気付いたりすることが,佛教の肝心かなめなのでしょうから。
ところで,鎌倉期の人々は,文盲という観点では無学と言えましょう。しかし,心の文盲という観点では現代人の方が劣っているのではないかと考えます。日蓮聖人が生きてらっしゃったとして,現代人の機根の低さを目の当たりにされたら,この人々こそ理屈なしで「南無妙法蓮華経」しか救われない!とおっしゃるかもしれませんね。
佛教語の「無学」は「もう学ぶことの無い完全な智慧を持った人」という意味だそうです。これは蛇足^^
No.5
- 回答日時:
#1のものです。
くわしくはないのですが。
>法華経そのものよりお題目に重き置かれた
「唱法華題目抄」に次のような一節があります。
・第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品・或は題目を書て本尊と定むべしと
法華経の教典と題目を書いたものを同列に扱っていますね。
・問て云く、只題目計を唱ふる功徳如何。答て云く、釈迦如来、法華経をとかんとおぼしめして世に出で・ましまししかども、四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ、七十二にして始めて題目を呼び出させ給へば、諸経の題目に是を比ぶべからず。
題目は釈迦が晩年に唱えたことなので、最も尊重すべきだという考え方ですね。他の題目は比較にならないそうです。
度々の御回答,本当に有難ございます。とてもうれしいです。
「唱法華題目抄」という御書は恥ずかしながら知りませんでした。
法華経が方便であり,「南無妙法蓮華経」が所謂究極の三大秘法であるという事が書かれているのでしょうね。そこで私は,それはどうしてなの?という素朴な疑問がわき,根掘り葉掘り聞いてみたくなるのです。(日蓮聖人に,だから禅天魔の増上慢だ!と一喝されそうですが^^)
信じることが第一なのかもしれません。祈るところ霊験有り。。。なのかなあ?
ある真言宗系の僧侶の書いた本で,御題目は原語で「ナーモ(またはオン)・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と唱え奉るべきで,そうしなければ法華経の力は発現しないのだという話を読んだことがあります。さて,これはどんなもんなのでしょうね???確か書名は「弘法大師と法華経」だったかなああ???
道元禅師や弘法大師空海も最期にあたり法華経の世界に傾いていったという話も見聞します。誠に不思議な力を持った御経であると考えます。
補足:いにしえの人々は,言葉・音声に霊力が宿ると考えておりましたことは既に御存知だと思います。神道でも同様です。人や物の名前自体が「呪(ダラーニ)」の基本形だとか,「ありがとう」とか「はらいたまえ。清めたまえ」という言葉自体,強力な「呪」の力を発現するのだとか…確かに言葉ってとても気持ちを左右しますよね。悪口言われたらへこんで一日元気なくなるし。言語環境の良し悪しは人間形成に重要な位置を占めると思います。言霊(ことだま)ですね。
とすると,750年以上唱え続けられているうちに,御題目も御念佛も,唱えた人々の想念の結集として強力な「呪」となって成長し続けたという可能性もあるかもしれません。はじめの一歩は単なる法華経を信じますという意志表示,決意表明に過ぎなかったのかもしれませんが…
長々と,乱文で失礼致しました。
No.6
- 回答日時:
#4ですが、
心の文盲ということは、
鎌倉時代の人々は、
転生輪廻を信じていた。人は死ぬとあの世へ帰る。
ということですか?
だとしたら、現代人のほうが...
再度有難うございます。
鎌倉時代の人々は,識字率は現代人より低かったかもしれません。文字の文盲率の高さですね。
現代人は文字は読めるかもしれません。しかし,鎌倉期の人々に比べると人と人との温かな心の交流とい面ではどうか?心の暗さ,病いは深いかも知れない?
という意味で,心の文盲率は現代人の方が高いのかもしれない。
という主旨の文章です。
因みに,私は輪廻転生を信じています。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
#1のものです。
>「唱法華題目抄」という御書は恥ずかしながら知りませんでした。
ここを参考にしてください。
http://nakanihon.net/nb/gosyo/syouhokke.html
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso0001.html
>御題目は原語で「ナーモ(またはオン)・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と唱え奉るべきで,そうしなければ法華経の力は発現しないのだという
元々はヒンズー教のマントラ(真言)ですね。ある特別な言葉を発音すると、その精妙な波動によって、神通力のようなものが身についたり、示顕するという思想です。
最も有名なのは、般若心経の最後の部分「ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイ~」のところです。
インド人の般若心経と中国人の般若心経を聞いたことがありますが、日本の発音とは全くといっていいほど違っておりました。イントネーションが違うんですね。
真言といえは、真言密教ですね。これもサンスクリット語の仏の御名を唱えたりするのですが、やはり発音やイントネーションは日本式です。
でもそれでいいんじゃないでしょうか?
民族が違うわけですから、暦年を経てその民族にあったマントラに変貌してゆくんだと思います。
>素朴な疑問がわき,根掘り葉掘り聞いてみたくなるのです。
これは結構な発心だと思います。改革的な宗教者はみな疑問から出発しました。疑問あるところに答えありです。
「法華経は絶対最高の教典である」と体得した日蓮が、その名を唱えておすがりすることだけで成仏できるという確信に向かったことは、ある意味で自然な流れではなかったかと思います。
真言宗などマントラの慣習がすでにあったわけですから。
法華経の内容が理詰めで分かるようなものであれば、その理詰めを解いたでしょう。法然なんかはこの例ですね。理屈一辺倒です。
しかし理屈ではなく、釈迦を信じるしかない部分があるわけです。死後の世界のことなど証明は不可能ですからね。
もし日蓮にその理屈を説明してくださいと頼んでも、物理の教師のように理詰めの講釈はできないでしょう。人を好きになったとき、その人を信じてあげたくなりますね。あれに似た感情ではないでしょうか。
もっともわたし自身、法華経を詳しく勉強したことがないので、知っている人から見ると愚かな考えにしか見えないと思いますが。
>750年以上唱え続けられているうちに,御題目も御念佛も,唱えた人々の想念の結集として強力な「呪」となって成長し続けたという可能性もあるかもしれません
この考えでいいのではないかと思います。宗教はいわゆる共同幻想ですから。歴史があればあるほど強烈に作用しますね。
有難うございます。
ゆうべ教えて戴いたサイトで検索し,唱法華題目抄を読んでみました。要点は何となく読み取ることができました。なかなか難解でした。他の御書の方も順次読んでみたいです。
強力な言霊「呪」であるとすれば,どの国の言葉であっても力を発現するのかもしれませんね。その言葉に込められた発する行者の「思い」「念」の強さと,それを「共同幻想」としてささえる人々の「思い」「念」の強さ,広がりが大きいほど,より強大な「呪」となって成長するのでしょうね。
耳学問です。「コーラン」は原語でなければ「コーラン」として認められないそうです。これもいま述べた事と関連あるのかもしれません。
No.8
- 回答日時:
#4です。
輪廻転生を信じてるとかいてくださったので、ほっとしました。
確かに現代人(日本人?)には、心(宗教?)の義務教育化。釈尊の教えのベーシックな部分を知らなければならないでしょうね。
有難うございます。
敗戦を機に,宗教が公教育の範疇に入ってくることがタブー視されているのだと思います。「道徳」はありますが,今までそれが十分な役割を果たせたか,否かはちょっとわかりません。教える教師の道徳に対する意識の違いもあるでしょうし。
迷信的な内容とか,はっきりしない内容(例えば霊魂や死後の世界について)を宗教教育に混ぜ込むのはいけないと思います。(公教育に限定すればという押さえ)
しかし,例えば釈尊の三法印など,なんびとも否定できない真理(法:ダルマ)や因果応報・因縁生起の真理については整理して,教えていく必要を強く感じています。
現世のみ,短絡的に欲望のみ,追求オンリーの現代人が,大人にも,子どもにも増え続けているように思います。
No.9
- 回答日時:
#4です。
何度も書いちゃってますが、
三法印、
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
でしたっけ
四諦の教え
苦.集.滅.道
無我についての正しい知識
空と縁起
以下省略
人類普遍の真理ですね。
何度も有難うございます。感激!レスがあるってうれしいです。
三法印はそのとおりだと思います。
別の解釈で,諸行無常・諸法無我・因果応報・涅槃寂静とする四法印というのも,聞いたことがあります。
因みに「苦」。これはインドの原語で「ドゥッカ」。中国人が訳した時「苦」の漢字を当てはめたそうな。しかし,これはまずい訳だったそうです。本当は「不安定」「不如意」「不安」「不定」「苦しみ」「思い通りにならない」という意味だったそうです。そのあたりのお話は日本テーラワーダ佛教協会のHPを検索して,御覧下さい。
日本人のイメージする仏教とは,随分違った佛教の話が満載です。
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